第12話 相合傘のおまじない! ③
それを見た私は頑張れ外岡愛と心の中でエールを送り。
それを見た結菜は「え?」と惚けた声を出し。
それを見た唐草史郎は「…………」と尚も無言で無表情で。
「唐草君」全ての男性が誘惑されてしまいそうな声色で、上目づかいで、目を潤ませながら、外岡愛は言う。「ごめん。鞄の奥の方に傘あったみたい。ねえ、唐沢君。もしよかったら……使ってくれない……?」
ギリギリのラインであった。
外岡愛の言動を不審がられないと判断できる、ギリギリのラインであった。
タオルを差し出す行為までで、なんとか相合傘に持ち込めていたら使わなかった、外岡愛の最後の手段。
外岡愛の能力は、『雨が降る下校中に自分の傘で相合傘を五分以上した相手を惚れさせる能力』である。
自分の傘。
それは何も、自分が今手にしている傘というものだけを指す訳ではない。
自分で買い、自分が持っていて、自分が差し出す傘も――自分の傘と呼べる。
今。
外岡愛が差し出そうとしている折り畳み傘は、間違いなく外岡愛の傘である。つまりは能力の条件を満たしており、つまりはこの傘を使って相合傘を形成した場合、その時点で能力発動までのカウントダウンが始まる。
今の今まで折り畳み傘のことを忘れていたのに、今になって鞄の中に折り畳み傘があるということに気づくという、よくよく考えなくても誰がみても陽の目をみるより明らかに、不自然な状況が出来上がってしまっている。
けれども、しかし。
不自然ながらもなんとか無理を押し通せるレベルではあると、外岡愛と私は、判断した。不審がられても仕方がない。視線が外岡愛を疑い深いものになっても仕方がない。これはそういう手段であり、出来れば使いたくなかった手段である。
――最後の手段。
これをやったら最後、外岡愛は今自分が手に持っている傘を用いて相合傘という状況を作り出すことが不可能になる。
外岡愛は、これより、折り畳み傘のみを用いて唐草史郎と相合傘をしなければならなくなった。
「君子ちゃん君子ちゃん君子ちゃん君子ちゃん」一心不乱に外岡愛の勇姿を見守っているというのに肩をポンポン叩いてくる結菜。「どうして愛ちゃんは折り畳み傘を唐草君に渡そうとしてるの?」
それを聞いて。
結菜の方を振り返らずに、答える私。「唐草史郎が外岡愛の厚意を受け取るという選択肢を選んで折り畳み傘を使えば、必然的に、唐草史郎が差している傘にあと一人女性が入れば相合傘になるという状態になるのよ」
そこまで聞いて、結菜は「あ、そっかそういうことなんだ!」と納得する。「愛ちゃんが差してる傘に入れる必要が必ずしもあるわけじゃないんだ! 唐草君が差してる傘に入っても発動条件は満たすんだ!」
おおまかに言えばその通りであるが。
実際は、もっと複雑である。
まず大前提として自分の傘――つまり外岡愛の傘でなければ、能力の発動条件は満たさない。唐草史郎が差している傘が唐草史郎の物である場合、能力は発動されないということになる。
次に、相合傘している傘を外岡愛のみが自分の傘だと思えば能力が発動できるという訳ではなく、唐草史郎も、相合傘をしている傘を外岡愛のものであると認識していなければならない。能力を発動する者と、それの対象となる者。二人がその傘の所有物を能力の条件に満たすものであるとみなしていなければ、能力は発動しない。これは外岡愛が過去実証済みの事例である。
なので。
唐草史郎が持ってきた傘と同じ物を外岡愛が買い。
唐草史郎のものだった傘を処分し。
それと同じ位置に外岡愛が買った傘を置き。
唐草史郎がその傘を――外岡愛の傘を差して雨の中を歩き。
その傘の下に入って相合傘を形成して五分待っても、能力は発動しない。
唐草史郎が自分の傘の下に外岡愛を入れてあげていると考えていては意味がないのである。
だからこその、最後の手段である。
全てを覆す最終で最悪の一手。
これ即ち外岡愛の敗北宣言であり、同時に勝利宣言でもあった。
ここまで頑なに濡れないでほしいと言っているのにも関わらず無下に断るようなことは、流石の唐草史郎でもしないだろう。
――今の私ならわかる。
――唐草史郎は、外岡愛と相合傘をすることを拒んできた。
――唐草史郎が外岡愛に濡れないで欲しかったからに、他ならない。
相合傘をしたら、自分があまり濡れない代わりに、今まで濡れていなかった外岡愛が濡れてしまうという事態が発生する。
それだけは、避けたかった。
一方タオルを受け取らなかったのは、外岡愛のタオルを自分が使って濡らしたくなかったから。
それ以上でも、それ以下でもない。
どうせこんなところだろう。私はため息をつき、外岡愛と唐草史郎を見守る。折り畳み傘を外岡愛が差し出してから数分が経った。二人は固まっている。正確にいうと唐草史郎が固まっている。唐草史郎が固まっているせいで、外岡愛も固まっている。
やがて。
唐草史郎が、首を縦に動かした。
右手が、折り畳み傘に伸びる。黒い折り畳み傘。外岡愛の手から折り畳み傘が離れた。にやけそうになる口を笑顔で押し込める外岡愛。そんな様子に全く気付かないまま、折り畳み傘を入れているカバーを外す。カバーを外岡愛に差し出す。カバーを受け取る、外岡愛。折り畳み傘の止め具を外し、あまり音を立てずに広がる折り畳み傘。折り畳まれている部分を丁寧に広げていき、雨の雫を防ぐ部分を形成していく。柄の部分を伸ばし、折り畳み傘が広がり――唐草史郎が傘の下にいる。
あと一人女性が入れば、相合傘になる。
外岡愛が入れば、相合傘になる。
能力発動の条件を満たす、スタートを切ることが出来る――!
だから、外岡愛は。
自分の持つ傘を勢いよく閉じた。笑顔であった。これ以上ないほどの笑顔であった。私と結菜からしたら何の違和感もない行動であるが、唐草史郎からみたら違和感の塊ともいえる行動であろう。雨の中、突然傘を閉じる。こんなことをしても濡れるだけである。
本当に。
本当に、意味のない行動。
されど外岡愛にとっては意味しかない行動であり、決死の行動であり、全てを覚悟した上での行動であった。
失敗したら。
ミッションが、終了する。
外岡愛の能力発動の機会が、失われる。
今までの努力が全て、無駄になる。
――外岡愛の価値が潰える。
笑顔の裏にはどんな感情を秘めているのだろう。今の外岡愛に、いつもの、のほほんとした感じは欠片も感じられない。真剣そのものである外岡愛は、それでも、笑顔であった。
外岡愛が、傘を閉じ切る。
無表情でそれを眺める唐草史郎。
外岡愛が、唐草史郎が差す外岡愛の傘の下に近づこうと体を動かす。ほんの少しの距離。その距離を縮めるために、どれだけかかるのだろうか。果てしない距離に感じる。私でも、恐らく結菜でもそう感じているのだ。外岡愛にとっては途方もない距離であろう。
だが。
縮まらない距離などこの世に存在せず、ゆっくりではあるが確実に、二人の距離は縮まっていく。
見入ってしまう。
外岡愛の一挙一動に。
その動きは鮮やかで、美しくて、外岡愛の人生すべてがかけられていて。
何よりも、素晴らしかった。
「…………」
――けれども。
現実はあまりにも無情で、残酷で。
外岡愛の努力の全てを台無しにしてしまうことを、平然とやってのける。
唐草史郎は。
折り畳み傘を、外岡愛に向けて差し出していた。
開いた状態で、外岡愛が濡れないように、差し出している。
外岡愛はその傘の貢献をかなり受けていて。
唐草史郎は腕の部分は傘の貢献を受けているが、頭を含めた体のほとんどが雨ざらしになってしまっている。
恐らく唐草史郎は理解不能な外岡愛の行動の理解よりも、外岡愛が濡れないようにすることを優先したのだろう。
「これじゃあ……」
相合傘と呼ぶには、あまりにも杜撰な構図である。
そんなことを思ってしまったら。
そこで、ミッションは終了となる。
外岡愛から。
笑顔が、消え去っていた。
悟ったのだろう。こんなものは相合傘とは呼べない。ここまでしたのに、唐草史郎は相合傘を形成してくれない。文字通り最後の手段であった。紛れもない、最後の手段。それが、失敗に終わってしまった。
外岡愛は「私の家、もうすぐだから。傘、貸してあげるねー。明日返してくれればいいからー」といつもの様子を装って、唐草史郎と別れる。電柱の影に隠れて姿を見えないようにしている私たちの方へ向かってくる。私たちの存在に気付いたのか気付いていないのか。外岡愛は私達に喋りかけることなく、雨の中傘を差して去って行った。
雨に濡れていたからであろう。
頬に雫が伝っていた。
「愛ちゃん……」
結菜が消え入りそうな声で呟きながら、とぼとぼと帰っていく外岡愛の背中をずっと眺める。
唐草史郎は、今来た道を戻っている外岡愛を無表情で見送ると、周りを確かめて――そのまま前を歩き始めた。
外岡愛は、きちんと仕事をしてくれた。
回り道をするよりも、前進した方が唐草史郎の家の近道となるように、上手く誘導しくれた。これは事前に話していたルートである。この道に唐草史郎を誘導してくれ。ミッションが終了したときに、私が見つからないようにする為に。
――表向きは、この理由で。
この理由で、外岡愛を納得させた。
本当は、違う。
外岡愛の本当の仕事は、違う。
ミッション遂行ではない。
断じて、ない。
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