第10話 相合傘のおまじない! ①

 平日の午前八時二十五分。

 ごく一般的な高校生ならば既に登校して教室に入っているか、遅刻寸前という状態で全力で走っているかしている時刻であろう。

 そんな中、私と小瀬結(こせゆい)菜(な)は校門に寄りかかりながら二人してため息をついている。

「今日も駄目だったね。やっぱり私の能力、使えないのかなあ」手に持っていた食パンを勢いよく食べきって、結菜が呟く。

「ううん、そんなことないよ。結菜は頑張ってる。悪いのは唐草史郎だよ」私は、結菜を慰めるように言った。

 結菜は私の親友的存在であり、辛いことしかない機関における唯一の癒しであった。私は受付業務をしている一方で、結菜はエレベーターガールをしている。エレベーターで行ったり来たりを繰り返している毎日の中、ふと寄ってみた受付にて虚しさをあらわにしている私の姿をみて話しかけたくなり、「友達になろうよ、君子ちゃん」と言ってくれたらしい。以来、私は結菜に親しくしてもらっている。

 結菜の外見はこれぞエレベーターガールというものであった。黒髪は短く切りそろえていて、大人っぽく、高身長でスタイルもかなり良い。結菜が兼ね備える優しげな表情は、機関の幾人もの人間をロリコンの道に誘ったんだとか。

 そんな結菜と私は、「今日も付き合ってもらっちゃってごめんね、君子ちゃん。本当にありがとう」「ううん。これも私の仕事の内だから」という会話をしながら校舎に入っていく。チャイムが鳴るまであと二分。ギリギリ教室に間に合う時間であり、結菜と私はミッションに配属されてからずっとこの時間に教室に入っている。

「じゃあ今日も授業頑張ろうね。大好きだよ、君子ちゃん」

「うん、頑張ろう。私も大好きだよ、結菜」 

 個人的に頬が緩む会話をして、各々席に着く。私の席は唐草史郎の席から前に二列左に一つずれた席であり、結菜の席は唐草史郎の席から前に一列右に一つずれた席である。結菜の能力云々よりも、ミッション中に親しい人物とあまり近くにいない方がいいという私の判断から、この席位置にした。

 私が結菜の能力を知ったのは――ミッションに入った当日である。私が堂上高校のとある一室を無断で貸し切り、五人に説明をした後、結菜に直接聞いた。他の四人の能力は機関の噂話として出回っていたため知っていたが、結菜の能力だけどんなものかを知らなかった。結菜曰く、あまりにもくだらない能力だから誰にも教えたくないんだとか。

 いや、わかるよその気持ち。

 私の能力なんて単なる席替えを操る能力だし。

 でも、ミッションの前にはどんな能力なのかを教えてほしかった。

 結局結菜の能力はわからないまま、過去に行って席替えをしたのだから。

「あれは本当に効率悪いよなあ……」

 誰にも聞こえないように愚痴を少しだけ吐いて。

 学校全体に流れるチャイムの音を聞いた。

 今日も今日とて学校生活は始まりを告げ。

 唐草史郎をリア充にするミッションに入ろうとする。

 だが。

 藤堂彩芽と伏見北四季がリタイアした――今。

 すぐさまミッションに入れる者は、一人しかいない。

 その唯一の人物は、毎日ミッションを失敗している。

 能力を使う機会すら与えられずに、燻っている。

 彼女の名前は小瀬結菜といい――『遅刻寸前に食パンをくわえたまま曲がり角でぶつかった相手と下校を共にする能力』の持ち主であり。

 能力自体が私と同様どうしようもない能力である挙句の果てに、その能力発動条件すら今回のミッションにあてはまるかどうかわからない。

 何故なら――唐草史郎の家は堂上高校から歩いて五分のところにあり、更に当の本人である唐草史郎が毎朝八時には登校して、毎日せっせと動物の世話をしているからに他ならない。

「上司さあ……どうしろってんのよこれ……」

 誰にも聞こえないように苦言を漏らして、私は泣きそうになるのをこらえる。

 結菜に出番を作ってやりたかった。機関に居る時、私の話し相手になってくれた結菜に、どうしても出番を作ってやりたかった。藤堂彩芽と伏見北四季のミッションが失敗に終わってから三日経った十月十日の木曜日である今日だが、恐らく今日でミッションは終わる。

 恐らく、というよりも。

 八十パーセント終わると言ったほうが正しいだろう。 

 今日の天気予報は、曇りのち雨。

 降水確率は八十パーセント。

 雨が降りさえすれば――彼女の能力の発動条件を満たす。

 そしたら、私たちのミッションは終了する。

 唐草史郎の人となりを知った今だからこそ言いきれることである。

 このような状況にしてくれた伏見北四季に、本来ならば感謝の気持ちを伝えたかった。ラブレターを用いて唐草史郎を屋上に呼び、ミッションを遂行しようとした伏見北四季。だが伏見北四季は違反行為をし、それ以降一回も喋っていない。それに、何よりも私が。私が完全に敗北した相手である伏見北四季に感謝の気持ちを伝えるのは本当に癪に障る。私が次に自分から喋りかける時は、それこそ仕事のことだけであろう。そんなことは二度とおこらないだろうし、そんなことはこっちから願い下げだった。

 伏見北四季とは関わりたくない。

 これ以上自分の負けを認めたくない。

 そんな私の気持ちを知らないまま、伏見北四季は授業ですらない朝の会にて机を枕にして寝ている。

 後ろを振り向き、こいつマジかと思うと同時に。

 唐草史郎の目線が右隣の席である伏見北四季の方を向いているのに気付いて、思いっきり黒板の方に視線を持っていってしまった。

 ――唐草史郎には三日前の昼休みの記憶がどの程度残っているのだろうか。――伏見北四季の話によれば操られた状態の記憶は全て屋上から違う場所に言った途端に消えるらしい。――では、伏見北四季とキスをしたり抱きしめあったり喋ったりした記憶は消えていると判断していいのか。――そういえば、唐草史郎は伏見北四季の手によって下駄箱に入れられた伏見北四季のラブレターを読んで昼の時間に屋上に来た。――どういう返事をするつもりだったのだろう。――唐草史郎はどういう返事をするつもりだったのだろう。――ラブレターの主が私だったら、同じように屋上に来てくれるのだろうか。

 何なのだろう。

 この気持ちは何なのだろう。

 唐草史郎の実情を知った後から芽生えた、この気持ちは何なのだろう。

 唐草史郎を見たくない。

 でも、見たい。

 

 


 今日の授業が終わり、放課後になる。

 部活に所属している者はその部活に勤しみ、勉学に励む者は図書館等に行ってシャーペンを持ち、特に何も用がない者は下校の時間となる。

 唐草史郎にとっては放課後とは即ち下校の時間であり。

 私と外岡(とのおか)愛(あい)にとっては、ミッションの時間であった。

「やっと雨だねー。待ち望んだよー」

 下駄箱前。

 本日の学校生活が終わった直後、私と外岡愛は一目散に階段を駆け下り、この場所へとやってきた。ウェーブがかかっている長い茶髪をいじりながら、今までフーセンになっていたガムをティッシュに包んでゴミ箱に捨てて、ぼんやりとした眼を外に向ける。ほんのり丸みを帯びた可愛い系の顔と、高校生女子の平均身長を有する外岡愛。そんな外岡愛の出番が、ようやくやってきた。

「ほんっと暇だったよー。暇で暇で溶けちゃうかと思ったー」頬を膨らませ、私に向かって不満を言う外岡愛。「雨を降らせる能力者とか配属させればよかったじゃんかー」

「機関が用意した能力者以外に、配属する能力者を二人までなら決めていいと確かに言われているが、私が知る限りそんな能力者は機関にいない」

「むー。しょうがないことなのね、これってー」

「そうだな」

「まあいいけどね。待ちくたびれたけど、ようやく私の能力が活躍する時が来たんだしー」

 言いながら外岡愛は、下駄箱付近の傘立てから自分の傘を取り出した。外岡愛はその傘を開きながら「唐草君の傘、処分してくれた?」と聞いてくる。その質問に対して、私は「朝やっておいたから大丈夫」と返事をする。それを聞いて、外岡愛は微笑んだ。

「じゃ、見守っててね現場監督さん。私、頑張るからー」

 外岡愛は無邪気である。

 このミッション中、そんな言葉を聞いたのは結菜からだけであった。

 ――だから余計に、胸が痛む。

 外岡愛に悟られないように「頑張れ」とだけ激励し、唐草史郎に見つからないように他学年の下駄箱の裏に隠れる。

 外岡愛が有する能力は――『雨が降る下校中に自分の傘で相合傘を五分以上した相手を惚れさせる能力』。

 雨が降った時点で。

 今日のミッションは、終わりを告げている。

 下駄箱に集まる生徒が増えてくる。小走りで運動靴に履き替えてそのまま部活に向かうであろう生徒もいれば、友達と笑いながら喋って仲良く下校する生徒もいる。カラオケ楽しみだなーでも雨かーと叫んでいる生徒もいれば――俯いて、何も喋らずに、私の近くに来たら顔を上げ、私の方を一瞥して、急いで自分の学年の下駄箱に移り、靴を履き代えて外に向かう生徒――も、いる。色々な人物が色々な表情をみせて帰っていく。彼ら彼女らの目は学校の授業という所謂やらされている行動から解放され、間違いなく自分で選んだ次の行動に移そうと張り切っている様子が見てとれる。私はどうなのだろうか。授業が終わっても、やらされている行動から解放されないままに居る。

 ――「貴女はあなた自身に価値があると思う?」

 藤堂彩芽の言葉が、何故か思い返された。

 やらされている行動にこれからもずっと縛られるかもしれない私達に、価値なんてあるのだろうか。

「……今更」

 こんなことで悩んでも、意味がないのに。

 なんでうじうじと悩んでいるのだろう。

 伏見北四季の姿を見たから、だろうか。

 やらされている行動の中でもやりたいようにやっている伏見北四季の姿を見たから、だろうか。

「…………」

 そんなことを思ってしまいうつむきそうになった視線の中に、唐草史郎の姿が映った。

 胸が痛む。

 今、私は何を考えているのだろう。私は初めて自分の中に生まれた感情に名前を付けることが出来ない。この思いは何なんだろう。唐草史郎を見ると浮かびあがる。これも伏見北四季の影響なのだろうか。何なのだろうか。わからない。

 ――って。

 何を考えているんだ、私は。

 現場監督として責任を果たさなければならないのに、外岡愛が頑張ろうとしてくれているのに、私がこんなに雑念だらけでは意味がない。

 いつの間にか唐草史郎が上履きから外靴に履き替えて、下駄箱付近にある傘立てから自分の傘を探そうとしている。慌てて唐草史郎の動きに注視する。唐草史郎は無表情のまま傘立てを一通り眺めて、視線を一瞬だけ下におろし、外を見た。小ぶりとはいえ傘がないと辛い雨が降り注いでいる中、唐草史郎はじっと外を見ている。その姿を見て、私はこれ以上ないほどの罪悪感を覚える。本当にごめんなさい。唐草史郎の傘を紛失させたのは私です。許してくださいとは言いません。謝ってどうにかなることじゃないと思っています。

 でも、心の中で思わせてください。

 ごめんなさい。

 唐草史郎のこんな姿を見たところでどうってことないはずだった。自分の能力が活躍した上で、自分が現場監督を務めるミッション。これ以上ないほど光栄な時間だった筈なのに。それなのに、今、私の中に生まれているのは――胸の痛み。

「どうしたの、唐草君ー?」

 そんなことを思いながら。

 聞こえてきたのは、外岡愛の声であった。ミッションが始まっている。どう考えても間違いなく達成できる、ミッションが。のほほんとした口調ながらも唐草史郎の身を案じている声。普段の外岡愛が唐草史郎の身を案じているという様子を見事に表現している。「もしかして傘なくなっちゃったのー?」

「…………」唐草史郎は、外岡愛を見ずに雨が降る校舎の外を眺めている。

「災難だねー。私の傘でよかったら、入ってくー?」

 純粋に。

 傘がない唐草史郎を助けてあげようというクラスメイトを装っている。

 外岡愛も、藤堂彩芽や伏見北四季、そして結菜と同じように今まで自分の能力が活躍する時を今か今かとうかがっている人物であった。私は知っている。彼女はいつも、食堂のレジ係を担当していた。人懐っこい笑顔をいつも機関の人たちに向けている一方で、窓の外を見ていたことを。雨の日の帰り道には、色々な人たちと相合傘をしていたことを。

 外岡愛の能力は、下校中でなければ発動されない。

 つまり、彼女の能力にはいつか使えなくなる時が来る。

 具体的には、大学生を卒業するまで。

 理論上では何歳でも大学生になれたり自動車学校の帰り道でも下校と呼べるので切羽詰まった制限があるというわけではないが、それでもやはり、高校生を卒業してしまったら一気に使える場面が制限されると考えて間違いはない。

「何よりもね、私は制服を着てこの能力を使いたいのー」昨日の下校中、曇りのち雨と言う天気予報をみてつい嬉しくなって私に喋りかけてきた外岡愛は、嬉しそうに語っていた。「相合傘をしている中、私を好きになってくれる。こういうのってー、なんだか少女漫画みたいでロマンチックじゃない?」

 その運命の相手が唐草史郎であるという点において。

 私は、羨ましかったりする。

 ――唐草史郎は。

 外岡愛の誘いを聞いて、外岡愛の方を向く。

 唐草史郎が自分の方を向いたから相合傘をしてくれると判断したのだろう。見る者全てを魅了するほど嬉しそうな笑顔をしながら、傘を開いた。白いビニール傘。相合傘にふさわしい傘なのかはわからないが、これも外岡愛の作戦の内なのだろう。男性が入りやすいような傘を用意する。そんなところだろうか。

 外岡愛が、傘を差す。

 左手で傘を持ち、左隣に居る唐草史郎に体を近づけようとする。

 唐草史郎と外岡愛が、相合傘をする――!


 その時だった。


「…………」

 唐草史郎が、おもむろに雨の中を歩き始めた。

 傘も差さずに、外岡愛から差し出された傘の中にも入らずに、自分と鞄を濡らしながら歩いていく。

 その姿に、外岡愛は勿論のこと、私も茫然としてしまった。

 ――外岡愛が茫然とした理由は、私とは違うと断言できる。

「ま、待ってよ唐草君ー」外岡愛は慌てて唐草史郎のもとへと向かう。しっかりとした足取りで歩く唐草史郎。でも、それでも、外岡愛を引き離そうとしている足取りではない。いつもよりもゆっくりとした足取りで、外岡愛と並ぶようにして歩く唐草史郎。そんな唐草史郎を横目に、若干ひきつった笑顔を唐草史郎に見せる外岡愛。「遠慮しなくていいよー唐草君ー。唐草君の濡れる姿を見たくないだけなんだからー」

 二人が校舎から離れていくのを見て、傘立てにある私の傘を広げて外に出る。今回は小型テレビもイヤホンもない。唐草史郎と外岡愛の後を追い、外岡愛のミッション遂行を見守ることになっている。これは外岡愛からの指示であった。曰く、「相合傘しているのにイヤホンをしていたら不自然だから、私には予め指示を出しておいてくれると嬉しいなー」という話である。文句の付けどころもない要望だったので、私は事前に考えた指示を全て外岡愛に与えて、後は外岡愛を見守ることにしていた。

 

「私にも見届けさせてもらってもいいかな、君子ちゃん」


 一人で見守るつもりであった。 

 今までのミッションと同じように、現場監督である私が一人で外岡愛のミッションを見守ろうとしていた。

 だから――話しかけられた時きょとんとしてしまったことを許してほしい。

 雨の中傘を差し、外岡愛と唐草史郎の後を追う私に喋りかけてきた結菜は神妙な表情をしている。

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