第4話 消しゴムを拾わせろ! ③
思わず保健室の中で大きな声を出してしまった。保健室のおばさん先生が心配してくれたのか、「何大きな声出してるの、君子さん?」と言いながらベッドのカーテンを思いっきり開けてきた。「うあああああ! す、すいま先生! 何でもありませんすいま先生!」と叫びながらも、必死になってイヤホンやら小型テレビやらを見つからないように上手く配置し、私のその様子を見た保健室のおばさん先生は「そう? 驚かせてごめんなさいね。安静にしとくのよ」訝しげに私を見つめながらも何とか私への注意を外してくれた。
危ない危ない。
藤堂彩芽が危険な状態になっているときに、こちらがへまをしては元も子もなくなる。
深呼吸をして冷静になりながらイヤホンをもう一度装備したままかけ布団にもぐりこみ、小型テレビを眺める。
「ええっと……その……」
そこには。
立たされ、教師の質問に答えようと必死になっているように見える藤堂彩芽の姿があった。
「どうした? わからんのか? 授業を聞いていればわかるはずだぞ?」
藤堂彩芽が苦虫を噛み潰したような表情をして下を向いている。
痛恨のミスだ。
予想は出来たとはいえ、すぐに終わると思われたミッションの中でのアクシデントだ。
授業中に先生に質問されるかもしれない内容を藤堂彩芽が完璧に理解出来ているなんて素晴らしい展開は、残念ながらないようだ。これは藤堂彩芽を責めることが出来る場面ではないだろう。彼女は、唐草史郎にどうやったら消しゴムを取ってもらえるかどうかということに対して必死になっていた。当然であろう。これさえ必死になれば達成できるミッションであるし、これ以外に必死になってそれが原因でミッションコンプリート出来なかったとしたら悔やむに悔やめない。
藤堂彩芽が授業中に立たされ、質問に答えさせようとしているこの状況。
――最悪な展開を、生んでいる。
今まで藤堂彩芽の頼みを無視し続け、授業に没頭していた唐草史郎の視線が――藤堂彩芽に向いている。
このタイミングで初めて藤堂彩芽に対して視線を向けるのは、最悪極まりない状況である。
何故なら――唐草史郎の表情が、依然として無表情だったから。
冷たい視線を向けているよりも、性質が悪い。
無関心ならば無関心なりにやりようがあったであろう。それこそ藤堂彩芽が先ほどやろうとしたように、唐草史郎に直接触れるという所業。それをすればミッションコンプリート出来たかもしれない。
だがそれはもう、過去の話。
この場をやり過ごし、藤堂彩芽が唐草史郎に触れたところで――無視されるのが関の山であろう。
無関心な対象物に人間が興味を惹くのは一度だけである。無関心な対象物に、基本的に人間は興味を抱かない。抱くのは、例外中の例外だけ。
例えば、何かしらの要因がない限り、元々全く興味がなかったアイドルグループを知ろうと思うことはないだろう。好きなドラマの主題歌を担当していたり、友人から熱烈に勧められでもしない限り、無関心だったアイドルグループに関心を抱こうとは思わない。
例外中の例外である一度のチャンスでどんな感情を抱くかが、その後の展開において重要になる。
そのたった一度のチャンスを――使ってしまった。
最早唐草史郎にとって、藤堂彩芽は単なる授業の邪魔でしかない。
「授業中に盛大によそ見しやがって。こんなの授業を聞いてりゃ簡単に答えられる問題だぞ。先生の質問が聞こえなかったのか? もう一度いってやればわかるのか、あぁん?」教師は苛立ちを全く隠さずに叫ぶ。ここまで怒らなくでもいいだろうと、その場にいない私でも思ってしまうほどの怒号であった。藤堂彩芽はとうとう何も言わなくなり、顔を下げる。その場で言葉を発しているのは、教師だけ。「もう一度言うぞ。日露戦争が始まったのは何年だ? わかんないとは言わせねえぞ、早く言え!」
…………んん?
私はこの問題の答えを知っている。
それも、鮮明に。
唐草史郎のノートに書いてあった。
1904年。
「いくんよ、日露戦争――!」
またもや思わず叫んでしまう私。「何叫んでるの君子さん! ほんとに大丈夫なのあなた!」とまたもや保健室のおばさん先生が来たので一瞬にしてかけ布団の中に縮こまりながら一心不乱に出来る限り小さな声でマイクに声を通す。
「1904年、1904年よ。いくんよ日露戦争、いくんよ日露戦争よ」
私の声がマイクとイヤホンを通して藤堂彩芽に届く。
「1904年です」藤堂彩芽の声が、聞こえた。
「正解だ。座っていいぞ」教師の声が聞こえる。
よかった。
藤堂彩芽のピンチをとりあえず助けることが出来たらしい。
とはいったものの、ミッション上はピンチであることには違いない。私は「うるさくしてすいません、もう寝ます本当にすいません」と保健室のおばさん先生に言った後、再び気を引き締めて小型カメラを眺める。
すると。
おかしな場面があった。
それは今までの常識ならば絶対に思い至らない場面で、実際に見ているとはいうものの全く実感が湧かない――そんな場面。
藤堂彩芽の机の上に、ノートが二つある。
了解と大量に書かれたノートと。
――日露戦争。1904年。いくんよ日露戦争と書かれたノートであった。
私がそのとんでもない事実に気が付くと同時に。
「全く、唐草は本当に人が良いな。感謝するんだぞ藤堂。次はないからな」という発言をする教師の姿と――無言のまま藤堂彩芽の机の上にある自身のノートを見つめる唐草史郎の姿と――教師に言われた手前軽く唐草に会釈をし、自身のノートと唐草史郎のノートに手早く何かを書いた後に唐草史郎のノートを唐草史郎に返す藤堂彩芽の姿を見ることが出来た。
何が起こっている。
冷静になって考えろ、私。
私が小型テレビから目を離していた一瞬に何があったのかを理解しなければ、この藤堂彩芽に指示を出すことが出来なくなる。
私がまず着目したのは藤堂彩芽のノートに書かれている内容であった。唐草史郎のノートに何を書いたのかということよりも、私と藤堂彩芽の連絡手段であった藤堂彩芽のノートを確認する方が、この状況を整理できるかもしれないと考えたからこそ、私は藤堂彩芽のノートを眺める。
そこには。
「作戦成功。行動に移る」
と、書いてあった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます