第3話 消しゴムを拾わせろ! ②
私の声を聞いた藤堂彩芽は、机に広げているノートに「了解」という文字を書く。
教室に数か所設置されている監視カメラから、どんなアングルでも藤堂彩芽と唐草史郎、しいてはその周りの空間をみることが出来るので、私の声はイヤホンを通して――藤堂彩芽の反応は文字で行うことにした。口頭で連絡を取り合うことも出来るのだが、それを行うと藤堂彩芽が一人でぶつぶつ喋る危険な人物になってしまうのでやめようという判断を下した。
ちなみにその判断を下したのは藤堂彩芽自身である。容姿端麗な文学少女をそのまま模したような外見をしている藤堂彩芽。そこに独り言を授業中にぶつぶつ呟くというキャラ付けをしてもいいんじゃないかと面白いんじゃないかと思ったが、藤堂彩芽から「お願いだから。お願いだからそこでふざけるのやめて。お願いだから」とかなり執拗にいわれてしまったので仕方なくノートを介して会話をすることにした。
ねえ、知ってる?
君ね、結構男子から人気なようだよ。
基本的に冷たい視線なのに、時折見せる優しい表情がたまんないんだってさ。ギャップ萌え最高らしいよ。
だからさ、真面目キャラが実は変態でしたってギャップで今度は攻めよう。そうしたら今度は君が基本的に冷たい視線を浴びせられて、時折優しい表情を皆することになるからさ。あ、別に嫉妬とかじゃないから単なるアドバイスだよあっはっは。
なんやかんや唐草史郎をリア充にするために集いし能力者達は、かなり良い外見を持ち合わせている。一癖も二癖もあるような能力ばかりだが、それら全て、最大限発揮できるような外見を私を含めて持っている。
私を含めて。
私を、含めて。
「……悲しくなってきた」
ぼそりと呟いたつもりだったのだが、監視カメラに映った藤堂彩芽のノートに「何かあったの?」という文字が走る。慌てて「気にしないで気にしないで」と取り繕い、頭を切り替える。雑念にとらわれてはいけない。ミッション遂行だけに頭を使わないと。
――藤堂彩芽が。
唐草史郎の方を向く。
「ねえ、唐草君」極力小さい声で、かつ唐草史郎に届きうる絶妙な大きさの声で、唐草史郎に話しかける。「消しゴム落としちゃった……拾ってくれない……?」
単なるクラスメイトに向ける声ではない。ある種誘惑するような言い方で、唐草史郎に消しゴムを拾ってくれるよう催促する。通常の高校生男子ならば一発で陥落するような言い方であろう。何しろ、黒髪ロングの美少女が、右手を口に持っていって、ちゃんと耳に届くように声の通り道を作った上での囁きである。普段はクールビューティーを装っている彼女の潤んだ表情もまた効果的であった。気丈で、誰の手も借りないで生きていけそうな藤堂彩芽が、自分を頼ってくれている。
男として取らないわけにはいかない。
そう思わざるを得ないような状況を、完璧に作り上げていた。
これが、機関に属する能力者の本気である。使いどころが限定され過ぎていてどうしようもない――けれども、いつか。いつか自身の能力が役に立つときのために、牙を研いでおく。
能ある鷹は爪を隠す。
能があっても使えない鷹は、爪を隠さざるを得ない。
隠された爪は――洗練されていく。
準備をしてきた。
自身のどうしようもなく下らない能力を最大限に活躍するその時の為だけに。
――隠された爪が、遂にベールを脱ぐときが来た。
私は確信した。これで落ちない男はいないと。藤堂彩芽の誘惑を無視できる男はそれ即ち男ではないと――!
「…………」
唐草史郎は。
一心不乱に、授業を受けている。
日本史の授業が展開される中、唐草史郎は黒板を見る作業と自分のノートに文字を描く作業をいったりきたりしている。
藤堂彩芽を――見向きもしない。
当然、消しゴムを取る様子もない。
「……こ、声が小さくて、聞こえなかった、のかな」
そう判断した私は、藤堂彩芽に「もう少しだけ大きな声で再度唐草史郎を誘惑して」と指示し、ノートに「了解」とかいた藤堂彩芽はもう一度「ねえ、唐草君。消しゴム落としちゃった……拾ってくれない……?」と囁いた。微々たるレベルで声が大きくなっていた。流石プロフェッショナルといったところだろう、流石能ある鷹といったとことだろう。細かい違いが出せる藤堂彩芽の力量に感嘆せざるを得ない素晴らしいプレーであった。
「…………」
しかし。
唐草史郎は、依然としてノートに文字を走らせる。「日露戦争。1904年。行くんよ日露戦争」と書いている。下らねえよ。
「まだ声が小さかったんだろう。もう少しだけ、声を大きくして」
律儀に「了解」とノートに書いてくれる藤堂彩芽は、もう一度、「ねえ、唐草君。消しゴム落としちゃった……拾ってくれない……?」と唐草史郎を誘惑した。今度は二度目よりもまあまあ大きな声量で、周りの席の人に聞こえてしまうようなものだったが仕方がないだろう。ここまでしないと恐らく唐草史郎には届かない。というよりもここまで積極的にメガネをかけた黒髪ロングのクールビューティーが誘惑しているんだ。そろそろ授業から意識がはなれくらいのことがあってもいい頃だろう。
「…………」
唐草史郎は。
ノートに、「どちらの国が勝利したかというよりも、僕はこんな作戦を実行した日本を称えるわけにはいかない」と書いていた。
え、授業の感想?
授業を聞いた感想を、授業中に書いてるの?
「あれぇ……?」
一体全体何が起こっている。
確かに藤堂彩芽の声は唐草史郎に届いている筈である。二人の周りの生徒――藤堂彩芽以外の能力者が何やってんだこいつといったような一種の呆れた表情を見せているのが癪に障る――にはきちんと聞こえている。
自身が受けている授業の妨げになるからと、無視を決め込んでいるのだろうか。
たかが消しゴムを拾うくらいの作業なのに。
藤堂彩芽から誘惑されているにも関わらず、唐草史郎は有無を言わさず授業を受けている。
対して藤堂彩芽は、私からの指示を忠実に実行し続けているのか、唐草史郎への誘惑を続けている。「ねえ、唐草君。消しゴム落としちゃった……拾ってくれない……?」「ねえ、唐草君。消しゴム落としちゃった……拾ってくれない……?」「ねえ、唐草君。消しゴム落としちゃった……拾ってくれない……?」とロボットが如く何回も繰り返してかなりシュールな空間を生み出していたり、普通に言っても無駄だと諦めたのか、「ねぇん、唐草くぅん……ハァっ、消しゴムぅ……アンッ、落としちゃったぁん……ねぇん、拾って……くれない……?」とどこぞのアダルトビデオかよと言わんばかりの言い方をしたり、「ご主人様ご主人様。にゃんにゃんの消しゴム落としちゃったニャン。拾ってニャン」と最早これを迷走と言わずして何を迷走というのかというほどの迷走をしているのだが――
それでも。
唐草史郎は、何も反応しない。
「違う手段をとってもいい?」
藤堂彩芽のノートに文字が書かれる。
藤堂彩芽の今まで培ってきた努力が水の泡と化すかもしれない瞬間。それでもノートに書かれた文字は気丈さを表すかのように綺麗な筆跡であった。
先ほどまでニャンニャンなどと言っていた者の筆跡とは到底思えないほど綺麗な筆跡。
私は思う。
藤堂彩芽がここまで頑張ってくれているのだ。
現場監督である私が、ここで動揺してどうする。
「オーケー。やれるだけのことをやってみて」
予め聞いていた藤堂彩芽の手段は、唐草史郎に消しゴムを取ってもらうようお願いするという今まで行ってきたものだけであった。本人曰く、「これだけでミッションコンプリート出来るはずよ。私の能力発動の条件を達成できる場を作ってもらえれば、それだけで充分だから」という話であった。
当たり前だ。
これは、条件さえクリアすればそれだけで終了する最強の能力である。相手を自分に惚れさせる能力。今まで陽の目を見なかっただけで、これほどまでに最強の能力は他にない。
能力が発動されたが最後、能力をかけられた相手はどうしようもなくなる。
それが、『教室の床に落ちた消しゴムを拾った隣の席の人物を自分に惚れさせる能力』である。
発動できなければ、意味がない。
発動したら――その時点でミッションコンプリートである。
――だから。
藤堂彩芽の手が、唐草史郎にのびていった。
彼女と唐草史郎の間には、手を伸ばせばお互いに触れられる距離にある。中学高校の頃の学校生活では、机と机の間にあるこの距離感がこの上なく重要なものになっている。
――もし男女が隣同士の席に座ることになったとしても。
この微妙な距離感が、会話の弊害となることがあるからだ。
教科書を男女のどちらかが忘れる、かつ、隣の席に同性の者がいない場合とかでない限り、この距離が物理的に――必然的に縮まることなどない。机と机が接して、お互いがお互いを意識し合うような、そんな距離感が生まれることはない。
教室の床のタイル一つ分程度。
しかし、この小さな距離が、例え席が隣になったとしても何も生まれなくなることを誘導する原因になる。このことを切実に感じたのは、世界中の誰よりもこの私であろう。私が持つ能力によってその時好きだった人を隣の席にしたことがある。若気の至りと罵ってもらっても構わないが、その若気の至りがその人に至ることはなく――何も起こらずに、本当に何も起こらずに、私は私の能力を無駄使いしただけで終わってしまった。
結局の所。
席が隣であろうとなかろうと、自分から話しかけないと何も始まらない。
――だから。
藤堂彩芽は、唐草史郎に話しを聞いてもらうために実力行使に出ようとする。授業中にも関わらず、隣の男子に積極的に話しかけようとする姿勢。男子側から見たらこの上なく幸せな展開かもしれない。まあ授業中は誰にも話しかけてもらいたくないという人もいるだろうし、そういう人種として唐草史郎が挙げられることはほぼ間違いないだろうが、そんなことを言っている場合ではないことは明らかであった。
教室の床のタイル半分程度の距離に、藤堂彩芽の右手がある。
時間がゆっくり流れていく。時間が長く感じる。時間が全然進まない。右手をただ伸ばすだけの行為がここまでスローに感じるとは思いもしなかった。自然と息をのむ。この行為さえ、この行為さえ達成できれば、突破口が開ける――!
「何やってんだぁ、藤堂? お前、俺の授業ちゃんと聞いてんのか?」
その瞬間。
壇上から藤堂彩芽に向けて、声が発せられた。
教室の床のタイルがどれくらいあるかわからないほど長い距離。
その距離を、授業中に軽々と越えられる唯一の存在。
「教師――!」
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