第6話 ベッドの中の楽園

「信じられない……!

 なんで、あのタイミングで、抱かないのかしら!」


 次の朝。


 吹雪の止む気配さえない山の小屋。


 僕の腕の中で、裸のまま彼女が言った。





「あれからずっと抱き続けているじゃないか。

 お姫様は、何が不満?」


 そんな風に、僕は真面目に言ったのに。


 どうやら、一晩中身を堅くしていた桜は、変な緊張感を振り払い……却って笑いながら言った。


「これ、は『抱きしめてる』んであって『抱く』んじゃないわよね?

 こんな風に、裸のわたしをずっと抱きしめながら、おあずけ、なんて……

 わたし、相当、魅力無いのかな?

 それとも。

 あなたの『モノ』が役たたずなのかしら?」


「桜は、魅力的だよ」


 雪やけした、浅黒い肌の顔も。


 あまり胸が無くとも、細く、しなやかな筋肉で被われたカラダも。


 僕は、キレイだと思うし、抱きしめごこちも良い。


 そして、多分。


 オリヱのプログラムを掘り起こせば、僕は、桜を人間の男と変わりなく抱けるはずだった。


 それをしなかったのは、別に、はじめてのセックスに自信なかったからでは、ない。


「だって、桜は……本当は、シたくなかったんだろ?

 死ぬ、とか言ってカラダを無闇に傷つけちゃダメだよ。

 それに、僕は、桜を暖めたかっただけだから」


 細く……ココロの痛みに震えるように泣く君を、抱きしめてみたかっただけだから。


 そんな、僕の手を、桜はぎゅっと胸に抱いて、言った。


「シンって、優しいのね……こんなヒト、はじめてよ」


「優しくなんてないよ。

 それに……ヒトじゃないし」


 そう、僕は軍事用だから、場合によっては、ヒトを傷つけ、殺しても良いと、リミッターの外された怪物だ。


 基本は、オリヱ基準値にしか、良心がない、暴力行為にも、禁忌の無い、ただのアンドロイドだ。


 だけども、それを信じない桜は、無邪気に笑う。


「やぁね。アンドロイドなんて、まだ言ってる~~」


 そんな風に言うと、桜はするりと僕の腕の中から逃げ出して、毛布を一枚羽織り、自分のリュックの中をあさり始めた。


「お腹すいたでしょう? 何か食べよ?

 ……って言っても、食料は1日分しか持って来てなくて、たいしたモノ無いけど」


 こんなに吹雪がひどくなるなんて、予想外だったし、そもそも、1日以内に自分の人生に決着をつける予定だったから……なんて。


 けっこう凄いことを平気で言って、うふふ、と笑った。


 僕は、そんな桜に肩をすくめて、外の様子に、耳を傾け、強い、風の音が止まないコトを確認して、目を閉じた。


「僕の食事は要らないよ。

 それより、吹雪がいつ止むかも判らない。

 当分自力の下山も、助けも難しいんじゃないかな?

 僕の分は、取っておいて、食料はなるべく、長く繋いだ方が良い」


 そう、観的な話をしたのに、桜は首を振った。


「ダメ。立場は、わたしと一緒でしょう?

 シンは、昨日一日何も食べて無いし、ここで食べ無いと、保たないわ」


「立場? 違うね」


 僕はころん、とうつ伏せに寝返りを打つと、頬杖を付いて桜を見た。


「僕は、今。自分の身体に傷が無く、代謝を出来るだけ下げているから、食事の経口摂取は必要ない……」


「アンドロイドごっこは、もう止めて」


 桜は、怒って声を出すと、缶入りのスープを暖めて、二つの器に入れて来た。


「莫迦な理由で食べ無いなら、口移しでも摂ってもらうから」


「桜」


「シンは死なせないから」


 言って桜は、僕の口元まで、スープを持って来た。


「死ぬつもりでいた、警備員が生き残って、要救護者が餓死なんてしたら莫迦だと思わない?

 ……なんて、ね。

 お仕事をやり遂げるってプライドだけの問題じゃないから」


 言って、桜はまた、泣きそうに、笑った。


「川岸に寝転んでた、あなた……靴も履かずに動けなくなっているのに、楽しそうに雪を眺めてたでしょう?

 それを見て……わたしのココロが鳴ったの」


「莫迦なヤツって、笑えた?」


「もう! 違うわよ!

 雪の中に居る、シンが、今までに、見たこと無いほど、キレイで……その。

 ああ……雪の妖精ってのが、本当に居たんだ、って思っちゃったのよ!

 そんなヒトが命を落としたら、人類の宝の損失よね」


「ソンシツ、なんて、おおげさな」


 僕の言葉に、だんだん恥ずかしくなったのか、桜は、頬を薄く赤くした。


 ……だから、開口一番、僕を見るなり『雪女』呼ばわりしたのか。


 そう思って、呆れ、でも、僕の身の内から、くすくすと湧き上がって来るのは。


「……なあに?

 わたしは、真面目に言ってるのに、笑うわけ?」


 と改めて怒る桜に、僕は、クビを振った。


「いや。だってさ。アンドロイドの存在は否定しても、妖精を信じるなんて、可笑しくて」


「悪かったわね! 子供みたいで!」


 もはや、桜の顔は、真っ赤だったけども、照れてるのか。


 それとも、怒っているのか。


 良くは、判らないけれども……僕はそんな桜が可愛い、と思った。


 守りたい、と思った。


 どうせ無理にでも食べさせるつもりらしい、なら、僕も桜のために何かしたかった。


「じゃあ、桜がもう、莫迦なコトを考えず。

 ……山を下りても死なないって約束してくれたなら、僕も食べても良いかな」


 そう言った僕を、桜はまじまじと見た。


「わたしに『あのひと』を忘れろっていうの?」


「忘れなくてもいいから、思いつめるな、って言ってるんだ。

 ……目の前に、良い男がいるんだろ?」


 僕の言葉に桜は、ふふっと笑う。


「でも、あなたには、好きな人、いるんでしょう?」


 ……ああ。大好きな、オリヱ。


 でも、彼女のことを『好き』って言う感覚は、桜を目の前にして、よく考えれば、愛しい、と思うのとは少し違うような気がした。


 オリヱ相手の『初めて』を、プログラムがあるのに、躊躇したワケはきっと、自信が無かったからじゃない。

 

「今まで……好きなヒトは、確かにいたよ。

 でも、それは『母さん』みたいに、好きだったんだ」


 ……だから、僕は、戸惑ったに違いない。


 そして、オリヱの側によりそう九谷が憎くて仕方がなかったのも、きっと、それは、単純な嫉妬ではない。


 父親を憎む子供のような、文献で読んだ、エディプス症候群に近かったかもしれなかった。


 判ってしまえば、単純なこと。


 けれども、今、僕の目の前にいるヒトへの想いは、違う。


 桜も、僕を見てキレイだと言ってくれた。


 でも僕も、きっと、桜に一目で惚れてしまったんだ。


 だから。


 予定された、プログラムの外で、胸がときめくんだ。


 ヒトに造られた偽りの命と、魂を持っているにも関わらず……!


「僕は、桜が、好き、だよ……愛してる」


 言葉にしてしまったら、単純なこと。


 でも、その想いは、胸が張り裂けそうに高まった。


「僕は、今。桜のことを、誰よりも、何よりも、愛してる……!」


 それは、魂が震える想い。


 この上なく真剣な、ココロの叫びだった。


 そして僕の声に、桜もその目を見開いた。


「本当に……?」と、戸惑い、揺れる小さな声を出す。


「わたしのこと……好き?」


「うん」


 それは、どうにも止められないぐらいに。


「……あのひとを忘れて、あなたに走ったら……軽い……悪い……女だと思う?」


「……思わないよ。だって、その男は、帰らずに。

 桜は、三年も、泣きながら、探していたんだろう?

 よく頑張ったよ。

 もう、十分だよ……」


 だから、おいで? と広げた僕の腕に、桜は、もう何も言わずに、飛び込むと。


 彼女は、僕の胸の中で、声の限りに、泣いた。



 ………


 


 それから、三日間。


 僕らは二人、ベッドの中で抱きしめ合って過ごしてた。


 止まない吹雪の音を聞きながら、素肌同士を重ねあわせて、僕は……僕らは、とても幸せだった。





「シンのキスって、本当に甘いのね……?」


 長い口づけのあと、桜はうっとりと目を細めてそう言った。


「うん……」


 そうだよ。

 だって、君が律儀にわずかな食物を分けてくれるから。


 しかも、食べないと怒るから。


 僕は自分の分の食物をアミノ酸とブドウ糖と繊維に分解してカラダの中に蓄えてた。


 そして、キスをするたび。


 想いのたけを桜のカラダに注ぐたびに。


 唾液や精子の代わりに、そんな栄養素を桜の粘膜にしみこませている。


 桜が生きるために。


 桜を生かすために……


 小屋には、薪とガソリンの備蓄は、ほどほどにあった。


 僕の活動エネルギーは、感電を心配する桜が寝静まった後に、こっそり動かす、自家発電機から充電すれば、問題はない。


 けれど、食料の類は、殆どなかった。


 桜の持って来た食料の他は、せいぜい、誰かが置き忘れたかのように落ちていた賞味期限の切れた乾パンの缶が一つだけ。


 いつ止むか判らない、山吹雪を乗り切るには、かなり難しいはずだった。


 なのに。


 僕は桜がずっと腕の中にいる、今はとても幸せだった。


 桜も、この過酷な状況が、嬉しそうにも見えるほど、穏やかに、安心している表情で、過ごしてた。


「ずっと、こんな日が続けば、良いのに……」


 そう、どちらともなく言って、二人で笑う。


「ちょっとお腹がすくけど、一生のうちで、今が一番幸せかも……」


 桜がこっそり僕の耳にささやく。


「吹雪が止むまで、何もできないもの。

 先のことは、何にも考えず……

 一日、ずっとシンの腕に包まれて、ときどきシて、また眠るだけでいい、なんて。

 ラブラブのハネムーンみたいだわ」


「そうだね」


 ハネムーンかは、今ひとつ謎だけど、ラブラブってところが良い。


 機嫌良く返す僕に抱きついて、桜が、聞いた。


「ねぇ。吹雪が止んで……この山を降りても……また、会えるよね?

 毎日は無理でも、お休みの日は、こうやって……どっちかの家のベッドの上で、過ごせるよね?」


「そうだね」


 この山を降りたなら、多分。


 ……僕は、二度と桜と会うことは無いだろう。


 僕には、彼女が思い描ている、家も部屋もないし、好きに研究所の外に出かける権利も、自由もない。


 それに、もしかしたら、勝手に逃げ出した罪で、先に待っているのは……死。


 全機能停止や、下手をすると、解体処分かもしれなかった。


 そんな事実が悲しくて、僕は、生まれて二度目のウソをつく。


「休みの日になったら、美味いお菓子と花束を持って、桜の家に遊びに行くよ」


「花束! わたしのガラじゃないわねぇ。

 でも、お菓子は、良いかも」


 僕の言葉に、桜は楽しそうに笑う。


「今なら、チョコケーキが、丸ごと一ホール食べられそう」


 食事のまともにとれない桜は、日に日に弱り、痩せてゆく。


 僕には、靴が無く、裸足で雪山を歩き続けるのは、さすがに無理だ。


 桜が助かるには、救助隊を待つか、自力で下山するしか方法が無い。


 だけども、桜は自ら命を絶つつもりだったのだ。


 誰にも行き先を告げずに、この深い山の真ん中まで来た桜が生きているうちに、救助隊が探しに来るとは、思えなかった。


 人間の居る場所まで、桜は、自分の足で帰れるのだろか……


 僕に搭載された、GPSは桜が歩かなくてはいけない距離を計測できる。


 摂取カロリーと消費カロリーのバランスを考えると、自力で下山出来る限界点が、冷酷にも思えるほど正確に弾き出された。


 その日は。


「明日……か」


 思わずつぶやいた僕に、何も知らない桜が、いっそ無邪気に聞き返す。


「明日がなあに?」


「いや、明日こそは、吹雪が止むといいなぁ……って」




 ……でないと、桜が生きて山を降りられないから。









 

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