第5話 縛られた傷

『スリープ・モード実施中。


 解除条件:8時間後。


 もしくは、規定デシベル以上の音量』





 ……つまり、簡単に言うと。


 ある程度以上、うるさくない限り、僕は朝まで眠る予定だった、ってことだった。


 外は、まだ嵐のような猛烈な吹雪だったから。


 よほど、大きな音が響かない限り、僕が起きることは、ないハズだった。


 なのに。


 目覚めてしまったんだ。


 まるで、悲鳴をあげるかのように、切なく、すすり泣く声が聞こえたから。



「……桜?」



 声の出どころを探れば、寝袋にくるまって桜が自分の手を自分で握りしめて眠っていた。


 川岸で会った時の逞しさも、襲って来たら殴る、と宣言した時のしたたかさも無い。


 悲しみに、耐えきれないかのように、華奢なカラダを震わせ丸くなってる、一人の女性の儚い姿がそこにあった。


 悪夢、っていうヤツでも見ているんだろうか?


 昼間の時とは全然違う変わり様が、何だか、とても不安で、僕は桜を、起こそうとした。


「桜……? 桜ってば!」


「あ……シン……?」


 僕の声に、目覚めたらしい。


 髪を乱した桜が、ぼんやりと、僕を眺め……


 次の瞬間。


 がばっと、寝袋の中に引っ込んでしまった。


「な……なに?」


 僕が桜の反応に、戸惑えば、彼女は、寝袋の中で、叫んだ。


「シン! 服着て! 服!

 裸じゃない! なんでそんな格好でうろうろしてんのよ!」


「え? そんなこと言ったって……」


 仕方が無いじゃないか。


 今まで着ていた服は雪に濡れて、薪ストーブの前に掛かっているし。


「部屋の中では、服を着てても脱いでも、本人の自由なんじゃ……?」


「女子の前で、裸でいるなんて信じられない!

 自分の家での習慣に、口出す気はないけど!

 ここでは、他人の前だし半分『外』でしょうが!

 子供じゃあるまいし、なんで、そんな格好で、近づいて来るのよ!」


 変なこと考えてたら、殴るわよ! と叫ぶ桜に僕はため息をついた。


「だって、桜が泣いていたから。


 心配して……」



「泣いてなんかないわよ!」



 僕の言葉に噛みつくように即答して、桜は、寝袋から顔を出した。


 その、とても怒っている表情に、僕の声は自然と、しどろもどろになった。


「で、でも、泣き声が聞こえたし、カラダが震えてたよ?」


「泣き声? 風の音を聞き間違えたんじゃないの?

 それに、震えてたのは……寒かったからよ!」


 ……相当に、意地を張っているみたいだ。


 そんな桜を、放っておけなくて、僕は、彼女に提案する。


「じゃあ、そんなに寒いなら、僕と一緒に寝ない?

 昼間みたいに抱きしめあったら、とても暖かく眠れると思うけど?」


 腕の中にヒトがいるって……肌と肌が触れあうと、とても安心することを思い出して言ったのに。


 桜は、なぜか、猛烈に怒り出した。


「何、それ! 下心見え見え!

 だから、わたし、そんな、簡単に男と寝る女じゃないのよ!

 変なことを考えてたら、本当に……!」


 本当に、殴る勢いで、拳骨を握る桜に、僕は一歩あとずさった。


「ち、ちょっと待て!

 でも、僕を暖めるのに、素肌を使ってくれたじゃないか!

 山岳警備隊って所では、遭難者を暖めるのに、普通にやってることじゃないの!?」


「莫迦ね! そんなことあるわけ無いじゃない!

 普通は、もちろん湯たんぽや、毛布を使って暖めるに決まって……!」


 と、そこまで言って、桜は、声を落とした。


「本当に、何やってるんだろ。

 莫迦ね、わたし」


 言って、今にも泣き出しそうになった桜に、僕は、慌てて手を振った。


「別に僕は、あんたが嫌だと思うことを、やりたいわけじゃない……!」


 そう。


 寒いなら、暖めてあげたかった。


 物理的に寒いなら、カラダは、もちろん。


 そして、泣いてしまうほど、凍ってしまったらしい、ココロも。


 でないと。


 僕にはじめて、切なく芽生えたココロの疼きが、治まらないような気がしたから。


「だから、さ。桜……」


 僕は、ただ。


 寒そうな、桜を暖めたいだけの、自分のココロの内を伝えようと、身乗り出せば。


 桜は、反射的に身を引いて……それからゆっくり立ち上がり……僕に近づくと。


 今にも泣きそうな顔をして……笑った。


「いいわ……そんなにシたいなら、させて、あげる」


「……桜」


 違うんだ、と続けたかった僕の声は、桜のくちづけに奪われた。


「黙って……シン」


 桜は言って、僕にキスをしたまま、自分の服を自分で脱いだ。


「わたし、本当は……ここに……死にに……来たの」


「え?」


「黙って。だから、わたしのカラダ……あなたの好きにして、良いから。

 もし、あの川岸でシンに出会わなかったら。

 そして、今、この山小屋の中で……雪の中に閉じ込められてなかったら……

 わたしは、もう、とっくに、死んで……たの」


「桜……なんで?」


 そんなことを、言うんだ。


 良くは、判らないけれど自ら死を選ぶなんて……それは。


 生きているモノが、一番恐ろしい、と思っているコトなんじゃないのだろうか?


 更にか細く感じる桜に触れながら、驚き、戸惑っている僕に、彼女は、いっそ、淡々と話を紡ぐ。


「わたしの好きだったヒト……同じ山岳警備隊にいたんだけれど。

 ここで救助活動中に、自分が遭難して……帰らないの……二重遭難って言うやつね」


 以来、桜は、必死に彼を探してた。


 捜査本部が解散しても、なお、そいつの手がかりを探すべく。


 捜索者が自分、たった一人になっても、頑張ったけれど。


 事故から三年が経過てもなお。


 遺体さえも上がらず、休日も探してる生活に疲れ切ってしまったらしい。


「……」


 真実を知って、言葉の出ない僕に、桜は改めて口づけた。


「わたしには、もう、いらないカラダだから……シンに、あげる……」


 そう言って、桜は、全ての服を脱ぎ、生まれたままの姿になると、キスをやめて、今まで僕の寝ていたベッドにもぐりこんだ。


「来て、シン。

 わたしを、抱いて……暖めて……」





 



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