第7話 命賭けの取引き


 そして僕は今、満天の星を眺めていた。


 強い風は止み、今まで散々舞っていた雪の代わりに降るのは、星だ。


 地面には、更に深さの増した新雪が、薄く氷を張り始め、世界の寒さを強調していたけれど。


 それは、却って、夜明けからの晴天を約束しているようだった。


 夜明けまで、あと少し。


 星に囲まれた静かで幻想的な風景は、僕の短い生涯を閉じるにはもったいないほど、荘厳で、美しい。


 恋を覚えた間抜けなアンドロイドが、一人。


 ひっそりと死ぬにはちょうど良い、日で……時刻かもしれなかった。


 ………


 もう、本当に仕方ないことだけど。


 あと三日。


 いや、二日早く、吹雪が止んでくれたなら、もしかしたら、運命ってヤツが多少、変わったかもしれない。


なにしろ、結局。


 こんな風に吹雪が止んで、山のふもとまで降りて行けるほど、天候が回復したのは、手おくれなほど、あと。


 僕が試算した桜の体力の限界点を、三日過ぎ、四日目の夜だった。


 これでは、どんなに桜が山に慣れていたとしても、体力的に自力での下山、生還は不可能だ。


 山道の途中で、力つきてしまうのが目に見えている。


 だから。


 ……だから、僕が、助けを呼ぶことにしたんだ。


 もちろん、足先にトゲトゲのついた本格的な靴が無い限り、確実に足を滑らせ、滑落かつらくする難所がいくつもある山を、裸足の僕は超えられない。


 それに、研究所からの出がけに、自分に関する通常情報を削除したんだ。


 僕を探すヒトビトの方だって、この小屋を見つけるのは、きっと難しい。


 ……でも。


 修復不可能なほど破壊され、全機能の停止したときに発信される信号。


 本当に最後の緊急位置確認の装置だけは、生きているはずだった。


 ……つまり。


 僕が死ねば、研究所からヒトが来て、壊れたカラダを回収しに来るから、その時に桜も回収されれば、助かる。


 なんて、そう言う、こと。


 三年前に、最愛の男を山で無くして傷ついた桜の目の前で、更に僕の屍をさらすワケにはいかない。


 程よく離れた隠れ場所を探そうと、僕はこっそり小屋を出たんだ。


 雪の上を裸足でとぼとぼと歩けば、十歩、歩かないうちに足はかじかむ。


『痛み』を感じるセンサーが鳴りだして、思わず見上げた空が、驚くほど、キレイだった。


 雪も、星も、世界はとても、美しい。


 生きてさえいれば、もっともっと、キレイな景色に出会えるかもしれなかった。


 それを見ずに、死ぬのは、もったいなかったけれど、もちろん、桜の命に変えられるものなんて、何もない。


 僕が、拳をぎゅっと握って、歩き出そうとした時だった。


 小屋の扉が、ばたんと、大きく開いた。


 そして久しぶりに服を着て、登山靴を履き、下山の準備をした桜が飛び出して来たんだ。


「シン! あなた、裸足で一体、どこに行くつもり!?」


 青ざめた顔の桜に見つかって、僕はクビをすくめた。


「実は、僕。桜が思った通り、雪の妖精でさ。

 吹雪が止んでつまらないから。

 雪を追って、仲間の場所まで帰ろうと思って」


「莫迦ね! 助けを呼びに行こうとしたんでしょう?」


 僕のついた三度目のウソは、桜にあっさり却下された。


「雪の中に裸足で立ったままだと、凍傷で、指を無くすわよ!

 わたしがこれから、助けを呼びに行くから。

 シンはおとなしく、待っていて!」


 あっ! 倒れる……!?


 声は元気でも、かなり体力的に辛いらしい。


 扉から出たとたん、ふらり、と傾いた桜のカラダを、僕は慌てて支えに戻った。


「ダメだよ、桜! 無理をしちゃ!」


「どっちが無理をしてんのよ!」


 細く、儚く、折れそうな桜が僕の腕の中で、強がった。


 絶対に救助隊を連れて帰るから、と頑張る桜の唇を僕は少し、乱暴に奪う。


「……っ! 今日の……今のキスは、苦いのね……」


 眉をしかめる桜に、僕は言った。


「……怒っているからね」


 ……本当は、弱っている桜には、使いたくなかったけど、隠密行動用に体内にセットされている眠り薬を、使ったんだ。


 そうでもしないと、桜は、無茶を承知で雪山に挑みそうで、怖かった。


 薬が効いて、動け無くなるまでの時間。


 桜が、どこかへ行かないように、僕は、しっかりと抱きしめた。


「放してよ! シン!

 天候が、回復した今すぐに出ないと、また吹雪で足止めに……」


「下に降りて行けるほど、体力が残って無いって、自分でも判ってるだろ?

 それでも、行くの!?

 まだ桜は、好きだったヤツの事が、忘れられずに、この山で死ぬつもりなのか!?」


 僕の言葉に桜は、キッと睨んだ。


「行くわよ!  だって、この山は、わたしにとって、庭みたいなものだから。

 体力的にはキツくても、動いてみたら、何か、変わるかもしれないじゃない!」


「桜」


「わたしは……わたしは。

 あのひとの眠るこの山で……死ぬためにじゃなく。

 シン。

 あなたと生きるために……行くの……よ」


 桜のきらめくような強い意志は、僕の耳と心を打ち……僕は、泣きそうになった。


 ……僕は、桜を愛してる。


 心の底から、愛してる。


 桜の意志が、どんなに強くても、眠り薬の力に勝てはしない。


 とろん、として来た瞳を確認して、僕は、ささやいた。


「桜は、僕のこと、好き?」


「……愛してるわよ」


「それじゃ、僕の名前をちゃんと、呼んでくれないかな?

 ……シン、じゃなく……」


「……シックス・ナインって?

 ふふふ……よっぽど、縮めて呼ばれるのが、イヤだった?

 ごめんね?

 シックス・ナイン……」


 言って、桜は、僕を抱きしめた。


「愛しているわ……シックス・ナイン。

 誰よりも、何よりも……だから……わたしと一緒に、山を降りよ……」



 ああ。


 桜。


 ……桜。


 僕の愛しい、ヒト。


 君の「愛してる」って、この言葉で僕は、死んで行ける。


 桜。


 一緒に下山できないで、ごめんなさい。


 僕は、本当に、桜を愛してるよ。


 だから。


 だから……!


 桜には、生きて欲しいんだ。



 僕を抱きしめたまま、力つきてしまった桜を、ベッドに連れて行こうとして、気がついた。


 彼女は眠っていても、僕を離さない。


 やっぱり、この場合。


 無理にでも放して、ベッドに寝かせた方が良いのかな? と考えて、クビを振る。


 ……僕の最後の我がままを、しても良いかな?


 きっと……桜が目覚める前に……研究所の職員が、飛んで来るはずだから……


 僕は、これから冷えてゆくはずの僕自身のカラダから、貴重な桜の体温を守るべく、しっかりと毛布を巻きつけてから、僕も、桜を大切に抱きしめた。


 そして。


 修復不可能な、完全機能停止を誘うために、自己崩壊システムのスイッチを入れた。


「……っ!」


 外見は、何も変わらないはずだった。


 でもまだ、触覚が生きている段階で、末梢から僕のカラダが、壊れていく。


 その痛みは、想像を絶するほど強かった。


 叫び出しそうな声を抑えて、悶え、思わず身を震わせてしまったけれども。


 大丈夫。


 桜を生かすためになら、耐える。


 耐えられる。



 ……気がおかしくなりそう痛みが、どれだけ続いたのか。


 やっと入った、緊急信号を、確認して、僕は、溜め息をついた。


 ああ。


 良かった。


 これで、桜は生きられる。


 桜。


 愛してる。



 僕が消えても、君は、生きて………




 僕の、ココロからの願いは、ひとしずくの涙になって……桜の頬に、砕けて消えた。



 …………



「シ………ン。シックス・ナイン!」


 懐かしい声に、痛みに痺れた目蓋を開けば、怒った見慣れた顔があった。


「オリヱ。僕は……」


 僕のかすれる声に、彼女は、僕に繋がったPCのキーを叩きながら、頬を膨らませた。


「ここは、緊急退避用の山小屋の中。

 あなたは、自己崩壊システムのせいで、今動いているのは、頭部だけなのよ!

 あたしが来たからって、失われたカラダの修復は出来ないし、残った機能も維持は難しいわ。

 あなたは……死ぬのよ?」


「……判ってる」


 それは、修復不可能な死の呪文。


 一度スイッチを入れたら、制作者でも、止められないのは、判ってる。


「シックス・ナイン。あなたは、もう少しで完全に壊れてしまうわ。

 どうせ、自己崩壊をするにでも、末梢からでなく、中枢から始めれば痛みを感じずに、機能停止するのに莫迦な子ねっ!」


 そんな、オリヱの泣き笑いみたいな顔に、僕も、ふふふ……と息をつく。


「中枢からやったら……オリヱと……最後の話が出来ないだろ?

 すぐ来ると思って……待って、いたんだ。

 僕が抱きしめてたは……?」


「生きているわよ!

 だいぶ衰弱していて眠っているから、回復するのに、時間がかかるとは、思うけど。

 今、真司が、あたし達が乗って来たヘリコプターに、回収している最中だわ」


 そうか良かった、と溜め息をつく間もなく、その九谷本人が、足音高くやって来た。


「この逃亡野郎のおかげで、とんだ元旦だぜ。

 なんだ……まだ、コイツ動いているんだ?」


 字面よりは、だいぶ心配そうに聞こえるのは、僕の気のせいだろうか?


 九谷の言葉に、僕は、小さく、笑った。


「悪かったな。九谷……博士。

 僕は、あんたと交渉したくて……今を生きてるんだ」


「……交渉? もうすぐ完全にポンコツになるお前とか?」


 何を莫迦な、と怪訝な顔の九谷に、僕はなるべく不敵に見えるように、微笑んだ。


「九谷博士には……僕の最後の願いを……聞いて、欲しいんだ。

 無事に下山出来たら……僕が、抱きしめてた桜に……

『シックス・ナイン』として、会って欲しい」


「……は?  寝ぼけたことを言うんじゃねぇ!

 何で、オレが、お前の代わりなんか演(や)らなけりゃなんねぇんだよ!」


 不機嫌な九谷を、なるべくしっかりと見つめて、僕は言った。


「僕は、桜に……前の恋人と同じ、ここで死んだ、と知られたく無いんだ。

 桜と一緒に下山して……どこかで生きていると思われたい。

 ……一度でいい。

 出会った瞬間に……別れてもいい。

 だから、九谷博士に……僕の代わりをして欲しい……んだ」


「オレは、こう見えてもオリヱちゃん一筋なんだ。

 誤解の元になりそうな汚れ仕事を、引き受けるつもりになるかっつーの!」


「何も……ただで久谷博士に面倒を押し付けようとは言わない……さ」


 譲りそうにない久谷に、僕は、なんとか笑う。


「僕はこの数日、ずっと桜と愛しあってた……その記憶メモリーが欲しく無い?」


「けっ! 誰が他人の。

 しかも、アンドロイドの セックスが見たいんだ!

 オリヱちゃんがいるし、オレは、そこまで飢えてねぇよ!」


「ふふん……あんたが、直接……使うんじゃないさ。

 これが、あれば、オリヱは、二度と、機械に抱かれなくてもいいと思わない……?」


「シックス・ナイン!」


 その言葉に久谷が初めて、僕を真剣に見た。


「オリヱのプログラムのうち……

 女の子の肌を傷つけなくて良いヤツは……全部試した。

 だから……データ的には……もう、オリヱは必要無いはずだ。

 久谷博士が、僕の願いを聞いてくれるなら……このメモリーを、素直に渡すけど……

 聞いてくれないなら……壊れていく僕と一緒に、消去するよ……良い?」


 そんな僕の脅しに、久谷は「お前ってヤツは……!」とつぶやいたきり、黙り。


 オリヱは、涙を振り払って、妖艶に笑った。


「シックス・ナインってば。

 しばらく見ないうちに……男前になったわね?」


「……大事なヒトを守るために……必死なだけ……だよ」


 僕の表情を見たのかオリヱは、軽く頷いて、久谷を見た。


「あたしは、シックス・ナインのデータが、欲しいわ。

 ……いいでしょ? 真司」


「……けっ!」


 オリヱの言葉に、久谷は、吐き出すように、息をついたけれど、特に拒否をしない所を見れば了承したらしい。


「その件はあたしが責任を持つわ……安心して?」


「……そうか……良かった……」


 オリヱの言葉を聞いて、メモリーを預ければ、僕の張り詰めたモノが一気に抜けた。


 とたんに。


 僕自身の残り少ないカラダの、崩壊する速度が、一気に早まった。


「シックス・ナイン!」


 オリヱが悲鳴を上げた。


「シックス・ナイン !!」


 その、壊れてゆく速度に驚いたのか、まるで思わず、と言うように僕の名前を呼ぶ、久谷の声も聞こえた。


 意識がある限り、僕をさいなむ痛みは辛かったけれども。


 オリヱと、久谷に見守られ、何の心配もなく死んで行けるのなら。


 これもまた、そんなに悪くはなかった。


 ただ一つ、あえて、心残りを挙げるなら……


「……桜」


 もう一度、この最後の間際に抱きしめたかった。


「……さく……ら」


 だけども、久谷と入れ替わると決めた時から、僕は、一人で死ぬことにしたから、この場に居ないのは、仕方がないこと。



 ……どんなに焦がれても仕方ないこと。



「さ……く……」




 ……君は、生きて。




 僕が意識を完全に手放す、寸前。



 涙で曇った僕の目に。



 映像資料で見た満開の桜の花びらが、散るように。



 雪が。



 ふわふわと、舞い落ちるのが、見えた。




 

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