第2話 逃亡

 

 そして、僕は、今。


 薄汚れた換気用ダクトの中を這い進んでいた。


 オリヱを追って、この研究所から出るつもりだったんだ。


 狭い、とはいえ、大人が肘でいざれば、移動出来る広さがある。


 廊下を堂々と歩くよりマシでも、忍び込むなら、ここ、と誰でもわかる通路には普通、罠やカメラが仕掛けられていると、僕の埋め込まれた知識が警告する。


 だから、僕の狙う場所は、今まで僕が居た研究室の隣の部屋。


 研究室に勤めている、職員用のロッカールームだ。


 そこまで、たどり着ければ、ここが、軍事兵器を扱って居る研究所だろうとも、きっと、逃げだせるだろう。


 なにしろ、僕は、本来。こんなセキュリティーの高い、場所に潜入、脱出するためにオリヱに作られた、アンドロイドなのだから。


 今まで、一度も実戦経験がないけれど。


 ……


 オリヱと九谷が腕を組んで、研究室を出て行くのを止めたかったのに、僕はただ、見送るしかなかった。


 何も、それこそ指一本動がすこともできないことが、悔しくて。


 遠ざかってゆくオリヱを見ながら、僕は焦げそうなほど、熱い思いを募らせていた。



 オリヱ……


 オリヱ……!



 もし、僕が人間だったなら、血を吐くほど叫んでいたかもしれない。


 それほど、オリヱのことが愛しかった。


 僕のオリヱをさらって行った久谷が憎かった。


 彼が、オリヱに一晩中する、と宣言した行為のことを考えると、頭が煮えそうになった。


 それが、人間に作られた、偽物の感情だろうと、プログラムを強制終了した時に生じる、CPUの誤作動だろうと、僕には、関係無かった。


 愛しいヒトを求めて、ココロが叫ぶ。


 オリヱ……!!


 オリヱ………!!!


 そして、狂おしく募る想いは僕に、罪を犯させる。


 ……閉じ込められた世界から逃げる。


  そんな風に決意して、どれくらい時間が経ったのか。


 ようやく一時停止が解除されてカラダが自由になるとすぐ、僕は部屋のパソコンから自分に関するデータをすべて消した。


 研究所から出て、二度と帰らないなんて、そんなつもりはなかった。


 ただ。


 開発に莫大な費用がかかったらしい僕の身体には、発信器だとかGPSだとか、僕が『今』どこにいるのか判ってしまう機能がついていたから。


 研究所を一歩でも出たら、追って来るだろう、職員に。


 オリヱに会う前に捕まらないために。


 居所検索の、データだけを消したかったんだけれども。


 必要な分だけ探して、ちまちま消している場合じゃなかったんだ。


 そして。


 実際には、研究所、どころか、部屋からもほとんど出たことがない僕にも。


 知識上では、今着ている薄手の検査着一枚では、目立ち過ぎ、外に出ることは出来ないことも知っていた。


 ……オリヱを探しに行くためには、少なくとも、靴とズボンと上着が要る。


 目標はたかが、隣のロッカールームとはいえ、僕の存在理由である、初めての隠密行動の実践に、気分が高揚する。


 オリヱを求めて焦る気持ちを抑えて、僕は換気用ダクトに潜り込んだ。

 

  マニュアル道理、視覚を熱源探査と暗視カメラに切り替えて。


 僕は、真っ暗な天井裏を静かに、這い進む。


 道は途中で二手に分かれ、片方は女子用、もうひとつは男子職員用らしい。


 オリヱのロッカーがどこで、ナニが入っているか、とても興味があったけれども、用があるのは男子用だ。


 女子用ロッカーへの好奇心を振り切って、そっと男子ロッカールームを覗けば、四、五人ほどの職員が、まだ残って、着替えをしていた。


「厄介だな。どうしようか?」


 彼らがマニュアルにある『敵』だというのなら、全員まとめて倒す自信があった。


 けれども、相手は、僕を作ってくれた、愛しいオリヱの同僚たちだ。


 ケガでもさせたら、きっとオリヱに怒られる。


 だからと言って、このまま全員がいなくなるまで、ぼーっと待っていたら、その時間分ずっと九谷がオリヱを抱いているだろう。


 そんなの。




 ゆ る せ な い……!




 自分の予測に腹を立て、カッと冷静さを欠いた時だった。


 僕は、案外脆かった換気口に、体重をかけ過ぎ、まだ職員の居る、ロッカー・ルームの真ん中にある天井を踏み抜いた。


 めきっ!


 なんて、天井から鳴った突然の音に、男性職員たちが、ぎょっと身を引いたのを、僕の目の端が捉えていた。


 けれども、もう、どうしようも無かった。


 一度壊れ始めた天井は、もう僕のカラダを支えられなかったんだ。


 めきめきっ!


 ばりばりっ!


 そう。


 景気良く音を鳴らして、僕は、呆然と見守る職員の、ど真ん中に落ちて行ったんだ。


   どしんっ!


「……っ! 痛ててて……!」


 天井から落ちて、腰を強く打った。


 僕のシステム的には、オール・グリーン。


 どこにも損傷はなかったけれども、オリヱに作られた疑似痛覚が、僕を人間らしく見せるために顔を痛みで歪ませ、腰をさすらせた。


 そんな僕を見て、職員の一人が、驚いたように、声をかけた。


「九谷博士! ……先輩、大丈夫ですか!?

 さっきの定期便で、平木博士と一緒に帰られたと思ったのに……!

 なんて所から落っこちて来るんですか!」


 ……は?


 九谷?


 僕の前に居るのは、背が高く、横幅もある、研究所勤めで机の前にかじりついているよりも、何か他の商売の方が似合ってそうなヤツだ。


 まだ脱いでない白衣の胸のプレートには『武蔵川むさしがわ』と書かれている。


 九谷、なんて宿敵に間違われて、僕はすごくイヤだったけれども、人間が親しげに話しかけてくる所を見ると、僕は相当アイツに似ているらしい。


 多くの職員に囲まれて、僕は今更、逃げも隠れもできない。


 仕方がないので、利用することにした。


 僕は、必死そうな顔を作って叫ぶ。


「オレが、オリヱちゃんと先に、帰ったって!?

 ウソだ!

 出て行ったヤツは、オリヱの作ったアンドロイド、シックス・ナインだ!

 野郎、オレの身ぐるみを剥いだうえ、天井裏に押し込んだ挙句。

 オリヱちゃんをさらっていきやがったんだ!」


 僕の言葉に、研究所内は大騒ぎになった。


 隣の研究室に駆けこんで『シックス・ナイン』とそのデータが消えているのを確認する者。


 上司に報告に走るヤツ。


 そして。


「オリヱちゃんと、シックス・ナインの居所に心当たりがあるから、捜索には、オレも参加する!

 ……が、腰を打って動けねぇ。

 悪いけど、武蔵川さんは、オレのロッカーから、着替えになるモノを探してくれないか?」


「それは、良いですけど、九谷先輩、腰が痛くて探せるんですか?」


 コイツの前で、自分のロッカーが判らず探してたら、バレるかもしれない。


 そう思って言えば、心配そうな顔の武蔵川に『腰が痛むなら、九谷先輩は、研究所に詰めていてください』と言われて、僕は首を振った。


 ……待ってられるか、莫迦!


 僕は、出て行くために苦労しているのに!


 ココロの中での叫びはもちろん口に出さなかったけれども。


 廊下で、平木博士の携帯が繋がりません! なんて怒鳴っている声を聞いて、僕は首をすくめた。


 九谷の野郎、本当にオリヱの携帯の電源を切りやがった!


 さすがに,オリヱに連絡を取られれば困る、僕の正体はバレなくて良かったけれど、もう、二人は色々と始めているのかもしれなかった。


 こんなところで、のんびりしているヒマは、ない!


 僕は、ぼんやり突っ立っている武蔵川に怒鳴った。


「早く、靴と、ズボンと上着を出せ!

 腰なんぞ、痛くないんだから、少し休めば、すぐ直る!」


「は、はいっ!」


 あとでよくよく考えれば、僕の言い方は、変だったけれども。このとき、武蔵川は、僕の迫力に負けたのか、九谷のロッカーから適当な服を持って来た。


 研究員っていうのは、泊りがけの仕事も珍しくないようで、服は一式すぐに揃った。


 でも、肝心な靴が無い。


 とりあえず無いならいいやと、ぺたぺたと歩き出した裸足の僕を見かねて、武蔵川が言った。


「先輩の足のサイズ、いくつでしたっけ? 俺ので良ければ、長靴が……」


 おお、靴があるのか。


 だったら、何でも構わない。


 僕は、武蔵川の大きくて、ぶかぶかの長靴を履くと、元気よく立ちあがった。


「さあ、行こうぜ、武蔵川さんっ!

 オリヱちゃんを探しに!」


 僕の言葉に、ちょっと首をかしげながらも「判りました!」って返す武蔵川に、僕は、ココロの中で舌を出す。


 バレて無い。バレて無い……らしい。


 人間は、なんて単純な生き物なんだろう……!


 武蔵川っていう、コイツに『外』まで……いいや。


 あわよくば、オリヱの目の前まで、案内させてやる!


 研究所に『入る』ためには、通行証の提示や、指紋だの、網膜だのを認識しないと開かないらしい、厳重な通路も『大勢で出る』ならだいぶ緩い。


 面倒な手続きは、武蔵川や、シックス・ナイン捜索に走る他の職員がやってくれたから楽だった。


 けれども。


 最後のエレベータを降りて出た、玄関ロビーのガラス越しに、研究所の『外』を見たとき。


 目の前に広がる初めての風景に、僕は、思わず足を、止めた。




「なんだ……この世界は……!」




 そう。


 僕の目の前は、不可思議な『白』と『黒』の世界だったんだ。


 研究所の中も、基本は白で僕にはとても馴染みの、落ち着きのある色だけど。


 僕が外の世界を知るために使った映像資料では、もっといろんな色が溢れているはずだったのに。


 僕が、現実に見た初めての『外』は、日が暮れた空は黒く、外灯に照らされた地面は全て、白だった。


 しかも、空中には、ご丁寧にも、白く輝く電子パルスみたいな、キレイなモノが、灯に照らされて,きらきらと光り、強い風に煽られて、ぐるぐると渦を巻いていた。


「なんだ、この世界、なんて大げさな。

 どうやら、風が出て、吹雪になったようです。

 俺は、ヘリを出して来ますから……って、先輩?」


 僕は、武蔵川の訝しげな声色なんて、聞いちゃ、いなかった。


 ふらふらと、あまりにキレイな雪に誘われるように、ガラス窓がついている扉に手をかけると、一気に引き開けた。


 途端に、ぶわっと風が吹き込んで、一緒に、白いものも、部屋の中に入り……見かけとは裏腹の、その冷たさに驚いた。


「うわっ! 寒っ! 冷て!  何だ!? この自然現象は!」


 心底驚いて、思わず叫んだ声に、さすがの武蔵川も、眉間にシワを寄せて言った。


「雪、なんて。ここでは、珍しくも何ともないじゃないですか」


 明らかに、不審そうな武蔵川の声に、僕は、思わずぎく、とカラダを堅くした。


「そういえば,長靴……!

 先輩、この前の雪かきの時に、水虫を飼っていそうな俺には、絶対借りない、とかって言ってたはずなのに!

 何で、履く気になったんですか?」


 ……知るか、そんなモノ!


 と、思っても,実際に言えるわけが無く。


 黙った僕を武蔵川が、追い詰めた。


「それに、先輩は、俺のことを武蔵川『さん』なんて、呼びません。

 大体、名字か、名前の呼び捨てで……」


「……」


「あんたは、先輩じゃ……久谷博士なんかじゃない!

 もしかしてお前自身が、シックス・ナインじゃないのか!?」


 うぁ、バレたっ!


 僕は、そのまま、もう一度扉を開けると、吹雪とやらが吹き荒れる、暗い『外』に出て走りだした。


 とたん。



 ずぼっ!



 なんて音と、妙な感触に、雪が股下近くまで迫り、足を取られた。


 追って来た、武蔵川に捕まる……!


 と、思った瞬間。


 武蔵川も、絡みついた雪に転がされ。


 降ったばかりの雪が、とても厄介なシロモノだと、すごく、思った。

 

「待て……!

 シックス・ナイン! 戻って、来い!」


「いやだ!」


 九谷から、オリヱを引きはがすまでは、僕は捕まるわけにはいかなかった。


 だから、まず、叫びながら追ってくる武蔵川自身から、僕は逃げる必要があった。


 雪と一緒に、武蔵川に借りた、長靴も、自分の主の手伝いをする気になったのか、ずぼずぼと、雪の中に留まりたがり、僕が走るのを邪魔をする。


 もたもたしているうちに、武蔵川が携帯を取り出した。


 応援を呼ぶのか!?


 厄介な相手が増える前に、一歩でも、遠くに逃げようと、僕は焦った。


 慌てて、ごきゅっと、吹きだまりに足を踏み入れれば、雪が、捕えて放さずに、ぶかぶかだった武蔵川の長靴は、脱げてしまい……


 気がつけば、僕は、真っ暗闇の吹雪の雪原を、裸足で駆けていた。


 ………


 ……






 


 



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