69 【完結】

愛染ほこら

第1話 デリシャス・ボディ

 

 彼女は妖艶に微笑むと、慣れない僕を導いた。


 彼女の細くしなやかな指先が、僕の頬を撫でてから唇に、触れる。


「まずは、優しく抱きしめて……あたしの唇に、口づけをちょうだいね。

 シックス・ナイン」


「はい、Master(ますたー)」


 シックス・ナインと、僕の名前を優しく呼んでくれるMasterが、とても、好きだった。


 まるで、女神さまのようなMasterの言うコトは絶対だと、真剣に頷いた僕に彼女は、やぁね、と笑った。


「……今は……今だけは、恋人同士のつもりでしょう?

 こういう時は、名前を呼ぶのよ?」


「そ……そうなんですか?

 では、失礼して……平木ひらき様」


「あん、もう。ち・が・う・でしょう?

 名字じゃなくて、ファースト・ネームの方。

 呼び捨てで良いわ」


「え……じ……じゃあ。オリヱおりえ……」


 ……ダ……ダメだ。ファースト・ネームを呼び捨て、なんて。


 いつもは、許されていないコトなのに……


 彼女の名前をそっと呼べば、何かとてもイケナイコトをしているみたいだ。


 本当は、もっとイケナイコトを命令されているのに、これだけで自分の顔が紅くなるのが、判る。


 思わず、こくり、と僕が飲んだ生唾に気がついて、オリヱが可笑しそうに言った。


「なあに? シックス・ナイン。

 もしかして、何事も、優秀なあなたでも、これは緊張するの?」


「……初めてなんです、オリヱ。

 あなたが満足するように……抱く、なんて。

 その、上手くできるか心配で……」


 情けないけれども、本当のことだから仕方がない。


 もしかしたら、震えているかもしれない僕の声に、オリヱは励ますようにほほ笑んだ。


「あなたが初めてだって、あたしは判ってるから大丈夫。

 最初は、プログラム通りに動いていれば、それでいいから。

 慣れてきたら、あたしが最もよろこぶように、考えて動いてね?」


「はい、オリヱ」


「それと……最初に言っておくけど。

 あたし、ちょっとMっ気があるみたいなのよねぇ。

 だから、あなたには個人的な趣味で、少しSっぽいやり方を教えてあるわ。

 途中であたしが『ダメ』とか『やめて』とか拒否の言葉を使うかもしれないけれど、セックスの最中は、止めないでいいわよ。

 本当にダメなトキは、強制終了するから。

 それが来るまで、遠慮なくやって?」


「はい、オリヱ」


「……やあねぇ。シックス・ナイン。

 あなた、緊張しすぎてない?

 そこらに転がってるフツーのアンドロイドみたいな、受け答えになってるわよ?

 リラックス、リラックス。

 あたしは、半分、遊びのつもりだし、気楽にシてくれれば、教えてあげる。

 あたしをキモチ良くさせる方法も、あなたがキモチ良くなる方法も、ちゃあんと全部、ね?」


 ぐっと来るほど色っぽく。妖しくほほ笑んで、自分から僕にカラダを寄せてくるオリヱを、僕は素直に抱きしめた。


「はい、よろしくお願いいたします」


「ん、もう。シックス・ナインってば、真面目すぎ~~」


 そう、笑いながらキスをねだるオリヱに僕は、出来る限り優しく唇を落とした。


 でないと。


 僕の内側から突き上げるように、湧きあがるモノが、オリヱを引き裂くように抱けと、僕のカラダを支配しようとするから。


 オリヱは、キモチ良くなるためになら、自分のカラダを多少傷つけても良い、と僕に教えてくれていた。


 けれども、僕自身は、オリヱを少しだって傷つけたくなかった。


 優しく、羽のように抱いてみたかった。


 それが、僕のやり方だったし、たぶん、これが僕の愛のカタチだったからだ。

 

 甘く、深く、くちづけて。僕は、舌でオリヱの口腔を犯しながら、彼女の白衣のボタンを外してゆく。


 全裸よりも淫らに服装を乱した手を、下着の隙間から差し入れて、だんだん火照ってくる、オリヱの素肌の胸のふくらみに直接触れたときだった。


 僕は、この二人だけの特別な部屋に別な男が入って来るのを、見た。


 白衣を着た、背の高く、細身の男だ。


 何よりも顔の作りが整って見える、この男を僕は知ってる。


 九谷くたに 真司しんじだった。


 オリヱの同僚で……本来の、恋人。


 けれども、僕の腕の中にいるオリヱは、扉を背にしていたので彼の突然の訪問に気がつかないようだった。


 僕は既に欲望が勃ちきって、辛く。


 彼が開いたドアの前に立ち尽くして居るのを知った上で、オリヱへの愛撫を止めなかった。


 そんな僕らに、呆れたのか……腹を立てたのか。


 九谷は、開いているドアを、がんがんと叩いて声を出した。


「オリヱちゃん」


 その声は、思ったよりもカルく。


 でも、決して笑ってない響きがある。


「きゃ……真司っ!

 シックス・ナイン……っ!

 も……ダメ……やめて……!」


 オリヱは九谷に気がついて、初めて抵抗したけど、僕は続きがしたかった。


 だって、この手を止めてしまったら、オリヱは迷わず、九谷の元へ行ってしまうコトを知っていたから。


「シックス・ナイン! 今すぐ、やめなさい!!」


 半分悲鳴に近いオリヱの声に、僕は静かに首を振る。


「やだ。僕は、止めない……」


 僕は、オリヱの事を愛しているから。


 けれども、オリヱは別なコトを思ったみたいだった。


「そうか、プログラミング……!」なんて、つぶやくと、僕のうなじに手を伸ばし、手探りで何かを触った。


 とたんに、僕のカラダはがくん、と金縛りに掛かったように止まる。


 聴覚と視覚だけは、そのままに。


 自分の意志では瞬き一つ出来なくなった僕の腕から、オリヱはするり、と逃げだした。


 プログラムの一部が強制終了された、と思ったけれども、僕にはもはや、何もできなかった。


 正常終了していない、プログラムの残骸が誤作動し、猛り狂う欲望がまだじりじりと身を焼いてカラダが辛かった。


 そして、今まで、大好きなオリヱと一つになれる喜びに震えていたココロも、急に、行き場所を断ち切られて、悲しかった。


 そんな僕を、オリヱを抱いていた形から基本姿勢の直立に戻し、乱れた服装を直すオリヱを見て、九谷はため息をついた。


「それで、オレのお姫さまは、自分で作ったアンドロイド相手に、一体、ナニをしていたのかな?」


「もちろん、研究よ? 決まって居るじゃない」


 そう言い切ったオリヱに、久谷は、ひゅ、と眉を寄せた。


「へえ? この、卑猥な名前を持つロボット相手に浮気、とか、不倫について、レポートでもまとめるつもりなのか?」


「何想像してるのよ!?

 これは、あたしの作った、69番目の有機アンドロイドなんだから仕方ないでしょう?

 それに、別に、あたしは浮気しているワケじゃないわ!」


「じゃあ、何だよ!

 お前が、研究しているのは、軍事用のアンドロイドだろ!?

 女用のダッチワイフを作っているワケじゃないのに!

 何でエッチの仕方なんて教えてんだよ!」


 これは、久谷の嫉妬、って言うヤツなのだろうか?


 科学者というカテゴリーの中に居るヤツにしては、大分カルく。


 いつも下らない冗談ばかり言っている久谷が、珍しく真剣な顔をして、怒っている。


 そんな久谷のココロを知ってか、知らずか、オリヱはふっと、笑った。


「そうよ? あたしの作ったアンドロイドこどもたちはね。

 ジャングルや、砂漠の真ん中で、ロボット同士潰し合うような、下品で汗臭い一兵卒なんかじゃないの!

 セレブの社交界パーティーに潜入したり。

 どんなに、固いセキュリティーの施設にも、影のようにこっそり入り込んで、軍事情報を獲得したり、政府の要人を暗殺したりする。

 スパイみたいなお仕事をする子達なのよ?

 必要に応じて、女性の扱い方だって、教えなくちゃいけないの!」


「だからって! お前が自分でやることは無いだろ!」


 オリヱの説明にまだ不満らしい。


 久谷の抗議に、彼女は、妖しく笑った。

 

「やぁねぇ。男の嫉妬なんてみっともない。

 シックス・ナインを良く見て?

 あなたに、背格好も、顔も……声だってそっくりでしょう?

 あたしの好きなのは、あなただけ。

 あなた、自分のコピーに、ヤキモチ焼いてるのよ?」


「………」


 久谷は、オリヱに言われて、一瞬息を呑み……改めて、僕の顔をしげしげと眺めると、それから、長々とため息をついた。


「……判ったよ。仕方ねぇなぁ。

 オリヱちゃん、この研究所の主席研究員だし。

 ちゃんと、仕事だって割り切ってするなら、許してやるしかねぇか……」


「なぁに? 真司ってば、偉っらそうに」


 どうやら、恋人が渋々でも、認めてくれたのが、嬉しいらしい。


 オリヱがにこっと笑った顔が、とても可愛いくて……愛しくて。


 僕のココロが、ずきん、と痛む。


 僕が、どんなに久谷に似ていようとも、オリヱは、こんな笑顔を僕に見せることは、無い。


 オリヱの笑顔には、久谷も弱いのか、彼はガシガシと頭を掻くと、自分の彼女の肩を抱いた。


「本っ当は、イヤなんだからな?

 それを曲げて許してやるんだから、今日は、これからオレに付き合え」


「え……? 今から?

 でもあたし今日は、これからシックス・ナインのメンテナンスがあるのよ。

 今は、一時停止を押しただけだから、少し経つと、動き出しちゃ……」


 そんな、オリヱの言葉は、久谷の唇で塞がれた。


「一時停止って……なんだよっ……!

 オレが居なくなったら、このアンドロイドと、さっきの続きをヤろうってのか?

 ……させねぇよ」


「ダメ……ダメだって……真司……」


 ぎごちなかった僕とは、正反対の器用な九谷の手が改めて、オリヱの衣服を乱し……

 彼女は、気持ち良さそうな喘ぎ声をあげた。


 ……なんて。


 僕は、二人が睦みあう光景なんて、見たくなかった。


 愛を交わす声なんて聞きたくなんてなかった。


 けれども、僕は目を閉じることも、耳を塞ぐこともできないまま、その場に立ちつくしている他なく……


 僕は、オリヱの手で作られ、彼女に育てられたココロが軋む音を聞いていた。


 長い。


 長い。


 永遠かと思うほど、長くつづいた九谷のキスと、愛撫が終わるころには。


 とろん、とした目で、そのカラダの全てを預けたオリヱの耳元で、九谷は、ささやく。


「オリヱ……続きは、ホテルでやろうぜ?」


「う……ん……」


「今日は……クリスマスイヴだから……奮発したんだ。

 いつものラヴホじゃなく、星のついた、海の見える、トコ。

 今夜は、一晩、携帯の電源を切って、朝まで。

 オレの偽物なんぞに抱かれる気が起きなくなるほど……

 本物のオレが抱いてやるから……」


「ん、もう。真司のエッチ」


「どっちがエッチなんだか……イヤか?」


「まさか」


 そう言ってほほ笑んだ、オリヱの表情を見て、僕のココロが壊れてゆく。


 ああ……オリヱ。


 僕の、愛しい、ひと。


 彼女の火照り、うっとりとした、色っぽい表情を見ていると、僕に灯った熱が煽られる。


 ……オリヱを、抱きたい。


 そんな切なる願いは虚しく、憎い九谷に遮られた。


 泣きたいのに、涙の出ない瞳を見開き、二人をずっとみつめているしかない僕を、九谷は勝ち誇って眺めた。


 オリヱに隣の職員用ロッカーから、私服とコートを取って来させて、九谷は僕を蔑み、憎々しげに言ったんだ。


「けっ! こんな機械に愛しいオリヱをやれるか、莫迦。

 オリヱが作った機械じゃなければ、ばらばらにしてやったのに……!

 聞こえるか? シックス・ナイン。

 オリヱは『オレのモノ』だ!

 お前がちょっぴりだけ火照らせたオリヱのカラダは、オレが責任を持って鎮めてヤる。

 機械は機械らしく。

 クリスマスは、一人でおとなしく玩具箱で眠ってろ!」



 げらげらげら………!



 一体、何に笑っているのか。


 半分ヒステリックにも聞こえる、九谷の嘲笑を聞きながら。


 僕は、悔しくて……悲しくて。


 オリヱを求めて、煮えそうに火照るカラダをもてあまし、悶えていた。


 ………


 ………

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