第45話

「早々にお帰りですか?」


 翌日。

 早朝の駅のプラットホームで汽車を待っていた探偵と助手は意外な人物の声に振り返った。見送りに来た足立(あだち)警部補だった。

「ええ。『依頼案件解決後、探偵は長居すべきではない』が僕のモットーです」

「全く、嫌な事件だった! まあ、事件はいつだって嫌なものですがね」

 歩み寄ってサッとソフト帽を取る警部補。

「見事なお手並みでしたよ、名探偵。脱帽です。貴方なしにはこの事件は解決しなかった。取り返しのつかないことになったでしょう――」

 一旦口を閉ざす。

「画伯は残念なことでしたが」

 千野碧明(せんのへきめい)の遺骸は、昨日の内に、金糸子(かなこ)の証言通り、城の腰曲輪(こしくるわ)石垣北東近辺の林で発見された。

 この場所の字面もまた隠喩に満ちている、と興梠(こおろぎ)は思った。

 口を引き結んで眼前の警部補に真向かう。

「いえ、足立警部補、貴方も素晴らしい警察官でいらっしゃる。ヘンリー・ウィルソン警視張りの警察官です」

「お世辞言ってらぁ、興梠さん」

 探偵助手が呟いた。いつもより声に力がなかったが。

「こら、フシギ君。口を慎みたまえ」

 真摯な表情で興梠は首を振ると、

「お世辞ではないよ。足立警部は今回4人のお嬢さんたちの命を救うべく、独自の推理を展開していたのだから」

 警部補は頬を染めた。色が白いので半端ではない。耳まで真っ赤になっている。

「いや、お恥ずかしい。見事に外してしまいましたがね」

「そんなことはありません。あの解読はロジック的には僕より優れていた――」

 目を剥いて赤面の警部補を見つめている助手が何か言う前に興梠は教えた。

「フシギ君、僕らがPENDUの手紙――最後通牒の謎を追って島根北半島を疾走していた時、この足立警部補は松江城の井戸を大捜索しておられたんだよ」

「え?」

 志儀(しぎ)は流石に吃驚したようだ。

「それは、また、どうして?」

 少年の問いに足立は頭を掻きながら応える。

「いやね、君の名探偵に負けじと、私は私で謎に挑んだのさ。必死だった。その結果、浮かび上がったのが、あそこ――松江城地下の井戸だった」

「どんな解読をなさったんですか? 教えてください!」

「うむ……」

 警部補は内ポケットから件の手紙を取り出した。



  《   最後通牒  


        お嬢さんたちの命は 明日の日没まで。


        お嬢さんたちは 何処にいる?


        お嬢さんたちを 見つけよう!


        謎を解いて お嬢さんたちを見つけてね?


        謎は全てこの手紙の中にあります。


                             PENDU   》





「この手紙の、3回並んだ〈お嬢さん〉に私は注目したんだ。〈お嬢さん〉の後の格助詞は〈の〉〈は〉〈を〉だ。それに続く最初の文字の頭を拾うと……」

 その通りに志儀が読んでみる。

「い・ど・み……」


「そう。それで、もう一つ残っている4番目の〈お嬢さん〉の格助詞は〈を〉だが、続く〈見つけてね〉で最初の3文字を消去したらどうなる?」

「い・ど・み・て・ね……そうか! 〈井戸見てね〉」

 志儀は唸った。

「なるほど! でも、何故、3文字消したの?」

「それは――〈お嬢さん〉の〝さん〟が気になったからさ。前の行までの〈お嬢さん〉も3つ連続で並んでるし、3が何かの隠喩かな、と」

「凄いや! この、どう見てもデタラメな文面からそこまで論理的な読み取りをするとは! やるじゃないか、警部補! 僕、物凄く尊敬しちゃった! 見直したよ!」

 感動のあまり、跳びついて両手を握る少年助手。

「凄いよ! 警部補! 執念深さといい、見た目が蛇に似てるだけじゃないんだね! 精神もだ!」

 探偵は慌てて引っ張り戻した。

「尊敬しているのは、僕もです、警部補。正直、僕はあの破調の文面から、そんな読み取りができるとは夢にも思いませんでした」

「うーーん、実は、種を明かすとね」

 神妙な面持ちで警部補は言った。三白眼の目を伏せる。

「私が松江城に拘った理由があるんですよ。これは地元の人間ならだれでも知っていることなのだが――」

「?」

「城のある亀田山一帯は水に潤っている反面、地盤が緩くて、天守の石垣を築くのに難儀したそうです。何度やり直しても崩れ落ちててしまう。それで、昔はよくあった話らしいが、人柱を奉げることにした。

 城の二の丸の広場で盛大な盆踊りを催して、一番美しくて、一番踊りの上手だった娘を踊りの輪から攫さらって、埋めたんです。

 すると、あれほど難航した石垣が見事に完成した。だが――」

 これもよくある後日談だが、と断って警部補は続けた。

「天守の石垣は無事完成したものの、城主父子が相次いで急死、堀江家はあっけなく改易となってしまった。このことが埋められた美少女の呪いだと恐れられ、以来、城下では盆踊りは催されなくなりました。どんな小さな踊りの輪でも、娘たちが踊るたびに城が大きく揺らぐそうです」

 ソフト帽を被り直すと警部補は微苦笑した。

「とまあ、そういう地元の伝承が頭から拭えず、画伯の《少女舞曲》のタイトルと相まって……どうしても城近辺に拘泥してしまったんですよ。近代警察の科学捜査にあるまじき発想だったと反省しています」

「そうだったんですか……」

「ふぅん……少女と踊りは、時代を超えて、いつも悲しい影が付き纏うんだな……」

 ホームに発車を告げる予鈴が響く。


「では、お元気で!」

「あなたも――」




 走り出した汽車の中、窓硝子に額を寄せて流れ行く景色を眺めているいる少年。その横顔は来た時とは比べ物にならないくらい大人びて見えた。

 興梠は言った。

「こんな結末になって……僕たちは早い時期に引き返せばよかったと思っているかい?」

「わからないよ」

 苦い味を知ってしまった志儀だった。薬入りのマドレーヌと同じくらい苦い味。だが―—

「いや、これで良かったんだ」

 きっぱりと首を振る。

「だって、誰かが何処かで止めなければならないことだった。でなければ、もっと、もっと、困ったことになったはずだ。この困難な仕事の幕引きをしたのが、僕の探偵で良かった!」

「フシギ君……」

「それに、僕、知ってるよ。今回の案件では、貴方が一番辛かった。だからこそ、あそこまで非情に、徹底的に断罪したんだ。最後の場面――

 苅田で、金糸子さんへ投げつけた容赦のない『悪魔』の呼称は、貴方自身の弱気や逡巡へ向けて発せられた言葉だと僕は推理している」

 ハッとして顔を上げた興梠に、

「どう? 僕が気づかないと思った?」

 親指を立ててニヤリと笑って見せる。

「探偵助手を舐めんなよ!」

 その通りだった。

 ぐうの音も出ない探偵。

 侮り難し。少年は、確かに日々成長している。自分を追い抜いて名探偵になる日は案外近いかも知れない。

「一番辛いのは貴方だけど、今一番、悲しんでいるのは誰だろう?」

 車窓に目を戻して未来のライバルは言った。

「僕は一番じゃないけど……悲しんでいる〈一人〉ではあるよ」

 そのあとの言葉はほとんど聞きとれないくらい小さかった。


「僕……初恋だったかも知れない」





 《 千の鳥 と 呼ばれる城で 会いし少女ひと 》  浮鴫



   当ててみて!  

   私の中にはたくさんの鳥たちがいるのよ……



Q,E,D 193X' 10' XX' 興梠探偵社







追記:

  この事件の犯人・佐々木金糸子(ささきかなこ)はU博士、Y博士による精神鑑定の結果、精神療養施設に収容された。両博士は戦前で最悪と称されたH連続殺人事件で精神鑑定を担当した権威である。


 未成年ということもあり、また日中戦争下でもあったため事件の詳細は報道制限された。

 兄、佐々木隼(ささきじゅん)の衝撃は大きかった。千野碧明画伯を失った綾(あや)夫人、秘書・大槻(おおつき)、弟子槌田智(つちださとし)少年も同様である。だが、残された皆で支え合っていくことを誓い合った。これ以上、自死者を出してはいけない。しっかりと生き抜くこと。それが槌田篤(つちだあつし)と千野(せんの)画伯への何よりの供養なのだから。

 そして、『大きな不幸には小さな幸福がついて来る』の諺どおり――

 今回の不幸の中にあって、大槻祐人(おおつきゆうじん)が再び絵筆を取る決心をしたという報せは、この上なく興梠を喜ばせた。

 ひょっとして、《秋の絵》は掛け間違えたのではなく、画伯のメッセージだったのでは? と神戸帰宅後、興梠は思っていたからだ。

 その千野碧明遺作となった《少女舞曲》が、数点の裸婦画も含めて完全な形で公開されるのは戦後を待たなければならなかった。


 最後の最後に。

 この事件後、暫く興梠は夜半、孔雀の夢を見て跳ね起きることがたびたびあった。

 さしもの名探偵も知らなかったようである。鳥類事典参照のこと。


 孔雀の声は猫の鳴き声に似ている――   



 

file:8  少女舞曲  ――――  了  ――――

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少女舞曲 (興梠探偵社file)  sanpo=二上圓 @sanpo55

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