第42話

「興梠(こおろぎ)さん……?」

「響(ひびき)――」


 顔を上げ、低いがよく通る声で興梠は言った。

「金糸子(かなこ)さん、煙の数を今一度確認してくれないか?」

「はい?」

「煙の数だ。何本上がっている?」

「ああ、あまりの衝撃で?」

 金糸子は嘲笑あざわらった。

「目も霞んじゃったのかしら? よくってよ。何度でも数えてあげる」

 爪先立ちになり人差し指で指揮棒を振るように、数え上げる。

「1、2、3,4,5――」

 指が止まった。


「5?」


 志儀(しぎ)と智(さとし)が口々に叫ぶ。

「あ! ほんとだ!」

「5つあるよ!?」


  興梠は頷いた。

「あれはね、足立(あだち)警部補が上げてくれた狼煙(のろし)だ。5本の煙はお嬢さんたちは全員無事救出したという合図だよ」


「――」


  硬直して立ち竦んでいた少年たち、首を傾げて、

「どういうことですか? あれ……」

「一体、何が起こったんだ?」

 地面に蹲(うずくま)ったままの青年たちも、

「響?」

「興梠さん?」


「さっき、僕は、あそこの蕎麦屋へ飛び込んだだろう?」

 興梠響(こおろぎひびき)は顎を引いて引き締まった顔で応えた。

「トイレで吐いてると思ったかも知れないが――それは誤解だ。僕は店の電話を借りて足立警部補に連絡を取っていたのさ」

「連絡って……」

「足立さんに? 何を連絡したの、興梠さん?」

「場所を報告した」

 スッと腕を伸ばす。苅田を貫く舗装道路を指差した。

「この松江・出雲間の路線の――僕たちが走って来た沿線に一か所、特殊な形の稲わらがある。それは4つ並んでいて、積み方に特徴があるんだ。〈稲わら〉というより〈積みわら〉と言うべきだろうな。

  欧州では一般的な形だよ。その場所を大至急調査すべし。お嬢さんたちはその中にいる」

 皆、息を飲んだ。

「〈特製の棺(ひつぎ)〉とは、実に上手い言い回しだ、金糸子さん」

 探偵は、まず少女を、次に秘書を振り返った。

「大槻(おおつき)さん、このことからだけでも、貴方(あなた)が真犯人でないと立証できますよ。貴方は金糸子さんに聞いた言葉を鵜呑みにした。金糸子さんは『少女たちを棺に入れた』と貴方に言ったのでしょう? そして、貴方はそれをそのまま僕たちに告げた。でも、実際は――」

 ここでもう一度、探偵は燃える空と立ち昇る煙を眺めた。

「棺は棺でも〈特製の稲わら〉なんですよ。娘たちは欧州風に積んだ稲わらの中に隠されていた……」

「うそ……」

 喘いだのは金糸子だ。カーディガンの裾を引っ張って、首を振る。

「じゃ、貴方は謎を解いていたって言うの? 嘘よ! 嘘だわ! あの最後の謎は完璧だったはずなのに!」

「お茶の間で興じる謎々ゲームだったのなら大いに褒めてやれたんだがね、金糸子さん。4人もの少女たちの命がかかっていたんじゃあ、いただけない」

 興梠はすぐに視線を男たちに戻した。

「お嬢さんの羅列……リフレイン……

  あの〈お嬢さん〉と言う単語が示していたのは、日本語の采女(うぬめ)ではなくてフランス語だったのだ。それも印象派が好んで使用した言葉――」

 深く息を吸って、

「フランス語で〈積みわら〉を〈お嬢さん〉と言う。これは、彼の国の積みわらの形が乙女のスカートに見えることに起因しているらしい」

 静まり返った一同に向かって興梠は言った。

「例えば――1910年に発表されたセオドア・アール・バトラージヴェルニーのお嬢さんたちを見てみるといい。画布(カンバス)には女性など1人も描かれていない。唯、幾つもの積みわらが並んでいるだけだ」

 唇を噛んで自分を睨んでいる金糸子に視線を据える。

「僕が本当の名探偵なら、朝方、行く道で気づくべきだった。4つ並んだ欧州風積みわら=4人のお嬢さんたち。

  だが、往路では見逃してしまった。そこを通過する時、さぞや貴女は愉快だったろうね?」


 言った後で口を閉ざす。

「いや、嗤われても仕方ない。僕は嘲笑に値する。今回もたくさんの失策を重ねた……」


「一番の失策はヴェルナールに注意を払わなかったこと。

  金糸子さん、貴女(あなた)は画伯を呼び出した夜、その薬を持参させた。これは貴女にとって魔女の秘薬に等しい。これを手に入れたことで貴女は思う存分、やりたい放題のことをした」

 顔を顰めて志儀が問う。

「少女たちを眠らせた以外に何に使ったのさ?」

「マドレーヌだよ、フシギ君」

 哀し気な顔で探偵はそれを告げた。

「昨夜、少女たちの命の刻限の前夜だというのに僕らは前後不覚に熟睡した。その理由がこれだ。僕たちは朝まで目が醒めなかった。睡眠薬入りのマドレーヌを食べなかった〝大槻さん以外〟はね」

「予(あらかじ)め大槻さんには言い含めていたんですね? 食べないようにって。だって」

 智が叫んだ。

「少女たちを運ぶための運転役として必要だったから」

「マドレーヌ……」

 本来なら真っ先に探偵の推理を理解し賛美する探偵助手なのだが、この時は違った。宙に目を漂わせぼんやりと呟くばかりだ。

「僕が大好きだった……マドレーヌ…… あのマドレーヌの中に……睡眠薬が入っていた……」

「マドレーヌに関しては見落としていたこと――不甲斐ない失策がもう一つある」

 歯噛みして探偵は言った。

「実は、今回の事件の最初の〈鍵〉だったのに、僕は気づかなかった」

「どういうことでしょう?」

「松江にやって来た第一日目、僕の助手は画伯のアトリエからマドレーヌを持ち帰った――」

「ぐ」

 思い出して赤面する志儀。

「ああ、あれ? 僕が盗んだヤツ? ゴメンナサイッ」

「いや、君が持ち帰ったことが問題なのではない。あの場所にソレがあったということが重要なのだ」

 興梠はてきぱきと言った。

「あの日、あの時、アトリエにお茶と菓子が置かれていた。と言うことは、〝それを運んだ人〟がいたということだからね」

 金糸子に真向かう。

「あの日、貴女は座敷より先にアトリエへお茶と菓子を届けた。貴女の姿を見て、画伯と大槻さんは決心して、または追い立てられるように座敷へ向かった、と僕は推測する。貴女は無人のアトリエで連作絵の一枚を外し2階へ上がり画伯秘匿の自分の裸婦画を持ち出した。

  最初の絵の掛け代えはこうしてなされたのだ」

「何故、カナちゃんはそんな真似を?」

 訊いたのは智だ。何の反応も示さない金糸子の代わりに興梠が応えた。

「画伯を脅し、警告するためだろうね」

 興梠は続けた。

「その後、金糸子さんは素早く厨房へ戻り、茶とお菓子を座敷へ運んだ。モデルとして通い、勝手知ったる画伯邸だ。金糸子さんは広い屋敷の構造に通じている。画伯と秘書が長い廊下を歩いている間に先回りして別の廊下を使用するのはわけなかった」

「勝手知ったる……屋敷の構造に通じている……」

 助手の声は震えている。

「塔の2階を探索しようと二人して進入した時のあれ、大槻さんに追われてメチャクチャ走って綾(あや)夫人の〈人形部屋〉へ行きついたのも、偶然じゃなかった? 作戦だった?」

「多分ね。君にはショックだろうが、フシギ君、これが事実なんだよ」

「あああああ!」

 絶叫して髪を掻き毟る志儀。

「僕、僕……ああ! 僕は何をやってたんだろう! 穴があったら入りたい……というか、溶けて消えてしまいたい! 自分が、この存在自体が物凄く恥ずかしい!」

「フシギ君」

 少年の目をしっかりと見つめる。

「その思いを抱くのは君が最初ではないんだよ。皆、通ってきた道なのだ」

「じゃあ、興梠さんもこんな恥ずかしい思いをしたことがある?」

「いや、君なんてものじゃない」

 苦笑いの探偵。

「もっともっと馬鹿なこと、浅はかで愚かなことをして来た。その恥や傷は今も完全には消えることはない。一生抱いて――墓まで持って行くとするよ」

 ここで声の調子が変わった。

「青春の過ちは激烈だ。純粋で潔癖な人間ほど苛さいなまれる。何より自分を許せない。自分を責め続ける。

  僕が今こうして恥を抱いて、それでも生き永らえているのは、その時、涼やかな風が吹き過ぎたから、とか、一瞬、雲間から陽が差した――その程度の些細な違いかも知れない」

  自分を消してしまいたいと思った夜が何度あったことだろう? 幸い、今、夜半に目醒めても闇は優しい色に見える。あの色は愛猫の色。そう思えばいい。

「興梠さん?」

 探偵の眼差しは槌田つちだ少年に向けられていた。

「智君、君は僕に言ったよね?」


  ―― もし何か変わったことがあったのなら、少しでもそれを僕が気づいていたなら、兄があんなことをする前に僕が止められたかも知れない……


「今、僕も強くそう思っている。僕がその場にいたなら君のお兄さんを思いとどまらせることができたかも知れないと心から悔しく思う。

  何故なら、僕も篤(あつし)さんと同じ過ちを犯したから」

「どういう意味です? 兄の死――〈自死〉についても読み解いたんですか? その謎を解明した?」

  少年は身を乗り出した。

「ならば、ぜひお教えください」

「君にとって、つらい部分もあると思うが……」

「かまいません。それが真実であるなら、知りたいです」

「隼じゅん、そして、大槻さん、どうだろう? 僕が話してもよいだろうか?」

 青年画家と秘書の肩が同時に揺れた。

「いや、その件は僕たちが――」

 互いに顔を見合わせる二人。

 妹がPENDUだった……! そのあまりにも大きな衝撃で青年画家の顔は引き攣っている。

 大槻は立ち上がった。

「僕が、話します」

「祐(ゆう)……」

 打ちのめされて立ち上がれない隼を庇うように数歩前へ出てから、大槻は言った。

「智君が知りたいと望むなら……全てを有りのままに伝えます。あの夜、何があり、何故、篤が命を絶ったのか」

「え? 佐々木さんや大槻さんも事実を知っているんですか?」

 困惑を隠し切れない智だった。

 興梠は励ますように小さく頷いた。

「彼らはその場に居合わせた当事者なんだよ。君のお兄さんが自死を選んだ理由を誰よりも正確に知っているはずだ」



 ☆セオドア・アール・バトラーは印象派を代表するモネの娘婿。

モネはたくさんの《積みわら》を描いたことで知られています。

  その作品の一つは前述したように岡山県倉敷市の大原美術館所蔵です。

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