第41話

「う、嘘だ!」


 隼(じゅん)が興梠(こおろぎ)の胸倉を掴んだ。

「何を言い出すんだ、響(ひびき)! 金糸子(かなこ)がPENDUだなんて―― 嘘」


「金糸子? おま おまえ……」

 探偵を離し、妹の両肩を押さえると激しく揺さぶった。

「嘘だろ! 有り得ないっ! 嘘だと言ってくれ!」

「本当だわ」

 花のように微笑む金糸子。


「私がPENDUなの」


 兄は絶句した。

「なぜ? こんなまねを――」

 妹は応えた。

「別に。意味なんかなくってよ。ただ、面白かったんですもの」


 両手を背中で組んでクルリと身を翻す。

「画伯は――大槻おおつきさんもそうだけど、はだかを描かせて以来、言いなりだし。今度は、ハイカラな都会の探偵さん、兄様のスクラップブックに詰まった寂しげなハンサムさんと遊んでみたくなったのよ」

 唇から覗く小さな白い歯。

「謎解き合戦よ。正直におっしゃって、探偵さん。どう? 私の謎、よくできていたでしょう?」

 満面の笑顔を探偵に向けた。


「しかも、勝ったのは わ・た・し 」


 弾んだ声で金糸子は繰り返した。

「貴方は負けたのよ。だって、少女たちは死んじゃったもの」

 可愛らしく肩を竦めると、

「貴方は、遂に、間に合わなかった!

 おバカさん、こんな処で得意げに謎解きに時間を費やして」


「――」


 最初に見た時、心震えなかったと言えば嘘になる。


 仄暗い森や湿った岩場……草いきれの野辺……さざめく川床……誘いざなわれたら何処までも付いていくだろう。彼女には男の心を掻き乱す因子がある。芸術家の胸を高ぶらせ、血を滾らせる煌めきが。

 この光に突き動かされて画家たちは筆を躍らせた――カンバスに情熱を迸ほとばしらせた――

 ひとり千野碧明(せんのへきめい)のことを言っているのではない。ティツィアーノ《ウルビーノのヴィーナス》、レンブランド《ダナエ》、ベラスケス《鏡のヴィーナス》、プーシェ《ソファに横たわる裸婦》、ゴヤ《マハ》、アングル《グランド・オダリスク》、カバネル《ヴィーナスの誕生》、モディリアーニ《髪をほどいた横たわる裸婦》……

 ルノアール、ゴーギャン、エゴン・シーレに至ってはタイトルを特定しきれない……いずれも至宝の裸婦たち……


「ご覧になって!」


 千野(せんの)画伯秘蔵の裸婦画のモデル、美しい佐々木金糸子(ささきかなこ)は指を突き出した。

 指しているのは、苅田の果て……遥か遠い地平線……


「見えて? あの4本の煙はお嬢さんたちの命が天に昇る、その光景なのよ!」


「なんだって・・・・・、金糸子!?」

「なにをやった、カナちゃん――」

「金糸子さん?」


 ざわめく男たちを金糸子は振り返った。

「私が何をやったかって? 知りたい?」

 おさげ髪を引っ張りながら、一語一語、噛みしめるように語り出す。

「少女たちを誘い出したやり方や監禁場所は大槻さんが話した通りよ。だって、私が教えたんですもの。

 目星をつけた子たちに接触して、嘘の企画を信じ込ませ、後は、学校帰りに合流して蔵へ連れて行った。

 制服って便利ねえ!

 一斉捜索の際もそうだったけど、何処にいようと、何をしようと、私たち〝女学生(ジョガク)の仲良しさん〟にしか見えなかったわ。

  もうばれちゃったから明かすけど、大槻さんったら可笑しいのよ。ふふふふ」

 囀さえずるような笑い声。

「千野画伯の描いた私の裸婦画を秘密にしてくれるなら犯人になってもいい、なーんて、泣いて縋るんですもの。でも」

 ここでちょっと悲しそうに眉を寄せる。

「大槻さんに手伝ってもらったのは、足立あだち警部補の一斉捜索の際、少女たちを車で移動させた時と、それから、最後の部分だけ」

 隼が呆けたように繰り返した。

「さいごの……ぶぶん……」

「そう。昨夜はね、兄様たちが熟睡している間に車を出させて少女たちを蔵から運んでもらったの。そうして、後は、大槻さんには全て終わるまで路傍で車を止めて――車内で待ってもらったわ。だって」

 上機嫌な顔に戻って金糸子は両手を胸の前で組み合わせた。

「楽しい儀式は私だけで味わいたいから!」

「……ぎしき……」

「女の子たちにはヴェルナールを溶かしたワインを振るまって、思い思いに舞ってもらった。

 美しかったわよ。そうね、宛さながら、ウイリアム・ブレイクの妖精たちのダンスみたいだった!」


  やがて、次ぎ次ぎに昏倒したお嬢さんたち……

 

「万が一、薬が切れて目覚めても逃げられないよう手足を縛って猿轡さるぐつわもした。そうやって特別な棺(ひつぎ)に収めたわ」

 探偵を見て瞬まばたきする。

「勿論、裸に剥いてるわ。だから、貴方は、死装束の用意なんてしなくてもよくってよ、コオロギさん!」

 白い手が閃ひらめいて、再び遠い空を指差した。 

「予(あらかじ)め今日の夕暮れに火をつけるよう近所の小学生にお駄賃を渡して頼んでおいたの。それが、あの棚引く煙よ。見て! よおく燃えてること!

 こうして眺めると――夕焼けの色は炎と一緒ね! それから、血の色と! 綺麗ねぇ……」

 瞳に空の色を映しながらうっとりと少女は息を吐いた。

「ああ! 貴方なら、何色に塗るのかしら、大槻さん! さぞやダイナミックな色遣いでしようね!」


 ドサッ……


 兄が膝を突いた音。

 大槻の隣に這はい蹲つくばる。

 それとは反対に棒を飲んだように少年たちは突っ立っている。


「カナちゃん……」

「金糸子さん……」


「金糸子さん……」

 伸ばした探偵の手を金糸子は払いのけた。

「もう遅いわ! 探偵さん、貴方はお嬢さんたちを救えなかった!」


「興梠さん……?」

「響――」


 興梠は少女の肩越しに空を見た。

 絶望の探偵――



 

☆ウィリアム・ブレイク《真夏の世の夢》はこちら!↓

 watercolor.hix05.com/artist/blake/blake.html -


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