第39話
「ど、どういうこと?」
「《秋の絵》って?」
「掛け代えたって、それは何――?」
「おい、響(ひびき)、君は一体、何が言いたいんだ? 僕には全く理解できないんだが?」
一斉にさざめく志儀(しぎ)、智(さとし)、金糸子(かなこ)、隼(じゅん)。興梠(こおろぎ)はそちらへ顔を向けて言った。
「大槻祐人(おおつきゆうじん)さんが真犯人でない理由をこれから説明します。そのためには全てを巻き戻し、最初に返って今回の事件を読み直す必要がある。その上で僕の推理をお聞かせしましょう。
よろしいですか? 皆さん?」
夕陽を背負って探偵・興梠響(こおろぎひびき)は話し始めた。
此処へ来て――真犯人PENDUは誰?
「そもそも最初の日に、千野(せんの)画伯が一度僕たちをアトリエへ招き入れながら突如激昂して追い返した行為はどう見ても尋常ではなかった。
あの行為の原因は、連作絵の1枚が掛け代えられていたせいだと僕は推理する。
皆に見られたくない、見られてはいけない〈一枚〉に擦り代えられていたのを画伯は発見した。
それで画伯は慌てて皆をアトリエの外へ出した。
翌日、改めて僕たちを招き入れたのは、絵を元へ戻したからだ。
思い出して欲しい。あの朝、夫人の綾(あや)さんが起きた時、画伯と秘書の大槻(おおつき)さんの姿は見えなかった――
二人はその時、見られてはいけない絵を他の場所へ移していたんじゃないだろうか?
その際、掛け代えられていた一枚を外して元に戻す時に、アトリエの2階に収納してある連作絵のストックの中から持って来た。この掛け代えをしたのが、大槻さん、貴方であるはずはない。
何故なら、あの絵、綾さん曰く《秋の絵》は貴方の絵だったからだ」
静かに続ける。
「そして、ここからが肝心な点だ。貴方は、画伯が僕に真実の解明を期待して連続少女誘拐の件を依頼したことには反対だった」
「そ、それは――」
「ええ、わかっています。有能で忠実な秘書である貴方が、真実が暴かれることで多少なりとも画伯本人に影響が出ることを案じた故だと僕は理解しています」
きまり悪げな秘書に口早に興梠は言った。
「僕が言いたいのは、そんな貴方が、僕が気づくような、少しでも僕が目をつけるような変化や異変をわざわざ犯すはずがないということ。つまりね、目立つ絵――他の連作絵と違う色遣いの絵を、しかも自分の絵を、貴方自身があそこに掛けるはずはない」
志儀が申し訳なさそうに言葉を挟んだ。
「悪いけど、全くチンプンカンプンだ。何故、〝目立つ〟絵ではいけないのさ? そもそも――大槻さんが自分の絵をそこまで嫌うのはどうしてなの?」
智も相槌を打った。
「うん。その《秋の絵》が、綾さん以外、違和感を覚えなかったってことは、画伯に遜色ない素晴らしい出来栄えだってことだもの。羨ましいな! 仮に僕の絵だったら、色使い以前に、皆に一目で、違和感を持たれたはずだ」
「……あれは《秋の絵》じゃないんです」
くぐもった声で大槻祐人、
「僕は画伯と同じように色を塗っただけだ……少女たちに似合う青春の色を……」
「大槻さんは自分の絵に絶望していた。他人からは絶賛される色彩感覚を嫌悪していた。だからこそ、筆を折ったのだろう? 僕が思うに――」
サラリと探偵は事実を指摘した。
「貴方は色覚異常ですね?」
「そのとおりです。僕は色覚異常それなんです」
堰が切れたように言葉が迸る。秘書は一気に言い切った。
「画伯は知っていました。〈水郷展〉で特別賞をもらった時……もう耐えられなくて告白したんです。画伯は、現代においてそんなことはなんら障壁ではない、個性であり才能だ、だから、描き続けるべきだと励ましてくれましたが」
「画伯の言葉は正しいと僕も思う。が、今はそのことではなく、僕の推理を先へ進めます。間違っていたらそう言ってください」
大槻が頷いたのを確認してから興梠は語り始めた。
「貴方は絵は辞めたものの、それを惜しむ画伯は趣味にせよ貴方が絵筆を取ることを喜んだ。だから、アトリエ内で画伯が描く際、一緒に描くことも多々あった。あの〈秋の絵〉はそんな一枚だった。あの朝、慌てていたので、画伯は掛け代える際、貴方の絵を掛けてしまった――」
淡々と話し続ける興梠。大槻は一度も否定しなかった。
「再び絵が変わっていることに気づいたのは綾夫人と貴方だった。あの日の午後、アトリエに入った時、貴方が動揺した理由はそれだ」
―― どうかされましたか、大槻さん?
―― いえ、チョット……埃ほこりが目に入って……
「だから、僕たちが帰った後で貴方は改めて絵を掛け代えた。こんどこそ画伯の絵に。これで全て緑の連作絵に戻った。AII GREEN まさに 問題無し……!」
ここでまた遠慮気味に志儀が呟いた。
「でも、まだ全然わからない。その〝絵の掛け代え〟がどんな重大な意味があるの?」
続いて皆、口々に、
「うむ。PENDUに繋がる全体像がてんで見えない……」
「私もよ」
「僕もです」
興梠は片手を上げた。
「これから順を追って話すよ」
「今回の事件を読み解く鍵はこれだ。
《少女舞曲》
ここにこそ全ての答えがある――
失踪前に画伯が僕に残したこの絵――」
そう言って興梠はポケットから絵を取り出した。
「一枚の紙の片側は孔雀(クジャク)、もう片側は9羽の雀(スズメ)たち。これは〝表裏一体〟……まさしく〈同じもの〉を指している」
「孔雀と雀が?」
「共通点なんてないと思うが」
「そうだろうか?」
「あります」
金糸子の透き通った声。
「孔雀と雀はともに最も美しい鳥です。そこでしょう?」
「ご明察。僕の話した中国の昔話を憶えていてくれたんですね、金糸子さん」
探偵は満足げに目を細めた。
「でも、その伝承話は日本ではそれほど有名じゃないので画伯が知っておられたかどうか、少々疑問だ。だから、まだ他に――もっと単純で明瞭な共通点があるんだよ」
「まあ! 何かしら?」
「難しいな……」
「うーむ……」
「全然思いつかないや」
「見えているのに見えていないモノがある。鳥を隠すには鳥の中。目の前にあって僕らは幾度も目にしていたのにうっかり見逃して気づかなかったこと」
首を傾げる一同を見回して興梠は答えを明かした。
「孔雀と雀の共通点は凄く単純で簡単だ。〈雀〉の字さ。孔雀には雀の字が隠れている」
「あ! わかった!」
探偵助手が手を打ち鳴らす。
「ひょっとして画伯はその絵でシャレを言ったの? 雀の字が孔雀にも使われてることを気づかせようと、9の雀で9雀=クジャク=孔雀」
「まあ、それも有り得る。でも、画伯が最も言いたかったのは、9羽の雀は1羽の孔雀だということではないかと僕は思うんだよ」
紙片をヒラヒラとひっくり返しながら興梠は言う。
「画伯が追い求めたのは美、孔雀。そのために採用した8人の美少女たち……」
「でも、ここには9羽いる」
「そこだ」
ピシリ。雀の絵を突き出した。
「画伯は僕に言った。『9枚の絵に9人の少女、これが正解だ』と。
フシギ君がいみじくも指摘したように孔雀=9雀に引っ掛けたのかもしれないが、画伯は公表する連作絵の数は9作にする予定だった。そのことはアトリエのあの飾り方でも推測できる――」
「でも、モデルは8人だったよね? やっぱり、少女が1人足りない……」
「そのとおり、少女が1人足りない。では、それは何故か? 僕は考えた。その結果、行き着いた答えはこれだ。〝1人は既にいたから〟」
クルリ。孔雀の絵を翳す。
「もっと言えば、その1人故に、画伯はこの
それほど、この1人は画伯にとって特別な存在――〈1羽の孔雀〉だったのだ」
「ここで画伯をあれほど動揺させた掛け代えられた絵に話を戻そう」
興梠は目を閉じた。
「僕が思うに、その絵は〈裸婦画ヌード〉だったのではないだろうか?」
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