第38話
松江市内、千野(せんの)画伯邸へ帰還する道筋。
海岸線から離れたとたん、四方はまた穏やかな田圃の風景に切り替わった。その中を疾走する2台の車。
興梠(こおろぎ)は助手席で窓硝子に顔を寄せ虚ろな目で車外を眺めている。
どんどん濃くなる夕焼けの中、飛び去って行く景色。普段なら心を癒す苅田と大小の稲わら、点在する藁ぶきの屋根々々……
乾いた声で、ハンドルを握る旧友の名を呼んだ。
「隼(じゅん)、車を止めてくれ」
「え? 今か? ど、どこに?」
「何処でもいい……一番最初に見えた店でいいから……」
探偵は繰り返し懇願した。
「車を止めてくれ」
「どうかしたのか、響(ひびき)?」
「気分が悪いんだ。頼む」
後部座席の志儀しぎと金糸子(かなこ)も吃驚して身を乗り出した。
「興梠さん、具合が悪いの?」
「大丈夫ですか? まあ! ほんと、お顔が真っ青だわ」
「珍しいな、車に酔ったのか。わかった、では、あそこに――」
ちょうど道沿いに〈出雲そば〉の看板が見える。その店先に隼の車は滑り込んだ。後方を走っていた大槻(おおつき)の車も続いて停車する。
「興梠さん、僕も一緒に行こうか?」
「いや、一人で大丈夫だ」
興梠は店の中に姿を消した。
「大丈夫かしら、探偵さん」
「うん、あんな興梠さんの顔、初めて見た。心配だよ、僕……」
「よほどショックを受けて消耗しているな。それも仕方がない。あいつは全てを背負い込むつもりだ。僕としても――申し訳ない気持ちで一杯だよ」
隼は顔を伏せた。
「こんなことになるなら安易に依頼などするんじゃなかった」
「いや、君だって、自分を責める必要はない」
バサッ。大槻が袴(はかま)の埃を叩いて落とした。
「誰がこんな結末を予想したろう……」
「あ、興梠さん?」
店から出て来た探偵の顔は相変わらず蒼白で強張っていた。
車には戻らず、道路を渡って苅田の方へ歩いて行く。
一面の夕焼け。ちょうどこの辺りは出雲から松江に至る長い道が水田地帯を貫いていて、どちらを向いても目の届く限り田圃が広がっている。
稲がきれいに刈り取られた、その中に立ってボソリと呟いた。
「これで……全て終わった……」
「千野邸に戻ろう、響」
旧友が声をかけた。
「PENDUが予告した刻限が迫っている。車を出すよ」
「いや、いい」
興梠は首を振った。
「ここで葬儀の支度をするさ」
「おい、何言ってる――」
皆、探偵を追って田圃の中にやって来た。
「興梠さん?」
「探偵さん?」
そんな仲間たちの顔を1人1人見回して興梠は言う。
「僕は虫だからね……甲虫と一緒に死装束を仕立てなくてはならない……それも4枚だよ……」
「ど、どうしちゃったのさ、興梠さん? 貴方らしくないよ! しっかりしてよっ」
駆け寄った助手に一本、指を立てる。
「フシギ君、君こそ、しっかり灯を掲げたまえ。真実の松明(たいまつ)だ。誰が真犯人か、可哀想なお嬢さんたちの命を奪ったのは誰か、赤々と照らし出してくれよ」
「――」
次に、その指を旧友に向けた。
「隼、君には棺を覆う布を捧げ持ってもらおう。それが鷦鷯(ミソサザイ)の役目だ。金糸子さんは鶫(ツグミ)に代わって歌係。おや、見たまえ、鴉(カラス)たちだ!」
夕焼けの空を黒い影が数羽、横切って飛んで行く。
「大槻さんと――智(さとし)君、君はお兄さんの分も司祭としてをよろしく頼みます」
「興梠さん?」
戸惑う智。大槻の体が大きく揺らいだ。
「やめてくださいよ、縁起でもない。少女たちはまだ死んだと決まったわけじゃない」
興梠には聞こえなかったようだ。
「さあ、大槻さん、弔いの言葉は任せましたよ。もはや物言わぬ4つの骸(むくろ)――」
さもそこに並んでいるかのごとく探偵の指は地面を指している。
「バラ色だった肌が冷たく凍えて」
「おい、やめ――」
「冷え切った可愛らしい耳にも、ちゃんと聞き取れるよう、大きな声で弔辞を、ぜひ、お願いします」
「やめてくれ!」
袂(たもと)が翻る。
「僕は司祭じゃない! 僕は――」
次の瞬間、大槻はがっくりと苅田に膝を突いた。
「僕がPENDUです。僕が――やりました」
瞼(まぶた)がヒクヒクと小刻みに震えている。
「少女たちを攫(さら)い――殺した」
「――」
一同、凍り付いた。
「おい、大槻君? 祐(ゆう)さん……」
「大槻さん? そんな――」
「なんてこと!」
「嘘だろ? 貴方が? 大槻さん?」
「しっ」
乱れ飛ぶ声を興梠が遮った。感情の籠っていない、何処までも静もった声で、
「どうやって攫ったんですか?」
「モデルをやってほしいと、画伯の新しい仕事だと言って声をかけたんだ。以前、《少女舞曲》のモデルを経験して、その中で特にモデルの仕事に興味を持った子たちを選んで声をかけた」
袴の上で拳を握りしめる。
「騙すのはわけなかった。僕が秘書だと知っているので……」
「そ、それにしても、こんなに長く4人もの少女たちを隠し通すとは!」
隼が喘ぐ。続いて智、上気した頬を歪めて、
「しかも、今に至るまで監禁場所すら見つかっていないんですよ! 人間を4人も、一体何処に隠していたんです?」
「そんなの簡単ですよ」
引き攣った微笑が零れた。
「監禁場所と言っても――殺すまで仲良く共同生活させていたんです。場所は美保関(みほのせき)」
「じゃ、やっぱり? 最初の絵手紙は少女たちの居場所を意味していたのか!」
一瞬、探偵助手は顔を輝かせた。
「興梠さんの解読は当たってたんだ!」
「……これが芸術の新しいスタイルだと言って騙したんです」
千野碧明(せんのへきめい)の有能なる秘書は続けた。
「今度の画伯のテーマは采女(うぬめ)だから、なりきって欲しいと。全ての俗界の情報や笧しがらみを絶って、一週間、精進潔斎して過ごすことが契約の条件だと教えました」
肩を竦める。
「少女たちは楽しい遊びのように受け入れてくれました。1人じゃない、4人という人数もある意味、安心感を与えたようだ。家族には僕の方から連絡していると言うと、皆、それを信じてくれた」
興梠は身を乗り出した。
「もう少し詳しく教えてくれ、美保関の何処?」
「綾(あや)奥様のご実家――廃業した酒屋の蔵が残っているんです。そこを使いました」
「だが、変だぞ!」
隼が割り込んだ。
「美保関一帯は足立(あだち)警部補の指揮の元、一日かけて徹底的に捜索されたはず。新聞にも写真入りでその様子が出ていた」
「捜索の最中は移動させました。制服を着せて通りを堂々と歩いて、一旦、他の場所に行かせたんです」
「制服? あ!」
再度、声を上げる隼。
「確かに、写真には、溢れる警察官の間で登校する小学生や中学生、女学生たちが写っていた……」
朝の通学風景の中に制服姿の少女たちは見事に溶け込んだのだ……!
「上手いやり方ですね?」
「町の外で僕の車に乗せ、捜索終了後、また元の場所へ戻しました」
暫しの間。
やがて、ゆっくりと、興梠は訊いた。
「もう殺したと言っていたが?」
「今日、夜明け前、貴方たちが画伯邸の座敷で眠りこけている間に抜け出して……ヴェルナールを飲ませて……全員……棺ひつぎに入れました。だから、もう……終わっているんです」
「ヴェルナール? 画伯の寝室の箪笥からなくなっていた睡眠薬だね?」
「じゃ、あれは画伯が持ち出したのではなくて、君か、大槻君? 君が盗んだ?」
「画伯失踪の混乱に乗じて?」
こんな結末をだれが予想したろう? ついさっき、そう言ったのはまさに、この大槻だった――
「クッ……あは……あはははは……あはははははは……」
苅田に響く笑い声。
ギョッとして皆、笑いの主を見つめた。
「興梠さん?」
「響?」
「探偵さん?」
探偵助手が飛びついて腕を掴んだ。
「興梠さん! 気を確かに持ってよ! 謎が解けなかったからって……少女たちを救えなかったからって……そのせいでオカシクなったんじゃないよね?」
癖毛の髪を激しく振りながら、
「僕の探偵はそんな弱い人じゃない! 本当は僕、帆村荘六(ほむらそうろく)や法水麟太郎(のりみず りんたろう)なんかより、興梠響(こおろぎひびき)こそ一番の名探偵だって――尊敬してるんだからね!」
探偵は笑うのをやめて、じっと助手の顔を見つめた。ポンとひとつ肩を叩く。それから、地べたに腰を落としたままの秘書の前に立った。
「大槻さん、もう一つだけ、どうしても聞きたいことがあります。どうか正直に応えてください。あの絵――綾夫人曰く、《秋の絵》を飾ったのは貴方ですか? そしてその後で、また掛け替えたのも、貴方?」
「!」
ハッとして大槻は顔を上げた。
「ちがうだろ?」
いつになくきつい口調。
「あの絵を飾ったのは貴方じゃない。だからこそ――」
カッと目を見開く。
「それゆえ、貴方は真犯人じゃない」
興梠の言葉は断定的だった。
探偵はきっぱりと言い切った。
「PENDUは貴方じゃない。他にいる」
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