第35話

 こうして8日目――PENDU曰く少女たちの命の期限――の朝が明けた。


 貞(さだ)を手伝って金糸子(かなこ)が甲斐甲斐しく用意した朝食を皆が食べている時、座敷へ若い女中が入って来て意外な来客の名を告げた。

「槌田(つちだ)様がお見えです」       

「槌田? あ、智(さとし)君か?」      



 玄関に立っていたのはかつての千野(せんの)画伯3羽鴉の一人、槌田篤(つちだあつし)の弟で現在絵を習いに通っている智少年だった。

「ああ! やはり 皆さんはもう集まっていらっしゃったんですね? 先生が大変な時に、遅くなって申し訳ありません」

 智は深々と頭を下げた。

「それで、先生は……千野画伯は大丈夫なのでしょうか?」

「どうして、それを?」

「今朝、読みました」

 智は握っていた新聞を差し出した。そこには千野画伯の謎の失踪を告げる活字が踊っている――

 先の連続少女誘拐事件と何らかの関わりを憶測する内容だった。尤も、この件が報道されるのは時間の問題だと興梠(こおろぎ)たちは覚悟していたが。

「先生の姿が見えなくなったのは一昨日の深夜から昨日の朝だと書いてあります。それで――いてもたってもいられず、店は休みをもらって駆けつけたんです。僕など邪魔になるだけだとはわかっているのですが、でも――」

 一旦言葉を切って唇を噛む。

「でも、僕もここで先生の帰りを待ちたい。お願いです。僕も皆さんと一緒にいさせてください」

 兄弟揃って世話になった画伯の身を案じる少年の心情がひしひしと伝わって来る。

「もちろんだよ、智君」

「さあ、上がりたまえ」

 隼(じゅん)が、続いて、大槻(おおつき)が頷いた。

「実はね、僕たちは、今日これから北の海岸を捜索する予定なんだよ」

「え? 先生はそちらにおられるんですか?」

「いや、僕たちが捜しているのは少女たちの居場所なんだが」

「少女って、例の誘拐事件の?」

 智は新聞に目をやって、

「じゃ、先生も誘拐されたんですか? 少女たちと同じ場所におられる?」

「うむ、君が困惑するのも当然だ。実はね――」

 この際だ。隼は大槻、興梠とも相談して槌田少年にも全てを明かすことにした。

 招き入れた座敷で、PENDUから届いた3通の手紙と、画伯が消息を絶つ前に探偵に残した手紙を見せる。

 その上で改めて少年の意思を確認した。

「そういうわけで――僕らはこれから島根半島北岸を探索しようというのだ。君はどうする? ここで綾(あや)夫人と一緒に画伯の帰りを待つもよし――」

 隼に最後まで言わせず智は応えた。

「ぜひ、僕も同行させてください! 僕は皆さんと行動を共にしたい」

 こうして、急遽、槌田智も一緒に行くことになった。

 人数が増えたので、隼の車に加えて大槻祐人(おおつきゆうじん)も車を出すことになった。大槻の愛車は画伯が与えたものだ。

 玄関前に一同集まった時、智が声を上げた。

「カナちゃん!? 見違えたなあ!」

 台所を手伝っていた金糸子は、漸く身支度を整えて出て来たところだった。

「まあ、智ちゃんこそ!」

 にこやかに挨拶する。

「お噂は兄から聞いててよ。こっちに戻って来られたのでまた画伯の元に通っていらっしゃるんですってね!」

「そうか、この間は金糸子は女学校に行っていたから、今日が智君とは久々の顔合わせってわけか」

 前回、アトリエで隼や興梠たちが智に会った際、妹は居合わせなかったことを思い出して隼が言った。

「へえ、女学校! あのカナちゃんが女学生かぁ!」

 智は目を輝かせた。

「これはぜひ制服姿のカナちゃんを描いてみたいな!」

 だが、すぐに顔を伏せる。

「いや、やはり、ダメだ。僕などの技量や画力では、到底、カナちゃんの美しさは写し取れない」

 両手を見つめながら無念そうに息を吐く。

「やはり、千野先生クラスでないと……」

 金糸子はポッと頬を染めた。

「まあ、あんなこと言って、智ちゃんったら! お世辞は通用しなくてよ。昔は私のこと、裏のお山に捨てるとか、背戸の小藪に埋めるとか、柳の鞭で打ってやるとか言って、泣かせたくせに」

「えええ! 優しい顔に似合わず、残酷なんだな、智さんて」

 少々嫌味を込めて割り込む志儀(しぎ)。興梠は咳払いした。

「ちょっと、フシギ君。歌だよ、歌。智君は歌詞に引っ掛けてからかったのさ」

 小声でハミングして聞かせる。西城八十(さいじょうやそ)作詞の名曲。

「♪歌を忘れたカナリアは~~~」

「ふぅぅん? それにしてもさ、金糸子さんを泣かせるなんて、あいつ、サディストだ」

「ヤキモチはよしたまえ」

 探偵は小声で助手を宥(なだ)めた。

「金糸子さんと智君はお兄さん同士が画伯の愛弟子で友人だったんだからね、君などより古い付き合いなんだよ」

 ライバル心に燃える助手は聞く耳を持たなかった。

「チェ、古かろうと新しかろうと、金糸子さんを泣かすなんて許さない。それに、僕は新参者だけど、金糸子さんとは生死を共にした仲なんだぞ!」

「やれやれ、それはこの前の不法侵入のことを言ってるのかい?」

 とはいえ、若者ならではの率直な反応が微笑ましくて、暫し興梠の心は和(なご)んだ。懐かし気に言葉を交わす金糸子と智、面白くなさそうに頬を膨らませている志儀。興梠は隼を振り返って、

「智君は、以前は画伯邸の近所に住んでいたのか?」

 さっきの金糸子の言葉を思い出したのだ。


 ―― 近くに戻って来たので画伯の元へ通っているのね?


 そういえば智も最初に会った時、似たようなことを言っていた。


 ―― 近くに働き口を見つけたのでまた通っているんです。


「そうだよ。槌田君の家は画伯邸にも近かったし、何より、ウチとは同じ町内だった。言わなかったっけ?」

  隼の顔を刹那、微笑が煌いて、消えた。

「だが、ほら、篤があんなことになったので、槌田家は引っ越したんだよ。温泉津(ゆのつ)町だったかな。母親の実家があるとか」

「そうか」

 今に至っても隼は篤の自殺について微妙にぼかした言い方をしている。

 将来を嘱望されていた青年の死が、当時どれほど周囲に衝撃を与えたか、改めて思ってみる興梠だった。

 一方、探偵助手の機嫌はすぐ直った。隼の車に興梠と志儀、大槻の車に智が乗り込んだ後で、金糸子は迷わず志儀の隣に乗ったからだ。満面の笑顔で迎え入れる志儀だった。早速、身を寄せて囁く。

「制服姿が見てみたいって智さんは言ってたけどさ、今日の金糸子さんも凄~~く素敵だよ!」

「いつも優しいのね、志儀君。フフ、これ、綾奥様の服なの」

 金糸子は嬉しそうに薔薇模様のワンピースの裾を整えた。上に羽織った草色のカーディガンは昨日着ていたものだ。

「ほら、昨夜、急に泊まることになったから、着替えがないだろうって気遣ってくださったの」

「そうなんだ、凄く似合ってるよ! でも――」

 志儀は目を見張った。

「綾さんも洋装するんだね? ちょっと意外だな。いつも着物の印象が強いから」

「あら、綾さん、素敵なスーツやドレスもたくさん持っていらっしゃるわよ」 

 その綾は、今日は和装でも洋装でもない。浴衣に半巾帯――寝巻姿だった。

 貞に支えながらも見送りに玄関先まで出て来た夫人に隼はひとつクラクションを鳴らす。滑るように車は走り出した。続いて大槻も発車した。

「――」

 助手席から、泣き腫らした夫人の赤い目を見て、興梠は思った。

 雉(キジ)は泣き女……か。

 雀(スズメ)は死者の家の煮炊きをする。

 孔雀(クジャク)は?

 無意識に画伯からの絵手紙を入れたポケットに手を置く。

 孔雀はいない。

 マザーグースでも日本の古謡でも。洋の東西、孔雀を歌った歌はない。少なくとも興梠は思い出せなかった。

 今、孔雀と聞いて、美学を学んだ探偵が思いつくのは孔雀明王(くじゃくみょうおう)ぐらいだ。あれは元々はインドの女神マハーマーユーリーだ。それ故、憤怒顔の明王の中で唯一、優し気な菩薩顔で表される。

 ( 孔雀は玲瓏(れいろう)な姿とは裏腹に害虫や毒蛇を食べるからな…… )

このことから、人間の三毒、貪り、憤り、痴行を食らってくれると信仰されたのだ。金剛峯寺の快慶の彫像が素晴らしい。孔雀に乗った優美な姿で一面四臂(いちめんよんぴ)。その4本の腕に今回の誘拐された4人の少女の哀し気な肖像が重なった。

 おん まゆら きらんでぃ そわか……

 少女たち、そして画伯の無事を祈れるものなら祈りたい気分だった。






 昨日の旧友の言葉どおりではないか!


 走り出してすぐ興梠は感嘆した。

 島根半島北岸へ至るまでのその景色は素晴らしかった……!


 青年画家は出雲大社(いずもたいしゃ)裏――大社湾から美保関(みほのせき)までを巡る行程を採用した。

 先日、美保関は既に探索済みである。だから、そこを終着点に定めて海岸線を走破しようというのだ。

 2台の車は宍道湖(しんじこ)を左に眺めつつ出雲平野を疾走する。前回、出雲大社へは電車を使用したが、車の道も爽快だった。澄み切った秋空の下、どこまでも田圃が続いている。

 唯一、電車からの風景と違っている点は、前は豊かに実った稲穂が揺れていたのに、今日は何処の田も稲刈りを終えて苅田が広がっていること。季節は確実に進んでいた。

 無事の収穫と豊作を寿ぎ、至る所、稲わらが設えてある。これもまたいいものだ。

 大陸から伝来した米づくりを学び、稲とともに生きて来た日本人の敬虔な風習に興梠は胸打たれた。今日これから始まる過酷な一日に勇気を与えてくれる気がした。

  ( 俺は何一つ謎を解いていない……)

 興梠はわかっていた。海岸線探索も気休めに過ぎないのだ。唯、室内に閉じ籠って日没までの刻限を待つよりはマシなだけ。だからこうして車中に座っている。

 だが、眺める光景、車窓を飛び去って行く稲わら一つとっても、そこに潜む〈美〉に興梠の心は反応した。

 ほら、また稲わらだ。微妙に形が違ってるな。地域によって積み方、結わえ方が変わるのだ。何故なら、あれら稲わらは稲の神への挨拶、呪法だから。今年一年ありがとうございました。どうぞ来年もぜひお越しください。心からお待ちしております……

 こうして太古から人は生き継いで来たのだなぁ! そうして、また、繋がっ行く。ならば――

 俺たちにとっても何事も変わらずに明日が来てほしい――

 どうか――



 孔雀明王といい、稲の神といい、なんにでも縋すがりたい悲愴な探偵の祈りが伝わったのだろうか?

 穏やかな穀倉地帯の果て、至った出雲大社裏。

 海岸線探索のその最初の入り口で、一同は予期せぬ僥倖(ぎょうこう)を見た。


「おい、見たまえ、あれ!」



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