第33話
キキキィーーー
興梠(こおろぎ)が車を止めた場所。横板張りの総2階、小学校を思わせる懐かしい造りの四角い建物。
「ここは?」
「松江市の歴史資料館だよ」
興梠が説明する。
「ほら、僕らがこの町へやって来た最初の日、松江城で隼(じゅん)に会った際、彼は言及してたろう? 市内には、他にも松江藩由来の武具等、遺物がたくさん展示されているって。この歴史資料館もその一つだ。それでね、君と金糸子(かなこ)さんが画伯邸に不法侵入していた同じ頃、僕は隼とここを訪れていたのさ」
志儀(しぎ)は顔を赤らめた。
「あ、その件はもう忘れていいからっ」
歴史資料館には松江藩士の武具――刀剣や鍔(つば)、鞍(くら)や鐙(あぶみ)などの馬具、母衣(ほろ)に弓矢、笠に旗、鎧櫃(よろいびつ)……様々な遺物が所狭しと並んでいた。
市の管轄で拝観は無料なのだが、平日ということもあり館内は興梠たち以外に人影はなく森閑としている。
くすんだ緑色のリノリュウムの床を軋ませて興梠は急いだ。
「色々興味深いものがあるんだが――残念ながら、今日は全部見ている暇はないからね」
様々な展示物の前を足早に通り過ぎる。やがて至った目的の場所――
「さあ、これだ」
「?」
「確認したかったのはこれだ。見たまえ、フシギ君、君はどう思う?」
それは堂々たる甲冑だった。松江藩家老・大橋茂右衛門(おおはししげえもん)家伝来とプレートに記されている。
第一声、少年は叫んだ。
「カ~ワイイ! この家老って女学生趣味だったんだねぇ!」
兜(かぶと)の先端を指さして、
「これ、ハートじゃないか!」
「と思うだろ?」
探偵はニヤリとした。
「ところが、これはハートじゃない。日本に古代から伝わる文様なんだ」
「え、嘘! どうみてもハートにしか見えないよ」
「嘘なものか。古くは古墳から出土した刀剣にもこの文様は刻んである」
帝大卒、美学を修めた探偵は澱みなく続ける。
「現代人の君は先にトランプや書物等で ♥ を〈ハート〉と脳裡に刻んでしまったから、この形を見るたびハートとしか認識できないだけだ。だが、古代の日本人はそうではなかった。彼らにはこれは魔力ある〈破邪の文様〉だった。だから、武器に好んで多様されたのさ」
改めて兜を眺めながら、
「ここ松江藩の合印(あいじるし)はこの ♥ なんだよ」
「そうなの? 僕ならこんなマークの付いた剣や兜、強そうというより『カワイイ!』としか思えないけど」
探偵の声が一段、低くなった。
「そして、最も肝心な点は、この文様の名だ」
「?」
「この文様 ♥ は〈猪目(いなめ)〉と言うんだよ」
「いなめ……」
「そう、猪の目と書く」
「あ!」
興梠は先刻届けられたPENDUからの手紙コピーを取り出した。
「この絵柄の意味しているもの。赤く塗られた猪の目は、まさにこのことを意味していると思わないか?」
「流石、興梠さんだ! 凄いや!」
助手は小躍りして拍手喝采した。
「今度ばかりはPENDUも形無しだね! こんなにあっさりと絵の謎を読み解かれるなんて、きっとPENDU自身も思ってないだろうな! いい気味だ! この光景を見たら地団太踏んで悔しがるはずだ!」
「!」
興梠は雷に打たれたように身を強張らせた。
〝この光景を見たら〟だって? いや、待て――
この光景を見たらPENNDUは悔しがる? 果たしてそうだろうか?
妙な違和感――口の中がザラつくような不快な感じがした。
改めて気づいたのだが、今回の謎は今までに比べて簡単な気がする。
と言うより、合図のようではないか? 宛ら、俺が解くことを予期しているような――
まさにその時、背後から声がかかった。
「興梠さんですか?」
「!?」
振り向くと、そこに立っていたのは紺色の事務服を来た見知らぬ女の人だった。
( 何故、俺の名を? )
刹那、状況が把握できず興梠も助手の志儀もポカンとしてしまった。
漸(ようや)く気を取り直して頷(うなず)く。
「はい。僕が興梠ですが?」
「良かった!」
女性はホッとした様子だった。安堵の笑みを漏らすと、駆け寄って来て手に持っていたものを差し出した。
「これを預かっています。お見えになったら渡してほしいとのことで――」
白い封筒。
「僕に? どのような人でした?」
「それはわかりかねます」
制服の女性の話では、気づくと受付の机の上に置かれていたとか。メモが張られていて――
それも見せてくれた。定規を使って書いたあの四角張った文字で、はっきりと、この甲冑の前へやって来た人が興梠氏だから、ぜひ渡して欲しいと書かれていた。
「では、確かにお渡ししました。失礼します」
「……お手数をおかけしました」
興梠を激しい眩暈感が襲った。
全て手玉に取られている……!
助手の言葉ではないが、PENDUはこの光景さえ見ている?
背筋が凍りついた。
PENDUは俺が〈猪目〉の謎を易々(やすやす)と解くことを読んでいた。わかっていたのだ。
そして、ここへ来ることも?
いや、それ以前に、俺を呼び寄せるために猪目の絵手紙は書かれた?
この最新の手紙を俺に渡すために、だ。
そもそも、俺が隼と歴史資料館を訪れて甲冑や合印を見たことすら、知っていた可能性がある。でなければこれほど手際のよい真似ができるはずないではないか?
PENDUは身近にいる?
怪物(モンスター)は誰だ?
怒涛の如く打ち寄せる疑問……渦巻く疑惑……
溺れている人を陸へ引っ張り上げるようにして、助手が探偵の腕を掴んだ。
「興梠さん!」
「あ」
「なんて書いてあるの、それ! 早く……中を見ようよ!」
「そうだった――」
封書の中には便箋が1枚。
今度のPENDUからの手紙に〈絵〉はなかった。
今回は〈文字〉ばかり。
その、定規を使った角ばった〝文字だけ〟の短い手紙は、今まで一番謎めいていて、一番、身の毛のよだつ恐ろしいものだった。
探偵の肌が泡立つ。
両足に力を入れて、辛うじて姿勢を保ちながら興梠響(こおろぎひびき)は思った。
足立(あだち)警部補はさっき何と言った?
そう、その通りだ
( 一日に、3通の謎の手紙は多過ぎる……! )
《 最後通牒
お嬢さんたちの命は 明日の日没まで。
お嬢さんたちは 何処にいる?
お嬢さんたちを 見つけよう!
謎を解いて お嬢さんたちを見つけてね?
謎は全てこの手紙の中にあります。
PENDU 》
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