第32話
「う?」
それは奇妙な手紙だった。
絵だけ。文字はない。
1羽の〈孔雀〉が、流れるように軽妙なタッチで描かれている。
それだけではない。
「?」
裏を返すと、そこにも、今度は――
「9羽の雀?」
「なんだ、これは?」
〈雀〉が9羽描かれている。
興梠(こおろぎ)は一緒に覗き込んでいる
「大槻さん、貴方はこの絵の意味がわかりますか?」
「僕が? まさか!」
画伯の有能なる秘書は即座に首を振った。
「これは先生が貴方に当てた手紙です。貴方に伝えたい何かがあったのでしょう。だから――貴方ならわかるはずだ」
( なんだろう? )
昨夜の碧明(へきめい)との会話を思い出す。
―― いいかい? 《少女舞曲》だよ。
―― 9枚の絵に9人の少女。それこそが正しい勘定だ。
「――」
こうして、また謎の上に重ねられる謎。
新しい絵手紙だが、そこにはPENDUの署名はない。これは千野碧明(せんのへきめい)からの手紙なのだ。
一枚の紙に描いてあるという点も興梠は気になった。急いでいて時間がなかったからか? それとも、表裏一体のこの描き方自体に意味がある?
と、母屋の方で何やら騒ぐ声がした。
「はっ? 先生がお帰りになった!?」
パッと顔を輝かせて走り出す大槻。興梠も封書をポケットに入れると後に続いた。
「どうしたんです?」
「一体何事です!?」
声が響いている洋間の応接室に飛び込んだ二人。
部屋には綾(あや)夫人を取り囲むように貞(さだ)や金糸子(かなこ)、志儀(しぎ)もいた。
興梠の顔を見て隼(じゅん)が叫ぶ。
「あ、響(ひびき)! 見てくれ、これが――また郵便受けに」
綾は震える指で興梠に封書を差し出した。
「たった今、女中の一人が見つけたんですのっ」
「?」
表には、前回の謎の絵手紙と同様、定規を使った角ばった字で千野邸の住所と画伯の名が記されていた。
中は……
〈猪〉の絵。
そして、PENDUの署名サイン。
猪の目は血の色で赤く塗り潰してあった。
「ああ……」
夫人が失神した。
夫人を寝かしつけ、医者を呼び、足立(あだち)刑事に連絡した。
「一日に、2通の謎の手紙は多過ぎる……!」
再び馳せ参じた足立警部補は露骨に舌打ちをした。その様子は確かに蛇に似ている。骨ばった手で2通の封書を掴むと、
「ともかく、どちらも預からせてもらうよ」
やんわりと興梠が抗議する。
「画伯からの手紙は僕が個人的にもらったものですが……」
「わかったよ。では、コピーを取ろう。画伯宛ての猪の方も模写して、そちらは君に残すよ」
「ご配慮、感謝します」
大槻と隼が分担して完璧に模写した。
それらを持って、念のため警護に2名の警官を千野邸に残すと足立は警察署に戻って行った。
見送った玄関先で、隼を手招いて興梠は言った。
「僕とフシギ君はちょっと出かけてくる。君は夫人についていてやってくれ。それで――君の車を借りたいのだが」
「どうぞ、好きに使いたまえ」
隼は快くポケットからキイを出して渡してくれた。
「何処へ行くの、興梠さん?」
助手席に乗り込むや志儀が訊いてきた。
「実はね、今度のPENDUからの手紙の意味はすぐわかった。だから、それが正しいかどうか確かめに行くのさ」
少年は興奮してピュッと口笛を鳴らす。
「凄いじゃないか!」
「だが、画伯からの方は全くわからない」
「もう一度、僕にも見せて」
探偵から渡されたそれをじっと見つめる助手。
「1羽の孔雀と」
ひっくり返して、
「9羽の雀か」
「ああ」
「ウジャウジャいるねえ? なんか、踊っているようじゃない?」
「ああ」
志儀は孔雀より雀たちが気になるようで、そちらを上にしたままじいっと見入っていた。
やがて唐突に、
「〝踊っている〟と言えばね、僕、昨夜、変なモノを見たんだよ」
「え?」
「まあ、人形の部屋なんか見て、怖い思いをした後だから。その影響で幻か、でなきゃ夢だったのかも知れないけど……」
朝になったら興梠さんに話そうと思っていたのだが、何しろ早朝から画伯失踪の連絡で話す暇がなかったのだ、と志儀は言った。
「そうか。では、車に乗っている今、詳しく話してごらん」
「僕ね、昨夜、1時頃かな、トイレに起きたんだ」
唇を嘗めてから志儀は話し始めた。
「興梠さんは熟睡してた。僕は例の人形のこと思い出して怖かったんだけど、そこはぐっと勇気を出して、一人で部屋を出た。階段を下りようとして、あそこ、踊り場に窓があるだろ、何気なく下を見たら――
庭のちょうど鳥小屋の前辺りに女の人の影が見えた。洋装でね、スカートをヒラヒラさせてスッ-ッと縦に駆けて来て……消えちゃった!
ほんの一瞬だから目の錯覚かも知れない。そう思って、とにかく一階のトイレに入った。戻って来て、また何気なく窓を覗くと――」
志儀は唾を飲み込んだ。
「また女の人が見えたんだ! しかも、今度はさっきとは違って、真横の方向へ髪を靡かせてスゥーーーッと消えて行く。なんだか、フシギな舞踏を見てるようで、布団に逃げ帰ってからも、目を瞑るとね、暗い庭をあっちこっち駆け回る女のヒトの影がちらついて、そりゃあ、もう、恐ろしかったな!
でも、何処からが夢で何処からが本当にあったことかは自信がないんだよ」
神妙な面持ちで助手は探偵を振り仰いだ。
「ね? どう思う興梠さん?」
膝の上の小鳥たちに視線を戻す。
「今この絵を見てると、鳥たちが縦と横……垂直と水平にこう、ズラッと並んで……交叉して……踊っているように思える。僕の目に残る昨日の、夜の庭の女の人たちの残像に、なんか、ダブっちゃってさ。思い過ごしだろうけど目がチラチラチカチカするよ」
ハンドルを握る探偵の、眉間に皺を寄せた険しい顔。それを横目で見つつ少年はそうっと手紙を返した。
「あ、僕、また馬鹿なこと言った? だったら、忘れていいよ!」
「いや、とても大切な話だよ」
なんだろう? 何かが蠢いている。頭の奥で。
多分、志儀が見たものは、本人が認めている通り、恐怖心が生んだ幻影だろう。
真夜中に庭を走り回る女などいるはずがない。だが――
少年の幻覚は妙に探偵を刺激した。
画伯の言葉が木魂(こだま)する。
―― 《少女舞曲》だよ。何故私がこのタイトルを選んだと思うね?
( 孔雀と雀…… )
キキキッーーー
興梠は強くブレーキを踏んだ。
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