第29話

「脅かさないでくださいよ」


 興梠(こおろぎ)はグラスを持ってカウンターに移動した。

「いや、一度やってみたくてねえ!」

 隣に座った探偵に刑事は三白眼を細めて目配せする。

「ほら、小説や映画なんかであるじゃないか! 事件に行き詰まって悩んでいる探偵/注文していない酒が置かれる/ハッとして顔を上げる/『あちらの方が』/……いいねぇ! 痺れる名場面だねえ!」

「……あなた、意外にお茶目なんですね?」

 自分のウィスキー・ソーダ―のグラスを探偵のグラスにカチンと当てると、

「美意識があると言ってもらいたいね。君たちにはどう見えるか知らないがね、私だってこれで、マイルズ・ブリードやエラリー・クインに憧れた若い日はあるのさ」

「ええ。警部補はヘンリー・ウィルソン警視ばりにやり手だってことは認めますよ。僕を張っておられる?」

「まあ、君というより君の〝周辺〟だな」

 足立(あだち)警部補は頷いた。

「佐々木(ささき)画伯も、千野(せんの)画伯も、今回の件では皆、立派な容疑者じゃないか! 君だってそれは感じ取ってるんだろう? 何しろハイカラな神戸からやって来た名探偵とくれば!」

「――」

「そんな顔をするなよ。なに、この間の謎の手紙の解読情報のお礼に私からも情報をあげようと思ってね」

 背広の内ポケットから手帳を取り出す。

「勿論、ほっといても、君なら行き着くネタだろうが、手間が省けるに越したことはないだろう?」

 蛇のように舌で上唇を嘗めながら頁を繰って行く。

「まず、我々が綿密に調査した結果として――拉致された4人のお嬢さんたちの間にはに全く親交がない。交友関係は皆無だよ。それから、拉致された正確な時間帯は依然わからない」

 警部補はスツールを滑り降りた。ふと思い出したように、

「ああ、今、君が密会していた画伯夫人ね、あの人の御実家は――例の美保関(みほのせき)なんだよ。偶然だろうがね」

「!」

「ま、こんなところだ、じゃ!」

「あ、足立警部補! もうひとつ」

 ソフト帽を被って手を振る刑事を興梠は呼び止めた。

「綾(あや)夫人の旧姓は何と言うんですか?」

「千野綾(せんのあや)のか? えーと、たしか、木嶋(きじま)だったな。今は廃業した木嶋酒造のお嬢さんさ」

 (フシギ君、ひょっとしたら、君は正しいかも知れないよ?)

 探偵は刑事に奢られたカクテルを飲み干しながら呟いた。


  ―― 今回の事件では、容疑者は全員、鳥の名を持ってるんだ!


 木嶋綾  いた! ここにも鳥が。


   キジマアヤ


 ( 雉(キジ)か…… )


 待てよ?

 興梠は胸ポケットから例の謎の絵手紙コピーを取り出した。


 改めて眺めるとこんな風にも読み取れるではないか!


 鯛と青は美保神社=美保関と言う地域を指す。そして、半鐘は恋に狂う女。鷦鷯(ミソサザイ)はその恋の相手の名だ。

 問題は茶碗だ。

 僕は読み間違えた? これはラフカディオ・ハーンの短編ではなく、茶碗の〝中身〟が肝腎だった? 満たしているのが〈酒〉ならば、まさにこの地域の酒屋でその一人娘……

 絵柄の全てのベクトルは綾夫人を指している? 

 『犯人は自分だ』とこっそり告げようとしたのか?

  (でも、まさかな。)

 興梠は笑おうとした。また脳裡で助手の警告の声が響く。


 ―― 〝まさか〟じゃないよ! 一番怪しくないヒトこそ犯人だ!


「――」

 だが、動機は何だ? いや、元々犯人が怪物、サイコパスなら、動機はない?

 単に謎から謎を繋げ、引っ掻き回し、騒がせて面白がる――


 賑やかしは雀たち。


 〝騒がしい〟からの言葉の連想で興梠はいつかの夜の鳥談義を思い出した。

 雀は西洋歌では殺人犯人だし、日本では酒を飲み騒ぎ、或いは弔いの家の料理をする。

 雉(キジ)は日本書紀や古事記の古謡では〈泣き女〉。鷦鷯(ミソサザイ)は幡はたを捧げ持つ。

 鴉(カラス)は洋の東西に関わらず葬儀を執り行う司祭や僧侶――

鴉は槌田篤(つちだあつし)の自死のせいで2羽に減ったが足立警部補を加えればまた3羽だ。

 鴫(シギ)は灯りを掲げる。まあ、この場合は合っているな! 真実を照らす灯りだ。

 カナリアはいない。助手の言う通り鶫(ツグミ)の代わりに綺麗な声で歌を歌ってもらうとして……

 マザーグースの原曲を思い起こしていた探偵はふいに苦笑した。

 忘れていたが、虫繋がりなら、興梠、俺は甲虫と同じだから、死装束を仕立てる役だな?

 確かこんな歌詞だった――


 


   《 誰が作る 死装束を? 

     それは私ですと甲虫が言った

     私のこの糸と針を使って 私が死装束を縫い上げましょう 》 


 


 馬鹿な。

 手紙の端に記されたPENDU、絞首刑執行人の署名サインに目をやって探偵は肩を聳やかした。

 俺まで言葉遊びをしてどうする? それより――

 果たして本当にこの事件に動機はないのだろうか?

 俺は何か重大なことを読み違えている?





 カッフェを出ると、決心してその足で再び画伯邸を目指した。

 既に日は暮れていたが、今日の内にもう一つ、できれば二つ、はっきりさせたいことがあった。

 二つとも秘書の大槻祐人(おおつきゆうじん)に訊けば簡単に答えは得られるはずだ。


 綾夫人が見たという〈秋の絵〉を掛け替えたのか? 

 そして、アトリエには2階があるのか? 


 何(いず)れも、訊かれても隠す必要のない事柄である。





 画伯邸の玄関で、大槻に会いたい旨伝えると、一旦、内へ退いた貞(さだ)が戻って来て告げた。


「どうぞ、アトリエへ」


 アトリエ(そこ)で話を聞くということらしい。

 案内した貞が丁寧に頭を下げてドアを閉める。興梠は満ち足りた思いで、連作絵の前に立った。

  ( ああ! やはり何度見ても素晴らしいな! )

 至福の時間。陶酔の世界。

 興梠は心行くまま、存分に堪能した。

 だから、そのせいで、ドアが開き、背後に立った人物が誰か、すぐにはわからなかった。


「興梠君……」

「!?」






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