第27話

「まず、自分が何をしたか、よくわかっているんだろうね?」




 あの後、ほとんどパニック状態で逃げ帰った志儀(しぎ)と金糸子(かなこ)だった。

 悩んだ結果、探偵に全てを洗いざらい告白した上で、今後のことは探偵の判断に委ねるのが一番良いという結論に至った。

 それほど、今日画伯邸で見た光景は若い二人の手に余る、異常なものだったのだ。

 夕刻、愛車で帰って来た画家と探偵。

 夕食まで絵を描くと言って隼(じゅん)が画室に篭ったのを幸いに二人は興梠(こおろぎ)を2階へ引っ張って行った。

 そこで、一部始終――自分たちの今日の冒険談――を披露し終えたところ、この一喝である。


「はい。凄く、反省しています」

 首を縮めてモゴモゴ応える助手。

「その上、金糸子さんまで巻き込んで――」

 しょげ返って並んで座っている女学生へと視線を転ずる興梠響(こおろぎひびき)。

「いえ、私が悪いんです。年上の私が止めるべきでした。でも、つい、好奇心に勝てなくて。協力してしまいました。私も同罪です……」

 庇うように志儀が急き込んで言う。

「でも、とにかく、物凄く変な……不気味な部屋だったんだよ! 僕の話聞いたでしょ? 画伯の屋敷にあんなヘンテコな薄気味悪い部屋があるなんて……!」

「フシギ君。他人の趣味をあれこれ言う権利はない。憶えておきたまえ」

「えええ? じゃ、アレは趣味だって言うの? どう見たって、常軌を逸してる! 僕、金糸子さんが戻って来るまでの1時間」

「20分です」

「え? そう? 20分?――でも耐えられなかった! 気が狂いそうだった!」


 その部屋は……

 人形部屋だった!


 左右と奥、3面の壁いっぱいに設しつらえた特製の棚にズラリと並べられた人形たち。

 日本の市松人形もあれば、セルロイドのアメリカ人形、陶製のビスク焼きのドイツ、フランス等欧州の産もあった。

 大きさも様々。そのどれもが煌びやかな衣装を纏っていた。

 床に敷かれた布団の中に寝かされていたものもある。転がり込んだ志儀が暗闇の中、最初に触ったひんやりした手触り――長い髪の感触がそれだった!

 何なのか、その正体を知ろうと恐る恐る電気をつけた志儀の目に飛び込んで来た部屋の全容……


「ホントに気絶するかと思った! だって部屋中、人形! 人形! 人形! 人形の山なんだよ?」

 少年は両手を振り、上擦った声で訴える。

「でも、何と言っても一番吃驚したのは中央の揺ゆり籠かごに入ってるやつ! 揺り籠自体も真っ白いレースのフリルで飾られていて――あの揺り籠はホンモノだと思う!」

 嫌悪感を抑えられないという風に鼻の頭に皺を寄せて、

「その中に赤ちゃんの人形が眠っているんだ! 純白のベビードレスに毛糸のちっちゃい靴下、羽根布団に包まって……」

「この件は」

 興梠は虚空を見つめてきっぱりと言った。

「僕が引き受ける」

 厳しい眼差しで申し渡す。

「だから、君たちは今日のことは一切口外してはいけない。実際、君たちは不法侵入という犯罪行為をしたのだからね? このことがばれたら、咎められるのは君たちだよ。だが、今回は僕が何とか片をつけよう。その変わり、よぉく反省して二度とこのような真似をしないように」

 二人の顔を順番に覗き込んで、念を押した。

「わかったかい?」

「わかりました」

「わかりました」

「ああ、金糸子さん?」

 膝の上に拳を握って項垂(うなだ)れている女学生に探偵は言い添えた。

「この件は、隼――お兄さんには内緒にしてくれませんか?」

「え? でも?」

 金糸子は頭(かぶり)を振った。

「私……そうは行かないわ。正直に……ちやんと兄にも話さなきゃ……」

「その必要はないよ。と言うか、これは僕からのお願いだ。原因を作ったのは僕の助手だから、現在逗留させてもらっている僕の立場のためにも、ここはひとつ、秘密にしておいて欲しい。どうだろう?」

「あ、あ、ありがとうございます!」

 深々と頭を下げるとワッと泣き出して金糸子は部屋から飛び出して行った。

 流石に今回の件は兄に話すにはバツが悪い。大目玉を食らうのが予想される。興梠は〝自分のため〟と偽って女学生を窮地から救ってやったのである。探偵の心遣いを即座に読み取って志儀は微笑んだ。

「フフ 興梠さんのそんな優しいとこ、好きさ」


 バン! 


 ――力いっぱい座卓を叩く音。

「いや! 君はこれからだ! 君には優しくしないからな! たっぷり叱ってやるから覚悟したまえ!」

「ひっ!」

 二人きりになった部屋で、もはや遠慮することはない。探偵の怒号が炸裂する。

「ったく! 何てことしてくれたんだ、君! 不法行為はやるなと、何度言ったらわかる! ここは世紀末のロンドンじゃないんだぞ! いい加減にしたまえ!」

「だって、いい着目点だと思ったんだよ!」

 部屋の隅へ後退しつつも助手は言い返した。

「正直、興梠さんも思うだろ?」

「――」

「あの塔の高さと実際のアトリエの天井の高さの違和感……絶対、あそこ、2階があるよ」

「そうだとしても、こっそり調査する必要はない。画伯に直接聞いてみるべきだったのだ。警察だって、本当にその必要があれば家宅捜索をするだろうし」

「でも、警察だと、証拠固めとか色んな手続きが必要なんだろ? 僕、待ち切れなかったんだよ。時間がないって興梠さんだって言ったじゃないか!」

  ゴクリ、唾を飲み込んで、

「4人も女の子たちが連れ去られてるんだよ! 今日で何日目さ? もう遅いかも知れない! あの絵手紙の後、犯人からは何の連絡もない。接触は途絶えてる。ひょっとして4人はとっくに……」

 一切反駁することなく探偵は口を閉ざした。

 千の言葉より沈黙が全てを語っていた。探偵の懊悩と煩悶を。焦燥と怯懦、そして憤怒を。

 もちろん、その怒りは僕へではない。

 志儀は悟った。連続少女誘拐犯PENDUへの激烈な怒りだ――


「ごめんなさい、興梠さん。僕また物凄く面倒かけちゃったんだね? 助手失格だね? クビにする?」

「……そんなことはしないさ」

 探偵は静かに口を開いた。

「叱ったのは、君の無鉄砲さを心配したからだ。この種の行為は時に命に関わる。取り返しの着かない危険を招くこともあるからね。それに、ある意味、感謝もしている」

「え?」

 意外な言葉に少年の顔がパッと輝く。

「今回の君たちの無謀な行為で、僕は一つ気づいたことがある――ひょっとしたら、事件解決の端緒になるかも知れない」

 やり方はどうあれ少年少女は扉を開いてくれたようだ。

「本当? で、それ――気づいたこと、端緒って何?」

「悪いが、今はまだ言えない」

「チェ。じゃあ、いつか教えてくれる?」

「ああ。その時が来たらね」

 思い出したように興梠は続けた。

「今日までの僕の日々……経験した事柄で君に語っていないことはまだまだたくさんある」

 いつになく真摯な声だった。

「だが、全てを語れるとしたら、その相手は君だけだ。僕はそう思っている。だから――待っていてくれよ」

「OK。未来の約束ッてことで」

 志儀はわざとオチャラけてそう返したのだ。せかせかと立ち上がる。

「じゃ、僕は金糸子さんの手伝いをしに行くよ。お風呂の用意をするのを毎日手伝うって約束したんだ」

 襖に手をかけてから、ぼそっと言った。

「『待っててくれ』は僕の台詞さ」

 鼻を擦ると後ろ向きのまま志儀は言った。

「あのさ、僕だっていつか大人になる。僕の夢は貴方と大人同士の付き合いをすること。その時こそが本当に役に立つ『助手』になれる――」

「フシギ君――」

「だから、〝待ってて〟よ、興梠さん!」

 志儀は物凄い勢いで階段を駆け下りて行った。


  (いや、君は今だって充分にいい『助手』だよ。)


 情熱は命なりしを。若さこそ誇りなりしを。


 今回の二人の若者の無謀な行為を本気で責められない自分がいる。

 失敗や後悔ばかりの日々が、時に、何故こうも懐かしいのか?

 皆、そうなのだろうか? 貴女(あなた)もそうですか?

 窓の向こう、日暮れて行く山陰の空へ向かって孤独な探偵はつい呟いた。

 想い出すことがありますか?

愛に引き摺(ひきず)られ、苛(さいな)まれたあの若い日々をのことを。

 杏子(きょうこ)さん? 

 そして――


 綾(あや)夫人?




 興梠は画家宅の電話で千野綾(せんのあや)に連絡を取った。

 謝罪と確認。

 この種のことは早い方がいい。




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