第24話

「ご苦労様。でも、お客様なのにこんなことさせてしまって申し訳ないわ。美味しい和菓子のお土産もいただいたのに……」

「なあに、これくらい当然ですよ! 毎日厄介になってるのに。他に、僕にできることがあったら何でも言ってくださいっ!」


 夕景の庭の片隅。

 風呂に水を張る手伝いを買って出た志儀(しぎ)に恐縮して礼を言う金糸子(かなこ)だった。


「それにしても、これ、かなりの重労働だよ。毎日金糸子さんがやってるの?」

 井戸から汲んで、バケツにいっぱい入れた水を幾度も往復して湯船を満たす――

 昭和8年のチラシに製品化したプロパンガス風呂の広告が登場する。とは言うものの、戦前の家庭の風呂は薪(たきぎ)で焚き付けるスタイルが一般的だった。大変なことは大変なのだが、薪の燃える匂いは馨(かぐわ)しかった、と懐かしむ年配者は多い。そして何より、入浴している家族を思って湯加減を調節しては薪をくべる〝人〟の気配が至福だった……これは某作家の弁である。

 佐々木家の浴場も庭の一角、例の鳥小屋からはもう少し母屋の厨房寄りに設らえた三畳ほどの小屋で、その背後に焚き付け竃(かまど)、張り出した屋根の軒下には薪が積んであった。

 水汲みが日課なのかと問われて、女学生はおさげ髪を揺らして首を振った。

「ううん、普段は、お風呂の水を張るのは兄様の役目なの」

 だが、今日は兄の帰りは遅くなりそうだ。画家仲間の定例懇親会が盛り上がっているのだろう。最後は酒楼へ雪崩れ込むのが常らしい。

「僕、炊きつけも手伝うよ!」

「本当にありがとうございます――あら、これはなぁに?」

 少年のズボンのポケットから零れ落ちた手帳を金糸子は拾い上げた。白い手で土を払って持ち主に返す。

「あ、どうも!」

 受け取りながら得意げに鼻を蠢かす少年助手。

「ふふ、僕の推理ノートさ!」

 さっそくページを開いて説明する。

「ほら、今回の事件で、鳥の名を持つ人たちが怪しいと僕は睨んでるんだ。書き出してみたよ。どう?」

「えええ? こんなにいるの? 私たち兄妹や志儀君だけじゃなく? こうやって見ると……偶然にしては……何か引っかかるわね」

「興梠(こおろぎ)さんにはハナで笑われちゃったけどね」

 パタンと手帳を閉じる。我慢できずに志儀は打ち明けた。

「でもさ、僕にはもうひとつ、取って置きの推理がある」

「?」

 目を瞬(しばたた)く金糸子。

「僕、気づいたんだよ。アトリエの〝高さ〟に」

「どういうこと?」

「外から見るとさ、アレ、塔のようだろ? だけど、中に入った感じではそれほど天井は高くなかった。

 高窓の位置がね、外から見ると天辺に届いてるわけじゃなく、上部に結構スペースがあるんだよ。それなのに室内で見ると高窓は天井にほぼ届いてる」

志儀は力説した。

「変だと思わないか?」

「……何が言いたいの?」

「つまり、2階があるんじゃないかってこと」

 意味深に声を低くする。

「だとしたら、どこかに階段があるはずなんだ」

「なるほど。階段があれば、2階へ上がれるってことね?」

「いや、問題は、もっと先、その2階に何があるか、さ」

「あ」

 女学生も気づいて手で口を覆った。

「まさか、志儀君……2階のその部屋にいなくなった少女たちが隠されてると思ってるの?」

「そう。何とかして確かめられたらいいんだけど」

 だが、興梠さんはだめって言うだろうな。でなきゃ、僕のこの推察をまた足立警部補に丸ごと横流しして、その結果、全て警察の手柄となってしまう……

「目に見えるようだよ」

 志儀は肩を竦めた。

「あの人の欠点は欲がないことなんだから。なにしろ、大病院の一人息子育ちだからね」

 金糸子がクスクス笑う。

「あら? 志儀君も大会社の社長令息だって兄様から聞いたわ。海外にも人気のレース会社の御曹司なんですってね?」

「あ、いや、その」

「私も、名前は知っててよ。〈海部レース〉……! 神戸の本店では売り子さんたちが全員、有名な純白のエプロンで応対してしてくれるんでしょう? 陳列ケースに並んだお洒落な品々……ハンカチ、飾り襟、化粧ポーチにヘアバンド……」

 乙女の空想の翼は留まることを知らない。

「ああ! 少女小説の世界だわ! ハイカラな港町のチャペルで、綿菓子みたいなレースに包まれた可愛らしい花嫁さんと結婚式を挙げる志儀君の姿が見えるようよ」

「 結婚式ぃ?」

 そんなこと今の今まで、一度たりとも志儀は考えたことはなかったけれど。

 だが、今は見える。こんなにはっきりと!

 ――まあ、祝福の拍手している友人の中に興梠さんやチワワがいるのはいいとして、花嫁……その人こそ……

「ねえ? 志儀くん、私でよかったら」

「え?」

「私、よくってよ!」

「ひえええ!」

 裏返る声。ガラガラッと薪の山を崩して壁際まで少年は跳び退った。

「ほんとうですか、金糸子さん! こんなに早く、僕の思いを感じ取って、受け入れてくれるなんて! 夢のようです! 順調すぎるっ」

「だって、私も知りたくて我慢できないんですもの」

「知りたいって? うわぁ! そ、そ、そんなに僕のことが?」

「え? なぁに? 私の言ってるのはアトリエの2階に隠されているもののことよ?」

「――」

「幸い、私、兄様に連れられて何度か画伯邸にお邪魔してるから、大体の家の構造はわかってるわ。だから、こっそり侵入して、2階への階段を探すお手伝いができるはず!」

「あ、はは……そっちね? あはははは」

 中学生の落胆には気づかず女学生はパンと両手を打ち鳴らした。

「ね? これって、名案じゃなくって? 二人でやってみましょうよ? それに、私、いい作戦を思いついたわ!」

「そ、そうだな! 金糸子さんが力を貸してくれるなら――出来ないことなんかなさそうだ」

 漸く志儀は立ち上がった。拳を握って夕焼けの空に突き上げる。

「全て上手く行きそうだ! まさにこれこそ〈鬼に金棒〉ならぬ、〈志儀にカナコゥ〉ってね!」

「あら、お上手! 志儀君たら外国語のみならずユーモアのセンスも抜群ね!」

「あは、あはははは…」

 好奇心に満ち、冒険に焦がれる若者の軽率な行為が何をもたらすか――

 この時の二人にはわかっていなかった。






「出かけただって? 二人でかい?」


 翌日。6日目の朝。


 起きて来た探偵の、鳩が豆鉄砲を食らったような顔に青年画家は噴き出した。

「なんだ、聞いてなかったのか?」

 座敷で新聞を読んでいる隼じゅんもまだ寝間着姿だ。紙面から顔を上げると、

「今日は日曜だし、君のところの中学生助手君とウチの女学生で、名所巡りをするそうだ。張り切って早朝から台所で動き回っていた音が寝床まで聞こえたよ」

「ああ、だから……朝方からこんなにいい匂いなのか!」

 探偵が深呼吸する。甘い匂いが画家宅に満ちていた。

「まあ、たまには若い者同士でいいじゃないか。それとも、なんだ――心配か?」

 隼は呵々笑った。

「大丈夫だよ。金糸子は面倒見がいいから任せておけばいい。あいつも弟が出来たみたいで凄く嬉しそうだったぞ」

「弟……」

 What a POOR boy he is!

「それより、これ」

 差し出された新聞には昨日の大々的な美保関みほのせきの門前町全域捜索の記事が写真入りで載っていた。

「ダメだったらしいな!『収穫は皆無』『拉致された4人の少女たちの行方は以前不明…』『早朝から県警100人動員しての捜索も空振り…』」

 登校する小学生や女学生を掻き分けて狭い道に溢れた警官たち。写真には指揮を取る足立警部補の姿も写っていた。

「ああ。昨日、この一斉捜索の件で、足立警部補から直々に報告があったよ」

 昨夜、隼は遅い帰還となったので興梠は警部補との邂逅について話していなかった。

「ふーん? ガセネタをよくも教えたな、と嫌味を言われなかったかい?」

「いや、そこまでは」

 苦笑する探偵。新聞を畳んで隼は言った。

「そうだ、よかったら、今僕が描いている絵を見るかい?」

「喜んで!」



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