第23話

 パパパパァアアアン!


 いきなり背後で鳴らされたクラクション。

 探偵もその助手も飛び上がった。

 二人とも今しがた聞いたばかりの槌田智(つちださとし)の兄、篤(あつし)の死の謎について深く考え込んで、顔を伏せて歩いていたせいだった。


 パパパアーーン!


 見知らぬ街で、旅人である自分たちに向けて鳴らされるクラクションだと……?

  ( 誰だ?)

 不審げに顔を上げた途端、この謎は一瞬で解けた。

 真横に着けられた黒塗りの車――警察車輌英国フォード《テン》――の窓から顔を出したのは――


「足立(あだち)警部補!?」


「やあ、興梠(こおろぎ)探偵殿! 昨晩は貴重な情報をありがとう!」

 ソフト帽を持ち上げて、

「尤も、あの程度の絵柄の解読は我々も簡単に行き着いたのだが。礼儀はわきまえているのでお礼を言わせてもらうよ」

「いえ、お礼など。少しでもお役に立てればと思ったので」

「ぷぷ。負け惜しみ言ってらぁ!」

「フシギ君、君は黙っていたまえ」

 探偵は噴き出した少年の腕を引っ張って背後へ引き寄せながら、

「それで――何か進展はありましたか?」

 刑事は薄い唇を引き締めた。

「うむ、折角貴方にいただいた情報を無駄にしては失礼と思い、今朝から美保(みほ)・八束(やつか)……門前町一帯を捜索したんだがね」

 骨ばった指でハンドルをトントンと叩く。

「それこそ、一軒一軒、虱潰(しらみつぶ)しに見て回ったんだが――」

「どうでした?」

「何もなかった」

 警部補の蒼白の顔が無念さに歪む。

「拉致された4人の少女たちの姿は美保関(みほのせき)では発見することが出来なかった……」

「それは、残念です」

「全くだよ。こうなると、あの絵手紙の解読を1からやり直さなくてはなりませんな」

 苦々しく吐き捨てる警部補。一方、興梠は首を傾げた。

  (果たして〝別の意味〟があるのだろうか?)

 少女たちの隠し場所ではなかったにせよ、あの場所には何か重大な意味があるはず。PENDUの描いた絵柄があの地域を示していると言う解読が間違っているとは、興梠には思えなかった――

「ま、一応ご報告ということで。では、失敬」

「あ、待って刑事さんっ!」

 走り去ろうとした警部補を呼び止めたのは志儀(しぎ)だった。

「な、何だね?」

 これには、興梠も吃驚する。

「フシギ君?」

「お願いがあります。どうか警部補さんのお名前をフルネームで教えてください!」

 大真面目な顔で少年は言うのだ。

「僕、記録係なんです。探偵の関わった事件ではどんなことも逐一、事細かに、委細構わず記録していますっ」

  (え? 本当かよ? そんな話、初めて聞いたぞ?)

 目を瞠る探偵にウインクしてから、

「そういうわけですから、ぜひお名前を!」

 警部補は頬を掻いた。

「……私の名は、足立六郎(あだちろくろう)だよ。〈足〉に〈立〉つ。数字の〈六〉に野郎の〈郎〉さ。これでいいかな?」

「ありがとうございました!」

 少年は深々とお辞儀をした。

 走り去る警察車輌。顔を上げると一言。

「ありゃ、だめだな」

「これ、フシギ君」

「だって、賭けてもいい。あの刑事には全然謎など解けっこない。謎解きに向いてないもん。これでハッキリした!」

「ハッキリしたって、何が?」

 志儀は神妙な顔で、

「僕、気づいたんだよ、今回の事件では〈鳥〉が鍵なんだ。関係者は全て鳥に関わりを持つ。で、あの刑事は、自分も〝その一人だ〟と言う自覚すらない! これこそ、致命的じゃないか!」

 助手は書き留めた手帳を得意げに示した。


       

         足立六郎



「ほら! 彼も鳥の名だ!」 


         

        アダチロクロウ   



 なるほど、鳥が隠れている。

 興梠は微苦笑して、

「クロウ……カラスか!」

「そうだよ。4羽目の鴉さ。だからね――」

 少年は唇を嘗めながら、

「つまり、今回の事件ではあの刑事も容疑者の一人だ!」

 即座に探偵は首を振った。

「フシギ君、君の推理は面白いけどね、そんなのはあくまで探偵小説の中でしか通用しない理論と設定だ」

「そうかな?」

 少年は頬を膨らます。

「こんなに明白に鳥に纏わる人たちがウジャウジャいるのに――それこそ〝メジロ押し〟にね! ――絶対、この中に真犯人がいるんだ!」

 探偵は静かに息を吐いた。

「現実はそうドラマチックには行かないさ。名前に関しては単なる偶然だし、君の論法はこじ付け以外の何物でもない。それに」

 笑いをこらえて探偵は指摘する。

「鳥の名を持つ人物が犯人なら、君も候補に入ってしまうぞ?」

「何故笑うのさ、興梠さん、そうかも知れないぜぇ。PENDUは僕かも?」

「おいおい」

 呆れる探偵に助手は食い下がった。

「だってさ、犯人はいつも大抵〝一番怪しくないヤツ〟なんだ! これって探偵小説のセオリーだよ」

「だから――現実は小説とは違う。明智小五郎(あけちこごろう)のように行かないんだよ、フシギ君」

「ふん、僕が、今、尊敬してるのは帆村荘六(ほむらそうろく)だよ。暗号〈獏鵡ばくおう〉の意味なんて興梠さんじゃ永遠に解けないだろ? 帆村探偵は見事に解読したんだぜ」

「――」

「あ、そんなに傷ついた顔しないでよ。僕は本当のこと言ったまでだから」

「むしろ、今、もっと傷ついたよ」

 恨めしそうに探偵は助手を見つめた。今回、ノアローは帯同しなかったが、爪を立てる存在がもう一匹いる――

「何? 僕の顔に何かついてる?」

「いや、何でもない。ただ、僕はその、〈獏鵡〉を一発で解読した名探偵には似ちゃいないが、今の君は、アーサー・カーマイクルそのものだなあ、と思ってね」

「誰、それ?」

  (知らないのか!)

 一矢報いるとはこのこと。

 助手のキョトンとした顔を見て 探偵はニヤリと笑った。

「……君もまだまだだな」

「いいよ。とにかく――」

 志儀は人差し指を興梠に突き立てた。

「今回の事件で、まず容疑者から外れるのは〝虫の名を持つ〟貴方だ!」


  ピシッ!


「碧明(へきめい)画伯の場合はまだ本名を調べてないし、綾(あや)夫人も、旧姓を聞かなきゃならない。だから、この二人はさて置くとして、他は、槌田智君。彼も鳥の名を持たないから犯人じゃないな」

「名推理をありがとう。一応参考意見として心に留めておくよ」

 探偵は菓子箱を揺らしてさっさと歩きだした。

 その後ろ姿をじっと見つめる助手の目が金色に輝いている。

「――」


 少年助手を侮(あなど)るなかれ。


 実はもう一つ、もっと凄い推理があるのだ。

 今日、千野画伯邸の庭で発見したモノ。

 そちらの方を、志儀はまだこの場では明かさなかった。

 しかも、志儀がそれについて最初に明かした相手は探偵ではなくて……




※本編中、志儀が話題にしているのは

   

海野十三(うんのじゅうぞう)・著

《獏鵡》

昭和10年(1935)雑誌「新青年」5月号掲載。

   

一方、興梠が仄めかしたのは……

アガサ・クリスティの異色短編

 《アーサー・カーマイクル卿の奇妙な事件》

                 1933刊行「死の猟犬」収録。

    

神戸在住の探偵は原書でこれを読んでいる。たぶん。


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