第17話
「隼(じゅん)、君の本当の苗字は、〈鷦鷯〉ではないのか?」
暫しの沈黙。
やがて画家は厳しい表情で頷いた。
「ご明察。そのとおりだよ、響(ひびき)」
青年画家は認めた。
「僕の――というか、我が家の苗字は正式にはそう書く」
佐々木隼(ささきじゅん)は 鷦鷯隼だったのだ……!
「尤も、この〈佐々木〉の表記を使用し始めたのは親父の代からだ。〈鷦鷯〉なんて字、地元ならいざ知らず、全国的には読みづらいからと画家として活動を始めた際に切り替えた。まあ、本人が夢想したほど全国的に知られる画家になれなかったのは皮肉だがね」
ここまで言って、ハッとして顔を上げる。
「おい、響、もしや、僕が犯人だなどと疑っているのではないだろうね?」
興梠(こおろぎ)はサッと首を振った。
「いや、あくまで確認したかったまでだ。君の苗字が鷦鷯だったのは偶然だろう。この絵がミソサザイだということも君は知らなかったみたいだし」
興梠は画家の妹を振り返った。兄が疑われているのではないかと緊張して固まっている利発な少女。安心させるように微笑んで見せる。
「金糸子(かなこ)さん、貴女が真っ先に指摘されたように、犯人PENDUはこの手紙で〈場所〉を示したかったんだと、僕も思います」
金糸子は嬉しそうに微笑み返した。
「あの場所、美保関の門前町一帯が今回の事件に関わりがあると言うことですか?」
「多分ね。現段階では僕もそれ以上のことはわからないが」
「いや、場所だけではないかも」
唐突に画家が言葉を挟んだ。
「ここまでの処では、どうも、妹にさえやられっぱなしだから、ここらで僕にも、多少なりとも役に立つ意見を言わせてくれ。〈鷦鷯〉という苗字が出て来て、思い出した。この〈鷦鷯〉と言う名は独特の由来があってね……」
今度語り出したのは鷦鷯隼(ささきじゅん)だった――
ほとんどが父の受け売りだが、とまず隼(じゅん)は断った。
実父で日本画家の鷦鷯敏男(ささきとしお)は、若い頃、自分の稀有(けう)な苗字に興味を抱いて色々調べたそうだ。
「鷦鷯の名は島根県八束(やつか)郡美保町や松江市西川津町に多い。面白いことは、古代の日本人は鳥の名を好んだようで、仁徳(にんとく)天皇の幼名は日本書紀では〈大鷦鷯命オホサザキノミコト〉古事記では〈大雀命〉と記されている。
持統(じとう)天皇の諱(いみな)は鸕・野讚良皇女。
この〈鷯〉は《ササ(キ)》とも《ウ》とも読む。だから発音はウノノサララ皇女(ひめみこ)となる……
とまあこんな調子だ」
ここで一旦話を切る。煎茶を飲んで喉を潤してから、
「ところで、仁徳天皇の表記でわかるとおり〈鷦鷯〉は〈雀〉と同義だ。そして、古代天皇の御名代(みなしろ)部の名の一つに《雀部》がある」
御名代とは古代の部民制(べみんせい)の集団の一つ。大和朝廷に奉仕することを義務付けられた天皇直属の集団。私有民を指す。
「この出雲国にも《雀部》が存在したから、多分、〈鷦鷯〉の苗字はその部民の子孫なのだろう」
面白くなさそうに和菓子を齧っている中学生を睥睨しながら、隼は続けた。
「苗字の話はこれくらいにして、もうひとつ。今回の少女誘拐と暗合する気がしてならないことがある――」
「まあ、兄様、本当?」
吃驚する妹。少年助手も集中力を取り戻す。
「へえ? それは何? どういうこと?」
「さっきも言及したが、鷦鷯や鷯などの鳥を表す文字は天孫族(てんそんぞく)系の皇族に好まれたようだ。で、同じく天孫族系の出雲国造(いずものくにのみやつこ)の初代国造、宇賀都久怒(ウカツクヌ)は別の表記で鵜濡渟と書く」
「あ、また〈鵜〉! 鳥の名ね?」
「この出雲国造がもたらした慣習が采女(うぬめ)制度――采女献上なんだよ」
「?」
「出雲国造は出雲中から美しい娘を選んで大和朝廷に差し出した。これに習って我も我もと国造たちが自分の地域の美少女を朝廷へ貢ぎ、やがて全国に広まって、大宝律令の後宮職員令によって法令化されたのが〈采女献上〉制度なのさ」
「〈采女〉とは天皇や皇后の食事等のお世話をする女官のことだよ、フシギ君」
探偵が助手のために補足した。
「有名な采女では、雄略(ゆうりゃく)天皇との間に春日大娘皇女(かすがのおおいらつめのひめみこ)を生んだ春日臣深目(かすがのおみふかめ)の娘・童女君(わらはきみ)や、天智(てんぢ)天皇の皇子、大友皇子(おおとものみこ)を生んだ伊賀宅子娘(いがのやかこのいらつめ)がいる。因幡八上采女(いなばのやかみのうぬめ)は因幡八上郡の豪族因幡国造(いなばのくにのみやつこ)氏出身で万葉集で安貴王(あきのおおきみ)との悲恋で知られている」
「へええええ」
「また、天智天皇から采女の安見児(やすみこ)を賜って鼻高々で歌に詠んだ藤原鎌足(ふじわらかまたり)のごとく、天皇自身が許せば臣下に下賜して妻とすることもできた。但し」
ピシリと人差し指を立てる探偵。
「采女は基本的には天皇以外と通じてはならなかった。中国と違い大和朝廷には《後宮》はなかったが采女はそれに近い存在だったようだね」
この采女制度は平城(へいぜい)天皇の改革により廃止された。
「どうだろう、僕の推理は?」
青年画家は真剣な顔で探偵に訊いた。
「今回の美しい少女たちと采女が重ならないかい?」
「ふむ? 采女献上・発祥の地で起こった、連れ去られた美少女たちということだね?」
「采女かあ! 言葉としては聞いたことあったけど、僕、それについてあんまり知らなかったよ」
正直に志儀(しぎ)が告白した。
「鷦鷯ミソサザイや雀スズメが、古代、そんなに人気だったのも意外だな!」
「そうかい? 日本武尊(ヤマトタケル)は死後、白鳥になって出雲目指して飛び去ったと書かれているぞ。白鳥は鵠(くぐい)とも書くが、もうひとつ面白い白鳥と古代天皇の物語がある」
早速、語って聞かせる隼だった。
「垂仁(すいにん)天皇と皇后佐穂姫(さほき)との間の一粒種の皇子誉津別(ホムツワケ)は生まれてから一言も口を利くことが出来なかった。ところが白鳥が飛んでいくのを見て、初めて言葉を発した。
皇子が話し始めた事を喜んだ帝は『その鳥を捕らえろ』と命じた。これに鳥取造(ととりのみやつこ)の祖・天湯河板拳(アメノユカワタナ)が応じて、遠く飛び続ける鵠を追い、漸く出雲に至って捉えることが出来た……」
この話に中学生と女学生は大いに盛り上がった。
「また、出雲が関わっているんだね!」
「捕らえた者が鳥取造というのも面白いわ。お隣の県名だもの」
志儀は身を乗り出して懇願した。
「古代人と鳥の話をもっと聞かせてよ、隼さん!」
「おや、君も鳥が好きなのかい?」
隼は照れつつもまんざらではない様子。
「ハハ、父はついには絵も鳥ばかり、鳥しか描かないようになるほど鳥に入れ込んだから、僕は子供の頃から鳥の話なら嫌と言うほど聞かされたよ。だから、タネは尽きないが」
「実はフシギ君も鳥と縁が深いからなあ!」
興梠がニヤニヤして言う。
「あら、どういうこと?」
女学生は興味を覚えたらしい。探偵から助手へ視線を移した。その熱い眼差しに有頂天になって志儀は叫んだ。
「僕の名も鳥ですっ! 志儀は〈鴫〉から来てるんだ!」
「そうなの? 気づかなかった! じゃあ、私たちお仲間ね!」
「え? え?」
志儀は吃驚して、
「隼さんの名が鳥――ハヤブサなのは気づいてたけど。金糸子さんもですか?」
金糸子の瞳が悪戯っぽく煌いた。
「そうよ、当ててみて! 私の名の中にも鳥たちがいるわ」
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