第16話
仏谷寺(ぶっこくじ)の御本尊は薬師如来座像。日光・月光・虚空蔵・聖観音の菩薩像が尽き従う。
これら静謐で気品ある五体の像は出雲様式と呼ばれる一木造りだ。天平時代の貞観の作風を色濃く残していると興梠(こおろぎ)は理解した。
そして――
やはり、犯人PENDUからの手紙の絵柄はここ、美保関の門前町を示しているのか……!
寺の境内に立って、興梠、志儀(しぎ)、佐々木(ささき)兄妹は、改めて確信した。
放火の罪で死罪となったお七の霊を供養するため西国巡礼に出た吉三の終焉の地がこの寺だったのだ。
寺侍吉三のものと伝わるその墓は思いのほか小さく、質素である。
大江戸の町を燃え尽くさせた、少女の恋の対象になった美貌を詫びてその身を縮めている?
一同、寺前の小店から買い求めた白菊を供えて手を合わせた。
「さあ! 後はもうこの鳥だけだな? ―― どうした、響(ひびき)?」
立ち上がった隼(じゅん)が訊く。
実は、この寺、境内に猫が多く屯っている。中の黒猫がノアローに見えて、思わず凝視してしまった探偵だった。
勿論、ただの思い過ごしである。
「あ、いや、何でもない」
気を取り直すと、興梠は友の掲げた絵手紙に視線を落とした。
「さて、この鳥は一体何を意味しているのだろう?」
助手は声を弾ませて、
「やったね! 最後の一つだ! もうここまで来たら楽勝だね、興梠さん?」
だが。
この残った最後の絵柄、〈鳥〉が大難関だった……!
その後、時間を費やして、門前町の全域を隈なく歩き回ったというのに、皆目わからない。
鳥は、一行の前に容易にその姿を現わそうとはしなかった。
「もういいだろう? 今日のところはこの辺で帰ろう」
とうとう腕時計を見ながら青年画家が提案した。
「そうね。〈鳥〉以外は全部、この地に関係があるってわかったんですもの」
「それだけでも大収穫だよ! ねえ、興梠さん?」
傍らに探偵の姿がない。
振り返ると、狭い路地の後方、いつの間にか遥かに遅れてポツンと佇んでいる。
「どうしたのさ、興梠さん? 足が攣ったの? それとも――何か見つけた?」
元気に駆け戻った若者、つっ立つ探偵の周囲をきょろきょろ見回した。
だが、狭い路地に軒を寄せ合うようにして建つ家々のほか、特別なものは何も見えなかった。
「興梠さんてば!」
「興梠さん? 兄がそろそろ帰りましょうって……」
女学生も引き返して来た。
「はっ、そうだ! 帰ろう、隼!」
いきなり駆け出す興梠響こおろぎひびき。
「ぜひ、車を出してくれ! 早く!」
「きゃっ?」
「うわっ?」
反動で弾き飛ばされた少年少女、お互いを支えあうように抱き合った。
「な、なんだよ、興梠さん! 気をつけてよ! 狭い道で突然駆け出すなんて――危ないだろっ」
柔らかい体を支えながら、嬉しそうに、もとい、生真面目に助手は抗議した。
「失礼、金糸子(かなこ)さん? 代わりに僕が謝ります。あの人、時々、我を忘れて周りが見えなくなる傾向があるから、助手としても苦労するんだ。ほんと、変な人だろ?」
「あら、でも、素敵だわ」
金糸子はほんのり頬を染めて胸の前で指を組んだ。
「集中してる時のあの大人のまなざし……とても…素敵……」
「ええええええX◎△#*▽ーーー」
その大人な興梠、旧友の肩を掴むと激しく揺すぶった。
「隼! 頼む! すぐに行ってほしいところがある!」
「お安い御用だ! で? ―― 何処だ?」
「図書館だ!」
飛ばしに飛ばして帰り着いた松江市。
島根県立松江図書館は、明治6年(1873)創設の松江書籍閲覧所がその前身と云う。歴史ある古都に相応しい荘厳な建物に飛び込んだ興梠。他の3人は一階ロビーで静かに待つことにした。
さほど時間はかからなかった。
ほどなく、借り出した数冊の書物を小脇に抱えて探偵は軽快な足取りで階段を下りて来た。
「それは?」
息せき切って隼が質した。
「最後に残った〈鳥〉について――謎を解く鍵なのか?」
「ちょっと込み入っている。ここではなんだから、場所を移して説明するよ」
既に日は暮れている。
このまま帰って金糸子に夕食を用意させるのも可哀想だと言うことで、隼は皆を料亭へ案内した。
画家として認められてから、画商や後援者との集まりにちょくちょく利用している気に入りの店、蓬莱館は、殿町――かつて小泉八雲が暮らし『忘れられた日本の面影』と讃えた街並みの中に在った。
この日は、これまた島根の誇る郷土料理のひとつ、鴨鍋を注文した。尤も、探偵の説明の方が気になって舌鼓を打つのも忘れがちだったが。
仲居が膳を取り片付け〆の煎茶と和菓子を出すのを待って、興梠は話し始めた。
「まず、この本を見てくれたまえ」
座卓に置いたのは鳥類図鑑だ。
「これのおかげで確認できた。手紙に描かれた鳥はミソサザイだ」
図鑑を示しながら探偵はざっと説明する。
「日本では留鳥。大隅諸島以北に生息。全長11cm翼開長16cm。茂った薄暗い森林や渓流近辺に住む。食性は動物食;昆虫クモ類……我が国で見られる一番小さな鳥だそうだ」
「ほう?」
「それでね、このミソサザイを僕はあの通りで見つけたよ」
「凄い! 流石、興梠さんだ!」
志儀が叫んだ
「僕は全然気づかなかったのに!」
「僕もだよ」
「私もです」
「で? そのミソナントカは何処にいたのさ?」
「僕が立ち止まったろう、あそこだ」
「えええ? 僕もあそこに立ったけど、影も形も見えなかった!」
女学生を振り返る志儀、
「君はどう、金糸子さん? 君も駆け戻ってあの場所にいただろ?」
「私も、見えなかったわ」
「それもそのはずさ。鳥がいたのは〝表札の中〟だ。そこにはこう記されていた」
《 鷦鷯 》
「?」
「ミソサザイを漢字で書くと、これなのだ。漢字は的確でネ、鷦鷯の〈鷦〉は焦げ茶色の鳥を、〈鷯〉は澄み通ってよく響く鳴き声を現わしている――」
興梠は鳥類図鑑の上にもう一冊重ねた。
「ここで更に一冊、この本が重要になる。太田亮博士の著した『姓氏家系大辞典』だよ」
「――」
「僕は帝大時代に読んでいてね。それで、思い出して、改めて調べなおしたと言うわけさ。
ほら、ここ、〝このちょっと変わった苗字〈鷦鷯〉は島根県美保関に多い〟と、太田教授は指摘している」
記された頁を押さえながら、
「どうだい、これで全て繋がったろう?」
老舗料亭の一室は水を打ったように静まり返っている。
そんな中、ゆっくりと頭を巡らせて皆の顔を見つめながら興梠は続けた。
「謎の手紙に描かれた絵柄は全てあの門前町を示している。だが、これだけでは終わらない。更に深く、次の謎へと繋がって行くのだ」
探偵の声が一段低くなった。ピタリと旧友に視線を止める。
「僕は、君に確認したいことがある。気を悪くせずに、そして、正直に答えてほしい」
「な、何だ? ハハハ、なんだか……恐ろしいな?」
「〈探偵〉は英語では〈刑事〉と同じ綴りだよ。人の内面にズカズカと土足で入り込む下種な職業なのかも知れない」
悲しそうな顔でそれを言う興梠だった。改めて顔を上げると、
「隼、君の本当の苗字は、これではないのか?」
「え?」
「鷦鷯はササキと読むのだ」
最後の本を広げる。
〈日本書紀〉 黒板勝美偏・岩波文庫
第八段の一書第六の箇所。
《 鷦鷯、此をば娑娑岐ササキと云ふ。 》
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