第15話
滞在3日目。
夜が明けるのも待ち遠しく、早朝に出発した一行。
今日は謎を解いた当人の金糸子(かなこ)も女学校を休んで同行している。後部座席に一緒に並んで乗っている探偵助手が幸福そうなのは言うまでもない。
家を発って30分後、隼(じゅん)が愛車を停めた場所は、島根半島の北側、玉結(たまゆ)湾を望む美保関(みほのせき)の――
「美保(みほ)神社……!?」
「その通り。妹に指摘されるまで気づかなかったとは情けない」
青年画家は恥ずかしげに頭を掻いた。
美保神社は、〈えびすさん〉の総本山と伝わる古社である。
大社造りの社を二つ並べた特殊な様式は〈美保造り〉と呼ばれる。 右殿に大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)、左殿にその后の三穂津姫命(みほつひめのみこと)を祀っていて、『大社だけでは片詣り』と言われる由縁だった。えびすさんに象徴される商売繁盛のみならず、海に面した場所柄から、漁業、海運業の神としても崇められて来た。
「この神社の御使いは〈鯛〉なんだ。しかも、普通の鯛とは違う、独特の鱗(うろこ)を持っていてね」
釣り船を出して興じていた避暑客がまさにその鱗の鯛を吊り上げて、以降、全く魚が釣れなくなった、などとまことしやかに伝わる地元の伝承を隼は披露した。
「へえ、凄いや、金糸子さん! それにしてもよく鯛だけでピンときたね! お手柄だよ!」
「鯛だけじゃないわ。もうひとつ――」
女学生は得意そうに腕を伸ばした。男たちは一斉にそちらへ頭を向ける。
「?」
「〝硬くて青い地面〟があそこにあるわ」
金糸子が指差したのは神社右手より続く門前町だ。
「あそこの通りは〈青石畳(あおいしだたみ)〉と呼ばれているのよ。ね、兄様?」
「そうだった!」
志儀(しぎ)、小声で興梠(こおろぎ)に囁く。
「どうも、探偵の素質においては隼さんより金糸子さんのほうが一枚も二枚も上手みたいだね?」
「う、うむ」
拝殿ではちょうど巫女さんがお神楽の奉納舞いをしていた。
参詣後、〈青石畳〉の道に足を向けながら、今更ながら兄は補足説明をした。
「この辺り一帯は古く朝鮮貿易の拠点だった。鎖国中の江戸時代は北前船の航路として栄えたんだ。想像できるかい? この狭い湾内に五十もの回船問屋が犇いていたそうだ」
全国各地から送り出される物産の積み下ろし作業の効率化を図って地元の海石を切り出して敷設した。それが江戸後期、文化年間から弘化年間(1804~1847)のことである。
「畳のように敷き詰めて、水――海の飛沫や雨に濡れると青く煌くことからこの名がついた」
地面から、視線を周囲の建物へ移して、
「その後、明治から大正にかけては避暑地として人気でね。一見、鄙びた田舎町だが、多くの政治家や文人墨客(ぶんじんぼっかく)が隠れ家として集った。そのせいさ。一流の旅館や料理屋、酒楼青楼が海に面した狭い敷地に軒を連ねている……」
「明治以来の文人墨客?」
「そう。高浜虚子(たかはまきょし)、与謝野鉄幹(よさのてっかん)・晶子(あきこ)夫婦、西城八十(さいじょうやそ)、吉井勇(よしいいさむ)……」
「その中に小泉八雲(こいずみやくも)はいるかい?」
「八雲? ラフカディオ・ハーンだね? 勿論さ!」
郷土の誇りとばかり隼は胸を逸らした。
「ハーンが子供たちに泳ぎを教えたのはこの海岸だってさ。髪結いの腕が良くて奥さんを綺麗にしてくれたと感激してチップをはずんだとか、その種の逸話が幾つも残っている」
「『夜の美保関は日本西部地方で最も騒がしく最も面白い小港』と雑誌にも書き残しています」
女学生は文学にも明るいらしい。金糸子が言い添えた。
「でも、それが何か?」
首を傾げる助手。
探偵は取り出した件の手紙の一箇所を指で弾いた。
「鯛と青い地面の解読では金糸子さんに遅れを取ったが、これは、僕がわかったよ!」
興梠が指しているのは茶碗だ。
「フシギ君、ここまで言えば現役中学生の君なら思いつくだろう? 小泉八雲は〈茶碗の中〉という題で不可思議な話を書いている――」
「いや、僕に振らないで、興梠さん。僕、推理小説しか読まないからっ」
「恥ずかしながら、僕も、その作品は知らなかった!」
青年画家も右に倣え、少年同様赤面した。
「〈耳なし芳一〉とか、〈のっぺらぼう〉、〈雪女〉などの有名処は記憶してるが」
「……侍が茶碗の中に見知らぬ美しい若侍の姿を見る、あれですね」
金糸子が頷いた。控えめな口調だが瞳がキラキラ輝いている。
「流石、女学生は優秀だな! その通り、当たりです、金糸子さん。原題は《IN A CUP OF TEA》。僕は、八雲作品の中で一番不可思議な話だと思っているんだよ」
探偵は低い声で、
「終わり方が特に」
即座に返答する女学生。
「いえ、あれ、終わっていません。未完です。それが余計、恐怖を増幅させている……」
「凄いや! 金糸子さん! 何のことかわかんないけども」
「やれやれ、フシギ君。君は探偵小説だけでなくもう少し文学作品も読みたまえ」
「と言う事は――」
探偵から絵手紙を引き寄せながら画家が話題を本題へ戻した。
「鯛/石畳/茶碗/……ここまでは皆、この地、美保関に関係ある事柄だった。あとの二つ、半鐘と、鳥もそうなのだろうか?」
そうであれば、この手紙は<場所>を表していることになる。
「この地が、今回の事件、連続少女誘拐事件と何か関わりがあるということか?」
もう少し散策して探ってみようということで皆の意見は一致した。
青石畳とはよく名づけたものだ。
美しい海に沿った門前町、その狭い路地はくねくねと廻って迷路のように旅人を誘う。何処に導かれても潮騒の響きが聞こえた。
「あのさ、探偵助手として、金糸子さんに後れを取ったから、面子にかけて言うわけじゃないけど」
とうとう志儀が意を決したように声を上げた。
「絵手紙の中のこれ、半鐘だけはこの場所のことじゃないと僕は思うな!」
「ほう、それはどうしてだい?」
探偵の問いに少年は足を止めて空を仰いだ。
「神社の威厳は僕にも伝わって来る。今に残る門前町の風情も素敵だ。でもさ、こう見渡して……この町の何処にもこれほど高い半鐘は見当たらないじゃないか!」
兄妹揃って周囲を見渡しながら、
「確かになぁ」
「見当たらないわね」
「おやまあ! 都会のお客様だね? お七贔屓かね? それなら道を間違えていらっしゃる。仏谷寺(ぶっこくじ)はもう一つ向こうの路地を上がったところだよ」
「はあ?」
通りすがりの老婆が声をかけてきた。
ちょうど狭い道に立ち止まっていた一行、擦れ違いざまに志儀が広げていた件の手紙が目に入った様子。
「仏谷寺とは?」
「いえ、僕たちお寺を探してるんじゃなくて、半鐘を探してるんです。おばあさん、これに似た、高~~く聳え立つ半鐘がこの辺りにないですか?」
「おや、そうかね? 私しゃ、てっきり、その絵、八百屋お七のそれかと」
「!」
興梠は助手から紙片を奪い取った。
雪の中の半鐘……確かにこの絵からはあの有名な〈八百屋お七〉が連想できる。
美学を修めた博学の探偵、口の中で呟いた。
「お七の実家の大店が焼けた〈天和の大火〉は天和2年12月、西暦では1683、1月……」
焼け出され避難した寺で出会った寺侍に恋をした15歳の少女は、火事になればまた恋しい人に会えると思い、新築なった自宅に火をつける。一年後の正月15日。
「その日もまた雪が舞っていた……!」
「だが、あれは江戸――現在の帝都の話だろう? こんな島根の片隅の門前町に何の関わりがある?」
「おやまあ! 知らないのかね? 旅のお方!」
呆れたとばかり、曲がった腰を伸ばして老婆が叫んだ。
「そのお七が恋焦がれて、火をつけてまで会いたがった寺侍吉三(きちざ)の墓がこの先の仏谷寺にあるんですよ」
「――」
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