第14話

千野(せんの)邸を辞して、3人は市中で遅い昼食を摂った。

 隼(じゅん)の勧めでウナギを堪能した。

「そもそもこのウナギの蒲焼き――〈地焼き〉というこの焼き方は我が島根の発祥さ。それが上方に伝わったのだ」

「うむ! 身がしまっていて、歯ごたえがあって美味いな!」

「はひ、おいひいです」

「だろう? だが、ウナギだけじゃない。君は帝大で美学を専攻し芸術には詳しいが、料理はどうだ? 美食家かい?」

「まあ、そこそこは」

「美食家はともかく、興梠(こおろぎ)さんは、常に家庭料理には飢えてるよね!」

「フシギ君、いいから、君は黙ってウナギを味わいたまえ」

「わが県には〈宍道湖七珍(しんじこしっちん)〉なるものがある。これは近年、提唱されたのだが」

 昭和5年(1930)島根新聞社の記者・松井柏軒(まついはくけん)が中国の西湖十景(さいこじゅつけい)に倣ならって松陽新聞(現・山陰中央新報)に寄稿した〈宍道湖十景八珍〉から広まったとか。島根県の誇る、宍道湖から捕れる新鮮な魚介類を言うのだ。スズキ、モロゲエビ、ウナギ、アマサギ、シジミ、コイ、シラウオ……数え方や種類は諸説あるそうだが。

「どれも美味だぞ。滞在中にぜひ味わってもらいたいな!」

「なるほど。宍道湖は海水と淡水が混じり合っているから様々な魚介が食せると言うことか。羨ましいね」

「あ、僕、知ってる! そういう湖、〈汽水湖〉って言うんだよね?」

 食の談議で大いに盛り上がった後、濠(ほり)沿いを歩いて帰る。

 その道すがら興梠は隼に槌田篤(つちだあつし)について訊ねたのだった。

「そうか、綾(あや)さんから聞いたのか……」

 早逝した友のことを青年画家はあまり話したがらなかった。言葉少なに、

「あいつは才能があった。惜しいことをしたと思っているよ。今も残念でならない」

 俯く友。

 その場ではそれ以上訊きようがなかった。






 佐々木隼宅に帰宅後、画家、探偵、助手の3人は本腰を入れて謎の手紙の解明に取り掛かった。

 とはいえ、絵の意味は一向にわからない。時間だけが過ぎて行く。青年画家の座敷で男三人頭を抱えていると――

 明るい声が響いた。

「ただいま――って、何事?」

 女学校から帰って来た金糸子(かなこ)。廊下から襖越しに覗き込んで仰天した。

 夕陽が差し込む室内で憔悴しきった三つの顔、顔、顔、

「なんだか知らないけど――今お茶を入れるわ。一服すべきよ、兄様も、探偵さんたちも」

「わーい、待ってました!」

 即座に喜びの声を上げる志儀(しぎ)。

「マドレーヌはある? あれ、サイコーに美味しかったな!」

「ごめんなさい、あれは全部、千野画伯のお家へ持って行ったから残ってないの。でも」

 少女は顔を綻ばせた。

「また作るわ! 志儀君がそんなに気に入ってくれたんだもの」

「エヘヘヘ」

「あら、なあに、それ?」

 座卓に広げられた紙片を目にして金糸子は首を傾げた。

「だから、これが問題の謎の絵手紙なのさ。今朝、画伯宅に届いたんだ」

 鹿つめらしい顔で一部始終を志儀が説明した。隼が補足して、

「勿論、先生の許可を得て僕が模写して持ち帰った。それで――何としても意味を読み解こうと頭を捻っていると言うわけさ」

「どうです、金糸子さん、わかりますか?」

 紙片を差し出した探偵を兄は笑った。

「よせよせ、響(ひびき)、無理だよ。女学生が興味があるのは恋文だけさ」

「まあ、兄様ったら、失礼しちゃうわ! それ、全女学生への冒涜よ」

 妹は頬を膨らませた。片や多感な中学生、つくづくと息を吐いて、

「恋文かぁ……金糸子さんならいっぱいもらうんだろうなぁ?」

「い、いやだわ、そんなことありませんっ! あ、でも、志儀君こそ、モテるでしょう? 外国のシネマの少年スターみたいですもの。ほら、そのクルクルの巻き毛! 可愛いっ!」

「ぼ、ぼ、ぼ、僕? ま、ま、まさか!」

「ドモリ過ぎだよ、フシギ君」

「ぼ、ぼ、僕はぁ、自慢じゃないけどぉ、恋文なんてぇ貰ったことないですっ!」

「嘘!」

「おいおい、恋文の話はもういいよ」

 妹の手から紙片を取り戻す兄。だが、金糸子は今一度ひったくった。

「あら、待って! 恋文で気がついたけど、コイ……コイ……」

 女学生の円らな瞳は左上に描かれた魚に止まっている。

「いや、これは、タイだよ、どっちかって言うと」

 志儀が咳払いして指摘した。

「ええ、そうね、タイよね? じゃあ、これは何かしら?」

少女が指さしたのは魚の下に描かれた青い四角形だ。

「タイの下だから、海だろ? 色は青だし疑う余地はないよ」

「でも」 

 少女は可愛らしい顔を歪めて、風変わりな質問をした。

「ねえ? 海の波にしては〝硬そう〟だと思わないこと?」

「? ? ?」

 男3人呆気に採られる。今日日、これだから女学生の考えはわからない。乙女心は理解しがたい。

「これは海なんかじゃない、と私、思います」

「おい、金糸子。馬鹿なこと言うんじゃないよ」

 呆れる兄を旧友が制した。

「いや、面白いな。とても興味深い視点だよ。金糸子さん、貴女にそういわせる根拠を聞かせてくれないか?」

 女学生は唇を舐めると、

「だって、先の素描を見ると、あんなにお上手な絵をお描きになる人――PUNDUさん? が、波をこんなに平べったく、硬く、へたくそに描くかしら? 海のつもりなら、もっと柔らかく描くのではなくって? それなのに、どう見てもこれ、タイルか石みたい――」

「むむ?」

「なるほど、そう言われれば」

「だが、〝魚の真下〟で〝青〟と来たら、海以外あるまい?」

 男たちの困惑をよそに、金糸子は恐るべきことを言ってのけた。


「……私、わかったかもしれない」


 一同を見回しながら、

「他の絵柄はともかく、私、この〝鯛〟と〝青の部分〟が何を意味してるか、わかったわ! これ、ある〈場所〉を言い表してるんじゃない?」

「ええええーーーー」


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