第13話

「あ、失礼しました……」


 開いた扉の前に立っていたのは、少年――志儀(しぎ)と同年齢の――だった。

 赤茶けた髪、色白の顔に薄っすらと散っている雀斑(ソバカス)。だぶついたタン色のコートが却って華奢な体の線を浮き上がらせている。

「千野(せんの)先生に会いに来たのですが、座敷の方で警察の方とお話中とのことで、それで、こちらで待とうと――」

 少年は大きな風呂敷包みを抱え直した。

「誰もいないと思ったもので、ノックもせず失礼しました」

「槌田(つちだ)君?」

 隼(じゅん)が叫んで立ち上がった。

「あ、佐々木さん!? 御無沙汰しています」

「いや、僕こそ、久しぶり……と言うか、暫く見ないうちに大きくなったなあ! 見違えたよ!」

 隼は懐かしげに腕を掴んで招き入れた。

「そうか、君、先生の処に通ってるんだね?」

「ええ。月に何度か、ですが、お世話になっています」

「おっと、こちらは槌田智(つちださとし)君と言って――」

 綾(あや)が引き取って続けた。

「千野画伯の愛弟子よ」

「そんな――愛弟子だなんて、違いますよ、奥様!」

 少年は耳まで真っ赤になった。

「僕、この春から市内に住み込みの仕事口を見つけて、それで、近いのをいいことに勝手に押しかけているだけです」

 慌てて自己紹介をする。

「槌田智と言います。初めまして」

「こちらは、僕の友人で探偵の――」

「興梠(こおろぎ)です」

「助手の海府志儀(かいふしぎ)です。よろしく!」

 一通り挨拶を終えると、風呂敷包みを指差して隼が訊いた。

「それは、今、君が描いている絵かい?」

「はい。あの、よろしかったら、見ていただけますか、佐々木先生」

「先生はよせよ」

「いいえ! 佐々木さんはもう立派なホンモノの画家ですもの! 本当に凄いや!」

 少年の頬が更に燃え立つ。上ずった声で、

「僕、心から尊敬しています。兄さんもきっと、喜んでいるはず。応援していると思います」

「――」

 一瞬、隼の顔に微妙な影が挿したように興梠は思った。気のせいだろうか?

「遅くなりました! お茶をお持ちしました」

 女中の貞(さだ)が、若い女中を引き連れて盆を持って入って来た。

「貞、座敷の方にもお出ししたの? いらしたのは、また足立(あだち)警部補さんですってね?」

「はい」

「足立サンかあ!」

 蛇のような目つきと、それから、柔らかな女学生の手を思い出して志儀は含み笑いを漏らす。

「ねえ、興梠さん、あの警部補に例の絵手紙が読み解けるかな?」

「さあてね」

 窓辺のイーゼルに絵を置いて熱心に話し込んでいる隼と槌田少年の方へも貞はお茶を運んだ。窓下の丸テーブルに茶器を置くといそいそと女主人の傍へ戻って来る。

「まあまあ! こうして拝見いたしますと、あの頃が戻って来たようじゃございませんか!」

 盆を胸に抱いて貞は目を細めた。

「智さんも大きくなられて――私、今、一瞬 篤(あつし)さんが戻っていらっしゃったのかと思いました」

「貞!」

 日頃、嫋嫋とした夫人とは思えない鋭い声音。

「あ、これは――要らぬことを申しました。あいすみません」

「もうさがっていいわ」

「はい、奥様」

「本当におしゃべりなんだから、貞は! 困った人!」

 志儀は紅茶に角砂糖を放り込みながらそっと興梠を盗み見た。

 探偵は何食わぬ顔でティ―カップを口に運んでいる。

「あそこにいる槌田君――智君にはお兄さんがいましたの」

 唐突に綾夫人が言った。

「貞が言ったのはそのことですわ」

「そうですか」

 静かにお茶を啜る探偵。

「その、槌田篤(つちだあつし)さんと、大槻祐人(おおつきゆうじん)さん、そして、佐々木隼(ささきじゅん)さんはウチの先生の跡を継ぐ3羽烏(さんばがらす)って、ここ松江では持て囃されていた時期があったのよ」

 夫人はフウっと息を吐いた。

「私がお嫁に来た頃の話ですわ」

「それは初耳です。僕は京都時代の佐々木君しか知りませんから」

「皆、若かったわねぇ。貞が感慨に耽るのもわかるわ。ちょうど、今の智君くらいの年だった。私もよ」

 椅子の肘を掴んで身を乗り出す。

「私、女学校を途中でやめてお嫁に来たの。17だったわ!」

 夫人はハンカチを手の中で揉み絞った。

「私は絵のことはわからないけど、3人とも、素晴らしい素質だと画伯が気に入って内弟子にしたそうよ。皆、10歳くらいから絵を習いに通っていたとか。それにしても」

 膝にハンカチを落とす。

「時の流れってフシギねぇ……!」

 綾は窓辺に立つ人影へ目をやるとまぶしそうに笑った。探偵は息を飲んだ。一瞬17歳の少女に見えたのだ。連作絵の中から抜け出したかのような。

( やあ、ここにいた! 9人目の少女を見つけたぞ…… )


 勿論、幻想である。


「ついこの間、ああやって3人で並んで絵を描いていたように思えるのに」

 潤んだ瞳、震える睫毛、紅い唇。大人の女に戻って夫人は嘆いた。

「なんてこと? 気づくとすっかり変わっている。結局、画家になったのは、隼さんおひとりだけ……」

 両手でカップを包むように持って綾は溜息を吐いた。

「千野碧明(せんのへきめい)の3羽烏と讃えられた3人が一緒にいたのは20歳までだったのねぇ……」

「20歳?」

 現役の17歳が興味津々に訊いた。

「その年に何があったの?」

「隼さんは京都に遊学し、祐さんは絵を止めて書生と言うか、秘書になった。篤さんは……」

 再び窓辺へ視線を奔らせる。弟を見つめながら千野夫人は囁いた。

「亡くなられたわ」



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