第11話

 トレンチコートのポケットに革手袋入れていてよかった。それを嵌めると興梠(こおろぎ)は手紙を受け取り慎重に中の紙片を広げた。


「何だ、これは?」

 若い画家が呻いた。志儀(しぎ)も覗き込んで、

「判じ絵みたいだなぁ? でなきゃ暗号とか?」


 魚、その下には青い四角。茶碗? 雪の朝(または夕焼け)の中の半鐘?

 鳥 、以上5つの絵が描かれている。

そして、右端下に PENDUの署名……




 封筒の方も確認した。

 こちらは別段、何の変哲もない白い封筒だ。宛名は千野碧明(せんのへきめい)様と明記されて、差出人の名は書かれていない。切手が貼ってあって消印が押されている。日付は2日前。普通に投函され郵送されたのだ。

 (普通に? 待て――)

 眉を寄せた探偵の傍らで文字について、探偵助手が指摘する。

「やあ! 宛名は定規を使ったように角ばった文字だね? 写真で見た、被害者宅に届いたものと一緒だ! ――どうかしたの、興梠さん?」

 探偵が凝視しているものに気づいたらしい。

「消印が何か? むむ……これは大社郵便局の消印だね?」

「ということは――」

 画家が身を乗り出した。

「真犯人〈PENDU〉は県内にいるということだな!」

「それもそうだが、いかにもサイコパスらしいじゃないか!」

 探偵の関心は別のところにあった。

「この消印は〈風景印〉だ」

「風景印?」

「そう、1931年(昭和6)7月7日、通信省により認可された。日本の誇る観光地に特化した消印なんだ。有名なものでは富士山郵便局や、統治化された関東(かんとん)州、樺太、朝鮮、台湾、パラオ等、南洋の島々がある……」

 興梠が言っているのは戦前の1930年代現在のことだ。戦火が激しくなった1940年秋以降、この〈風景印〉は〝戦意高揚に役立つ〟という理由で、神社に纏わる島根県の大社郵便局と愛知県の熱田郵便局、それから、江田島郵便局など軍事施設以外は廃止になった。華やかな風景印の復活は戦後を待たなければならない。

「僕たちが今日、ここ、出雲大社を訪れたのは偶然だとしても、犯人、PENDUは違う。自分の手紙にわざわざ珍しい大社の〈風景印〉が押されるよう意識したのだ。犯罪を遊戯のように楽しみ、面白がっている様子が、この消印からわかるだろう?」

「流石、興梠さんだ! 消印一つでそこまで読み取るなんて!」

 率直に助手は賛嘆の声を上げた。

「たとえ女性にはモテなくても、僕、誰よりも尊敬していますっ!」

 一方、旧友は強張った顔で訊いた。しなだれかかる夫人の肩を抱きながら、

「それで――これから、どうする、響(ひびき)?」

「うむ、とにかく――画伯邸へ戻ろう。やはり、宛名に記された受取人である千野画伯本人に見てもらわねば――」

 そういうわけで、一同、夫人の乗って来たタクシーで取って返した。



 車が千野邸の玄関前に止まるや、大槻(おおつき)が駆け寄って来た。

「綾あや奥様! 何処どちらへお出でになられていたのですか! 先生が心配されています! ずっと探しておられたんですよ!」

「まあ! それは私の台詞です。先生も貴方も雲隠れしていたじぁありませんか!」

 綾は怒りを露わにした。裾を閃かせて車を降りながら秘書を詰(な)じる。

「私一人でどんなに恐ろしい思いをしたことか……!」

「――皆さんは?」

 続いて車から降りて来た顔ぶれを見て大槻は吃驚した様子だった。

 どうして一緒なのか、と問うように鋭い視線を向ける。

「貴方や先生がいない間に薄気味悪い謎の手紙が届いたのよっ」

 綾は問題の封書を秘書の胸元へ突きつけた。

「――勝手に開封されたのですか?」

 宛名を確かめながら問う大槻に、

「そうよ。悪くって? 私、これでも一応、千野碧明画伯の妻ですもの」

「では、皆さんも? 目を通されたんですね?」

「申し訳ない」

「謝る必要ないわ。私が隼(じゅん)さんや探偵さんに読んで欲しいってお願いしたんです。例の連続少女誘拐犯から送られて来た、とても不気味な、変な手紙なのよ」

 夫人は両手を頬に当てて身震いした。

「恐ろしいわ! 私一人でどうやって耐えろと言うの?」

「綾――」

「あ、先生?」

 玄関先まで碧明(へきめい)も出て来た。

「どれ、その手紙とやらを見せなさい」

 大槻から受け取ってその場で碧明は中身に目を通した。

「これは、何だね?」

 探偵の方を見て、

「何だと思うかね?」

「犯人からの手紙だと思います」

 興梠はきっぱりと言い切った。

「悪戯の類ではなく?」

 そう訊いたのは大槻だ。

「ええ。警察はこのサイン、〈PENDU〉を公表していません。つまり、この名を知るのは警察と関係者と、それ以外には犯人本人です」

 しかも、判じ絵のごとき内容から消印に至るまで、全てがサイコパスが好みそうなアプローチだ。

 そのことは胸の中に止めて興梠は口には出さなかったが。

「何故、私宛てなんだ?」

「それは、僕にもわかりかねます」

「しかも、こんな奇妙な絵柄……さっぱりわけがわからん。君はどうなのだ? 何の意味なのか読み取れたのか?」

「いえ、今のところは、皆目」

「これから私はどうしたらいい?」

「警察に連絡するべきだと思います。彼らはプロですから。簡単に読み解いてくれるかも知れません。でも」

 興梠は一旦、言葉を切った。伏せた目を、改めて画伯へ向ける。

「よろしければ、僕の方にも写させていただけますか? 僕なりに解明すべく挑んでみようと思います」

「勿論、頼むよ、そうしてくれ」

「そうと決まれば、僕が筆写しよう」

 隼が進み出た。



 座敷に上がって、隼が謎の絵手紙を写し終えると碧明は大槻に封筒ごと渡した。

「では、すぐに警察に連絡しなさい」

「畏まりました」

 それから、画伯は一同を振り返った。その口から意外な言葉が飛び出した。

「ところで、昨日はとんだ醜態を曝してしまった。我ながら反省しているのだ。それで――今日またこうして集まったことだし、良かったら、改めて、あの連作絵を見てもらおうかと思う」

「――」

 予想外の申し出に皆、言葉もない。

「どういう風の吹き回しだよ? 昨日あんなに荒れ狂って僕たちを追い出したくせに」

「しっ、これ、フシギ君」

 慌てて助手の袖を引っ張る興梠。

「どうかね? 見るかね?」

 老画伯の気が変わらないうちにと、興梠は頭を下げた。

「ぜひ、お願いします!」

「では、行こう。ああ、大槻、私だけでいい。君は警察に連絡を取りなさい。早いところその薄気味悪い手紙のことを伝えてくれ」


 こうして、一同は昨日同様画伯の後についてアトリエへ向かった。

 人数的には2人足りない。秘書の大槻と青年画家の妹、金糸子(かなこ)の姿は今日の列の中になかった。

 アトリエに着くと、画伯自身が扉を押し開く。


  ギギギィィィ


 画伯に続いて連なって足を踏み入れた――

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る