第10話
「これは……予想外な展開だな!」
翌日。
探偵と助手、そして青年画家は電車に揺られていた。
「いや、僕もね、妹に大いに感化されてね」
佐々木隼(ささきじゅん)は髪を掻き上げながら笑う。
「君たちは、折角遠路はるばるこの山陰まで足を運んでくれたのだから、できる限り名所観光をしてもらわなくちゃあ申し訳ない」
ここでチラと志儀(しぎ)は金糸子(かなこ)に思いを馳せた。画家の妹は、今日は女学校へ登校して、この場にいない。ホントに残念だ。そんな助手の想いをよそに探偵は明るく手を振って、
「いや、そんな気遣いは無用だよ」
「だが、まあ、少しくらいいいだろう? 家に篭っていても謎が解けるわけではあるまい。気晴らしも必要だ」
と言うわけで、その朝、隼(じゅん)が誘って向かったのは島根県が誇る、否、日本国が誇る出雲大社である。
「でもさ、隼さん自慢の愛車じゃないのはどうしてなの?」
「お! 探偵助手らしい良い質問だ!」
愉快そうに隼、両腕を広げる。
「見たまえ、車窓から見る風景を! これを見せたかったのさ。風景(これ)も、我等島根県人の誇りなのだ!」
進行方向の左手、宍道湖(しんじこ)が朝陽に煌いている。
「そして、この電車もまた、自慢の種だ!」
湖沿いを疾走していた電車はやがて長閑(のどか)な田圃地帯に突入した。
稲穂の揺れる黄金の大地。稲刈りを待つばかりの車外は、まさに実りの秋一色だ。この時期、日本中の何処でも目にすることが出来る、そして、一番美しく心に迫る光景……!
その果てに、大社神門駅はあった。
「うわあ! 綺麗だなぁ!」
少年は感嘆の声を上げた。
教会を思わせるカラーグラスを嵌めた窓から七色の光が降り注ぐ。
日本の原風景の中を突っ切って到着したそこは、なんと、洋風の瀟洒な駅舎だった。
「フフ、これを見せたくてねぇ!」
隼は胸を張った。
「どうだい、なかなか洒落てるだろう? 昭和5年に開業したばかりなんだ」
国鉄の大社駅が神殿を模した純和風様式なのに対して、こちら地元の私鉄駅は欧州風のモダンなデザインを採用している。
「そりゃ、まあ、君たちの住むハイカラな大都市、神戸に比べたら何でもないかもしれないが」
「いや、素晴らしいよ!」
率直に興梠(こおろぎ)は賞賛の言葉を述べた。
「これこそ文化だ! この種の美しい建物が我が国の遺産として遥か未来にまで受け継がれるのだろうね!」
探偵の予言は的中している。この素晴らしい駅舎は21世紀の現在、現役で使用されている。
駅を出ると、そこはもう出雲大社の参道だった。
祭神は大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)。
国譲りに際して、『我が住処(すみか)は皇孫の住処のごとく。太く深い柱、千木は高く空に届くごとく』と望んだ。また《日本書紀》曰く『千尋の縄を使い、柱を高く太く、板は厚く広く』、《出雲国風土記》曰く『皇神が集まり宮を築いた』。
古代からの風、神々の息吹だろうか?
境内に入ると、身が引き締まる荘厳な空気の流れを感じた。
白い石を軋ませて進む。やがて、見えて来た本殿の高さは8丈(約24m.)……!
神社として破格の大きさである。
三重の垣根が巡り、西側を剥いた御座所。天井には七つの雲が描かれている。
ここに、神有月(かんなづき)、全国から八百万(やおよろず)の神々が集まり神議が行なわれるのだ。
二拝四拍手一拝。
「お守りをお土産にしようっと!」
参拝を終えるや、志儀は社務所に駆け寄った。
「チワワだろ、勿論、チワコさん、タイゾーおじさんにもあげないとね。興梠さんは――」
探偵を振り返る。
「どうする? ノアローに持って帰ってやる? あ~あ、猫にしかお土産をやる相手がいないなんて不憫だなぁ!」
大社の前でもこの助手の毒舌は衰える気配がない。確か、参道入ってすぐに大国主命の長子、一言主(ひとことぬし)の社もあったような……
興梠は歯噛みした。今一度、御参りさせるべきではなかろうか?
「ここは縁結びの神として名高いぞ」
旧友が笑って肩を叩く。
「ところで響(ひびき)、君にはまだ、恋人(イイヒト)はいないのか?」
「まあな。僕はまだだよ。その気配すらない。君はどうだい?」
「――」
瞬間、言葉に詰まった佐々木隼(ささきじゅん)。口篭りながら頭を振った。
「いや、僕も、なかなか思うように行かない。恋は厄介なものだな」
(しまった!)
友は禁断の恋の最中だった?
これでは少年を窘(たしな)められない。人は何歳になっても〝言わずもがな〟の言葉を吐く。
思わず心の中で祈る興梠だった。
『一言主の神よ。失言の多い探偵(ぼく)と助手(しょうねん)の今後の活動をよろしく見守って下さい』……
かくして身も心も清められて参詣を終えた一行だった。
だが、境内を出たとたん、事態は一変した。
「隼さん―――!」
聞き覚えのある声に足を止める。
大社の大鳥居の前、停めてあった一台のタクシーから飛び出して来たのは、千野碧明(せんのへきめい)夫人、綾(あや)だった。
「綾さん?」
昨日同様、夫人は隼の胸に飛び込んだ。
「ああ、隼さん! 私、私、恐ろしくて……もう、どうしていいかわからなくて……貴方の元へ来てしまいましたわ!」
「何故、ここへ?」
冷徹に興梠が質した。足下に落ちたレースのショールを拾って、夫人に返しながら、
「何故、僕たちがここにいるとわかったんですか?」
「それは――隼さんからお聞きしていたもの。今日の午前は皆さんと出雲大社を訪れる予定だって。ねえ? 隼さん?」
「ああ、なるほど」
興梠は納得した。きっと、自分と志儀が庭を散策していた時の事だろう。
「そう言えば、話したっけな」
「そんなことより―—」
少年が急き込んで訊ねた。
「何があったんです? 恐ろしいことって、一体……?」
「それが――」
婦人は震えながら一部始終を語り始めた。それによると―—
今朝、起きると、屋敷に夫、千野壁明と秘書の大槻祐人(おおつきゆうじん)の姿が見当たらなかった。とはいえ、そのこと自体はさほど気にはならなかった。綾は朝に弱く、ゆっくりと寝た後で、朝食は一人で食べるのが日常だったからだ。その遅い朝食のテーブルに、女中頭の貞(さだ)が盆に入れて一通の封書を持って来た。
『綾奥様。郵便受けにこれが届いておりました』
『?』
千野邸では郵便物の管理は大槻が担っている。
が、この時、何か胸騒ぎがして綾は封書を開けた。
「そしたら、これが……こんな得体の知れないモノが書かれていましたのっ!」
震える手で夫人は封筒を差し出した。
「私、ゾッとして……それで、もう、無我夢中で家を飛び出し貴方の元へ……」
「そ、それは困るな、綾さん。僕などよりまずは先生を探すべきだった」
「でも、屋敷には誰もいないのよ? 頼れる御方は貴方だけ!」
夫人は興梠に視線を向けた。
「どうぞ、ご覧になって! この……奇怪な……わけのわからない……不吉な手紙を!」
「――」
白い手で差し出された封書。その中身は、確かに意味不明の、謎に満ちたものだった。
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