第3話

「ごちそうさまでしたっ!」


「ハイカラな神戸からいらっしゃった皆様にお出しするには恥ずかしいんですけど。お口に合いました?」

 松江城から佐々木隼(ささきじゅん)の自宅に場所を移した一行。

 新進画家の住居は城からさほど遠からぬ内中原町にあった。ごく普通の二階建ての日本家屋。背後を濠(ほり)が流れている。

 昼食にと金糸子(かなこ)が腕を振るったのはカレーライスだった。

「とんでもない! 物凄く美味しかったですっ!」

「うん。三杯お変わりした、君の胃袋がその事実を何より雄弁に物語っているね」

「アハ、ハハハ……」

 硝子の皿に盛った梨が供された処で、手紙では伝え切れなかった詳細を画家は語り始めた。

「妹は電報で逮捕と記したそうだが、正確には、あれは任意の事情聴取だった」

「でも、兄様、警察署に留め置かれたじゃないの」

 すかさず妹は抗議した。可愛らしい唇を尖らせて、

「逮捕と変わりないわ。4人目の被害者が出なかったら、絶対、あのまま拘留確定よ」

「いや、僕が思うに、警察は僕から何らかの情報を聞き出そうとしたのではないだろうか……」

 これが真実に近い気がする、と若い画家は言った。

「警察が今度の連続少女誘拐踪事件で、一番疑っているのは——実は千野碧明(せんのへきめい)画伯なんだよ」

「そこのところを詳しく」

 改めて隼は新聞を座卓に広げた。


 少女たちの素描を指差しながら、

「ほら、描くタッチが似ているとして警察は僕の身柄を拘束したが、千野先生の立場は、正直もっと危うい。先生の状況は非常に不利なのだ」

 隼(じゅん)は言葉を切った。大きく息を吸って吐きだす。

「何故なら、先生御自身こそ、この少女たちの肖像画を描かれているから」

「えええ!」

 助手は驚いて声を上げたが、探偵はいたって冷静だった。

「《少女舞曲》だね?」

「そう」

 険しい表情で頷く青年画家。

「千野画伯はここ数年来、《少女舞曲》というタイトルで、連作を描いておられる――」

「じゃ、この誘拐された4人の女の子たちは全員、その画伯の絵のモデルだったんですか?」

「4人じゃない」

 食いしばった歯の間から佐々木隼は告げた。

「現在の時点で《少女舞曲》のモデルを務めた少女は8人いるのだ!」

 再び志儀(しぎ)が仰け反って叫んだ。

「8人! じゃ、今後あと4人、誘拐される勘定なの?」

「おいおい、めったなことを言うものじゃないよ、フシギ君」

「あ、ゴメンナサイ」

「《少女舞曲》のモデル名は公にはされていない。あくまで本人たちとそのご家族しか知らない」

 隼は淡々と説明を続けた。

「警察は、勿論、この事実を掴んでいる。だから、最も関わりが深いという意味からも千野先生に疑惑の目を向けているのさ」

 新進画家は唇の端を釣り上げた。

「どうだい? これで僕が拘束されたのも、僕が千野画伯の弟子であり、その身辺に詳しいから警察が事情を聞きたがった、と言う推察もあながち間違いとは言えないだろう?」

「うぅむ」

「今の段階では警察は全くお手上げ状態のようだ。これは今朝まで警察署に拘留されていたからこそ知り得た情報だが。何しろ、3人――昨夜で4人になったが――少女たちが、いつ、どのようにして誘拐されたのかすら、警察は正確にはわかっていないらしい」

 少女たちがいなくなってから既に1週間が経とうとしている。何より彼女たちの安否が憂慮される。一体、何処にいてどういう状況なのか? 素描から伝わる不安そうな表情……

「響(ひびき)」

 画家は姿勢を正した。きちんと正座すると深々と頭を下げる。

「僕自身の潔白は勿論のこと、僕を育ててくださった、恩義ある千野碧明先生のためにも、ここはぜひ君の知恵を貸してくれ。そして、一日も早く、この奇怪な事件を解決してくれたまえ!」

「了解した。僕に出来る限りの事はするつもりだ。それで――まずはその連作少女舞曲を見ることはできるかい? 何らかの参考……犯人に迫る鍵になると思うのだ」

「僕から、頼もう」

 刹那、青年画家の視線が揺れた。だが、すぐに顔を上げるとまっすぐに旧友を見つめる。

「実は、僕も最近は自分の作品を描くことに忙しくて——千野先生とは疎遠になっていてね。じっくりとその新作少女舞曲は見たことがないんだよ」

 準は立ち上がった。

「よし、早速、画伯邸へ行こうじゃないか!」






「君、車を買ったのか!」


 庭に回って探偵は声を上げた。

 停めてある漆黒のクライスラーエアフロー。

「水冷4気筒、13、5馬力……1934型か? 凄いじゃないか!」

「兄様ッたらね、女中さんさえ置きたがらない節約家なのに車だけはどうしても欲しいって。最近いただいた懸賞金はおろか、売れた絵の代金全部――要するに我が家の全財産を注ぎ込んだのよ」

 妹が笑った。朝のセーラー服の上に若草色のカーディガンを羽織っている。その様子がまたルノアールの絵から抜け出たかのように可憐だった。

「だ、だって、車があると便利だからな。何より、絵描きにとっては、これに乗って何処へでも写生に行ける。交通費等、長い目で見たら安上がりだよ」

「あんなこと言って。写生が好きなのか車が好きなのか疑っちゃうわ。車庫を造るために鳥小屋まで潰すと言い出す始末なんだから」

 どうやら、さしもの新進気鋭の画家も妹には頭が上がらないようである。

「鳥小屋?」

 遅れて出て来た志儀が首を伸ばしてそちらに目をやった。

 ピカピカのアメ車の向こうに木造の建物が見える。

「チェ、そうは言うが、あんなものもういらないだろう? 鳥だって一羽もいないのに。空っぽなんだから、あそこを車庫に作り変えた方がウチの狭い庭にはよほど有意義だ」

「佐々木君のお父上は日本画家で、素晴らしい鳥の絵を描かれたんだよ、フシギ君」

「へえ!」

「全然売れなかったけどね。父は生涯無名の貧乏画家だった。芸術のわかる君にそう言ってもらえて光栄だ」

 隼は運転席のドアを荒々しく開けた。

「僕は父の絵はあんまり好きじゃない。だから、同じ画家でも洋画の道を選んで、千野先生に師事したんだが」

「父様が生きていた頃はあの小屋に美しい鳥たちがいっぱいいたのよ」

 兄と違い妹は懐かしげに両手を胸の前で組み合わせた。今一度、鳥小屋を振り返って志儀は残念そうに呟いた。

「僕も見たかったな! 鳥たち……」

「さあ、皆、乗って! 出発だ!」





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