第2話

一転、城内は暗かった。


電灯の類はなく、開けられた窓が外の青い空と光を額縁に嵌まった絵画のように浮かび上がらせている。

四重五階地下1階。

その地下、〈穴倉の間〉に穿うがたれた井戸は、実に我が国の城郭中、唯一の現存する井戸だと云う。

まずは、地階のその暗い井戸――深さ約24m――を覗いてから、未だ夢現(ゆめうつつ)の助手を引っ張って上階へと登って来た探偵だった。

「凄いねえ! この階段は桐だぞ。階段に〝桐〟を使用しているのもこの松江城だけだそうだ。燃え難いので防火対策に、また、軽いので敵が攻め込んだ際、引き上げるのにも都合がいいらしい」

上がり切った処で、いきなり声が降って来た。


「響(ひびき)!」


「あ?」

 飛びついて来たのは芥子色のコーデュロイのジャケットにグレンチエックのズボン―—洒落た身形みなりの若者だった。

「隼(じゅん)か!」

 旧友たちはがっしりと抱き合った。

「脅かすなよ、君、逮捕されたんじゃないのか? そう聞いたから、僕は、取るものも取らずに駆けつけたんだぞ」

「いや、これは悪かった!」

「え? このヒトが佐々木隼(ささきじゅん)さん? 新進の画家で興梠(こおろぎ)さんの友人ていう?」

 画家と聞いていた志儀(しぎ)はもっと違った人物像を思い描いていた。繊細で華奢なタイプを。だが、目の前の青年は長身で浅黒い肌、肩幅も広く、男性的な容貌だ。オールバックに流した肩までの髪型も精悍な面差しによく似合っている。

 志儀はプゥッと頬を膨らませた。

「じゃ、逮捕の知らせは、あれは嘘だったの? 僕たちを騙したんですか?」

「いや、そうじゃないよ! 警察に連行されたのは事実だ。だが、今朝、釈放された」

 慌てて画家は大きく両腕を振って言う。

「それで、解放された足でそのまま城へ来て――君を待っていたんだよ。ここで会うことになっていると聞いたからね」

 改めて、青年画家・佐々木隼は握手の手を差し出した。

「響、このたびは、本当に無理を言ってすまなかった。来てくれて嬉しいよ!」

「いや、僕の方こそ、久々に会えて嬉しい。こちらは海府(かいふ)君と言って――僕の有能なる助手だ」

 有能と言う言葉に機嫌を直して握手の手に力を込める志儀だった。

「海府志儀(かいふしぎ)です。よろしく!」

「こちらこそ、よろしく――そうだ、僕の方も紹介しなくては」

 刀剣や兜……歴史的な遺物を収めた陳列棚が並ぶ暗がりを振り返る。

「電報を打った僕の家族……と言っても、ウチは父母もとうに他界して、兄一人妹一人の所帯なんだが。おーい、金糸子(かなこ)!」

 恥ずかしそうに進み出て来た少女こそ―—

「あーーーーっ!」

「まぁ! あなたはさっきの……?」

 城の前で運命的な出合い方をしたあの女学生ではないか!

「私、佐々木金糸子(ささきかなこ)と申します」

 〝麗しき水郷のお嬢さん〟は膝の前に両手を重ね、お下げ髪を揺らして頭を下げた。

「都会の探偵さんがた、どうか、どうか、兄を助けてやってください! お願いします!」



「それにしても――」

 若い画家は頭を掻いた。

「落ち合う場所を〈城〉にしたと、昨日の午後、面会に来たこいつから聞いた時は、僕も驚いたんだよ。いやはや」

「あら? 変? 何か可笑しかったかしら?」

 円らな瞳を更に大きく見開いて妹は問う。驚いたその顔もなんと可愛らしいことだろう!

「だって、私、考えたんです。わざわざ来てくださる都会の探偵さんに最高のおもてなしをしたいって。それには、探偵さんに少しでも観光の機会を……地元の名所を見ていただくのが一番でしょう?」

「それは、全く素晴らしいお心遣いだと思いますっ!」

 直立不動で同意する助手だった。

「僕も同感です」

 すかさず興梠も相槌を打った。

「ここ松江城は、僕も、かねてから訪れてみたいと思っていました。夢がかなって良かった!」

かくして――


「そう、櫓(やぐら)、門、橋は再建築だが、ここ天守、石垣、濠(ほり)は現存物だよ」

「城主としては松平直政(まつだいらなおまさ)が有名だね?」

「あ、僕、知ってる! その殿様、直政公は15歳の初陣が大阪冬の陣で、勇猛果敢さを敵将・真田幸村(さなだゆきむら)に讃えられ、戦場で扇を投げ与えられたんだよね?」

「フフ、その扇なら――あそこに飾ってあるよ!」

「そりゃ凄い! ぜひ見ていかねば」

「へえ? 君は絵画だけでなく、武具や刀剣にも興味があるのか? だったら、我が街には、他にももっと素晴らしい歴史的な遺物を展示している資料館があるぞ。そこにある歴代藩主の甲冑などは、まさに必見に値する――」

 こんな風に和やかに談笑しつつ、兄妹と探偵たちは、城の最上階へ登り着いた。


暗い城内から一挙に光溢れる天守閣へ……!


四方に開かれた窓からは、松江の街……外濠(そとぼり)の京橋し川……遥か、宍道湖(しんじこ)まで見渡せた。

壁のない総窓。周囲360度を眺望できるこの造りは〈望楼式〉と云って、最も古式の天主様式なのだ。

澄み切った秋の空の下、爽やかな風が吹き抜けて行く。

「なるほど! こうしてみると水濠(すいごう)が薄い塩水だというのが瞬時に納得できるな!」

「そうか、濠は宍道湖に繋がってるんだ! そして、宍道湖は外海へと続いている。うわぁ、水面がキラキラ光って綺麗だなあ!」

「国宝・松江城は、日本三大湖城にも数えられています。私たちは郷土のこのお城を心から誇りに思っています」✵

「ところで——」

 探偵は表情を引き締めた。幸いにも早い時間帯のせいで天主閣には自分たち以外、人影はない。

「逮捕も早かったが、何故こんなに早く釈放されたんだい?」

「それだよ」

 高欄に腰を下ろして画家は腕を組んだ。

「喜ぶべきかどうか――実は、昨夜4人目の被害者出てね。それで、一応、僕にアリバイが成立した」

 声を落として付け加える。

「尤も、僕への疑惑が完全に払拭されたわけではないだろうが、とりあえずは拘束している理由がなくなったというわけさ」

 すかさず志儀が訊いた。

「4人めって、それ、また、女の子が誘拐されたってことですか?」

「ええ。昨日の夕方だそうよ」

 金糸子は学生鞄から新聞を取り出した。

「見て。娘の帰宅が遅いと心配していた家の郵便受けにまたしても素描を入れた封筒が届いたんですって」

「――」

 紙面には4人目の誘拐を告げる見出しとともに、犯人が描いたと思われる被害者たちの素描が掲載されていた。


「なるほど、君のタッチに似ているな」

「うむ、僕も認めるよ。だが、それだけで身柄を拘束されたのでは堪ったものじゃない」

 若い画家は眉間に皺を寄せて憤慨した。

「それに大体、画風云々を言うのなら、僕だけではすまないはず。特にここ、松江の街ではね」

「そのとおりだな」

 即座に頷いた探偵を怪訝そうに見つめる助手だった。

「どういうこと?」

「千野碧明(せんのへきめい)。この地が生んだ現代洋画の巨匠だ。だから、この街では絵を描く人間は多かれ少なかれ千野画伯の画風の影響を受けている……」

「――」

 隼の顔が翳った。光溢れる天守に座していると言うのに?

「実はね、その千野先生こそ、大変なことになっている。ある意味、僕が逮捕されて、その間、多少なりとも先生への風当たりが和らいだのであれば、それはそれで良かったと思うほどだよ」

「何やら込み入った事情がありそうだね?」



  


✵松江城は昭和10年(1935)《国宝》に指定されています。

 ところが昭和25年(1950)戦後の新法により《重要文化財》に。

  地元の人々の尽力で今年、平成27年(2015)晴れて《国宝》に返り咲きました!



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