死の群像

島田黒介

死の群像第1章

死の群像1章‐1

 立て付けの悪い木戸が、ギシギシと軋む。

少しばかりの力を入れて開けきると、風に乗って香り過ぎない金木犀の匂いがした。

この家の中からも少しばかりの畳と木の匂いが、落ち着かせんとばかりに香ってくるが、それよりもひどく生活臭の発酵したような臭いが鼻につく。

彼は一つため息をつき、踵を返して室内へ戻る。

何日分溜めたのだろうか、と呆れ返るほどの食器が洗い場に山積みにされている。悪臭の原因はここだ。

三角コーナーにも、ゴミ箱にも生ゴミが残されたままだ。

これでは確かに蝿にとっては格好の住処なのだろう。

触る気さえしないがやはり片さなければいけないのだろうか、と腕まくりをするが、外からふと、にあ、にあ、と鳴き声がした。

彼が現実から目を背けるように、そちらに目をやると、幼猫が二匹、ゆっくりとこちらに歩いてきていた。

後ろから一回り大きい親猫らしき黒猫が、注意深げについてきている。

幼猫は何かをねだるように彼の足にすりよってきたが、何処に何があるか、見当もつかない。

しばらく台所を漁ると、昭和の木造建築には不似合いな半透明の収納ボックスから、猫缶がたっぷりと出てきた。

餌を入れる皿も見当たらないので、パキョ、と良い音をさせた缶をそのまま床に置いてやると、競い合うように食べ始める。

もう一缶開けてやると、親猫もそれに続いた。

彼はその微笑ましい光景を眺めながら、すっかり薄くなっている座布団を敷き、懐からマッチを取り出し煙草を燻らせる。

咥え煙草からぷかぷかと、白い煙の向こうの天井を眺め、彼は呟いた。


「どうやって降ろしたもんかなあ……」


彼の目線の先には、天井から下がる一本の麻縄と、それにぶら下がる少し痩せこけた男の姿が合った。

どことなく、その男の容姿は、彼に似ている気がした。

足元には蹴飛ばされた小さな踏み台と、失禁などをした時のことを考えてか、新聞紙とタオルが一畳分ほど敷いてあった。

口には薄手のタオルで猿轡をしていて、目は気にならないくらいに、飛び出ていたが、それを気にしなければ、死体は綺麗なものであった。


「どうしたい、そんなに睨みつけて。息子が来るなんて驚くことでもないだろ」


あぐらを掻きながら、フウウ、と白煙を吐き出す。

彼がぶら下がる前方に、丁寧に置かれた遺書は、まだ見ることを躊躇われた。

彼にとっては、生前に遺した言葉よりも、死体となった父親と会話する方が先決だったからだ。


「苦しいかい、苦しいだろうなあ。俺としても早く降ろしてあげたいところだけど、あんたが家に呼びたがらなかったから、脚立の場所もわからない」


ドラマや推理小説のように、叫び声を上げたり、腰を抜かしたりはしなかった。

至極落ち着いた様相で、昔家に帰ったとき、難しい顔で分厚い本を読んでいる父親を見たとき、植木の世話をしている父親を見たときと、なんら変わりない反応をした。

かと言ってこの父子の仲が悪かったわけではない。

どちらかと言えば仲が良かったほうだと、彼は自負していた。

厳格で怒りっぽい『昔気質』の父親は、何も言わずに彼を高校にやりながら、大学の入学資金を貯金してくれていた。

しかし彼はそれをそっくりそのまま返却し、街へ働きに出た。生涯でこの時だけ、唯一彼が反抗を押し通したのだ。

 大分涼しくなっているのに、季節外れの風鈴が、風に揺られてチリン、と鳴った。

こういうレトロだとか、昔の風流だとかいうものが好きな父親であったが、足が悪かったから、なんとか飾ったもののしまうのが億劫になってしまっていたのだろう。

すくりと立ち上がり、風鈴を取り外す。

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