第33話:おしゃべりな薔薇
「あ、あたしも姐さんたちを見習って、身なりだけでも一流にしようと思いまして」
「パーマかけてちょっと経つと、すぐこうなるもんですから」
話しながら、薇薇は自分の頭を指差す。
この子は髪の毛が多過ぎるのか、それとも頭そのものが大きいのか、雷が落ちた後に台風に襲われた様な状態になっていた。
それとも、この髪型自体が、しょっちゅう理容師に手入れしてもらわないと駄目なのかな?
私は急に思い直す。
理髪代って、月々幾ら必要になるんだろう?
そもそも、この一回分の料金は?
思わず額に手を当てて考え込んでしまう。
「あの、この子は?」
薇薇の甲高い声が飛ぶ。
「新しく入る子ですか?」
薇薇は忙しく瞬きして蓉姐を窺いながら、私に向かってあたふたと手を動かした。
「あ、私、
私も腰掛けから立ち上がる。
「昨日から蓉姐の所でお世話になっております」
取り敢えず蓉姐と薇薇の二人が立つ方角に頭を下げる。
少なくとも、これで両方に対して角は立たない筈だ。
「莉莉、莉莉ね」
薇薇は今度は忙しげに大きな鳥の巣頭を振る。
そうすると、
遠目にも明らかな安物の偽石と知れたが、この子が着けていると、何だか石榴の粒みたいで、とても美味しそうに輝いて見える。
「あんたは
そこまで話すと、薇薇のふっくらした両の頬に大きく
私も釣り込まれて笑顔になる。
多分、この子も私と同い年くらいだろうけど、ひどく人懐っこい明るさがあった。
「あたしはね、
薇薇は丸い頬を赤くして、堰を切った様に喋り出す。
「ほんとは『
「薇薇!」
蓉姐の低い声は奔流も止める。
「エメラルドの耳飾りは?」
蓉姐は緑色の目を細めて告げると、薇薇の右の耳飾りをパチンと弾いた。
石榴の粒じみた、紅い偽石が薇薇の丸い右頬を打つ。
「そ、それは
薇薇が言い掛けたところで、今度はその左の頬を、蓉姐に爪弾きされた紅い粒が新たに叩く。
「持ってるのは、本当に莎莎なんです!」
薇薇は殆ど悲鳴に近い声を上げた。
「莉莉」
蓉姐の細めた両目がやおらこちらを向く。
「あ、は、はい」
「バッグの肉切り包丁、あんた、気を付けて持つのよ」
「は、はい」
肉切り包丁?
頭の片隅を疑問が掠めたが、震えながらとにかく頷いた。
「夕べも豚肉と一緒にまな板まで切れちゃったから分かるでしょ?」
あんたもその目で確かに見たでしょ、と念を押す口調だ。
「……はい」
このバッグの中にある凶器といったら、せいぜい型崩れした箱に入ったマッチくらいだ。
しかし、たとえ姐さんが墨を雪だと言い張っても、私は決して首を横に振れない。
こちらの手元を見詰める薇薇の顔色がみるみる青ざめる。
その様子を目にすると、手に持つバッグが本当に火の点いた爆竹みたく私にも思えてきた。
「昨日、
薇薇のふくよかな
「日本兵もよく使うそうよ」
日本兵!
その響きに背筋が思わずぞくりとする。
――中国人と同じ黄色い顔はしていても、日本人は洋人よりもはるかに残忍で、虫けらの様に人を殺す。
――上海にも既にたくさんの日本兵が攻め込んでおり、街を牛耳っている。
蘇州で耳にした噂話を次々思い出し、知らず知らず手にしたバッグを抱きしめた。
私のその様子をどう受け取ったのか、こちらを眺める薇薇の目がますます凍り付く。
「お会計、お願いします」
蓉姐が打って変わった笑顔で振り向く。
「はい」
応じる理髪師のおじさんは、ちょうど床に切り落とした私の髪をまとめて掃き終えたところだった。
「新しくお店に入る方ですか?」
蓉姐から受け取った金を確かめると、おじさんはまた金歯を見せて私に笑いかけた。
「ええ」
蓉姐が代わりに答える。
「どうぞご
理髪師のおじさんは
姐さんの払った額からして、とてもじゃないが、ここにしょっちゅう通うのは無理だ。
「
理髪師が新たに薇薇に向かって愛想良く告げる声を
*
*文中に日本人への偏見と取れる記述が出てきますが、飽くまで戦時中の中国人側に立った描写ですので、ご了承下さい。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます