2014/9/12 Fri. - 2
放課後。
「よぉ、銀くん」
帰宅部な銀路が玄関へ続く廊下を歩いていると、気さくな声に呼び止められた。
振り向けば、背筋をピンと伸ばした長身の女性の姿。
平均的な身長の銀路よりも背が高い。夏服の白いシャツと紺のスカートにくっきりと凹凸を描く、出るところが平均以上に出た柔らかな曲線の女性的な体型。一方で、飾り気のない艶やかな長い黒髪に実用一点張りの
彼女は銀路の幼なじみ。同じ高校に通う一つ上の
「
「全校生徒の笑顔を見守るのが、生徒会長の勤めだからな」
彼女は二年生にして生徒会長となった高スペックなお姉さんなのである。
「間違ってないような気もするけど、生徒会長の勤めってそれだけじゃないよね? 生徒会室にいなくていいの?」
「何を言ってるんだい、銀くん。『笑顔溢れる学園に』を公約に生徒会長に当選した洞木藍華だからね。デスクワークなんかより、こうして校内を巡回して愛すべき生徒達の笑顔を見守る方がずっと大切な仕事だよ」
「いや、藍華姉の趣味だろ、それは」
「そうとも言うかな」
藍華は悪びれずに言ってガハハと磊落に笑う。黙ってじっとしていればお堅くも清楚な外見だが、喋って動けば何もかもが完全に台なしである。
藍華は『
「おお、そうそう、呼び止めたのは他でもない。銀くんに聞きたいことがあったんだが……」
周囲を見回すと、放課後の一階廊下には多くの生徒が行き交っている。
「うむ、こんなところで話すのもなんだな……銀くん、こっちだ」
いきなり銀路の腕をとってツカツカと歩き出す。生徒会長として廊下を走るのを憚っているのだろうが、長身だけに歩幅も大きく十分にハイペースだ。
そのまま、近くにあった階段を何段も飛ばしながら上り始める。
「ちょ、ま、待って……」
銀路の言葉に聞く耳持たず、ペースを落とさず一気に校舎四階の更に上、立ち入り禁止の屋上へと続く扉の前まで上っていく。
「うむ、ここならゆっくり話せるだろう」
これから話す内容に配慮して人気の少ない場所へ移動したのだろう。それは解るのだが、
「ぜぇ……ぜぇ……もっと……ぜぇ……ゆっくり、上って……ぜぇ……よ」
インドア趣味で運動が苦手な銀路は、完全に息が上がり抗議の言葉も切れ切れだ。
「あっはっは。これしきのことで軟弱な。気合いが足りんよ、銀くん?」
一方で、スポーツも万能で体力のある藍華は息一つ切らせていない。
「気合いで……ぜぇ……どうにか……ぜぇ……なるもんでも……な……」
「わかったわかった。その様子じゃ話せそうにないし、待ってるから、まずは息を整えな」
何かと気合いで片づけてしまう藍華にもの申そうとして申せていない銀路に呆れたように、藍華は言葉を被せてきた。
お言葉に甘えて、銀路は暫時ゼハゼハしながら呼吸を整える。
「ふぅ……なんとか、落ちついたよ……で、聞きたいことって何?」
「うむ、それは銀くんのクラスの『笑わない魔女』についてだ」
「真城の、こと?」
「そう。このあたしへの挑戦とも取れる二つ名を持つ『笑わない魔女』こと真城乃々さんだ」
「別に挑戦してる訳じゃないだろう?」
「まぁ、それはそうなんだろうけどな。でも、どうかしてると思わないか? もう二学期が始まっているのに、未だ彼女の笑顔を誰も見ていないっていうのは異常事態だ。一学期の間ぐらいはまぁ、新しい環境になじむのに時間がかかって緊張で笑えないとか、そういうのもあるかもしれない。だから、見守っていたんだ。二学期になれば『笑わない魔女』なんて仇名は風化しちまうだろうってね。でも、だ。二学期になっても一向に状況が変わりそうにもない。だから、彼女の笑顔が見たいってのもあるけど、心配でもあってね。何か問題があるなら、生徒会長として力になりたいし」
「なるほど、ねぇ」
銀路は、言われて初めて異常性に気づいた。
乃々が笑わないのが当たり前といつの間にか思い込んでいた。だけど、同じ学校にこれだけの時間いて、クラスメートさえも誰一人彼女の笑顔を見ていないというのは異常事態だ。
とりわけ、
「なんでもいい。彼女について気づいたことがあれば、教えて欲しいんだ」
言われて、今日の休み時間のことを思い出す。
「ああ、そういえば休み時間にゲームの話をしてると、ときどきこっちを見てるようなんだ。今日もこっちを見てたよ」
「お! それは新しい情報だね。なんだ、彼女はゲーム好きなのか?」
「それは解らないよ。ただ、その雰囲気から好意的なものは感じなかったかな。どちらかといえば嘲し……嘲弄するようなネガティブな視線だと感じたよ」
『嘲笑』と言いそうになって『笑』の字を持つ言葉はそぐわないと言い直す。それぐらい笑いから遠いのが『笑わない魔女』なのだ。
「本当にそうか? 彼女が嘲弄していたのかどうか直接確認したわけじゃないんだろう?」
銀路の言葉に藍華は納得しなかった。
「わざわざそんな確認はしてないけど、俺のこと『おかしい』って言ってたから……」
「それがどうした。一般論として、レトロゲームばかりやってる銀くんがおかしいのは事実じゃないか。それは他のクラスメート達と同じだろう? 本当に嘲弄の意志があったかどうかなんて解らない。なのに、勝手に決めつけるのは相手に失礼だぞ。不確定なら不確定のままでありのままを受け入れて考えないと。誤解ってやつは可能性を事実とすることで広がっていくんだからな」
銀路の言葉に被せるように、正論で諭してくる。
その通りだと、銀路は反省する。
目が隠れているので、乃々の本当の表情は解らない。口元と雰囲気だけで勝手に嘲られたと感じたのは、多分に銀路の被害妄想も入っていたように思う。他の奴らも、結局は「お前おかしいよ」と言ってるのと変わらないのに、彼女からだけネガティブなものを感じるのは偏見だろう。
「解った。今後は気をつけるよ」
「うん、素直で宜しい。銀くんの予断による誤解が彼女の笑みを遠ざけるようなことになったら、目も当てられないからな。これからも、ありのままを見て知らせてくれると嬉しい」
そこで、銀路の肩に手をかけてレンズの奥の瞳を銀路のそれと合わせてくる。
「あたしはね、真城さん以外の全校生徒教師職員出入り業者全員の笑顔は既に見た。彼女の笑顔さえ見れば、スマイルコンプリートだ。だから、真城乃々の笑顔が見たい。それを妨げる問題を抱えているようなら解決してあげたいんだ」
笑顔を愛するゆえの、切なる願いを口にする。
笑顔溢れる学園を目指して生徒会長にまでなったにも関わらず、最後に立ちはだかった壁。それが、真城乃々なのだろう。
「約束するよ。できるだけしっかり真城のことを見て、何かあれば藍華姉に報告する」
銀路は真摯に請け負う。
藍華に触発されて、銀路も乃々の笑顔が見たいと思い始めていた。
「いや、それは、ほどほどで、いい」
「え、なんで?」
何事も泥臭く挑む銀路としては、戦略と戦術を立てて乃々を見守るつもりになっていたのだが、いきなり水を差された。
「ほ、ほら、銀くんは男の子で、真城さんは、女の子だろ? 変なことになったりしたら、なんというか、面白くない、し。正直、他の女の子を、銀くんが意識して見てるとか……ちょっと嫌というか……」
いつも歯切れがいい藍華には珍しい態度。最後の方は消え入るようで何を言っているのか銀路には解らないぐらいだった。
釈然とはしないが、親しくもない女生徒を観察しているとストーカーか何かと思われるかもしれない。藍華はそういったことを心配しているのだろう、と銀路は納得する。
「そうだな。まぁ、深入りしすぎないようほどほどに見て、何かあれば報告するよ」
「ああ、それぐらいで十分だ」
ことさらに表情を明るくして藍華が言うが、その表情の変化の意味を銀路は深く考えない。
「そういや銀くん。話は変わるけどさ、今日は何のゲームの話をしていたいんだい?」
「それは……あ、そうだ! 『ファンタジーゾーン』! やっと昨日クリアしたんだ!」
「やったじゃないか!」
銀路の言葉に素直に共感して手を差し出した藍華とハイタッチ。クラスメートには理解されないが、身内といって差し支えない藍華は理解してくれる。
藍華と銀路は家が隣同士であり、幼い頃から互いの家を行き合う家族ぐるみのつきあいで、姉弟のように育ってきた。互いの家を行き交うということはアラフォーライク育成機関ともいえる環境に、藍華も出入りしていたということだ。必然的に、レトロゲームにも造詣が深い。
「でも、藍華姉みたいに解ってくれる奴が誰もいないんだ。古き良きゲームを泥臭くクリアしたところで、それは特殊な趣味で共有するようなものじゃない、そんな感じだな」
「そりゃそうだ。いいじゃないか。解る奴だけ解ってれば。少なくともあたしは解ってるから」
銀路の背中をバンバン叩きながら請け負ってくれる。
頼もしく嬉しいが、ちょっと痛い。
「でも、やっぱり同年代に共感してくれる人間がいないってのは、寂しいな。もっと周りに理解してくれる人間が増えて欲しいよ。それに、俺達の世代が頑張らないと、これから先、歯ごたえのある熱いゲームが淘汰されて、温いゲームばっかりになっちゃいそうだしさ」
「まぁ、あたしも最近のゲームが親切すぎたりして温く感じるのは同感だけどさ、ゲームの未来を憂う前に、銀君が挑むべきゲームはまだまだあるだろう? だからさ、『ファンタジーゾーン』をクリアしたんだったら次は軽く
「全然軽くないから、それ!」
思わずツッコんでしまう。
『火蜂』というのはケイブが生んだ弾幕シューティング『
何しろ、ハードウェアの限界まで一発でも多くの弾を出すために小ぶりにされたという曰くのあるボスキャラである。その殺しにくるぶりは、シューティングゲームに慣れないものが観れば狂気の沙汰としか思えないであろう。
しかも、火蜂攻略法を問われた開発者が「攻撃を与えつつ、気合いで避けてください」と答えたという伝説があり、それがシューティングゲーム用語の『気合い避け』、つまり、パターン化するなどの特別な攻略法に頼るのではなく、殺しにくる弾幕を気合いで見極めてアドリブでガチ避けすることを意味する言葉の語源となったと言われている。
その後の『怒首領蜂』シリーズを始めとするケイブシューティングゲームでは狂気の真ボスは恒例となり、どんどんエスカレートしていくことになる。それが「あかんこれ」とやる前にプレイヤーのやる気を削いでご新規様お断りの空気を産み出し、シューティングゲームの衰退の要因の一翼を担っているのは否めないのだが。
銀路は立ちはだかる壁にワクワクする側の人間ではあったので、こういうエスカレートはウェルカムである。火蜂には出会うのが限界で、今のところ倒せる気はしないが、それでもだ。
「まだ、俺には早いよ」
だから、謙遜でもなく、逃避でもなく、事実としてそう応じるが。
「いやほら、真ボスの中では軽い方だから、ちょっと気合い入れればどうにかなるって」
などと藍華は気楽に言ってくる。
とはいえ、その感覚に嘘がないことを銀路はよく知っていた。
彼女は、何事もありのまま受け入れて臨機応変に対応するのがモットーだった。先ほどの銀路を諭した言葉にも、それは現れているだろう。
『ありのままを受け入れて臨機応変に対応する』をシューティングに適用すると、『気合い避け』に相当する。それは、正に開発者の言葉通り、火蜂攻略に要求されるものだ。
奇しくも『気合い』は彼女の好きな言葉でもあった。だからであろうか、彼女は気合い避けで歴代の真ボスを撃破しまくる程度の能力。ゆえに、彼女にとってその先駆けの火蜂が軽いのは事実だったりするのだ。
「今の俺だと、藍華姉には到底及ばない腕だからね。まだまだ勝てる気がしないよ」
銀路は今度も「まだまだ」と言う。決して全否定はしない。そこが彼の矜持。
――今はダメでもいつかは斃してやる。
いつになるかはともかくとして、それぐらいの気概は常に持っている。
「そうかそうか。なら、時が来たら挑んでみるといいよ。銀くんならきっと倒せるから」
「そうだな、その時が早く来て欲しいもんだ」
理解してくれる人がいないとか温いゲームばかりだとか憂う前に、まだまだ挑むべきものはいくらでもある、ということ。極端ではあるが、この火蜂を巡るやりとりは、藍華なりの慰めだったのだろう。
「さて、あたしは生徒会室へ戻るとするよ。そろそろ行かないと副会長に怒られるからね。『笑わない魔女』の件もほどほどに頼むよ」
話がひと段落したところで、藍華は階段を大股で下りていく。
「了解。それじゃぁ、生徒会のお仕事頑張って」
その背を見送り、銀路は家路についた。
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