守れなかった兄ではなく
「……………っ」
誰かが叫んでいる。
目の前で一番大切な少女が倒れている。
少女は地面に叩きつけられて気絶している。しかし、斬られてはいない。代わりに、『彼』が左腕を負傷していた。
その傷を庇いながら、一番大切な少女を襲った化物を見た。
化物が、嗤っている。少女を庇った『彼』を嗤っている。
少女に凶刃が向けられた時、何かが堰を切ったように溢れだし、気がついた時には少女を庇っていた。何も考えられないほどの怒りが身体を駆け巡っていた。
「ダメ、……お兄ちゃん!!」
周囲がうるさい。
ただただ、目の前の化物――魂喰らいを、『彼』は睨みつける。
許せなかった。
もう、二度と失いたくない大切な人を、襲った。
許せない。絶対に、許せない。ユルセルハズガナイ。
「殺して、やる……」
いつの間にか消えていた腕の傷に気付かず、激情のまま剣を構えた『彼』は化物を殺そうと剣を振るう。
が、二人の実力の差はあまりにも大きすぎた。
「オリヴィアは、
『彼』が一太刀振るう間に、幾つもの裂傷が体中に刻まれる。
「オレが守るって? ははっ、無理無理無理っ!!」
「――っ!!」
悔しさに歯を食いしばりながらそれでも食らいつく『彼』に、魂喰らいは嬉々とした様子で打ちのめす。『彼』の刃は届かない。
「こんなに弱いんじゃぁ、話にならないわ」
「ぐっ」
腹部を殴打された『彼』が地面に叩きつけられる。
さらに、周囲を旋回する魔獣が『彼』を攻撃する。
「くそっ」
魔獣を殺そうと剣を振るうが、地を這う彼の剣は届かない。
ただ魂喰らいと魔獣を睨みつけながらがむしゃらに向かう。傷だけが増えていく。
その眼光はまるで仇を見る目で、怒りに満ちていた。
「やめ………ルー! ……め……」
そんな『彼』に青年が何事か叫んでいるが、聞こえない。
「ローラを、守るって……約束を……した、のに」
地を這い、土を握りしめ、『彼』はかすれる声で呟いた。自分に、言い聞かせるように。
目の前の化物が、魔獣が、あの時の惨劇を思い出させるのだ。
そして、燃える天幕が、空を焦がす炎が、正常な判断力を焼失させる。
母と
だからこんどは、大切な幼馴染は守りたかった。
……守りたかった?
なにか、ひっかかりを覚えるが、『
かぞくをころしたまじゅうを、ころさないと。
たいせつな、おさななじみを、まもらないと。
その一心で剣を振るう。
視界に翡翠色の髪の幼い少女がちらつく。なぜか、頭が痛かった。
『おなまえ、おしえて?』
その問いに答えられない。
「殺さないと……」
過去が、現在が、曖昧になっていく。そもそも、今までなにをしていたのか分からないことにも『
明らかに先ほどとは動きも攻撃の質も変わってしまったロアの様子に、化物となってしまった魂喰らいは口を歪ませた。
「あぁ、なんだ。……お前も呑み込まれていたのか」
本当に、愉しそうに。愉快でしかたがないとばかりに。そして――憐れむように哂っていた。
「喰らった魂の記憶に、呑み込まれたんだね。我らの同朋、なんでここに来たんだい。歓迎するよ」
嬉しそうに、魂喰らいは微笑んだ。
そして
「ルー……なの?」
呆然とした少女の声が響いた時、『
オリヴィアが気絶をしていたのは、ほんの数瞬のことだった。
気付くと、先ほどと変わらずロアとラドクリファが化物と戦っている。が――その戦いは少しだけ変わっていた。
ロアが、激情に任せるように剣を振るっている。その表情も、殺気も、先ほどにはないものだった。
そしてとても――懐かしかった。
「ルー?」
ロアでは、ない。そう、思った。
復讐。それが、ロアとオリヴィアの繋がりで約束だった。
だから、断じて守るなんて約束をしたことなどなく、そしてなにより……
「ローラ……ちゃんは……」
なにより、ローラという少女は
「ルーの……」
たったひとりの妹だった……はずなのだ。
だから、オリヴィアは思ったのだ。目の前で戦う『彼』は、ロアではないと。
ロアはルーの妹の為に戦わないから。オリヴィアを守るなんて言わないから。こんなふうに、自分を露わにしないから。
同時に、ここまであの出来事はトラウマだったのかと、戦慄する。故郷を襲われ、家族を目の前で殺されたという過去が。
そして、少しだけ悲しかった。
だれよりも傍にいると思っていたのに、こんな思いを抱いているとオリヴィアは……知らなかったのだ。
それが、辛かった。ルーのことを、知っているつもりだった。
数年前まで平民として生きてきたディスヴァンド唯一の妾腹の第五王子。彼の幼少期を知る人は、おそらく幼馴染であったオリヴィアぐらいだろう。そして彼が城に引き取られた時、誰よりも傍に居たのはオリヴィアだった。最もルーの事を知っていると思っていた。
だというのに--なにも知らなかった。
自らが傷つくのも構わず、捨て身の攻撃を行う彼は、すでに周りが見えて居ない。
ラドクリファが正気に戻れと声をかけ続けているが、聞こえてもいないようだ。なにもかも無視をして、魂喰らいに向かっている。
「ねぇ……あなたは……」
きっと、聞こえない。オリヴィアはそう思いつつも気付くと呟いていた。
「ルー……なの?」
ルーがいないなんて考えられない。ルーが死んだなんて受け入れられない。ロアが身体を動かしているけれど、いつか戻ってくるんじゃないか、なんて、ありえないと思いながらも、ずっと心のどこか奥底で、願い続けていたのだ。
だから、オリヴィアは……彼を『ルー』と呼んだ。
「っ!」
その声が聞こえていたのだろう。『ルー』が、振り返る。ほっとした様な、苦しそうな……なぜか、傷ついたような顔で。
その瞬間を待っていたとばかりに魂喰らいと魔獣が襲いかかる。とっさの事に動けず、魂喰らいの攻撃を剣で受け止めたものの、魔獣たちの爪が肩を、腕を引き裂いていく。
短剣が弾かれ、魂喰らいは腰に下げた剣を手に取る。
「ルーっ!!」
慌ててオリヴィアは雷を放つ。狙って放たれた雷は音を立てて魔獣を焦がした。しかし、それだけでは魔獣は怯むどころかオリヴィアへの敵意をあらわにして向かって来る。それを紙一重でラドクリファが止めた。
『ルー』が魔獣を振りはらって魂喰らいを睨みつける。そして、一太刀でもと斬りかかる。
「ちがうっ……」
幼い少女の声が響いた。しかし、誰もその声を聞く事はない。
剣を弾かれ、さらに『ルー』はもう一撃腹に喰らって飛ばされる。
傍にあった天幕に叩きつけられ、天幕が歪み、半壊する。
たちあがろうとする『ルー』の前に、魂喰らいが悠然と歩いて近づいて来る。それを、『ルー』は視ていることしか出来なかった。衝撃を受けた体はすぐに動けなかったのだ。
痛みに耐えながらも魂喰らいを睨む。
それくらいしか、『彼』には出来なかった。
『またもや』、それくらいしか、『彼』には出来なかった。
かつて為す術も無く魔獣に食べられる妹を見ているしかなかったように。
手に持った剣が届く場所で、魂喰らいは足を止めて笑った。
「とりあえず、殺しはしないよ。殺したい。殺しちゃダメだよね。大人しく、戻ってもらおうか?」
視線で人が殺せるのならば、何度魂喰らいが死んだか分からないほどの殺意を籠めて、『彼』はそんなことをのたまう魂喰らいを見つめていた。
だから、直前まで気付かない。
「ロアお兄ちゃんっ」
駆けよって来た幼い少女を。
翡翠色の髪の少女を。
「ちがうよっ。ロアは、ロアだよっ!!」
振り上げられた剣は処刑のギロチンの様に振り下ろされ――『ルー』と魂喰らいの間に小さな影が立ちふさがった。
とある少女には、生まれつきあるモノが視えた。
人の、根本。
その人を、その人たらしめるモノ。
同じモノなどただの一つも無く、一生、決して変わることはない。
それは――魂。
だから、彼女だけは、わかっていた。
目じりに涙をためて、目を瞑ったヒスイは来るであろう衝撃を待った。
暴走をしたロアを止めようとして、彼女はいつの間にか戦場に飛び出していた。
なにも変わらない魂は、ロアがロアであることを示している。彼は、ルーではない。
オリヴィアを傷つけられることへのルーの強い忌避の記憶が、ロアを暴走させている。
それを理解していた訳では無かったが、いささかまずい状況であることに気がついていたヒスイはとにかくロアを止めたかったのだ。
が、頭上で金属が弾かれる音を聞いて思わず目を開けた。
この夜に紛れてしまいそうな黒い影がヒスイを守る様に展開されていた。まるで、鳥かごの様な守護の檻だった。
だが、一瞬にして鳥かごは黒い砂となって消えてしまう。
それを、呆然とロアは見ていた。まるで、今起きた事がなんだったのか解らないと言った様子で。
「……ヒス、イ?」
揺れる瞳で、ロアが問いかけて来る。
「そうだよ」
頷いたヒスイは、ぺたりと座りこんでしまう。どんなに気丈にふるまっていても、怖ろしかったのだ。
震える足は、すぐに立てそうにはない。
「ロアおにいちゃんは、ロアおにいちゃんだよ」
震えながらも、しっかりとした言葉で、ロアに語りかけた。
「ルーおにいちゃんじゃない」
呆然とロアは少女を見つめる。
「ねぇ、ロアおにいちゃん」
呼びかけられるたびに、ロアの瞳が揺れた。
「あ、れ? ぼくは……?」
ぐちゃぐちゃになった記憶の中で、翡翠色の少女を思い出そうとする。
ローラを殺したあいつらを殺さないといけない気がする。けれど、ローラって誰?
いや、ローラは妹だった。
妹? 妹なんて居たの?
分からない分からない分からない分からないわからない……
「しっかりして! ロア!!」
「……ロ、ア?」
「そうだよ! わたしにロアってなまえをおしえてくれたでしょ!!」
『おなまえ、おしえて?』
檻の中のロアに微笑みかけた少女が、目の前でロアの名を叫んでいる。
「あぁ……私は……ロア、だったな」
そうだ、自分はルーではない。ローラを守れなかった兄ではない。オリヴィアを守ると約束した幼馴染じゃない。
自分を魂喰らいにしたやつらを復讐するという生きる理由をオリヴィアからもらった、ロアだ。
たちあがったロアは、そのままヒスイの手をとっておきあがらせた。
そして、そのまま腰元ほどの背しかない少女を抱き寄せる。
「ロ、ロア?」
顔をあげたヒスイは、ロアが自分を見ていない事に気づいた。
ヒスイの向こうを。目の前の敵を見ている。
「離れないで」
「……うん」
また、ロアでは無くなってしまいそうで、どこかに行ってしまいそうで、それが怖くて、ヒスイはぎゅっとロアの服を握りしめた。
「なんだよ、それは」
魂喰らいがまるで裏切られた様に呟く。そして、さらに斬りかかった。
何度も何度も剣を振るう。それを、ロアは冷静に受け流す。
しかし、じりじりと後ろにロアは下がっていく。ヒスイを庇いながら、ロアは魂喰らいを見つめる。
魂喰らいはまだ、気付いていない。だから、それを気付かせないようにとロアは魂喰らいの注意を引くようにと戦い続ける。
「ふざけるなっなんで狂わないんだっ。俺たちはこんなにつらいのに、なんで!!」
ロアを攻める。周りなど見ずに、ただ攻撃をする。
ロアはその力に圧倒され、どんどん下がっていく。幾つもの傷をさらに増やすが、それでも彼はヒスイを守る様に片手に抱きしめ、魂喰らいの攻撃を片手で止める。
おかしいと魂喰らいは思う。これではまるで自分が追い詰められているようだと。だが、おかしいと思っても、狂い始めていた思考は攻撃をやめない。体は、死した魂を求めている。
いつしか、周りに魔獣が居なくなっているのにも気付かず、魂喰らいはロアを必要以上に狙い戦っていた。
その周りを魔獣を駆逐し終わったヴェントス、エイジ、サイカ達が囲んで行く。それにすら彼は気付かない。
「なんでもいい、情報が欲しい。一応、生かして捕らえるぞ」
ヴェントスの合図と共に一斉に魂喰らいは傭兵達の攻撃にさらされた。
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