Episode 3
一時の平穏に影は忍び寄る
ねぇ、おそろいの赤い髪の女の子が死んだのはなぜ?
その子の為に、強くなるんじゃなかったの?
こんどこそ、大切な幼馴染を守れるように。
ねぇ、君は――守るって約束をしたでしょ?
夜明けの使者団は、急遽進路を変えてヴェレスタ伯の城へと向かうこととなった。
その理由は、ディスヴァンドの第五王子ルーサイトの死亡とあの謎の工房から回収された物の中に、いくつかの重要な書類が発見された為だった。
いわく、あの工房の援助を隣国トールへと攻めているカラトリスがおこなっていたこと。
援助の見返りに、魔術研究の結果を渡す事。
それは、裏で行われていた取引。彼等は魂喰らいの研究を行っていた。そして、魂喰らいを創りだす事に成功をしていた。
その技術がカラトリスに渡ったとしたら、どうなるだろう。
「まったく、困ったことになったな……」
ヴェントスはフェイ達と共に幾つもの調査の結果を見ていた。
暗闇の中で、ランプの灯が揺れている。
夜の僅かな時間の中で、彼等は会議を開いていた。
ディスヴァンドでの不審な魔術工房の発見や各国での不審な事件、王の奇怪な就任騒動。様々な問題が次々に知らされている。
その不審な事柄の最後は、カラトリスや謎の魔術師組織に行きつく。
あのユーリウスやアグニという魔術師もまた、その組織に所属している者たちなのだろう。
「とにかく、何が起きているのかを早く把握しなければ……」
フェイが呟くと、エイジが思い出したように顔をあげた。
「そういや、ルーというかロアは? あいつ、大丈夫なんか?」
ラドクリファは、いつもの様に寝る準備をすると、隣に居る少年を見た。
ぼんやりと、何を考えているのかわからない様子で、彼は天井を見上げていた。
魂喰らいの少年ロアが使者団に身寄りを寄せることとなり数日がたった。
ルーの身体をルーでは無く別人が動かしている事は皆に伝えられている。詳細はぼかし、ただあの工房で敵対する魔術師によってこんなことになったのだと半分は本当のことを言ってある。突然逃げ出してこちらを攻撃した事は、混乱していたから、と伝えられた。
幸い、あの時重傷を負った者はいなかったので説明は簡単だった。
集団の中ではまだ問題となっていない。それでも、彼への風当たりは強い。ルーは使者団の中で意外と顔が知られ、どんな人達とも友好関係を築いていた。その彼が突然殺され、今は別の人物がその身体を動かしていると言われれば、当たり前だろう。同情する声もあるが、殺されたのがルーだったことで少数派だ。
一応魂喰らいであることやルーを殺した張本人であることは伏せられているが、もしかしたらこいつのせいで……なんて噂が聞こえて来る。確信に近い噂をする者もいる。
ほとんどの者は知らないが、今のところ変な動きはないがそれでも何をするか分からないとラドクリファなどが常に付き添うこととなっている。
オリヴィアによって彼がここにいることになったが、まだ、ラドクリファ達真実を知り、ルーと特に親しかった人々は納得していなかった。
「? どうした?」
ロアが突然立ち上がったことに気付き、彼も後を追う。
「……」
返事は無いが、彼は一度だけラドクリファのほうを向いた。だが、なにも言わずに外へと出て行く。
ラドもロアも自分から話すと言う事が無いため、ほとんど二人は会話と言う会話をしたことが無い。
これまで、彼が勝手に動くと言う事が無かった。一体、何があったのかとラドは不安を抱く。
後ろ姿に手を伸ばし、ルーと呼びかけて、動きを止めた。
彼は、ルーではない。あの少年は、もういない。
目の前に居るのは、弟子の姿をした別人だ。
ロアが外へ出ると、既に周囲は暗くなっていた。
その中を、その少女は走ってくる。
「いた! ようやく会えた!!」
腰に飛び込んできたのは、数回しか会ったことのない幼い少女だ。
薄黄緑色の髪にそれと同色の瞳。名前通りの色彩を纏う少女。
「ヒスイ」
「おぼえててくれたのっ? あっ、じゃあ、やくそくもおぼえてる?」
大きな瞳で見つめて来る少女に、ロアは知らないうちに苦笑しながら頷く。
「『ロア』。私は、ロアだ」
ヒスイが、満面の笑みを浮かべた。
「ねぇねぇ、おにいちゃんはどこから来たの?」
幼い少女が遠慮など知らず、様々な質問をしていた。
天幕の中で隅っこに二人が並んで座ると、ヒスイが一方的な話を始めて既に数分が経つ。
ラドクリファはそんな二人の様子をはらはらとしながら見ていた。
まかり間違ってヒスイが襲われたら……。
『ロア』という存在を信用できない。いくらオリヴィアが大丈夫だと言っても、彼は悪名高い魂喰らい。どうやら今回の戦争で暗躍する魔術組織にいた少年だ。何度も言うが無条件に彼を信用できない。
二人とも、何時の間に仲が良くなったのか、ラドクリファが何かを言う前にさっさと二人して話し始めてしまったため、ラドクリファはどうしようかと周りをうろうろしていたが結局は二人の話を聞いているしかない。
「よくわからない」
「もーっ、わからないことだらけじゃん!!」
先ほどからあまりかわらない返答に、とうとうオリヴィアは頬を膨らませた。
「……だが、わからないだのだ」
「じゃあ……あっ、なんでラドおにいちゃんといつもいるの?」
「……彼に聞いた方が早いだろう」
なぜこちらに話を振るっ。聞き耳を立てていたラドは慌てて目をそらした。
そんな様子に、ロアもヒスイも気付かない。
ヒスイは気付かなくても仕方が無いが、ロアは普段ぼんやりとしてあまり周りに目がいかないからだ。
「いやだよー。だって、ラドおにいちゃん、ロアおにいちゃんのことぶすーってみてるんだもん」
「?」
意味がわからずロアは首を傾げる。
「こーんなかんじで見てるってこと!」
ラドがちらりと見ると、ヒスイが目元を手で吊りあげている。それを見て、一瞬止まったロアはラドを見て、さらにヒスイを見ると首を傾げた。そして、おもむろに指でヒスイの真似をして目を吊り上げた。
「こうか?」
「そうそう。あっ、ほら! もっとしわが寄ってきた!」
二人してラドを見ると、顔を見合わせて頷きあう。
「……よくわからないが、ヒスイがそう言うのならばそうなのだろう」
「そうだよ! あのね、こう言う顔してる時のラドおにいちゃんはこわいってオリヴィアがいってたよ」
「覚えておこう」
「うん!」
「……それで、なんの話だ」
「え? ……なんだっけ?」
首を傾げあう二人にラドはため息をつき、外に居る人物に気づいて声をかける。
「…………あー、ヒスイ。ちょっとお客様が来たので今日は戻ってもらえますか?」
二人がふとラドクリファを見ると、頭を抱えたラドとその隣で微笑するフェイがいた。
謎の魔術師の工房。そこから回収された実験内容の書かれた資料は不完全ながらも、多くの事実をもたらした。
現在のルーとロアの状況や使われた一部の魔術も分かっている。そして、現段階ではまだロアが不安定であることも。その為に、フェイが定期的に彼の元へ訪れていた。
「それで、異常のほうは」
「……特にない」
いつもの問いかけに、あまり興味がなさそうにロアは返事をした。
フェイから毎日の様に問われるが、本当に何も無い。不安定だと言われても、自覚が無い為どこがどう不安定なのかも分からない。若干面倒くさそうにロアは応えるが、フェイは真剣そのものだった。
魔術師として、この状況を見逃せるはずが無い。そう、フェイはどこか冷静に考える。
ロアが作られた魂喰らいであることは資料から分かっている。それが、他の人間の魂を喰らったばかりか身体を奪い、自由に行動をしているのだ。通常人とは違う意味で見逃せるわけがない。
「まだ餓えは……?」
「ない」
先ほどよりもきっぱりとロアが否定すると、フェイは少しだけ疑わしそうに彼を見たがすぐに視線を手元の資料に戻した。
魂喰らいを滅ぼすのは、大抵悪化していく餓えが原因だと言われている。
殺して魂を喰らうのが一人二人のうちは町でも正体を隠して行けるだろうが、餓えは中毒の様に悪化していく。大抵の魂喰らいが戦場で姿を現すのはそのせいだ。戦場ならば常に人々の死であふれている。そして、戦場で討たれて死ぬ。餓えによって正気を無くして暴れまわる魂喰らいは敵にも味方だった者たちにも恐ろしい敵として討伐されることとなる。
それが故に、フェイは彼の状況を知っておかなければ無かった。
資料は欠けている場所のほうが多く、餓えについてはそこらで広まっている話程度しか知らない。これでロアが餓えによってオリヴィアを害したなどと為っては、どうなることか。
「なにかしら予兆があったら連絡するように」
どこを見ているのかわからないぼんやりとした瞳を見て言う。と、ロアは僅かに頷いた。
魂喰らいは解らない事だらけだ。ロアがここに来てすでに一週間が過ぎようとしているが、彼が物を食べた姿を見ていない。ちょっとした怪我ならばすぐに治癒してしまう。そして、魔術とは思えない黒い液体状のなにか。これらすべてを知りたいが、当の本人のロアがわからないと言っている為にまったく魂喰らいの調査は進んでいない。そもそも、野営で満足な調査などできない。自らの工房で行うのが一番だが、そんなことできるはずない。
魂喰らいが喰らった魂はどうなるのか、戻ることはあるのか……出来ればそういうことを調べたいがロアは協力的ではない。と言うより、本当に何も知らない。
魔術を使ってルーの身体を診ていく。違う魂が使っている身体に不調が無いのかを調べているのだが今のところこれと言ったものは見つかっていなかった。そもそも、フェイ達が不調を気付けるのか自体が謎だ。
いつもと変わらずに終わり、とりあえずフェイはロアと別れると天幕から出ていく。と、ちょうどヒスイを送っていたラドクリファが戻ってくるところだった。
「すまないな。まさか、あの子がいるとは思わなかった」
楽しそうに話をしていたヒスイの事を思い出しながら、フェイは声をかけた。
ヒスイは人見知りが激しい。特にルーなどには顔を合わせるのも恥ずかしいのか嫌なのかすぐに逃げてしまっていた。
しかし、ロアはどうしてか気にいったようだ。
それがラドクリファには少しだけ気にくわない。それをフェイは気付きつつも何も言わなかった。
ラドクリファにとって、ルーは初めての弟子で特に可愛がっていた後輩で、恩人の息子だ。彼が死んだことに対していろいろあるのは当たり前だろう。さすがにあの幼い少女にあたる様な事があれば口を出すが、彼はそんなことをするほど幼稚ではない。
「それで、ルー……ロアは?」
「あいも変わらずといったところか。ドロシアも大変だろう」
「……いえ」
首を振るが顔色は悪く、よく眠れていないように見える。医術も心理も専門外な為になにも言えないが、それでも彼が悩んでいるのはどうにかしたいものだった。
考えていたフェイの後ろから、誰かがやってくる音が聞こえた。
「あ、フェイの旦那」
振り返ると、すぐに動けるような格好でエイジが歩いて来る。夜の巡回中かと思ったが記憶違いでなければ今日は違う者だったはずだ。
「エイジ、今晩は巡回の日ではないと思ったが……?」
「そうなんですけど、あれ? ラド、言って無かったのか?」
「すみません……まだ」
「そっかそっか」
伝えられていないことがあったようで、二人で頷きあうとラドクリファは少しばつの悪そうな顔で話し始めた。
「実は、ロアが……寝ないのです」
「は?」
「最初は寝ていると思っていたのですが、どうやら起きているようで……一応起きて様子をうかがっていたのですが毎晩寝る様子が無く……」
それで、寝不足だったのか。納得しつつ、エイジが来たことに納得する。
毎晩毎晩起きているのはさすがにきつい。交代でロアを見張っていたのだろう。
そう言う事は早く言って欲しいと思いながらも何も言わずに頭をかいて、フェイは彼がいるはずの天幕を見た。
「寝ない、ね」
「時々、外にでてくることもあるぞ」
何度も見張りをしていたらしいエイジは腕を組み、何かを思い出すように目を閉じた。
「なんにもしないでぼんやりどっかみてるだけだけどな。なにしたいんだかよくわからね」
「……」
「まあ、あいつ自身もよく解ってなさそうだけどな。おいラド、さっさとやすんどけよ」
「あぁ……」
取り残されたフェイは、一度だけ天幕を見て……ゆっくりと背を向けた。
「……なんとも言えないな」
これがルーでなければ嬉々として研究していただろう。しかし、よく知った相手が殺されたとあっては穏やかではない。
ロアに対してどう対応すればいいのか、まだ迷っていた。
おそらく、ラドもそうだ。
ただ、エイジや長い間傭兵をやっていた者達にとっては少し違うかもしれないが。
人々は日が昇る前に起きると朝食もそこそこに野営を片付け、そして進み始めた。
目指すはイエルカと呼ばれる町。隣国トールとの国境付近にあるヴェレスタ伯領の城下である。
現在、ディスヴァンドから少々離れトールの地に滞在しているが、見つかった魔術師の工房と現在の状況を考えて一度国の上層部と会議をすることになったのだ。
移動は徒歩だが、数の少ない術師やヴェントス達は馬に乗って移動をする。
オリヴィアは、最初こそ馬車に乗っていたのだが、現在はヴェントスたち同様に一人で馬に乗って進んでいた。
日が真上に上る頃、休憩のために人々の進みは止まった。
ばたばたとあわただしく準備がされていく中で、ロアは人々の多い場所から離れていく。人ごみにいるのは、あまり好きではなかった。というよりも、この集団の中にいるのが、あまり好きではなかった。
と、誰かが駆けよって来るあわただしい足音とともに少女の声が響いた。
「ロアっ! 探しましたよっ」
「……?」
振り返る。声から誰なのかは分かっていたが、首を傾げた。
そこに居たのは、オリヴィアだ。なぜ、彼女が自分を探していたのだろうかと考えていた。
オリヴィアは少しだけ息を整えて、わかっていない様子のロアに微笑んだ。
「あれから、ゆっくり話す事も出来なかったでしょう」
そう言って、持っていたバスケットを揺らしながら彼の横に並ぶ。
「どこに行くのですか?」
「……」
どこ、と決めていた訳ではない。人少ない場所へ行こうとしていただけだ。
返答に困り、口をつぐんだまま少女を見た。
まったく知らないと言うのに、見知った少女だ。よく知っている。けれど、それは自分が知っているのではない。
「別に……決めていない」
そう言って、視線をそらした。
あまり、彼女を見ているとルーの記憶が現れる。
「そうですか。では、どこか座れる場所に行きませんか?」
そんなロアの様子にもなにも変わらず、気付かないように、それともふりをしているのかわからないが、いつもの様にオリヴィアは微笑んだ。
途中、ふと声がして立ち止まった。
その方角を見ても誰もいない。
オリヴィアは遅れたロアに気づいて立ち止まる。
「どうかしました?」
「……ヒスイ」
「?」
ヒスイの声がしたと思ったのだ。しかし、いる様子はない。が、やはり声が聞こえてきた。今度はオリヴィアも気付いたらしい。
なにか、予感がしてその声の方向へと歩きだす。
それに少し遅れてオリヴィアもついてきた。
天幕の後ろ、こちらからは見えなかった場所で、子ども達がいた。
達と言っても四人。ヒスイと男の子が三人。
一応ルーの記憶からザックとイアン、ジラファだと解る。どちらもルーとはよく遊んでいた子どもだ。使者団の中には子どもが少なく、年の低いルーは彼等の遊び相手だった。
ロアが来た途端、ヒスイは目元を隠した。そしてごしごしとこすっている。
隠したつもりだろうが、隠し切れていない。
「泣いていたのか」
少しだけ、声に力がこもる。
ヒスイがそんな顔をしているのが、なんとなく気に入らない。
「ち、ちがうよっ」
慌てて否定するが、目は赤い。そして、三人が身じろぎをする。
口をとがらせ、不満そうな様子を見せている。
ロアが彼等を見ると、三人は睨みつけるようにロアを見かえした。が、後ろから来たオリヴィアに気付いたのか、やばいといった顔でさっと身を翻した。
「な、なんだよ」
「べ、べつにこわくねーからな!」
口々にそんな捨て台詞のようなものを言って走って行ってしまう。
いったい、なんだったのだろう。
首を傾げつつも、すぐに意識はヒスイに戻る。
そういえば、初めて会ったときにも彼女は泣いていた。
「ルチルを探しているのか?」
「え? 違うよ!!」
「では、どうした」
なぜかオリヴィアが額に手を当てている。まるで、呆れた様子だ。そして、ヒスイは慌てた様子で辺りを見回し始める。
「かあさまがさがしてるはずだから、行くね! ばいばい!!」
オリヴィアにはなにか小声で話してから、いつもの様子でヒスイは笑って走っていった。
「やはり、ルチルを探していたのではないのか……?」
一体何だったのだろうかとオリヴィアを見るが、彼女は曖昧に微笑むだけ。
もう一度去っていくヒスイの背中を見る。先ほどまで泣いていた様子が嘘の様だ。なんだったのだろう。
「いきましょう、か。あとでヒスイにはお話しを聞いておきます」
とりあえず、頷く。
寄り道をしてしまったが、オリヴィアの話を聞かなければならない。
人通りが少なく、荷車が置かれた影。ちょうどよく座れる場所を見つけると、オリヴィアは座りこみ、バスケットを開いてなにかを用意し始めた。
話が始まりそうにない。なぜつれてこられたのか疑問に思いつつ、無言で彼女を見ていると、彼女もふと顔をあげて首をかしげる。
「座らないのですか?」
「……」
若干迷い、結局その横に少し離れて座る。
「ロア、生活に不自由はありませんか?」
頷く。と、少女は優しくほほ笑んだ。
視線を逸らし、ただ、オリヴィアの話の続きを待つ。
「夜、眠っていないと聞きいたけれど……大丈夫です?」
今度は顔を見ず、また頷く。
眠らないくらいなら別に、問題ない。理由など知らないが、おそらく自身が魂喰らいだからだろう。
「もしかして、眠らないのではなく、眠れないのですか?」
何を思ったのか、オリヴィアは顔を曇らせて問いかけて来る。
別にそう言う訳ではない。眠ろうと思えば、眠れるのだ。しかし……。
「眠る必要を感じない」
「そう、ですか」
いささか納得していないような、疑うような視線がむいているのに気付き、やはり顔をそらした。オリヴィアを見るのは苦手だ。
それに、今回は嘘をついた。彼女は心を読めるのだと言っていた。もしかしたら気付かれたかもしれない。だからなのか、少し顔を合わせづらいのだ。
バスケットから出した野菜やハムを挟んだパンをひろげたオリヴィアは、ふと考え込み、そしてまた問いかけてきた。
「あと……その、食事をしなくても平気なのですか?」
「え?」
こんどは思わず、少女の顔を見る。
「あぁ……」
そういえば。
「ロア?」
「わす……」
「わす?」
「わすれて……いた」
言いにくくて、やはり顔を逸らしてしまった。
久しぶりに声を出して笑ってしまった。
オリヴィアは隣でサンドウィッチを無言で食べる少年を見て、また口元を押さえる。
どうやら、ロアは睡眠も食事も絶対に必要、という訳ではないらしい。眠ろうと思えば眠れるし、食事もする。が、今までどちらもしていなかった。
よく聞けば、睡眠はともかく、食事については忘れていた、らしい。先ほどまであまり表情のない顔で頷いていた人とは同じ人物であるとは思えない様な顔で、目を丸くして、忘れていた事に頬を染めて顔を逸らしてしまった。その様子を思い出してまた苦笑する。
そして、ヒスイのこと。どうやら、ロアはヒスイの事を思った以上に気にしているようだ。
ここにルーがいたらきっとからかって――そう考えかけて、手が止まった。
ルーは、隣に居る。もう、話す事もできないけれども。
ロアを見た。そこには、幼馴染の少年がいつもの彼ならしないような、ぼんやりとした顔でオリヴィアを見ていた。
どうしたのかと首をかしげると、ふいとそっぽを向く。
彼は、オリヴィアをあまり見ない。いつも、そっぽを向いて目を見ないようにしながら話す。それが、少しだけ寂しい。
けれど、少しだけ助かっている。彼が真っすぐにオリヴィアを見てきたら……きっと冷静でいられない。冷静でいる自信が無いから。
ルーを思い出して、話したくて、会いたくて、きっとあたってしまう。
それでも、ルーの顔で拒否するように目を逸らされるのは、辛かった。矛盾しているが、仕方ない。
いくら平気にふるまっても、ルーがいなくなった喪失の穴は大きくて深すぎた。
そして、心のどこかで、ヒスイのことをずるいと思ってしまった自分に、嫌気がさした。
夜になると、人々は寝静まる。
その時間が、ロアはなんとなく好ましかった。
今日も起きていると、いつものようにラドクリファも明かりをつけて書類を整理している。
時々エイジやディストが来る時もある。自分が警戒されているのは解るが、なんとも思わない。別に、どうでもいい。
今日はふと外へと出て見る。
いつもならヒスイが訪ねて来る時間だが、遅いのだ。
そんな、毎日来るわけではないのだが、来ないのは気になる。
夜は、魔獣とまではならずとも野犬や夜盗が出る。その為に警備がされているらしいが、座っていられずにふらふらと歩きまわる。
以前、それをオリヴィアに話すと、「心配なのね」と優しく微笑まれた。
どうやら、ヒスイが来ないと心配らしい。とりあえず、外へと出て行く。
それに気づいてラドクリファも外へとついてくる。いつもの様に。
彼が何を想っているのか、話さないのでわからないがこうやって彼は律義について来る。
エイジやディストだと眠っていたりどこかに出かけていたりでついて来ることは少ないのだが。
と――体中から熱が奪われたような感覚に襲われる。身体がこわばる。
何かが、急接近している。
なに?
同じ、自分に似た……なにか?
ラドクリファが異変に気付いたのかこちらを警戒している。
違う、警戒するのは自分にではない。異形にだ。
やはり、信用されていないのだという事実をつきつけられたが、あまり動揺はない。だが、なぜ気付かないのかという思いだけあった。
「なにかが、くる」
「なにか?」
反応が遅い。こちらを警戒しているせいだ。
それよりも、その気配はどんどん近付いて来る。
ラドクリファにかまっている時間はないとばかりに、ロアはその気配に向かって走っていった。
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