今、生きている理由
彼が目を開けると、そこには少女がいた。
暗い部屋。身じろぎをしようとして、どうやら檻の中に繋がれているらしい事に気づく。
両腕が後ろでくくられている。
檻の中には、魔術陣がうっすらと書かれていた。
どこかのテントの中、だろう。
少女は、殺し損ねた聖女だった。
真っ赤に充血した目で、必死に何かを――どうやら、治療をしているようだった。
すぐ手が届く場所で、治癒術を施している。
あまり痛覚を感じないのか怪我がどれくらい酷いのかわからない。よく解らないがそれでも淡い光が温かく感じた。
どこか、懐かしい温かさだ。
なぜ、オリヴィアが殺そうとした自分にそんなことをしているのだろう。そう思いつつも、すぐに気付く。
「ルー、だからか」
自分が、ルーの身体を使っているから。
自分は彼女の幼馴染を殺した仇で、でもこの身体はその幼馴染のモノ。自分を殺したいにも関わらず、殺せないはずだ。
起きた事に気づいた少女は、はっとこちらに顔を向ける。
潤んだ碧眼が、こちらを射抜くように見た。
「魂喰らいの……」
「残念だが、ルーではない」
起き上ろうとして、失敗する。どうやら、自分が思っている以上に消耗しているらしい。
「わかってる」
それでもたちあがろうとするのを、オリヴィアは腕を掴んで止めた。
「無理をしないで。まだたちあがるのは無理ですよ」
「……」
その言葉に、その表情に、思わず少女の顔を見た。
心の底から、心配をしているようだった。
また、勝手に治療の再開をする。
檻が遮っているとはいえ、手を伸ばせばくびり殺せるような、場所で。
ルーだから?
自分が、ルーサイト・セルカ・ディスヴァンドの身体を奪ったから?
まだ、ルーが生きていると思っている?
「ははっ……」
「……?」
やはり、心配そうに少女は突然笑い始めた彼を見た。
「なんだ、それは」
どうしてだかわからない。けれど、なぜか胸が苦しかった。
行き場のない苛立ちで、なにもかも壊してしまいたかった。
どうしてなのだろう。わからない。
わからないことがさらに苛立ちを助長させる。
「私は、ルーではない」
「知っていますよ」
「もう、ルーサイト・セルカ・ディスヴァンドは、死んだ」
「……それも、わかっています」
「私は」
「でも、ヒスイちゃんを、助けてくれました。ヴェントスさんはもしかしたらルーがと思ったようですが……助けてくれたのは、貴方ですよね?」
「……」
「だから--」
「オリヴィア!!」
少女の言葉を遮り、怒った男の声が響いた。
一瞬暗いテントの中に光が差し込み、数人が入ってくる。
怒気を孕んだ視線でこちらをみるのは、ヴェントスだった。その後ろにばつの悪そうな顔のエイジとフェルネスがいる。
「勝手に中に入るなと言ったはずだ!」
「は、はい……でも、治療を--」
「他の者がおこなう。貴方は、彼に命を狙われていることを忘れたのか」
「しかし……」
「オリヴィアさまっ」
真剣な目で、オリヴィアを見つめた。
ヴェントス達にとって、オリヴィアは重要な存在なのだ。だから、こんなことで死ぬような危険を冒して欲しくないのだ。
「は、い……」
オリヴィアがエイジとフェルネスによって、外へと連れ出された。
そして、二人きりとなった。
ヴェントスは、おもむろにこちらを見る。
何を考えているのかわからない。
ただ、上から見下ろして、そのままでていった。が、外に出た瞬間の言葉が、少しだけ聞こえた。
「やはり、ルーは……」
ルーは、死んだのだ。
一人に、なった。
誰も、居ない。
暗い。暗くて、寒い。
でも、ようやく……ゆっくりと考える時間が出来た様に思える。
「私は」
誰なのだろう
「どうして」
ここにいる
「なにを」
すればいい
わからない。わからない。わからない。
オリヴィアの殺害を出来なかった。そのあと、何をすればいい。
もう、何もしなくていいだろうか。
いや、それはいやだ。
嫌だった。どうしても、嫌だった。
気に入らない。なにもかも気に入らない。
もう一度、立ちあがろうとするがまだむりそうだった。力が入らない。身体が重い。
この苛立ちは何なのだろうか。
言葉にできない。なんと表現をすればいいのかが、わからない。
なにもかも、わからない事だらけだった。
わかるのは、自分が魂喰らいであること、この身体の主は自らが食べてしまったこと、そして――オリヴィアを殺さなければいけなかったことだけ。
目が覚めてオリヴィアを見たあの瞬間、それが彼の記憶の始まりだった。
そのはずなのに、刻まれた様にオリヴィアを殺さなければならないと言う命令がその身を縛っている。
「……私は、ルーではない」
ほとんどの記憶は、ルーの記憶だ。自分は、ルーではない。それだけはまだ、理解していられる。が、いつか……いつか、この記憶が自分のモノだと錯覚をしてしまいそうだった。
最初だって、本当は自分がルーであると錯覚を起こしかけていた。どうにか立て直せたのは、オリヴィアを殺すと言う命令があったから。
あの少女なら、わかるのだろうか。
人の心を感じ取る、聖女と呼ばれたあの少女なら。
今、自分の抱いている感情が。
この苛立ちの理由が。
なにかを求めたい。けれど、その何かがわからない。
「……私は」
いったい、なんなのだろう。
どうにもできない身体に嫌気がさし、ただ寝ころんで天井を見た。
ここからもう逃げ場はないとばかりに、檻で閉ざされていた。
「あっ……いたっ」
「?」
いつの間にか寝ていたのか、気付くとさらにテントの中は暗くなっていた。
先ほどとあまり変わらない身体は、まだ起き上る事は出来なそうだ。
声がした方に顔を向けると、テントの端が動いている。
そこから、こそこそと顔を出したのは、幼い少女だった。
どうやら、入口ではなく、隙間から入って来たらしい。泥だらけだ。
こちらをみると、ぱっと顔を明るくして笑う。が、すぐに驚いた様子で駆けて来た。
「どうしたの? どうして、こんななかにいるの?」
ルーを心配して、必死に檻を引っ張る少女の姿が、見て居られなかった。
「ごめんね、あけられないや……ねぇ、だいじょうぶ? いたくない?」
少女の力でこの檻は壊れないだろう。
さきほどのオリヴィアと同じように、ヒスイはその手に小さな光を灯した。治癒術だ。
オリヴィアよりもとても小さな光だが、なぜか、とても暖かかった。
「ヴェントスのおじちゃん、どうしたんだろ……たすけてくれるっていったのに」
幼い少女は難しそうな顔をして考え込む。
そして、何も言わない自分に、心配するように声をかけた。
「ほんとに、だいじょうぶ? いたい? ヒスイじゃやっぱりなおせないかな……」
「私は」
ルーではない。
少女は、きっとルーだと思い込んでいるのだろう。
自分はルーではない。だから、ヴェントスは彼をここに閉じ込め、怪我をしたまま放って置いているのだ。この先、殺されるのかそれともなにをされるのかわからないが、どちらにせよ自分は敵だから、ここから出る事はないだろう。
口を開きかけるが、それを少女は遮った。
「知ってるよ。ルーおにいちゃんじゃないんだよね? だって、やっぱりたましいの色がちがうもん」
「……え?」
なにかが、自分の中で変わった気がした。
「あのね、ヒスイね、その人のたましいがみえるんだって。みんな、ちがう色をしてるの」
にっこりと笑うヒスイは、本当にわかっているのだろうか。
「……私が、ルーを、殺した」
気付くと、そう告白をしていた。
少女とルーは仲が良かった訳ではないが、知っている仲であることをわかっていたから。
「そう、なの? なんで?」
「……わからない。気付いたら」
そういえば、なぜなのだろう。
少女の問いかけで、自分への疑問がまた一つ、増えてしまった。
「本当に、ルーおにいちゃんを殺したの?」
「……わからない」
自分がルーを殺したことを知っているが、いつ殺したのかもなぜ殺したのかも、なにも覚えていなかった。
「じゃあ、本当にルーおにいちゃんをころしたのかわからないんだね」
「?」
ヒスイは、子どもらしく無邪気に笑う。
「だって、わるい人に視えなかったんだもん」
首をかしげながら、少女を見る。
「おなまえ、おしえて? あっ、ヒスイはね、ヒスイっていうのっ!!」
「……私は」
私の名前は?
答えられなかった。
『ちょっ、なんでヒスイちゃんが中に?!』
『はやくでなさい!!』
にわかに、外が騒がしくなる。
ヒスイが中に居るのがばれて、外で見張りをしていたらしいエイジ達が騒ぎ出したのだ。
無理やり外に出されたヒスイは、最後に心配そうにこちらを見ていた。
「次に会ったら、おなまえおしえてね!」
それから、数日がたったらしい。
暗いテントの中ではよく日の間隔がわからなかった。それに、空腹を感じる事も無かったために、わからなかったのだ。
時折、オリヴィアが現れて、話しかけて来る事はあった。
今、外で何が起こっているのか、自分の処遇についてどうすればいいのかと話し合っていることなど、あまり、興味のないことばかりだ。
こちらは聞いていないというのに、少女は飽きもせずやってきた。そのたびに、怒られていた。
ヒスイは来ていない。オリヴィアが勝手に話したことによると、ルチルが常に見張っていて外に出られないのだと言う。何度か、ヒスイからの言伝を持って来た。
怪我は大丈夫なのかだとか、こんどこそお名前を教えてくれるのかだとか、子どもらしい、問いかけだった。
何度かヴェントスやエイジ、フェイ、ハーディスなどが現れたが、こちらに話しかける事もなく、何かを話し合いながらさっさと出て行ってしまった。
テントの外からの会話が時々漏れ聞こえてくるが、なるべく聞かないようにしながら目を瞑る。
あまりにも暇で、考える事もつきてしまった。
そのうち、また苛立ちが募っていく。
ただ、うとうとと一日中過ごしている内に、気付くと寝ている、そんな日が続く。
そして、その声を聞いた。
『おはよう、××××』
思わず跳ね起きて周囲を見渡す。しかし、誰もいない。
誰かの視線を感じていたが、すぐに消えてしまった。
「だ、れ……だ?」
聞いたことのある様な声だった。
そして、ふと気付く。
身体が軽い。いつの間にか、魔術陣が消えている。
それは、どうやら魔力を制限するものだったようだ。
力が戻ってくる。それとともに、身体の傷も勝手に癒えていく。
「……私は」
///
今日も、また話し合いがおこなわれていた。
一度、近くのヴェレスタ伯の領地まで戻ることは決まったが、魂喰らいの処遇をまだ決めて居なかった。
このまま連れて行くのか、それとも。
その話し合いにオリヴィアはいない。いつもならいるはずの少女は、魂喰らいが殺したルーのことを想っている。それゆえに、外されたのだ。
ヴェントスは、未だ幼いといえる少女にこれ以上重荷をかけたくなかった。
「ヴェントス! ルーが……いや、魂喰らいが檻から、逃亡した」
その中を、傷を負ったフェルネスが走り込んできた。彼はエイジとともに魂喰らいのいた檻を見張っていたはずだ。
「なんだと……?」
「中の陣が、消えていた……」
その言葉に、奥に居たフェイが反応する。
「まさか、あれはちょっとやそっとのことじゃ消えないはず……」
腑に落ちない様子で彼は外へ走って出ていった。
それを止めようとしたヴェントスは、すぐにおもい直りフェルネスに問いかけた。
「今、どこに居る?!」
「エイジが今、追っている」
「そうか……これ以上、魂喰らいを野放しにできない。これ以上被害が出る前にアレは」
殺害する。
オリヴィアが気付いたのは、たまたまだった。
いつもの様に『彼』のもとに行こうとした時に騒ぎを聞きつけたのだ。
数日前から姿の見えなかったルーが、突如エイジ達を攻撃して逃げた。そんな会話が聞こえ、慌てて彼の閉じ込められているテントへと行ったが、その時にはすでに彼はいなかった。
どうしたのかと野次馬が集まっている。ほとんどの者はルーが殺されたことを知らない。なにがあったのかと気楽に噂話をしている。数人の事情を知っている者たちが、慌てた様子でルーの姿をした彼を探しまわっている。
「……どうして」
彼では、ヴェントス達には敵わない。すぐに逃げれば大丈夫だったかもしれないが、まだこの辺りに潜んでいると言う。
「……」
彼には、死んでほしくない。ルーを殺した本人だが、憎めなかった。彼は、なにも分かっていない。自分がどうしてルーを殺したのかさえ。
彼もまた、被害者なのだ。
だが、ヴェントス達はどうするだろう。おそらく……。
「オリヴィアっ?」
「フェイ、どうしたのです?」
気付くと、フェイが息を切らせて走って来る。
フェイは今の時間はヴェントスたちと話し合いをしていたはず。どうやら、ルーのことが彼らにも伝わったようだ。
「フェイ、ヴェントスは彼を……」
「……殺そうとするだろうね。ごめんよ、ちょっとテントの中を見せて」
そう言うと、フェイはこちらに気を止められてはいられないとばかりにテントの中へと入って行ってしまった。
中には、格子を壊された檻が一つだけ。その下にあったはずの魔術陣の一部が消えていた。
「……まさか。しかし……これは……」
ぶつぶつと呟きはじめたフェイは、おそらくこれ以上何を言っても反応しないだろう。
フェイは魔術の事になるとすぐに熱くなってしまう事を知っているオリヴィアは、そっと外へと戻った。
「……あの子を、探さないと」
このままでは、彼は殺されてしまう。
それは、嫌だった。
まだ、彼には話したい事がある。知りたい事がある。
「ルー……」
ルーを殺した相手に、同情をしている。
そして、彼をもっと知らなければと思っている。それは、彼を裏切ることになるのではないだろうか。それを考えるたびに、心が痛む。けれど、本当に彼がルーを殺したのかを知りたかった。
「ルー……私は、あの子を助けたい」
彼は、ずっと怒っていた。ずっと、何かに苦しんでいた。それを、知りたい。
聖女なんて呼ばれるのは、最初は嫌だった。それでも、誰かを自分の力で助けられるのなら、助けたかった。
目の前で、誰かが苦しむのは、見たくない。それが、たとえ敵であろうと。
それに、彼は。
「よし、行きましょう」
気を引き締め、見知った少年を探しにオリヴィアは歩を進めた。
「あれ、ルー?」
「いったいどうしたんだ」
「ルーが」
「あら? 今日はどうしたの」
「おい、あれって」
「最近姿が見えないとおもったら」
「おい、ルー? 何してんだ?」
人々の声が、聞こえる。
誰もが、ルーの事を知っている。誰もが、自分をルーだと思っている。
思わず外に出てしまったが、すでに後悔を始めていた。
「いたっ」
どこからか飛んできた矢が、すぐ近くを撃ちぬいた。
周囲から悲鳴が上がる。敵が攻めてきたと誰かがうわさを流し、人々がさあっと逃げていく。
しかし、逃げて行かない者達もいた。
「魂喰らい。これ以上誰かを殺す前に……今度こそ殺す」
ヴェントスが、すでに剣を抜いて現れた。
その後ろにはフェルネスを含め数人の弓兵と魔術師がいる。
さらに、周囲からエイジやサイカ、他にもルーが知っている剣士たちが現れる。
「ルーじゃないって、ほんとかよ……」
「魂を食らうとか……なんてやつだよ……」
ぽつぽつと、誰かが言っている。
それは、檻の中でも、何度か聞いていた。
「ルーの仇だ」
「でも、まだルーが死んだってわからないんじゃ」
ルー、ルー、ルー。誰もが、ルーの事を言う。
ルーが、慕われていたことがわかる。
それが、苦しかった。
なぜなのか分からず、ただこの苛立ちから逃れたい一心ですぐ近くに居た剣士に向かう。
驚き、動けなかった彼を蹴りあげると、ルーに向けるのをためらっていた剣が飛ばされ、彼の手の中に落ちる。
「お、おい! 油断するな!!」
近くに居た男が蹴られた同朋を庇うようにわざと自分に向かって来る。
さらに、彼の動きに勇気を持って何人もの剣士が続く。
このままでは、またあの時と同じだ。
どうする。どうすればいい?
そんな考えとは裏腹に、身体が勝手に動いていた。
「きり、さけっ!!」
周囲の風が動いた。
まるで、自らが操っている様な感覚。そして、なにかが喪われたような脱力感。
何が起こったのか、起こした自分が理解できずに、自らが起こしたソレを呆然と見ていた。
「くっ?!」
「な、ルーが魔術を!?」
男たちが、風によって吹き飛ばされていた。
幾つもの矢もまた、風によってあらぬ方向へ弾き飛ばされる。
「まさか、魔術も使えるとはな……」
ヴェントスが少しずつ歩み寄りながら、言った。
「魔術……」
なぜ、驚いているのだろうか。
ルーは、彼の記憶にある限りでは、魔術を使える。
まあ、いい。
「……ルーの為に、死んでくれ」
「ルーの、ため?」
ヴェントスが、一人飛び込んでくる。慌てて剣を受け止めるが、やはり重い。
さらに、もう一撃、二撃、止められるには止められるが、一歩、また一歩と下がっていく。
手が、しびれて来る。何度も打ちあっている内に時間の感覚が無くなっていく。
まだ、彼は手を抜いている。ルーの記憶から、そう判断する。
手を抜くのを止めたら--その時は。
と、後ろから、切られた。
あまり痛覚を感じないが、それでも切られた事はわかる。若干の痛み。そして、さらにまた。
「ルーを、返せよっ、化物」
その言葉を聞いた時、なにかが、壊れた。
オリヴィアがそこに着いた時、周囲は一面が赤く染まっていた。
そして、彼も、真っ赤に染まっていた。
元々赤い髪をさらに赤黒く染めて、彼は何時もの様に、なにも考えていない様に無表情でいた。
暗い影の様なものが彼を守る様に辺りを漂っている。
さらに、その剣には炎が纏っていた。周囲の風の流れもおかしい。
いったい、何があったと言うのか、彼の周りには何人もの剣士が倒れている。
ヴェントスだけが、彼と撃ちあっていた。
最初こそは優勢になっていた彼だが、すぐにヴェントスに押され始める。
魔術が使えようとなかろうと、何十年も剣一つで生きてきたヴェントスに、敵う訳が無かった。
さらに、後ろから魔術師の援護や弓兵の攻撃が飛ぶ。
「ヴェントスさん!!」
「オリヴィア?!」
驚いたヴェントスの隙に、彼は首を狙って剣を振るった。しかし、簡単に防がれ、それどころか飛ばされる。
傍に会ったテントにぶつかる前に黒い影がその衝撃を緩めながら彼を守る。
「なぜ、きた。早く避難しろ!」
「待って下さい、ヴェントスさん。彼を、殺さないでください!」
「オリヴィア……彼は、ルーではない」
それは、同情の声だった。
オリヴィアがルーのことを想っていることを知っているからこその、悲しみの声だった。
「わかっています。もう、ルーがいないことは、わかっています!!」
たちあがったルーがヴェントスに切りかかった。もはや勝ち目などはないと解っていると言うのに、彼はこの隙に逃げもせずに手負いの獣の様にがむしゃらに食らいついていく。
そんな彼の様子を見て、オリヴィアはなにかに気付いた様に目を見開く。
「だからこそ、やめてください!!」
周囲に倒れた男たちなど気にせず、ヴェントスへ、また剣を薙ぎ払った。その瞬間をねらって、幾つもの矢が彼の腕を、腹を穿つ。
さらに、ヴェントスから腹を切られ、地面に何度も回転しながら転がった。
「っ!!」
「オリヴィアっ、なにをするつもりだ!!」
そんな彼に駆けよったオリヴィアを、ヴェントスは慌てて引き離そうとするが、オリヴィアによって弾かれた。
さらに、オリヴィアを中心にして人々の侵入を阻む魔術陣が緑の光で刻まれていく。
膝をついた彼女は、魂喰らいに手を伸ばした。
「オリヴィア! それは君を殺そうとしているのだぞ!!」
「……それでも。……ようやく、わかったから」
「?」
胡乱げに、魂喰らいは目を開けて少女を見た。
倒れていた彼を起こすと、オリヴィアはその身を強く抱きしめていた。
「ごめんなさい。ようやく、わかりました」
淡々と、言う。しかし、その言葉の奥には、言いしれない激情が渦巻いていた。
「貴方が、なぜ怒っているのか、苛立っているのか、泣いていたのか……ようやくわかった」
言葉が、震えていた。その手も、身体も。
なぜ、そんなことを彼女がしているのか、意味も分からず魂喰らいは呆然とした様子で為されるがままにしていた。
彼女は、自分に害を加えないとなんとなく、わかったから。
「知りたいと、願っていましたね。自分の心を、何を想っているのか、言葉にできない思いを、知りたいと」
こくりと小さく頷く。
彼女は人の心を感じる事が出来る。だから、彼女に教えて欲しいと願った事も、実は知っているのかもしれない。そう、思ってなにも言わない。
「ようやく、理解できた。……貴方は……貴方は、ルーという存在に苦しんでいたのですね」
ルー
ルーくん。
どうして。
まだ若いと言うのに。惜しいことを。
ラドクリファを庇ったとか。
オリヴィアに告白もしないで。
まだ、謝ってないのに。
なんて、可哀想に。
あの子が死ぬなんて考えられない。
ルーがいない。ルーは殺された。誰に?
こいつだ。
こいつさえいなければルーは。
魂喰らいの化物。
どうしてルーを食べた。
くそったれ。ルーを食べただと?
どうしてこいつはまだ生きてるんだ。
ルーのからだを奪ってのうのうと……。
ふざけるな。
ルーを返せ。
記憶を奪って。
なんて卑劣。
身体を奪って。
酷い。
どうして。
なんで。
ルー。
ルーを。
返してよ。ルーを返して!
言葉が降り注ぐ。
「私は……」
何を言いたいのか、自分でもわからずに言葉を濁す。
それを、少女は優しく微笑んで頷いた。
「そうね。貴方だって、被害者だったのに、辛かったわね」
抱きしめられたその場所から、温もりが感じられる。
泣きそうなほど温かくて、優しい。
「貴方の、せいじゃないのに、誰もが貴方を責める」
頭を、子どもの様に撫でられた。
思わず顔を見ると、悲しそうに、つらそうに、それでも、少女は微笑んでいる。
「貴方は、ルーの事を、嫉妬を……すこし違うかもしれないけれど、ルーを羨んでいたのですね。ルーだけは誰もに心配されて、ルーのために貴方は責められて」
彼のせいではないのに。
彼も、何も分からないまま、実験に利用されて魂喰らいにされたのに。記憶すら失って、抵抗も出来ないままルーを殺させられて、オリヴィアを暗殺するように命令までされて、使い捨てられたのに。
いつの間にか、頬に何かが伝っていた。
「辛かったね」
でも、もう大丈夫。
それでも、彼の事を心配する人がいるから。
オリヴィアが、たとえ何者であろうとも彼の事を想うから。
「生きる意味もわからなくて、捕まって……最後は、殺されかけて。怒って、当然ですよね。だって、あなたはなにも悪いことをしていないのだもの。だから、泣てもいいんですよ」
目の前が、なにも見えない。少年はようやく自分が泣いていた事に気づいた。
ただ、苦しくて、苛立っていたのが、少しずつ消えていく。
少女の温もりで、氷が解けていく。
「私は、どうすればいい? 私は、ルーではない。なのに、ルーの身体で。私は、どこにいけばいい。私は、わたしは」
言葉にできずに、嗚咽を漏らしながら、彼は泣いていた。
名前も忘れてしまった魂喰らい。それは、迷ってしまった子どもの様に孤独で、その恐怖に泣いていた。
「生きる、理由がわからないのですね」
彼には、なにもない。身体でさえ、本来はルーのものだったはずのものだ。
そして、彼を縛って命令をしていた存在は、ここにいない。
彼は、自由だ。そして、ルーという存在に束縛されている。
「わたしが、貴方の生きる理由をあげます」
「……りゆう?」
どうすればいいのか、何日も考えたがわからなかった。その答えを、少年はオリヴィアに求めた。
求めざるを得なかった。
彼には、何も無かったから。
「……一緒に、復讐をしましょう?」
「ふく……しゅ?」
「ええ。私はルーを貴方で殺した人達を許せない。貴方だって、記憶を奪われて魂喰らいにされて、人を殺すように強要した彼等を許せないはず」
少しだけ悩んでから、彼は頷く。
「一緒に、戦いましょう」
オリヴィアは手をはなして、彼を見た。
真っすぐな瞳に、彼は動けなくなる。
聖女。ようやく、彼女の称号がどうして与えられたのかわかった、ような気がした。
そして、いつの間にかまた頷いていた。
復讐なんて、ほんとは二人とも、望んで居ない。けれど、それが目的になるのなら。
「なら、貴方に、名前を付けなければなりませんね」
泣きそうになりながら、それでも優しい笑みを浮かべ、少女は言った。
「ロア……貴方の名前はロア。どうか、一緒に来て下さい」
こくりと頷いた少年は、差し出された少女の手を見て、重い口を開いた。
「やく、そく、を」
「約束? ですか?」
「私は、魂喰らいで、いつか……いつか、壊れる」
魂喰らいは、やがて化物になるという。
それは、ずっと考えていたことだった。自分の状況を知るに従って襲ってきた恐怖。
「だから、壊れる前に……化物に為る前に、ころして」
ルーが、化物になるのは見たくないでしょ?
そんなふうに、自嘲しながら、少年は言った。
化物になって、何も分からなくなるんじゃないかと、怖かった。今でさえルーに為ってしまうのではと恐ろしくてたまらないと言うのに、これ以上化物になっていくのかと思うと、苦しかった。
ルーの姿で化物になるくらいなら、その前に消えたい。それが、彼の願い。
だって、ルーを知る人達に苦しい。自分のせいで化物になったルーを見せるのが、苦しい。
「分かりました。でも、ルーの為では無く、ロアの為に、私はロアを殺します」
「……」
再び、少女は彼を抱いた。
先ほどよりも、軽く。
「自分の言葉で自分を、傷つけないでください、ロア」
こくりと、小さく頷くと共に、少年は張り詰めていた意識を手放した。
「あぁ、よかった」
それまでの顛末を見届けた彼は、満足そうに微笑む。
これまで、御膳立てをしたかいあって、着実に彼の思惑通りに進んでいた。
「これで、ひとまずは安心かな?」
くすくすと笑いながら、彼は帰り路へとついた。
しばらくはちょっかいをかける余裕はないだろうが、おそらく大丈夫だろうという確信があった。
「でも、カルサイトさまにはばれちゃったかもなー。帰還命令とか任務に失敗した時の対応もなにも伝えてなかったもんなー。まあ、いいか」
どうせ、責められるのは自分だけ。身軽な身の上なのでそこまで気にはしない。
ふと、また最後に一度だけ、夜明けの使者団を見る。
少女に抱えられた少年が、頬を濡らしたまま眠っているのが見えた。
「がんばってね……」
ユーリウスは、そう言って姿を消した。
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