Episode 2

目覚めたそこに、いない


あれから、二日が経った。


あの地下の迷宮は調べつくされ、危険な魔術師の工房として数日後に潰されることとなった。

あのまま放置すればまた工房はほかの魔術師によって使われるかもしれないからだ。それに魔術師の工房ははっきり言って危険だ。誰もいない工房は見つかり次第壊す事を推奨されている。

特に危険だったのがあの魔石。常に魔力を発生させ続けるアレは、すでに取り払われ厳重に封印されてオリヴィア達魔術師が保管している。

時折、いるのだ。魔術の研究にのめり込み、一般的に言う悪い魔術師というものが。彼等はそのうちの一人だろう。そして、組織だった動きもしているようだ。

あまりの事態に、ヴェントスは本国からの連絡を待つこととなった。彼の判断は正しいのだろうが、いささか不思議に感じる者もいた。

ここは祖国ディスワンドではない。おおっぴらには動けぬし、今回の事を同盟国トールにどう伝えるのか一介の傭兵では判断にこまると判断してだ。

ほかにも連絡しなければならない事もあった。




二日前の魔獣討伐で重傷を負った人が数人テントの中に居た。何人かは治癒術師の手当てが終わると戻っていく。オリヴィアは、彼らの横を通って布で仕切られたベッドの元へ行った。

やはり二日前と変わらない状況にため息をつく。

ここには治療の手伝いにオリヴィアは毎日顔を出していた。そして、時間が空けばルーのもとへと足を運んでいる。だが、まだ目覚めない。

そっと顔に触れると、少しだけ冷たい。けれど、生きている。

なんの外傷もない。魔術師であるオリヴィアや他の人が調べても特に変わった事は見つからなかった。ルチルが少し、なにかおかしいと言っていたくらいだ。

「……どうして」

どうして目覚めないのだろう。

あれから、何があったのだろう。

ラドクリファの話を人づてで聞いたが、ルーの事はほとんどわからなかった。

目を伏せ、祈る様に両手を握りしめる。

もしもその時の彼女を見た者がいたのなら誰もがその姿に感嘆を漏らしただろう。憂いを秘めた伏せられた瞳も、ほんの少し差し込む光に照らされた淡い金髪も、極東で作られるという白磁のような白い手も、まるで一つの絵画のようだった。

聖女だなにだと祭り上げられても、結局は何もできない。誰かを救う事も出来ない自分に呆れながら、それでもオリヴィアは祈り続けた。

「……ルー」

呟いた名前に、閉じられていた瞼が震えた。





「二日目……か……」

使者団の中でも弓の達人と呼ばれるフェルネスは、そう言ってあるテントを見た。

同期のラドクリファはすでに目を覚まし、順調に回復している。昨日も会いに行き話を聞いていた所だ。しかし、もう一人は……ルーがまだ目覚めないのだ。

ラドクリファはルーが右手を斬り落とされたと言っていたが、そんな様子はなく、それどころか傷一つなかった。外傷はないが、何時までも眠り続けている。

おそらく、今日もオリヴィアがずっと傍で見ているはずだ。

「そうだな」

気配を消して近づいてきたのか、突如サイカが現れ頷いた。

サイカはあの地下の調査をヴェントスと共に行っていた。そのため、ラドクリファのことも、ルーの事も知っている。

実は、二人の負傷については他の人々にあまり言っていない。いらない混乱を避けるため、らしいがそれ以上になにかあるのではないかとサイカはふんでいた。こちらに戻ってから、ヴェントスの様子はおかしかった。

いや、そもそもネルシアが助けを求めて戻ってきた時から、なにかが違った。

ネルシアの話を聞き終わる前に傭兵達を纏め、すぐに突入の準備を整えてしまった。これいじょう時間をかけられないとばかりに、自らが先頭に立って工房を調べた。

確かに魔術師の工房は危険な物だが、そこまで急がなければならない理由があったのだろうか。ラドクリファとルーの無事がわからなかったが、それでもなにか腑に落ちなかった。

「そういえば、フェイが戻ってきたらしい。思う所があるとあの工房に行ったとか」

「フェイなら……わかるかもしれない、な」

この使者団のなかでも魔術に精通しているという魔術師は、数週間前から故郷に戻っていた。

フェイはディスヴァンドの出身ではなく、遠い異国に住んでいた魔術師だ。流れに流れてヴェントスに拾われたらしい。なんでも、魔術師に出会うたびに弟子入りしたとかで、その魔術師としての知識は、この集団の中で群を抜いている。

そんな彼等が話していると、幼い子どもを連れた魔術師が歩いていく。親子揃っては珍しい。

どうやら、ラドクリファの元へと行くらしい。

「ああ、そういえばオレ、ヴェントスさんに呼ばれたんだけど、フェルネスは?」

「……自分もだ。どうやら……ラドと話したいらしい」


二人がラドクリファの元へ行くと、ヴェントスとルチル、そしてその娘のヒスイがいた。

さらに、エイジとハーディスト、他にも数人あつまる。

ラドクリファとハーディスト、ルチルによって報告がされた。

幼い少女が一緒に居て大丈夫なのかと思っていたが、ヒスイは眠かったらしく母親の腕の中で眠ってしまった。彼女はまだ母が居ないと寝られないのだという。

寝付きがいいようだが、さすがに起こしては可哀想だと自然と話しあいの会話は小さな声で行われていく。

「それで、あそこに残った後、何があったのですか?」

ルチル達を逃がすために二人は工房に残った。その後なにがあったのか、まだラドクリファから詳しい話を聞いていなかった者たちが耳を澄ます。

激しい戦いがあった事はあの惨状からわかったが、何があったのかまではまったく分からなかった。特に、ルーの事はみな不安がっている。

この使者団はそこまで人数が居ない。みなが顔見知りで、一人一人が大切な仲間である。

結束力が強いが、その分誰かが居なくなることに敏感だ。

「……どうやら、最初から目的はルーだったようです。ルーが気絶したところを攫われ、あの赤髪の男が去っていきました。そのあと、大量の人形や魔獣らしきものに襲われ、どうにか全滅させてルー達を追ったのですが、その後も何度か襲われ、力つき気付いた時にはネルシア達がいました」

「……魔獣?」

「オレ達がいった時にはそんなのいなかったよな?」

フェルネスとサイカが話すがフェルネスはあの工房に行っていないので首を傾げた。

「私達も魔獣らしきものには襲われていません……」

ルチルが神妙な顔つきで話す。

「どうやら、あっちはいろいろ隠していたようだな」

ハーディスの言葉に、数人が頷いた。

「……あの赤い髪の青年は……私を知っていました。あの人は……いや、あの御方は……」

ラドの言葉を、ヴェントスは手で制した。

なんのことなのかわからず、ヴェントスとラドに注目が行く。

「どういうことですか? あの青年は、誰なのですか?」

ルチルがラドクリファに聞くと、代わりにヴェントスが答えた。

「おそらく――」





魔術師の工房は、その魔力と構造で大体はどんな魔術師が創ったのかわかるものだ。

フェイはそのことを思い出して苦笑する。

フェイ・ツァイホンは魔術師である。独学で魔術の基礎を学び、様々な師について学んできた。師匠達の工房はそれぞれ独創的で、本当に千差万別であった。

ここは、それがない。いや、ないように、わからないように細工がされている。このような工房に入ったのは数度目だ。

その時はかなり昔の物だったり、すでに壊された後だったりとほとんどわからなかったが、ここはどうやら、大量生産の様に創られた場所らしいことがわかる。

工房の持ち主が創ったのではなく、誰かが創り、与えた物だ。

以前見つけた工房も、その誰かが創って魔術師に与えたのだろう。

ここは、工房の中でも異常で異端だった。

「大体、人に工房を作ってもらっている時点で魔術師失格と言うか……まあ、せんないはなしか」

文句を言いつつも進むと、暗い部屋に出る。幾つもの柱の中には水があり、奥に魔石の置いてあった部屋と魔術師が常に使っていたと言う書斎があるはずだった。

が、そこに青年がいた。

赤い髪の、青年だ。

なにかを抱えて――よく見ればそれは死体だった。名前も知らない少年の遺体。それを抱えて、彼は書斎から外に出るつもりだったのだろう、こちらを向く。

書斎側の出入り口にも見張りがいるという話だったが、いったいどういうことなのだろう。フェイは呆れながらも彼を見る。

「死体一つの為に、ここに来たんですか? ちょっと呆れるなぁ」

「いやー、ちょっと上からお叱り受けるもんで。それに……君ならきちんとお話しできるかもしれないし。やあ、フェイ」

そう言って、彼はにこりと笑う。

しかし、フェイは騙されない。彼の事はさんざん聞いている。なんでも手を振るっただけで人を吹き飛ばしたとか、何もしていないのに攻撃をしたとか。とにかく、距離を置いて様子を見る。すぐに逃げられるようにと避難経路も確認しておく。

そんなフェイの様子に青年――ユーリウスは苦笑する。

「なぜ、こちらの名を知っている」

「知ってるからさ」

「……」

おどけた様子で話す青年に、フェイは眉をひそめる。

「こう見えても、けっこう君達の事を心配しているのになー」

「それは……元王子だったからか? ユーリウス・フェルディ・ディスヴァンド」

数十年前に死亡した、現国王の弟ユーリウス。

その名を名乗る青年は、嬉しそうに頷いた。

「おっ、気付いたのはヴェントスかな?」

何事もない様に肯定をする。

ユーリウスだと本人とユーリを知っているヴェントスが認めても、にわかには信じられないことだった。ユーリウスは、もしも生きているとしたらもっと年上のはずだ。

本当なのだろうかと言う疑いもあるが、事実なのだろうとフェイは理解していた。ならば、なぜこの様な姿で目の前に居るのかを知らなければならない。彼の挙動、纏う魔力、どこか違和感を持つ言動、一つ一つを観察する。

「まあ、私が誰であろうと関係ないと思いますけど」

「……」

警戒しつつ、彼を見つめる。どうやら、こちらを害するつもりは今のところないようだ。

それでも緊張は解かず、彼がなぜ年若い姿のままでいるのかを判断する。

おそらく、魔術関係だろう。彼からは不吉な気配がする。魔力に魅入られた災厄の匂いがする。

「それよりも、いいんですか? 早く、戻らなくて」

話しかけて来ているのはそちらだと言うのに、彼は不思議そうに楽しそうに効いて来る。

「……どういう意味だ」

「んー、さてどういう意味でしょう」

曖昧にごまかすと、彼は近くにあった柱に寄り掛かった。

「では、ほんの少し前の昔話とでもしましょうか。この工房で、なにを行っていたのか」

いささか芝居がかった動きをしながらユーリウスは右手を出した。

「私の主人、アグニは、魂喰らい《ソウルイーター》の研究をしていました。もちろん、魂喰らいの噂ぐらいなら聞いたことがありますよね?」

「ソウルイーター……戦場の狂い人のことか?」

「そうです」

魂喰らいは文字通り魂を食らう者のことだ。戦場に現れては、敵味方関係なく殺しつくすと言われている。だから、戦場の狂い人とも言われている。

ただ、その数は少ない。人なのか、人ではないのか。種として存在するのか、しないのか。それすらわかっていない。

戦場でしか生きられないと言われ、死ぬのも大抵戦場であり、大抵の魂喰らいは遺体も見つからずに戦場で死んだと噂だけ流れることとなる。

精霊や神がいて、身体に動物の一部の特徴を持った亜人や人あらざる化物にも関わらず、人以上の知恵を持つものもいるこの世界では正体がわからないと言うのは特に珍しいことではないが、それでも魂を食らうと言う存在については多くの魔術師は興味を持っている。

魂の質が魔術師にとっての魔力の増減に関わると言われているからだ。

さらに言えば、魂に関連した呪法は古より多く創られてきた。研究に研究を重ねたがそれでもまだわからないことが多い。魂喰らいはそのわからないことの一部に入る。

「死者の魂を食らう化物。食らうたびに化物となり、いつか完全に人あらざるものになる」

まるで、魔獣の様だとどこかの魔術師は言った。

その正体は今だわかっていない。人なのか、それとも人を模した化物なのか。

そして、魂喰らいは偽物も多い。魂を見る事が出来る者が少ないため、自称をすることも多いからだ。魂喰らいだと思われていた者が、死んで調べてから普通の人間だったと言う話もよくある。それも研究の妨げとなっていた。

「人々を集めて何十、何百と言う人間を使い捨て、壊して来て、ようやく、魂喰らいを創りだすことに成功しました。でも、それは失敗で、なぜか魂を食べなかったのです」

人体への実験はタブーとされている一般的な魔術師であったフェイは、ユーリをきつく睨んだ。この様な事があるから、魔術師は迫害されるのだ。

良い悪いにかかわらず、魔術師は悪行を重ねる魔術師たちのせいで様々な被害をこうむっている。

そもそも、人を使った実験だなんて、道徳的に反している。

だが、魂喰らいを創ったと言う言葉にフェイは少しだけ興味を持った。創ったと言う事は、理解したということ。魂喰らいが一体何者なのか、わかったと言う事。

だが、そんな興味もすぐに消えてしまう。

「だから、考えたようです。魂喰らいを、ほかの魂の入った器に入れてみようと」

「は?」

思わず聞き返してしまう。

「無理にでも食べてもらわないとこっちも意味が無いので」

言葉を区切り、ユーリは意地の悪い笑顔を浮かべた。

「さて、あなた達が助けたあの子は、一体誰なんでしょうね」

彼の言葉を信じるなら、ルーは魂喰らいの実験に使われたのだろう。

他の魂の入った器とは、生きている人間のことで、ルーのことだろう。

つまり?

「ま、さか……っ?!」

慌てて身を翻すフェイはユーリも見ずに走りだした。


「ここまでヒントをあげてるんだ……早く気付いてあげてね」

去っていく魔術師の後ろ姿を見て、くすりと、ユーリは笑った。




彼は、いつもの様に目を開けた。

少しだけ戸惑ったように周囲を見て、オリヴィアを見つけるといつもの様に笑った。

「あれ、オリヴィア? 呼んだ?」

言葉が見つからず、霞んだ視界の中で少年を見つめていた。

「ところで、ここは……えっと、どうかしたのか?」

二日間も目覚めなかったことを感じさせずに起き上ると、場所を確認しようと周囲をまた見回す。

無言のオリヴィアの様子にただならぬものを感じつつも、なにがあったのかわからない様子で首を傾げた。

覚えていないのか、そういえば森に行かなかったっけなどと呟きながら、必死に記憶を探っていた。

いつも通りの、ルーだった。

「どうした?」

それでも無言のオリヴィアに、ルーは手を伸ばした。

肩に届きかけた刹那、オリヴィアは勢いよく立ちあがると拒絶するように壁際に後ずさった。

その瞳には嬉しさもなにも感情が無く、ただ、深淵をのぞきこむ魔術師の様に感情が無い。

「オリヴィア?」

いつもと違う様子に、困惑をする。

どうしてここに居るのかも、なんでオリヴィアが逃げるのかも起きたばかりでわからない。

だから、もう一度名前を呼ぼうとした。しかし、それをオリヴィアは遮る。


「あなた、だれ?」


驚いた様にルーは目を見開く。

オリヴィアとは幼馴染で、小さい頃から知っている。そんな彼女にだれ?などと言われたのだ、驚きもする。

「誰も何も、オレはオレだろ? どうしたんだよ、オリヴィア」

おそらく、十人いれば十人が彼はルーだと言っただろう。

本当に、いつも通りの彼なのだから。

姿も、言動も、表情も、寸分変わらず。

「……ルーの声で、話さないで」

それでも、オリヴィアは否定した。

「ルーの顔で心配しないで。動かないで。驚かないで。笑わないで、ごまかさないでっ!! 貴方は、誰なの?!」

伸ばしていた手を戻して、少年は困った顔で周囲を見るが誰も来る様子はない。

ため息をひとつついて、警戒をする少女を見る。

そして、表情が消えた。

何も感じないようにオリヴィアも見ずに立ち上がり、袖の中に隠していた短剣を滑らせるように出すと、壁際で固まったように動かないオリヴィアに向けた。

「やはり、違うのですね」

震える手を抑えつけながら、少年を見る。

オリヴィアが聖女と呼ばれた所以、その一つ、他者の感情の共感。

普段なら意識して行わない様にしているが、今回はつい拘束を緩めてしまった。

笑っているのに、笑っていない。心配しているのに、心配していない。驚いているのに、驚いていない。目覚めた瞬間、いつものルーと変わらないのに、中身はがらんどうで最初は訳がわからなかった。

彼女の問いに答えることなく、少年は短剣を振るう。

冷静に対応しているように見せても、身体は正直で動けない。動揺と混乱、恐怖でオリヴィアは思わず目をつぶりながら出口に向かおうとする。

歪む視界の中で最後に見たのは、振り下ろされる剣と何の感情も浮かばない幼馴染の顔だった。


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