27

「いいかげん、腹を割りませんか、磐城イワキさん」

 十和トワはとうてい友好的とは云いがたい笑みを浮かべた男と向かい合う。自分も同じような表情になっているだろうことはわかっていた。

「おっしゃりたいことはよくわかります。ですが、当方にも事情はある」

 察していただけませんか、と工場長の言葉はあくまでも慇懃だ。

 十和はわざと大仰なため息をついてみせる。

「では、いったいなんのために、陰陽寮に依頼などされたのです? あなたにとって厄介なことになると、わからなかったはずがない」

 磐城と十和、それに来鹿ライカ八雲ヤクモナリをした式神たちは、稼働を停止した工場の見学用通路から生産過程ラインを見下ろしているところだった。

 人ふたりが肩を並べてようやく歩けるほどの幅しかない通路の片側は腰高の硝子窓になっていて、薄闇に沈んだ生産フロアを一面に見渡せる。わずかとはいえ十和たちを照らす灯りを反射する硝子は、まるで鏡のように、こわばる磐城の表情を映し出していた。

「おっしゃるとおりではあるのですが」

 磐城は温度の低いなざしを十和に向けた。うつろななかに妙な鋭さを秘めた、いやな目つきだった。

 十和は無意識のうちに双眸をすがめる。

 この男、昨日会ったときよりも邪気が増しているような気がする。否、そもそもこちらが本性か。どちらにしても、——なんだかあまりよくない感じがする。

 十和は闇色の眼差しをまっすぐに磐城に向けた。

「事情はすべてお話しいただかねばなりません。こちらとしても打つべき手を打つことができない。醜聞スキャンダルを厭うお気持ちはわかりますが、そこは……」

「もうすでに、いろいろとご存知でいらっしゃるのではありませんか?」

 言葉を遮られ、十和は不愉快そうに眉根を寄せた。

「いろいろ、とは?」

「そのご様子ならば、こちらから申し上げることはないように思われますが」

 醜聞、十和がそう口にしたとたん、磐城はにわかに強硬な態度をみせた。礼儀正しい紳士的な物腰はそのままに、しかし、その表情には剣呑な色がひそんでいる。

 十和は思わず気圧され、半歩下がった。

 急ぎ、唇の片端をつり上げて笑いを作る。てのひらをひらひらと振り、相手をおちょくっているようなしぐさを見せながら、己を立て直すためのわずかな時間を稼ぐ。

「わたしが耳にしたのはあくまでも噂です。それだけでは霊障さわりを解決することはむずかしい。真の原因を知らねば、シュを取り除くことはできないのです」

「噂ですか……」

 どのような、とは磐城は尋ねなかった。

 きっと彼は、β市民のあいだに流れるリュニヴェールにまつわる噂を、よく知っている。

 そして、その真相もまた——。

 工場長はふと十和から視線をそらした。眼下に眠る設備、あるいは硝子に映る自身に向かって、重たい息をついている。

 十和は努めて静かな声を出す。

「リュニヴェール、この晧宮しろのみや工場、もしくはここの従業員に恨みを抱くような者に心当たりが?」

 沈黙はしばし続いた。十和は辛抱強く待った。

 やがて磐城が口を開く。

「心当たりはある。あるが、——ありすぎて、もはや見当もつかない」

「それは、ここで行われているという違法イリーガルな……」

「十和さん」

 磐城はふたたび十和に眼差しを据えていた。先ほどとは違う。冷たい熱をはらむ、強い視線だ。

「あなたは、というより陰陽寮はなにか勘違いをされている」

「勘違い?」

 十和の声は低い。挑みかかるような磐城に対峙する彼女もまた、知らず臨戦態勢をとりはじめている。

「私どもがお願い申しあげているのは、この工場に害をなす妖物バケモノを斃していただくことであって、私どもに向けられている怨恨を晴らしていただくことではありません」

「根本的な解決を望んではいないと?」

 ええ、と磐城は肩を竦めた。

「そんなことはできないと、われわれは最初から承知している」

「……霊障の原因は術者の念。念の生ずるその因果を……」

「探る必要はないのです」

 ひっぱたくような口調で磐城は云った。

 十和はとっさに薄い笑みを浮かべる。そうすることで、男が発する威圧から身を守ろうとせずにはいられなかった。

「われわれは百も承知しています」

 磐城はそこで、十和に似せたようなかすかな笑みを見せた。まるで共犯者に向けるようなその表情を、十和は渾身の一瞥で打ち砕いた。

 工場長は笑顔を消し、感情の読めない平板な声で続ける。

「リュニヴェールがこれほどまでに巨大な複合企業体コングロマリットに成長するあいだ、どれほどの人たちを食い物にしてきたか、いや、いまもなお食い物にしつづけているか、それは想像にかたくない」

 降り積もった恨みつらみ、人の念、そんなものでこの会社が潰れるというのなら、とっくの昔にリュニヴェールは消えてなくなっている、と磐城は云った。

「ですが、いまもなおここに私どもは存在している」

 所詮この世は弱肉強食、弱きを喰らい、その屍を踏みにじり、恨まれても憎まれてもその足を止めない者だけが生き残ることができる。残忍でなければ、残酷でなければ、勝ちつづけることはできない。

「人の世など、そんなものではありませんか?」

 磐城は十和の賛同を乞うように、両手を広げてみせた。十和は無表情を貫いた。

「ですからわれわれは解決など望みません。リュニヴェールに恨みを抱く者、術者とやらを連れてきていただいてもかまいませんが、私どもはその人に救いの手を差しのべることも、わざわざ踏み潰すこともしない。恨まれつづけ、憎まれつづけ、それでもこの街に君臨しつづけるだけです」

「……あなたは、このβ市のご出身だとうかがいました」

「それがなんだというのです」

「ご家族、ご友人、親しい方が食い物にされても、そう云えるのですか?」

「私の父と兄、友人の何人かは、リュニヴェールの治験に参加して死にました」

 ちなみに兄に治験の話を勧めたのは私自身です、と磐城は穏やかな声のまま云った。

「あなたがだれからなにをお聞きになったのかはわからない。けれど、私はリュニヴェールに就職するとき、とうに覚悟を決めているのです」

「覚悟? 出世のためなら、大事な人になにをされても目をつぶるという覚悟ですか?」

 十和の挑発はまったく無視された。磐城の口調はまるで変わらない。

「そうです。だれが死んでも、傷つけられても、この会社にしがみつくという覚悟です」

「……なぜ」

「私はβ市で生まれて育ちました。父も母も、そのまた父たちも母たちも、同じようにβ市で生まれて死んでいきました。ほかの街、ほかの星、地球のことなどなにも知らないままにです」

 悪い噂はずっとありました、と磐城はわずかに視線を落とした。

「あなたが聞かされたような話は、ここではずっと昔から云われていることです。憤りはありません。本当かどうかさえ、どうでもいい。だって、私たちはいずれ死ぬんです。どんな死に方をしようとどうでもいい。大事なのは、生きている時間、それだけです」

「生きている、時間?」

「リュニヴェールという企業がなければ、β市は、いえ、このC2はとっくに滅んでいてもおかしくありません」

 なかば忘れられた古い古い準惑星。十和だって、この仕事の話があるまで、その存在すら知らずにいた。

 連邦政府は惑星や準惑星、あるいはごく限られた星域に対し、広範な自治を認めているが、それは裏を返せば、政治的能力を失った星に待つ、むごたらしい運命をもまた認めている、ということである。

 武力で制圧したり虐殺を行ったりするなど、よほどのことがない限り、つまり、その星の住民が——ある程度の抵抗はあったとしても、最終的には——受け入れる限り、連邦政府は各地の統治に口をはさんだりはしない。

「リュニヴェールは仕事をくれる。学校を建て、病院を作り、街を整備する。なんにもしない連邦政府よりもよほど、この星のためになる」

 たとえ、大勢の罪なき人々を、死とも呼べぬ死、あわれな末路に追いやったとしても、それがなんだというんです——。

 なるほど、と十和は顔をしかめた。

「少数を生贄に差し出すことで、多数が生きのびられるなら、リュニヴェールの暴虐も歓迎すると、そういうことですか」

「そうすることでしか、β市は生きられないのです」

 だから、と磐城は顔を上げた。うつろのなかに冷たい害意だけが光を放っている。

「私はリュニヴェールに身を投じた。この街が失うものを少しでも減らし、得るものを増やすために。それが、私の覚悟です」

 だからその覚悟の前に立ちはだかるものは容赦なく切り捨てる、と磐城は叫んでいるのだ、と十和は思った。

 リュニヴェールはβ市を食い物にし、しかし同時に生かしてもいる。

 この地に生きる人々は、リュニヴェールの悪を理解している。だが、悪だとわかっていても、その指先にすがらずには生きられない。

 磐城は、リュニヴェールの内側に入り込むことで、少しでも生まれ故郷を守ろうとしているのだ。それが、ほとんどまったく無駄な努力であったとしても。

「……高潔なご覚悟だというべきなのでしょうか」

 十和はひとりごとのごとくに呟いた。

 その声に込められた、どこかあきれたような響きに気づかないはずもないというのに、磐城は平然と答える。

 ——なんとでも云ってください。

「恨まれ、憎まれ、そしてときには蔑まれ、けれど、私にはこの道しかなかった。それはたぶん、リュニヴェールという会社も同じことなのです」

 強者の真の強さとは、敵を薙ぎ倒し、切り払い、進みつづける力だけをいうのではなく、弱者の怨念をその身に背負って立つことのできる力をもいうのかもしれない。

 恨まれつづけること。憎まれつづけること。

 他者から負の情念を向けられながら生きていくことはつらい。ときに、人の身にあまるほどに。

 十和は、そのことをよく知っている。

 しかし——。

「そんなのは詭弁ですよ」

 憎みたいなら憎め、呪いたいなら呪えと開き直って、無辜の人々を殺めてもいい道理などあるわけがない。

 もしもそんな理屈がまかり通る場所があるというなら、そこはもうすでに人の世とは呼べない。

 煉獄、地獄、——名前などなんでもいいが、アヤカシが支配する世界なぞよりももっとずっと醜い、この世のはてだ。

「そう思うのは、あなたがここではない、遠いところから来た部外者だからでしょう」

 ここに生きる者の思いは、ここに生きる者にしかわからない。

 悪とともに生きる者の思いは、そうすることを決めた者にしかわからない。

 十和と磐城はそれから少しのあいだ、互いに口を閉ざしたまま工場を見下ろしていた。

「ご案内をつづけましょうか」

 やがてそう云った磐城の声には、張りが戻っていた。

 そうか、彼はこのわずかなあいだに心を決めたのか、と十和は気がついた。

 ——ああ、厄介なことになりそうだ。

 リュニヴェールは、おそらくはじめから霊障の原因に見当がついていた。

 だが、それを取り除く方法はわからなかった。

 もちろん無為であったはずはない。事態を納めるため、リュニヴェールはさまざまな方法を試したことだろう。

 ひとりふたりの犠牲であれば目をつぶれと、従業員たちを脅したのもそのひとつだし、歯止めがきかなくなってくれば、工場を閉鎖し、被害を抑えようともした。

 犠牲が増え、いよいよ策尽きたところで、陰陽寮への依頼を決意した。

 リュニヴェールにとっては苦肉の決断だったはずだ。けがれた秘密を抱える腹に手を突っ込まれ、ひっかきまわされることがわかっているからだ。

 相手がβ市だけであれば、金でひっぱたいて黙らせることができる。

 けれど、陰陽寮、その先にある連邦政府に対してはそうはいかない。

 リュニヴェールの悪——それがたとえ、公然の秘密であったとしても——が白日の下にさらされ、裁かれるときがやってくるかもしれない。

 それは絶対に避けなければならない事態である、とリュニヴェールは考えたはずだ。あるいは、少なくとも磐城にはそのように命じた。

 十和は、磐城に気づかれないほどかすかに、小さなため息をもらす。まったく、いやな予感ほどよく当たる。

 陰陽師には霊障だけを取り除かせろ。

 けっして原因を探らせてはならない。

 よけいなことをするようなことがあれば、なんといてもやめさせるのだ。

 つまり、——いらぬことを知りたがる者には、死を。

 磐城は会社からそう命じられ、十和たちを迎えた。

 きっと、ずっと迷っていたのだろう。

 リュニヴェールの理屈を体現するかのように、いささか理解しがたい覚悟とともに生きているとはいえ、磐城はそれでもただの人だ。賢くはあるが卑怯で、強くはあるが臆病で、しかし、鈍く善良な、ただの人だった。昨日、いや、ついさきほどまでは。

 磐城は腹を決めた。わたしを殺す——、その覚悟を決めた。

「ええ、そうですね」

 十和は磐城の誘導に応じた。

 なにが工場長に覚悟を決めさせたのかはわからない。彼の理屈を理解することもできない身には当然のことだ。

 しかし、十和には十和で覚悟がある。磐城が抱えるそれと同じ重さ、同じ大きさ、同じ意味を持った覚悟が。

 殺されてやるわけにはいかない。

「話は戻りますけれども」

 ええ、と十和は磐城に並んで歩きながら応じた。

「霊障を祓うあてはついたのですか?」

「繰り返しになりますが、原因がわからなければ術を組むのも難しいのです」

 なるほど、と磐城はやわらかく笑った。

「陰陽術も万能ではないということですか」

「万能どころか、できることはきわめて限られている。不便なものです」

 しかも、こうもご協力を拒まれてはね、と十和はあからさまにあてこする。

 まるでふき取ったかのように、磐城の顔から笑みが消えた。

 十和の首筋にちりちりとした緊張感が走る。熱くて冷たい、明確な殺意の感触。

 生産過程を眺め下ろしていた場所から数歩も進まないところで、磐城と十和は間合いを取ってにらみ合った。

 式神二体が音もなく磐城の前に立ちはだかる。

 ひるむ様子もなく、男は腰を落として左手を腰に忍ばせた。

 得物は刃か、と十和は呼吸を鎮める。ふ、と息を吐いた、——刹那。

 磐城の気配が揺れた。

 前触れもなくゆるむ殺意に驚く十和の前から、式神の姿がかき消えた。

「な、なに……!」

 磐城とは違う意味で十和も驚く。

 ——八雲に、なにかあったのか……!

 式神二体はそれぞれ来鹿と八雲の姿をとってはいたが、本人の気と結びつけられていたのは八雲のほうだけだ。脳以外に生体を持たない人工生命体アーティフィシャルである来鹿は、式神と相性がわるい。

「おい!」

 消え失せた式神に事態を悟ったのであろう磐城が、鬼の形相で十和を睨む。

「あれは偽物か!」

 十和は舌打ちをして異界の気配を探る。

「答えろ! あんたの護衛師ガーディアンはいまどこにいる!」

 私を騙したのか、と磐城は額に青筋を立てて吼えた。

 殺さなければならない相手が増えたことに対する苛立ちか、あるいは、陰陽師ならばともかく、護衛師と敵対するには己の力量に自信がないのか。

 磐城の興奮はすさまじい。

「十和さま……」

 喚ばれた小鬼がようやく応じた。

紅銀あかのしろかね、動けるか」

「はい」

 半身である蒼銀あおのしろかねとともに、幼い姿が顕れる。

「八雲のところへ行けるか」

 はい、と小さな返事がふたつ、重なって返ってくる。

「気配を間違えるな。ここにはいろいろとおそろしいものがひそんでいるようだからな」

 翔べ、とひとこと命じると、小鬼たちの気配はすぐに消えた。

 むろん、磐城にはいまのやり取りはまるで理解できない。はじけるように裂けて足元に散った式神のなれの果て——白い和紙——を踏みにじり、喉の奥でうなる。

「せめても誠実であろうとした私を……騙したのか……!」

 磐城の手には光のない刃が握られている。非金属性セラミックスの、ごく軽い、しかし殺傷能力の高い武器だ。

 十和は、じり、と後退した。

 いまは磐城にかまっている場合ではない。

 八雲と式神を結ぶ術が切れたということは、潜伏していた護衛師たちの身になにかがあったということだ。

 小鬼たちに告げたように、この晧宮工場には尋常ならざる気配がある。

 実体を伴ったものが相手ならば、来鹿や八雲に退けられないことはないだろうが、ここにいるなにかは違う。十和にしか祓うことのできないもの、すなわち妖である。

 十和はわかりやすく磐城の注意を引くため、指をひとつ弾いた。

 いまにも飛びかからんと両脚に力をためる磐城の鼻先に、ひら、と白が舞った。

 うっとうしい羽虫を払うように男が首を振る、その隙をついて、十和はひとこえ大狼オオイヌを喚ぶ。

コウ!」

 黄泉を駆ける獣が音もなく十和に寄り添うのに、刹那の時も必要ない。

「わたしをふたりのところに連れていけ!」

「ならぬ」

「荒!」

「身が保たぬ」

「かまうな!」

 本人さえもすでに忘れかけているが、十和の身には深い傷がある。

 血の匂いは妖どもを呼び寄せる。人の念にとりつかれた妖物どもの好餌となる。

 強い妖力ちからを持つ十和の血ならば、なおのこと。

 異界を渡れば、工場に潜むものどもよりももっとずっとたちの悪いなにかを呼び寄せてしまうかもしれない。

 荒の意はわかる。だが——。

「やれ!」

 大狼は小鬼たちとは違う。十和の言葉に逆らうことができる。

「早く!」

 獣の眼が磐城をとらえた。

 歯を剥き、唸り声をあげる姿は、まるで彼こそがけだもののようだ。

 その手に握られた刃が十和の命を狙っていることはあきらかだ。

 荒の後脚が力強く床を蹴る。十和もまたほとんど同時に、まるで床面に飛び込むかのように無謀な跳躍をした。

 大狼の牙が十和の外套の襟を噛み、ひとりと一頭は闇に溶ける。

「な、なにがあった……?」

 紙人形に翻弄されていた磐城がわれに返ったとき、さっきまでたしかにそこにいたはずの陰陽師は、自身もまたひとひらの紙片であったかのように跡形もなく消え去っていた。

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