22

来鹿ライカ!」

 ともに電脳端末タブレットの画面を覗きこんでいたセツが無遠慮に呼ばわった。少し離れたがれきの山の上でその声を聞いた護衛師ガーディアンが、盛大に顔をしかめているのが見えた。十和トワは頬に力を入れて笑いをこらえる。

 ちょっと慣れてきたと思ったら、すぐにこの態度、図々しいことこのうえない。来鹿の顔にはそう書いてある。どうにかして締め上げてやれないものかと紅輝石ルビーの眼差しがきつい光を帯びているのがわかる。

「カリカリしたってしかたありませんよ」

 彼のそばにいた八雲ヤクモが柔和な顔に笑いを浮かべ、額に青筋を浮かべる来鹿をなだめようとしている。ふたりは足元の悪い斜面を雑な足取りで降りはじめる。

「ちょっと図々しすぎるだろ、あれは」

「こどもなんてあんなものですよ」

「……こどものことなんて知るか」

 人工生命体アーティフィシャルである来鹿にとって、こどもは謎のいきものである。彼の戸惑いはごく当然のものだ。

 いまの時代、大人たちの大半はこどもや子育てとは無縁に生きている。こどもは大人の社会からは切り離されて育てられるため、自身がそうだったときを除けばこどもがそばにいる環境というものが存在しないのだ。

 多くの者たちにとってこどもとは、年に数回の定期保守調整メンテナンスの折に種や卵を提供することと同義で、そこには義務を果たしているという感覚しかないのだろう。

 だって、おれたちだって、そうやって生まれてきたわけだしさ——。

 彼らの思考はそこで止まり、それ以上進むことはない。

 自分の子が欲しいとかその子を自身の手で育てたいなどと思う者も、反対に己の知らないどこかにそんなものがいるのかと思うと気味が悪いと忌避する者もいるにはいるが、それは少数派である。

「来鹿さんにとっては、それがあたりまえなんでしょうが……」

 地球や月では、こどもと呼ばれる年代の者たちは教育用アンドロイドによる保護のもと、成人からは隔離された環境で育つ。多少の個体差はあるが、ひととおりの知識や社会的常識を習得してからでないと、外出すら許されない。

「ここでは違う?」

 来鹿が尋ねると、八雲は笑顔にわずかな苦みを混ぜ、肩をすくめた。ふたりは十和と雪のすぐそばまでやってくると足を止めた。だが、話は続いている。

「C2、とくにこのドームひかりは古い準惑星ですからね。地球や月ほど、人口管理が厳しくないんです。自然生殖はそれほどめずらしいことではないし、こどもを目にする機会もすくなくありません」

 ふうん、と来鹿はとくに興味もなさそうにうなる。

「雪くんや弓弦ユヅルくんは苦労しているほうでしょうが、だからといって彼らが最底辺というわけでもない。彼らには着るものも食べるものもあって、住む場所もある。字も読めるし、仲間もいる。生計をたてるすべを持っていますからね」

 一晩いくらで客をとらねばならない男娼のいったいどこが最底辺ではないというのだろう、と十和は思った。ドームひかりという場所は、その名にふさわしくない、おおいなる闇をはらむ場所であるようだ。

「来鹿!」

「なんだ!」

 無遠慮に呼ばれたあげく話を邪魔されて、来鹿はより苛立ちを募らせたようだ。

「さっきからなにしゃべってんだよ! 時間ないのに!」

 十和は複雑な表情を浮かべて来鹿を見た。こらえてやってくれ、とも、手を貸してくれ、とも、これも仕事のうちだ、ともとれる、総じてすまなそうな顔をしてみせたつもりだ。

 来鹿がため息をついた。仕方ない、とでも云いたげな様子だ。

「で? 次はどこだ」

「このへん。今度はこのへんお願いします」

 十和と雪、来鹿と八雲は、——いやいやながらも協力しあって——百鬼夜行の入口となる五芒星の中心を探しているところだった。

 だが、当初の予想どおり探索は難航している。

 呪陣の辺縁のうち三点が明らか——万華鏡カレイドスコープ極煌オーロラ天鳥舟あまのとりふねのごく近辺——になっているとはいえ、ほかには手がかりがない。それらとて、その近辺、というあやふやな状態では当然の結果といえた。

 せめて位置情報を正確に絞りこんでから呪陣の中心を探索することはできないのか、というごくごくまっとうな意見を述べたのは来鹿と八雲だった。ある地点を特定するには、特定したい箇所以外に三点の正確な位置情報が必要だ。肝要なのは、正確な、という点で、そんなことは、それこそこどもにもわかるあたりまえの法則である。

 しかし、十和は、時間がない、と云い張った。位置情報が多少曖昧でも、呪陣の中心を割り出すことができないわけじゃない。

 物理法則だとか数的公式だとかをいっさい無視した発言のよりどころは、彼女と雪とが持つ特殊能力、すなわち見鬼けんきの力である。

 あやかしを視る能力は、すなわち、幽世かくりよにつながるものを視る能力でもある。百鬼夜行を引き起こすほどに強い念のこもった呪陣ならば、この目に見えないはずがない。彼女は強くそう主張した。

 護衛師たちは折れた。これは妖物バケモノ退治だ。陰陽師の云うことに逆らうべきではない、と判断したのだろう。

「間違いないんだろうな?」

「た、たぶん……」

 来鹿と八雲は手にしていた大きな円匙シャベルを、そろいの仕草で地面に垂直に突き立てる。さっきから何度も地面を掘り返しては埋め戻す徒労を繰り返し、疲労はともかく苛立ちがたまっているのだ。

「たぶんじゃねえんだよ。さっきから何回同じこと繰り返してると思ってる?」

「わざとじゃないんだってば……」

「俺だってべつに、見つからなくて腹を立ててるわけじゃない」

 もともと彼の目には映るはずもない呪陣のありかだ。たとえどれほど無謀な探索であろうと、どれほど途方もない労力を要しようと、それが仕事であるならば来鹿に否やはないはずだ。

 そして、いまこのときにおける来鹿にとっての仕事とは、十和の警護と補助である。彼女の身を守ること、その任務遂行の助けとなることならば、どんな泥仕事だって拒否するはずがない。

 だが——。

「おまえの態度がどうにもヘラヘラしてるようにしか見えないんだが……なあ、掘り返すのがおれたちだと思って、適当なこと云ってるんじゃねえだろうな?」

「ち、違うよ!」

「おれたちには見えねえからって……」

「だから違うってば!」

 十和の説明によればこういうことだった。

 呪陣の中心、五芒星の中央には、かならず供物が捧げられている。その供物とは命を指し、この場合は十中八九、姿を消したリュニヴェールの従業員たちにちがいない。

 つまり、晧宮しろのみや工場敷地内で発見されなかった遺体の一部が、この幽宮かすかのみやのどこかに埋められている。

 ちょっと待てよ、と来鹿はそこで口をはさんだ。見つかっていない部分は、あの工場のどこかに隠されているんじゃなかったのか。

 もちろんあの工場のなかにもある、と十和は云った。今回の呪、百鬼夜行の肝はそこにある。だが、入口にも供物は必要だ。血は喚びあう、と云っただろう?

 つまりこういうことか、と来鹿は顔をしかめた。リュニヴェールの従業員たちは、妖物どもを呼び出すエサとして、殺され、手足を引きちぎられ、あちらこちらに棄てられたっていうことか。

 棄てられたというか並べられたというか、まあ、そういうことだ、と十和はうなずいた。呪陣はすでに完成している。いまはその発動を待つばかりだ。でも、捧げられた供物を見つけ出し、弔い、呪を昇華することができれば、あるいは百鬼夜行は避けられるかもしれない。

 十和と雪は呪陣の中央に捧げられた供物を探し、来鹿と八雲はおそらく地面に埋められているであろうそれらを掘りあてる。十和が呪いを解いて、任務はほぼ完了する。

 やるべきことははっきりしている。だが、状況は芳しくない。

 そもそも手がかりが不完全なうえに、探しあてるべき贄は慎重に隠されている。十和の体調も万全とは云いがたい。

 今日のβ市は雪こそ降っていないものの、つくりものの空はどんよりと曇り、気温も低かった。けが人にはひどく堪える寒さである。

 杠葉ユズリハが打ってくれた薬はよく効いていたし、努めて平静を装ってはいたが、実際のところ、少しずつ痛みは増してきていた。そろそろ潮時かもしれない、と十和は臍を噛む思いでいる。

「あのな、これが間違ってたら、いったん戻るぞ。おまえ、少し休め」

 雪がなにかに気づいたような顔で見上げてくる。十和は思わず舌打ちをした。

「痛みが出てきてる。そうだろ?」

「いや、大丈夫……」

「じゃないだろ」

 十和は悔しさに唇を噛んだ。人工生命体である来鹿の感知能力を持ってすれば、こちらの体調を見抜くことなどじつに容易い。それはわかっているつもりだったが、少し遠慮してほしいと思っても罰は当たらないだろう。時間的にゆとりがないことは彼も承知しているはずだからだ。

 雪は別の意味で悔しそうな顔をしている。十和の不調に気づけなかった自分が歯がゆいのかもしれない。

 来鹿と張り合ってもむだだ、と慰めようかとも思ったが、さほど意味のない——それどころか、彼の矜恃プライドを傷つける——ことであるような気がして黙っていた。

「わかったらさっさと始めようぜ」

 おとなげない護衛師のあからさまな敵愾心に、八雲があきれたような顔をしている。

「なんだよ?」

「案外わかりやすいんですね、来鹿さんは」

「……さん、はいらねえ」

 ええ、と八雲はうなずいた。

「さっきも聞きましたけど、それは無理です」

 会話の合間に、来鹿が、ここだな、と十和と雪に確認する。ふたりは黙ったままうなずいた。

「無理じゃねえだろ」

「僕とあなたに階級の差はない。でも、やっぱり立場は違うんですよ。気安くはできない」

「信用できねえってか」

 ふたりはもうすっかり慣れた感のある円匙をふるいながら話を続けている。

「そういうことじゃありません」

 ですが、と八雲はちいさなため息をついた。

「気を悪くしないでもらいたいんですが、同じ護衛局にいるとはいっても、あなたの見えているものと僕の見ているものは違う。そういう者同士が親しい口をきくことは、ここではこころよく思われない。そういうことです」

「見ているもの?」

 来鹿は思わず手を止めた。十和も雪も八雲を注視する。

「妖物が視えないのはおたがいさまだろ」

「そういうことではありませんよ」

 八雲は苦笑する。

「云いたいことがあるならはっきり云えよ」

 覚えの悪い幼子に対するような態度が、来鹿の癇にさわったらしい。彼は眉をひそめてきつい口調で云った。

「はっきり云っていますよ。あなたが理想とする同僚づきあいを、僕に押しつけないでもらいたい」

 対する八雲はごくやわらかな口調を裏切る、冷たい声を出した。

「支部のみんなは、いえ、ほかの星やドームがどうだかは知りませんが、すくなくともC2支部は、あなたがたの捜査を歓迎してはいない」

 薄々感じていたこととはいえ、こうもはっきり言葉にされるとは思わなかった。十和と来鹿は思わず顔を見合わせる。

「なんだ、そりゃ……」

 十和には、来鹿がなかばあきれ、なかば憤り、しかし、どうもうまい言葉を見つけられずにいることがよくわかった。ふたたび円匙を持ち上げた腕が、苛立ち任せか、必要以上に強い力で振り下ろされる。

「云いましたよね、昨日」

「あ? なんだって?」

 ひそめられた低い声はくぐもって聞き取りにくい。来鹿が乱暴に聞き返す。

「昨日、はじめてお会いしたときに云ったはずです。めったなことは云わないほうがいい、と」

 ああ、そういえばそんなことも云っていたな、と十和は思い出した。短い時間にいろいろなことがあったせいか、すっかり忘れていた。

「そうだったか?」

 来鹿も十和と同じだったのだろう。彼がそう答えると、八雲は、忘れないで下さいよ、と口許をゆがめる。笑みに見えないこともなかったが、そう呼ぶにはあまりにも鬱屈した表情だった。

「大事なことなんですから。余計なことは云うな、するな。そう云ったつもりだったんですが」

「……リュニヴェールがそんなにこわいか」

「こわいですね」

 撃ち抜くような即答だった。

「おれたちと距離を取りたいのも、おれたちがリュニヴェールを怒らせそうだからか」

「怒らせそう、ではありません。いままさに怒らせているからです」

「だれかになんか云われたか」

 八雲は返事をしなかった。

 だが、その無言こそが、なによりも雄弁に事実を語っている。歓迎していない、は、歓迎してはならないとだれかに云われた、そういう意味だろう。地球だの月だのからやってきたよそ者に、これ以上勝手なことをさせるなと、どこかから横やりが入ったのだ。

「おまえ、護衛師だろ」

「関係ありませんよ。あの会社はここでは政府そのものだ。いいえ、そんなあまいもんじゃない。支配者です」

「支配者……そりゃ、ずいぶんと穏やかじゃねえな」

「穏やかであるはずがありませんよ」

 おいおいおいおい、と来鹿はわざと軽い声を出した。

「おまえ、まがりなりにも護衛師だろうが。市民を守るのが務めだろうが。リュニヴェールだってここの市民には違いないだろ?」

「だからよけいに腹立たしいんですよ」

 リュニヴェールがβ市の一員であり、その善良の皮を脱がない以上、護衛局や警察は彼らの安全を脅かすわけにはいかない。

「けど、連中が市民である以上、取り締まりの対象でもある。違うか?」

 支配者だとて、法には従わなくてはならない。否、支配者を法で縛る仕組みこそが法治国家だ。

「だとしたらβ市は法治国家ではありません」

 八雲は円匙を動かしはじめた。凍りついた土くずが遠くへ放られる。

「ここでは法など意味をなさない。リュニヴェールが法そのものなのです」

 十和は雪には気づかれないよう彼の表情をうかがった。八雲の云うことが、彼の個人的な感情であるのか、あるいはここの住人たちにとってある程度一致した意見なのか、そこを知りたかったのだ。

「β市では、食料品から衣料品、あらゆる市場をリュニヴェールが独占しています。そうすることで、あらゆる物価を高値にとどめている。市民の多くが直接、間接を問わずリュニヴェールにかかわる職に就いているだけではなく、受け取った給与のほとんどを生活必需品につぎ込まねばなりません」

 雪の表情は変わらなかった。つまり、八雲の話は彼にとってとくに驚くようなものではない、ということだ。

 あなたがたには信じられない話でしょうけれど、と八雲は云った。

「人々が働いて得る金、その金で買う食事、衣服、娯楽、そのすべてがリュニヴェールを通る仕組みになっているんです。β市民はリュニヴェールで働き、リュニヴェールに金を落としつづける。そうしなければ生きていけない」

「なんだってそんなことに……」

 来鹿は眉根を寄せ、首をかしげた。

「古くから開発された準惑星は珍しくねえし、俺だってそれなりにあちこち行ってるが、あんまり聞かねえ話だな」

「リュニヴェールがなにもかもをねじ曲げてしまったんですよ。長い時間をかけて。経済を支配し、政治を支配し、法を支配した。リュニヴェールだけが恩恵を得られるよう、すべてを変えたからです」

 昨日の工場長、磐城イワキさんでしたっけ、と八雲は円匙の縁をぐっと踏みこむ。

「彼はβ市民のなかでも特別に運のいい人間です。リュニヴェール本社に就職し、晧宮工場のトップにまでなれた。しかし裏を返せばここでの暮らしはその程度が限界だ、ということです」

 十和はすでにやや遠い記憶になってしまっていた磐城を思い出してみる。

 尊大と謙虚が同居したちぐはぐな印象。責任ばかりで権限の伴わない職を誇っているようにも、卑しんでいるようにもみえた。β市を支配するリュニヴェールの一員であることを誇りながらも、肝心なところはなにも任されていない絡繰人形マリオネットにすぎないという自覚がそうさせていたのか——。

「β市の市長はもともとリュニヴェールの社員です。ただし、β市出身の人物ではありません。おそらく、はじめから市長になるべく教育された、月か地球の人間でしょう」

 広い宇宙に散らばる可住惑星および準惑星の統治機構は、その星によって異なる。

 月面都市に本部を置く宇宙中央政府は、人類が居住する星々に大きな影響を与えてはいるが、統治しているとまでは云いきれないのが実情だ。法規範の基礎を作り、共通通貨の信用を担保し、外交——人類および人類と友好関係にある生命体以外との戦争を含む——を担ってはいる。しかし裏を返せば、ただそれだけの役割でしかない。

 市民生活に直接かかわる統治、すなわち司法、立法、行政のありかたは、それぞれの惑星、準惑星の自治に、ほとんど完全にゆだねられている。

 あまりに多数の亡命者や難民を出したり、他の惑星に武力攻撃をしかけたり、ヒトやモノの流通を著しく阻害したりするなど、よほど混乱した事態を引き起こさない限り、宇宙中央政府が地域の政治に介入してくることは皆無といってよかった。

「リュニヴェールはβ市を完全に私物化し、中央もそれに目をつぶっています。あるいは気づいてすらいないのかもしれない」

「……ここの統治は民主制じゃなかったか」

 体内インナー端末でC2の基礎情報を呼び出したらしい来鹿が、わずかのあいだ瞳を泳がせる。首をかしげ、しかしすぐに渋い顔になった。

「だからこそ、か……」

「理解が早くて助かりますよ。民主制はしょせん多数決にすぎません。多くの市民の生活を掌握する彼らにこわいものはない」

 八雲の云わんとするところは十和にも理解できた。

 このドームの現状に不満を持ち、出ていくことのできる者たちは、とうにいなくなってしまっている。残されたのはここから出ていくこともできない者。気づかぬうちに首に縄をかけられ、ゆっくりと生活を絞り上げられ、あらゆる力を削ぎ落とされてしまった。

 なにをしようとも、虐げられている弱者の声はだれにも届かない。届いたところで、聞く耳を持つ者はいない。

「いまさら気づいても、もうだれにもどうすることもできません。リュニヴェールはあまりにも巨大になりすぎて、このβ市を、あるいはドームひかりをもすっかり飲み込んでしまいました。連中を倒せば、われわれさえも無事ではいられないんです」

「悪さもなにもやりたい放題ってわけか」

「もはや隠す必要もないほどにね」

「連中に脅され、おまえたちは骨抜きってわけだ」

 ええそのとおりです、と八雲は皮肉っぽく笑った。

「脅す必要もない」

 中央から見れば巨大複合企業コングロマリットのひとつにすぎないリュニヴェールも、辺境の準惑星にある古いドームに暮らす人々から見れば世界そのものにすらなりうる。

 護衛局や警察、司法の番人といえども個々人にはそれぞれの生活がある。家族も友人もいる。このβ市にある以上、リュニヴェールとかかわりを持たずに生きていくことは、——とても、とてもむずかしい。

「……でも、おれたちはちがう。リュニヴェールとは無縁だ。やつらをおそれてもいない」

 八雲がいまのβ市をよしとしているわけではないことは、その口調からもあきらかだ。けれど彼は、来鹿と親しげな口をきくことさえ躊躇する。

「ええ、ですから僕はあなたがたと馴れあうわけにはいかないんです。わかっていただけますか」

 さっきから手を止めてしまっている来鹿と違い、八雲は地道にがれきを掘り返し続けている。その姿は、なにがなんでもリュニヴェールの闇を暴いてやる、とでもいうような、熱意を超えた執念を感じさせる。十和はわずかに眼差しに力を込めた。

 そう、八雲の行動は、そうやって彼自身の言葉を裏切りつづけている。

 来鹿が視線だけを向けて寄越した。十和はかすかにうなずいてみせる。わたしが八雲の話に抱いたのと同じ印象を、彼もまた覚えたのだろう。

「おまえはおれたちの案内役であると同時に監視役でもある。工場長の磐城と同じ」

「そのとおりです」

「リュニヴェールに人生を支配された大勢のβ市民と同じ」

「そうです」

「任務だから行動をともにするが、心までひとつにしたわけではない。はきちがえるな、というわけだ」

 八雲は返事をしなかった。かわりに円匙をひときわ高く振り上げ、強い力で凍った土塊に突き立てる。

 くしゃり、と紙を握りつぶすのにも似た音が十和の耳を打った。

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