18

「それ、なにしてるんですか?」

 背後から飛んできた声に弾かれるように振り返り、来鹿ライカは思わず顔をしかめた。——俺としたことが、この近さに距離を詰められるまで、ぜんぜん気がつかなかった。

「……八雲ヤクモ

「ええ、そうですが」

 数時間前に知り合ったばかりの同業者は苦笑いを浮かべつつ、片手に持った茶色の紙袋はそのままに軽く肩をすくめてみせる。

「どうかしましたか?」

「いままでなにしてたんだ、おまえ」

 十和トワが飛び出して行き、杠葉ユズリハと来鹿がそれを追いかけ、けがをした弓弦ユヅルが担ぎ込まれ、十和を背負ったセツが駆け込んできた——。

 この一、二時ほど、天鳥舟あまのとりふねはひどく騒々しかった。

 そのあいだ、同じ場所に案内されていたはずの八雲の姿をまるで見かけなかったことを、ついさっき戸隠トガクシと話をするまで来鹿は気にもしていなかった。

 だが、普通に考えれば、あれだけの騒ぎに顔を見せないことのほうがおかしいではないか。まるで見ず知らずの他人ならばともかく、これからしばらく行動をともにする予定の仕事関係者なのだ。たとえ相手に関心などなくとも、なにか異変があったらしいとなれば、様子のひとつもうかがいにくるのが妥当なところだろう。

「どういう意味です?」

「いろいろ騒々しかっただろ」

「すみません」

 なにも気づかなかったわけがないよな、と暗になじる調子を察したのか、八雲はなんとも申し訳なさそうに眉を寄せた。

「部屋をたしかめてすぐ出かけてしまって、いま戻ったものですから」

「出かけた?」

「分署に顔を出していました。このすぐ近くなんですよ。あとは食事の調達を」

 そう云って手にしている袋を軽く持ち上げてみせる。

「分署に? なんでまた」

「僕の人事考課ファイルをお渡しするお約束でしたけど、そのためには手続が必要なので」

 護衛師ガーディアンの勤務情報ともなれば、扱いには慎重を要する。おいそれと複製はできないし、閲覧アクセスするにも相応の権限が必要となる。本人のみならず上司が承認したうえでなければ、たとえ上位職級にある来鹿であっても手にすることは不可能だ。

 体内インナー端末を持たない八雲は、自身の情報を開示ディスクローズする手続をとるため、最寄りの護衛局分署に出向かなくてはならなかったというのだ。

「あ、ああ、そういえばそうだったな」

 初対面であれほど突っかかってのいまである。先ほどまでの騒ぎですっかり忘れていた、とはさすがに云いにくい。

「手続は終えました。じきに来鹿さんの端末に、閲覧を許可する連絡が入るはずです」

「そうか」

 手間を取らせたな、と来鹿は詫びた。

 いいえ、と八雲は笑いながら、首を横に振った。

「用事はそれだけではなかったですしね」

「なにかあったのか」

「上司に報告を。工場での十和さんの様子だと、早期解決はむずかしそうな様子でしたので、そういうことも含めて」

「ずいぶんと細けえことを気にする上司なんだな」

 いったん任務に出れば、相手が誰であれ完了まで一度も報告など入れたことのない来鹿は、呆れたように肩をすくめた。

「人手がないので、仕方ないんですよ」

「そういうものか?」

「もしもいま、より大きな事件が起これば、僕はすぐさま呼び戻されます。代わりに僕の部下か後輩のだれかが派遣されてくることになる。来鹿さんもよくご存じでしょうが、護衛師は外に出ていかなければ仕事になりません。支部に残されている上司は、日々、人のやりくりに追われています。外に出ている者が状況を伝えなければ、彼女は仕事にならない」

 なるほど、と来鹿はわかったようなわからないような曖昧な調子で応じた。同じ護衛局勤めとはいえ、月面都市の本部しか知らない彼には、小さな支部の現実がピンとこないのだ。

「で、こちらはなにがあったんです?」

「いろいろな」

「いろいろって?」

 呪陣の一端を見つけた十和が天鳥舟を飛び出して行ったこと、あわてて彼女を追いかけたこと、その先で負傷をしたこどもを拾ったこと、そして——。

「あいつも大けがをしてな」

「大けが?」

「俺にはよくわからねえが、鵺とかいう妖物バケモノにやられたんだと」

 背中をこうざっくりとな、と来鹿が云うと、八雲は若草色の瞳を曇らせる。

「……大丈夫なんですか?」

「けがはな。あの杠葉って医者が面倒みてくれて、いちおう大丈夫だってよ」

「けがのほかに、なにかあるんですか?」

「呪がかけられてるかもしれないんだとよ」

「呪? ああ、それで……」

 八雲はさきほどからずっと、来鹿が手にしているフダを気にしていた。ようやく得心がいったというように笑い、何度かちいさくうなずいた。

あやかし除けの札ですか」

「あ? ああ、よくわかるな」

 そういえば勘がいいとか云ってたっけな、と来鹿は思い出す。雪とかいうガキと同じ妖力持ちというわけではないにしろ、自分よりはこういったことに詳しいのかもしれない、と彼は素直に考えた。

「十和さんに云われたんですか?」

「なにをだ?」

「それ。周りに貼ってくるようにって」

 いや、と来鹿は八雲の言葉を否定する。

「十和はまだ意識が戻ってない。札を貼ってこいって云ったのは翁。戸隠ってじじいだ」

「じじい……?」

 ああ、そうか、と来鹿は軽くため息をついた。

 人間ヒューマノイドである八雲は、戸隠を見た目どおりの美少女だと思っているのだろう。説明が面倒なことこのうえない。

 わずらわしさをこらえ、来鹿は八雲に戸隠の正体を明らかにする。完全無欠を誇る美少女のなりをした彼が、じつは齢九十を超える老爺であることと、ついでにかつては陰陽寮に属する高名な術師であったことも付け加えてやった。

「術師……」

 八雲は驚いたように目を見開き、それからふたたび来鹿の手の内にある札を見つめた。

「それは、戸隠翁が?」

「そうだ」

 妖を除けるまじないがかかってるんだと、と来鹿はひらひらと札を振ってみせた。

「俺にはぜんぜんわからんけどな」

「わからないのに貼ってまわってるんですか」

「そういうご命令だからな。あれこれ細かく云われて、そのとおりに貼ってこいって……けど、まあ、十和の身を守るためって云われりゃ、こっちはそのとおりにするしかねえよ」

 そうですか、と八雲は低い声で答えた。

「十和さんはそんなにお悪いんですか?」

「よくはねえな」

 そうですか、と今度の八雲の声は、なぜか細く震えているようだった。

「まあ、医者もいるんだし、そんなに心配はいらねえよ。俺はまだこいつが残ってるからよ、あんたは先に戻ってろ。メシ食ったあとで今後の相談するから、寝るんじゃねえぞ」

 八雲からの返事はない。

「おい?」

「ああ、すみません」

「どうした?」

 いえ、と八雲はうっすらと笑う。

「なんでもありません」

「なんでもないってツラじゃねえだろ」

「本当になんでもないんです。ただ、ちょっとこわくなってしまって……」

「こわいだあ?」

 なにがだ、と来鹿はあきれたような声を出した。

「おまえ、自分の仕事、なんだと思ってやがる」

「だから……すみません、と」

 八雲の声はどこかうわずっていて、よくよく見れば顔色も悪い。来鹿は派手に舌打ちをした。

「本当にこわいって思ってんなら、交代してもらうしかない」

 八雲ははっとしたように顔を上げた。

「多少鈍かろうが、頑丈なやつのほうが使える。人事考課ファイルなんざ見る必要もねえ。いますぐにでも支部に連絡して代替人員をよこすように云うが、それでいいか」

「いえ、その……」

 まだ青白い頬をみずからのてのひらで幾度か叩き、八雲は、大丈夫です、と続けた。

「本当にすみません。もう大丈夫ですから」

「なにが大丈夫なんだ」

 来鹿は眼差しを眇め、冷たく云い捨てる。

「おまえ護衛師だろ。そんなんで務まるのかよ」

「大丈夫です」

 本当に大丈夫です、と八雲はまるで縋りつくように云い募る。さらに、来鹿の手に握られた札を指さし、それもお手伝いしますから、と続けた。

「妖がらみの仕事、僕、はじめてなんですよ。陰陽師だの呪いだのっていうだけでも理解しがたいのに、そういうので実際にけがすることがあるんだって思ったら、こわくなって……」

「妖のせいで人死にが出たって話、さんざんしてたのにか」

「いや、ですから、ほんと、いまさらですけどね」

 まのあたりにするまで実感などなかったということか、と来鹿は思った。それはあるいは無理のないことなのかもしれない。

 来鹿とて、陰陽師という存在を多少なりとも受け入れられているのは、ユイや十和と個人的な親交があったからこそである。仕事でかかわるだけであったなら、嫌悪まじりの恐怖をぬぐうことはおそらくできなかっただろう。

 人は理解できないものをおそれるいきものだ。

 来鹿は八雲の上着の胸もとをぐっとつかむ。いいか、と絞りだす声には有無を云わせぬ響きがあった。

「十和の前では絶対に、こわがっているそぶりを見せるな。だれが死んでも、なにをみつけても、絶対にだ」

 鼻先が触れあいそうなほど間近から、紅輝石ルビーの双眸が八雲を射抜く。

 うなずかなければ、この場で殺されるとでも思ったのか、八雲は大きな音を立てて喉を上下させながら慌ててうなずいた。

「次にそんなツラさらしたら、すぐさま支部に突っ返すからそのつもりでいろ」

 どん、と突き飛ばされるように解放され、八雲は思わず咳き込んでしまう。だが、目に涙をにじませるあわれなさまにも来鹿は同情を見せることはない。

 容赦のない手つきで手のかかる護衛師に札を突きつけ、彼は云った。

「ほら、おまえの分担だ。玄関の向こう側、あと三か所、さっさと貼ってこい」

 分担って、これ残りぜんぶじゃないですか、とは、云いたくても云えなかったのだろう。怯えたような、それでいて不満そうな表情で八雲はのろのろとうなずいて、差し出された札を受け取った。


 負傷した十和と弓弦を除く天鳥舟の面々は、杠葉が薬剤などを手に戻って少々落ち着いたところで、ともに食卓を囲もうということになった。十和が戦線を離脱せざるをえなくなった以上、今後のことを話し合っておいたほうがいい、さらにこの宿場を拠点とするならば翁や杠葉にも事情を把握しておいてもらったほうがいい、と来鹿が提案した結果である。

 厨房から続くさほど広くもない食堂へ、それぞれが自身の食べるものを持ち寄っての合理的で味気ない食事会となった。

 だが、それも仕方のないことかもしれない。口にするものだけをとってみても、彼らの共通点は驚くほど少なかった。有機物からのエネルギー摂取をほぼ必要としない戸隠と杠葉はつきあい程度に飲み物だけ、食事という行為に生命維持以外の意味を見出そうとしない来鹿は戦場でも利用される非加熱の栄養剤と熱量補給剤、食べ盛りながら疲れ切っている雪は肉片を挟んだパン、いまひとつ事情も空気も読めていない八雲はさきほど調達してきた弁当。

 おのおのの立場同様、見事なほど調和していない。話の弾むわけもなかった。

「おまえ、いいのか、友だちは」

 隣に座る雪に、来鹿が低い声で問いかけた。

 さほど量もないパンをちびちびかじっていたこどもは顔を上げることもせず、視線だけを護衛師に向ける。

「弓弦のこと? さっき会ったよ」

「ついてなくていいのか」

「そばにいたってできることないし、そもそもまだ寝てるんだよ、あいつ」

「心配じゃないのか」

 どこか咎めるような響きを聞きつけたのか、杠葉が口を挟む。

「治療は完璧。あとは静養あるのみ。本人が望まない限り、付き添いは邪魔なだけ」

 それは十和もおんなじよ、と医師は云う。

「人間なら寝るのが一番。休息にまさる治療なし」

「雑なもんだな」

「できることはぜんぶやったもの。その子の云うとおり」

 杠葉の言葉は力強さに満ちている。だが、十和も弓弦も医療用極小機械ナノマシーンの使えない身体である以上、応急処置と投薬のほかにできることはない、というのが実際のところだろう、と来鹿は渋い顔をした。

「十和さんのおけがはそんなに大変なんですか?」

 弁当を箸——ドームひかり以外の場所で、この道具カトラリーを使うことのできる者はほとんど存在しない——でつつきながら、八雲が尋ねる。

 こいつは妙に十和の具合を気にするな、と来鹿は思った。

「大変……という言葉の意味が、正直わかりかねるけど、そうね、快癒に時間がかかるか、という意味なら、そのとおりじゃないかしら。こわいのは感染症と疲労。悪い菌にあたれば、ろくな薬のない幽宮かすかのみやでは死につながるし、疲れれば免疫力は下がる。さいわい骨は無事みたいだから、痛みをがまんすれば動けないことはないと思うけど」

「仕事をどうするかは……」

「本人に決めさせれば?」

 陰陽師なんでしょ、あの子、と杠葉は戸隠に向かってたしかめるように問う。

「あんたたちにはあんたたちのやり方があるんじゃなかったっけ」

「わしはもう術師ではない。だが、まあ、そうだ。任務継続が不可能にならない限り、本人の意思が尊重される。さて、十和はなんと云うか……」

「……つづけるって云うに決まってるじゃねえかよ」

 陰陽師とは個人の才能のみを恃みにした職業だ。まじないを唱えたり、印を結んだり、まじないを書きつけたりすることによって彼らが使う陰陽術は、いわゆる技能と呼べるものではあるが、その根底に必ず妖力ちからを必要とする。

 だれにでも使えるものではない。どれだけ鍛錬を積んだところで、妖力のない者には紙きれ一枚、やわ毛一筋を動かす呪術すら顕現させることは不可能だ。

 ゆえに陰陽師はその人数が非常に少ない。もともとその才能を持った者が生まれにくいうえに、彼らの仕事は危険を伴う。事故も少なくない。

 陰陽寮は寄せられる数多の依頼のなかから緊急性や重要性を鑑みて優先順位を決め、術者の技量や経験を量ったうえで最適と思われる者を当該地に派遣する。

 それは、派遣される陰陽師の立場からしてみれば、ほとんどこう宣告されているに等しい。

 ——おまえの代わりはいない。その任はなんとしても遂げなくてはならない。

「あいつらはみんなそう云うだろ……」

 この言葉の意味に気づくのは戸隠ひとりに違いない。来鹿はそう思ったが、口にせずにはいられなかった。案の定、すぐに苦い声が飛んでくる。

「そこを手助けフォローするのがおまえたち護衛師の役割であろう」

 旧知の十和を少しでも危険から遠ざけたい自身の心情と、危険のなかに踏みとどまると決めた十和の意思。どちらを尊重するかはむずかしいところだ。

 だが、すくなくともいまの来鹿には、己の気持ちを十和に押しつけることはできない。撤退を提案することも、考えを変えるよう懇願することもできるが、その身柄を強引に安全な場所へ運ぶことはできない。

 それをすれば、十和が自分を切り捨てることを、彼は知っているからだ。

 彼女にとっての来鹿とは、つまり、その程度の存在なのだ。

 彼が口を閉ざし、食卓はいったん静かになった。

 共通点の少ない顔ぶれだ。話は尽きたかに思える。味気ない食事はとうに終わっている。それにもかかわらず、いっそ気詰まりと云ってもいいその場を、だれも離れようとしない。ほかに行くあてもいる場所もないからだ。

「ところで、雪とやら」

 沈黙を破ったのは、意外にも戸隠だった。彼はサービス精神からはほど遠い老獪な元陰陽師だ。いったいなにを云い出すつもりだ、と来鹿は訝しげな顔つきになる。

「わしのことが気になるようだの?」

 えっ、と雪は喉にパンを詰まらせたらしい。顔を真っ赤にして噎せている。

「き、気になるって……」

「おまえは見鬼けんきだ。見えておるものが人とは違う」

「そうなのか?」

 来鹿は思わず口を挟んだ。

「体内端末もなしに?」

「……正確なところはわかなんないよ。でも、なんていうか、気配とか、あと、さっき、爺さんって」

「お察しのとおりの人工生命体アーティフィシャルだ。中身同様、身体ボディもまたかなりの年代物だがの」

 雪は唇を噛んだままなにも答えない。

「ついでに云えば元陰陽師、上で寝ておる十和の同僚だった。そのあたりは察しておるだろう」

「戸隠、あんた……」

 自身の種を明らかにすることは禁忌タブーではない。ただ、八雲や雪など、知り合ったとも云えないような浅い縁の相手に、こうもたやすく己の正体を明かすというのはあまり感心できない。

 来鹿の非難を正しく受け止めたらしい戸隠は、そうとんがるな、護衛師の、とおもしろそうに笑って答える。

「もう先も長くない身だ。なにがあっても惜しくない。チラチラチラチラ気配をうかがわれるほうが鬱陶しい」

 雪は肩を落として、ごめんなさい、とつぶやくように云った。

「そんなつもりじゃなかったんだ」

「責めてはおらん。鬱陶しかっただけだ」

 戸隠が慰めにもならない慰めを口にしたそのとき、来鹿の目にもそうとはっきりわかるほど、雪が大きく身体を震わせた。

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