10

 十和と来鹿は同時に顔を上げた。人好きのする若草色の瞳が、少し離れたところからまっすぐにふたりを見ている。

「あなたが十和さん?」

 確認するように微笑んだ男は、今度は来鹿に向けて、十和に向けるよりはいくぶんか硬い表情をみせた。

「本部のかたですね」

「そうだ。そちらは」

「C2支部の八雲ヤクモといいます」

 軽い会釈とともにそう名乗った男は、どことなく木立を思わせる穏やかな雰囲気の持ち主だった。若草の双眸を引き立てるような焦茶色の髪のせいかもしれない。

 本部では着用する者のほとんどいない護衛局の制服を身に着けた体躯は、いっそ頼りなく思えるほどに細身だった。

 十和も来鹿も、八雲とははじめて顔をあわせる。そのくせ彼の眼差しや口調に迷いはなかった。いまの時代、そう珍しいことでもない。

 だが、来鹿は険しい表情で口をひらく。

「あんた、なんで」

 来鹿の声が硬くとがっていることを不思議がるように十和が眉根を寄せる。

「あ、やっぱ、わかっちゃいますよね」

「わかる。護衛師ガーディアン同士がこの距離で向かい合えば、自動で個人電網パーソナルラインがつながるはずだからな」

 ああ、と八雲は、まるで思い至らなかった、とでも云いたげに目を丸くした。

「でも、なんで……」

 来鹿のつぶやきに、いや、なんでって、と八雲は苦笑する。

「それって、どういう意味ですか? 護衛師のくせになんで体内インナー端末も持ってないんだ、っていう意味? それとも、体内端末もないくせになんであなたがたのことがわかったのか、っていう意味?」

 どちらもだ、と来鹿は答えたかったのかもしれない。けれど彼は、自分の問いが後者の意味である、と短く応じるにとどめた。

「あなたがたの資料は、容姿ビジュアルも含めて本部から送られてきてますからね」

「見た目なんぞいくらでも変えられる。本当に本人か、確かめもせずに声をかけるなんて……」

 来鹿の口調がきつくなりかけたところで、おい、と十和が口をはさんだ。

「さっきからいったいなんの話だ?」

「ああ、すみません」

 来鹿ににらまれ、それまで距離を詰めることができずにいた八雲が、すぐ近くまで寄ってくる。

「僕があなたにうかつに声をかけたので、叱られてるんですよ」

「うかつに?」

 体内端末とは、適合術フォーミングを受けている者たちが体内に備えている超小型の簡易端末のことである。

 端末を用いることによって、人々は世界電網ネットワーク上に公開されている情報ならば、なんの操作をしなくとも瞬時に入手することができる。現在地、現在時間、気象情報や交通情報は云うにおよばず、さまざまなデータベースを利用することやゲームなどの娯楽を享受することができる。

 入出力インターフェースの形式はさまざまだが、手の甲や網膜に画面スクリーンを兼ねた操作ボードを備えていることが多い。指先の微細な動きやまばたきや眼球の動きなどで操作することが可能だ。動力は人体が発する微弱電流で、適切な保守調整メンテナンスを定期的に受けることで、使用者の命が尽きるときまで稼働し続ける。

「どういう意味だ? 体内端末で確認できるんじゃないのか」

 十和が首をかしげた。

 企業に限らず、護衛局や陰陽寮のような政府組織も、所属する者たちの情報を、電脳上にある程度公開している。人間関係をつなぐためだけに費やされる膨大な手間——紹介や取次、挨拶や接待——を省くためだ。個人の基本的なデータを自動的に入手できるようになったことにより、初対面という概念はほとんど存在しなくなっている。

 彼女自身には縁のないそのシステムが、いまの時代においては重要かつ必要不可欠なインフラであることくらいは知っているのだろう。

「ああ、僕は体内端末を持っていないんですよ」

 え、と十和は目を見開いた。

「あなたと同じ、適合術を受けていない人間なんです」

 するり、と猫のようになめらかな動きで、八雲は十和の隣に腰を下ろした。来鹿は警戒していることを相手に知らせてやろうとばかりに、ぐいと身を乗り出す。

「体内端末は使えません。来鹿さんはそのことに気がついて、僕のうかつを責めた。送られてきたデータだけをもとにあなたに声をかけたから」

 髪の色や目の色、骨格や体格——。いまや、人の外見は服を着替えるように簡単に変えられる。宇宙史以前の時代の服装や化粧メイクと同じく、いまの時代、容姿には流行がある。

 大きな瞳、エキゾチックな肌色、切れ長の目に雪の肌。流行にあわせた容姿を手に入れるための手術は、とても簡単で安価である。もし、高額な費用を負担できるのなら、その身体ごと交換することもそうむずかしくはない。好みに合わせて作り上げた身体ボディに脳を移植すればいい。

「俺たちが偽物である可能性を、少しも考えなかったのか」

 来鹿には不機嫌を隠そうという気はない。

 彼も十和もとくに身をひそめてはいないが、陰陽寮の任務は基本的に秘密裏に実行されるもので、当事者以外に明かされることはない。身分も秘匿される。それは今回の任務でも同様で、ふたりは観光客としてC2を訪れていることになっている。

 だが、情報はどこから漏洩するかわからない。

 たとえば——。十和と来鹿の任務についての情報を手に入れた悪意のだれかが、ふたりにそっくりの容姿を持つ偽物を用意し、八雲と遭遇させる。その者たちが偽物であることを、八雲が看破できず、もしそのまま任務遂行に着手するようなことになったら。

 リュニヴェールのさまざまな機密が外部へ流出し、護衛局ばかりか陰陽寮までがその管理能力を疑われることになる。公的機関としての信用に、大きな傷がつくことになるだろう。

 八雲は軽く肩をすくめた。

「そう云われましても、僕にはどうしようもないことですからね」

「あんたのほかに人はいないのか」

「来鹿」

 十和にたしなめられようとも、来鹿はまるで手を緩めない。

「人間であるだけならまだしも、適合術すら受けていないやつをあてにはできない。なにがあるかわからない任務だぞ」

 ううん、と八雲は困ったような顔で来鹿と十和を順に見やる。

「証明のしようもないことですが、こう見えても僕は、うちの支部ではまあまあマシな部類に入るんですよ。当初の採用は警察で、途中で適性試験を受けて護衛局に移ったんですが」

 必要なら、あとで来鹿さんあてに人事考課ファイルを送りますよ、と八雲は云った。

「本部の経験しかないようなかたにはわからないかもしれませんが、辺境の支部ではそう珍しくもありません。僕みたいな経歴も、生身の人間であることも」

 どうにか勘弁してもらえませんか、と八雲は嫌味な調子を交えつつも、穏やかな声音を崩さない。

「そうは云うが、せめて身体強化のひとつくらい……」

 来鹿はどこまでも渋る。傍で聞いているだけの十和は、だんだん面倒になってきたようだがかまってはいられない。

「上司にかけあってみますか? 彼なら来鹿さんと同じ強化型ですけど……」

「けど?」

 八雲の歯切れの悪さに十和が口を挟んできた。いま以上にややこしくならないよう、来鹿としては、できればずっと黙っていてほしかった。

「今回の任務に関していえば、僕のほうが適任だと思うんです」

「その理由は」

 来鹿はなじるように短く尋ねる。

あやかしがらみだからです」

「あんたも見鬼けんきか」

 十和がわずかな驚きを含ませた声で応じた。

「見鬼?」

「あんたも?」

 八雲と来鹿がそれぞれに疑問を口にしたが、十和は八雲のそれにだけ答える。

「鬼を見る能力を持った人間のことだ。珍しくはないが、そう大勢いるわけでもない」

「ああ、違います」

 残念ですけど、と八雲は薄く笑った。

「僕にそこまでの妖力ちからはありません。ただ、なんとなく気配を感じることはできます。気味が悪いとか、なんか危ない感じがするとか、よくわからないけど大丈夫そうだとか。そういう勘は働くほうで」

「なんの役にも立たない」

「いや、そうでもないよ」

「十和」

 とがめる来鹿の声に、十和は八雲と同じような薄い笑みを浮かべた。

「いざ妖物ばけもの退治となったとき、わたしは少なくともあんたの心配だけはしなくていい。なにが安全でなにが危ないかわかるなら、逃げることもできるよな」

「ええ、もちろん」

「だそうだ、来鹿。いいじゃないか、彼で」

 たいそう失礼な云い方だというのに、十和の言葉にあわせて八雲もうなずいている。

 来鹿は派手な舌打ちをした。

「あとで考課を送れよ」

「はい」

 八雲は曇りのない笑みを浮かべた。

「足手まといは許さねえぞ」

「ええ」

 そうならないように気をつけます、と笑みはますます深くなった。


 僕もご相伴にあずかっていいですか、腹へってて、と云った八雲が注文したオレンジジュースと軽食が運ばれてきたあと、三人は今後の方針を話し合うことにした。

 しなければならないことがいくつかある、と十和が云った。

陰陽暦こよみの分析。皓宮ひかりのみやの工場の検分。殺された人たちの遺体のすべてを見つけること」

「ちょっと待て」

 来鹿は思わず口を挟んだ。なんだ、と十和は涼しい顔でコーヒーを飲む。

「遺体は全部見つかったわけじゃないのか」

 ああ、と十和がうなずくと、来鹿は途端に不機嫌な顔になった。

「さっきはそんなこと云ってなかっただろう」

「そうだったか?」

 とぼける十和に、来鹿は鬼のような形相を向ける。

「臓物の一部が欠けてただけって云ってただろ」

「共通してなくなってたのは、そうだな」

「食ったら美味いとかなんとか……」

「やめろ」

 来鹿は、おまえがそう云ったんじゃないか、と不愉快さを全面に押し出して迫るも、十和の片手を挙げるだけの簡単なしぐさで抑えられてしまう。

「これから話す。そうかりかりするな」

 十和は少し強い声を出す。いくら八雲のことが気に食わないからといって、わたしにまで突っかかろうとするな。言外の台詞が聞こえたような気がした。

「これまでに死んだのは、全部で六人。なくなっていたパーツは、それぞれ頭、右手、右足、左手、左足、それから胸部を含めた胴体部分」

 来鹿はさっと顔色を変えた。

「そうだ。組み合わせると、人、ひとりぶんになる」

「まるでパズルみたいですね」

 八雲の声音はさきほどまでとまるで変わらない。やさしげな見かけによらず、血なまぐさい現場には慣れているようだ、と来鹿は思った。自分と同じ所属を思えば当然ではある。

「気の毒な被害者たちを殺し、ったのが、鬼魅おにであろうと妖鬼ようきであろうと、妖物は食いもので遊ぶような悪趣味なことはしない」

 そいつはどうだかな、と来鹿がうなるように云う。

「妖物を呼ぶ餌にしたり、取り憑かせる依代よりしろにしたり、そういうのは悪趣味って云うんじゃねえのかよ」

「それらはみな、人のすることだ」

 人はこわいよ、と十和は笑う。

「妖物なんかよりもよっぽどこわい」

「あー、なんかわかりますね、それ」

 八雲の相槌はどこかのんきに響く。来鹿はますます不機嫌になった。

「で、おまえは、その、人ひとりぶんのパーツがどこにあると思うんだ?」

「工場の敷地内」

 十和はこともなげに答え、来鹿と八雲の顔を交互に見た。

「工場のなかはさんざん探したんだろ? それで見つからねえんだから、どこか別の場所にあるんじゃねえの」

 たとえば、おまえが昨日うろうろしてたっていうあたりだって、いろいろ物騒なんじゃねえのかよ、と来鹿は顎を上げた。

「それならもう少し騒ぎになるだろう?」

「すくなくとも僕は、そんな話を聞いたことはないですね」

 β市の治安がおおいに不安定だとはいえ、人目につくところに遺体の一部や人骨が転がっていれば、多少どころではない騒ぎになる。そんな話が、警察を古巣とし、現在護衛局に勤める八雲の耳に入らないはずがない。

「複数の死体から一部のパーツだけが見つからない。ここにはあきらかに、妖物ではない何者かの意図がある」

「頭の沸いた変態の仕業なんじゃねえの」

「それで済めばかわいいものだ」

 相手がただの殺人鬼ならわたしが出ていくまでもない、と十和は云った。

「警察を呼べばそれで片がつくことだ」

 リュニヴェールにしても、陰陽寮だの護衛局だのに積極的にかかわりたいはずがない。政府に直結する権力を自社内に招き入れることは、探られたくない腹を探られるリスクを呼び寄せるに等しい。

 にもかかわらず、リュニヴェールは警察ではなく陰陽寮に事件の解決を求めた。

「だから、それは、さっきも云ったみたいに」

「陰陽師の護衛をする護衛師には捜査権がないから?」

「そうだ」

 でも、それだけでは弱い気がしないか、と十和は首をかしげた。わずかな隙もない冴え冴えとした美貌がみせる幼いしぐさには、妙な色香がともなうものだ。いいかげん見慣れている来鹿はともかく、不慣れな八雲は耳たぶを赤く染めた。

「おまえ、云ったじゃないか。工場の中を探れって。連中の悪事を暴く好機だって」

 だれでも考えつくことだと思うんだよ、と十和は眉間にしわを刻む。

「ここへ来たのがおまえとわたしじゃなく、ほかの陰陽師と護衛師でも、きっと同じことを考える。そのことにリュニヴェールが気づかないはずがない」

「それは、そうかもしれないが……」

「さっき云われてから考えてたんだ。相手は当然、部外者を招き入れるリスクをわたしたちよりもよく理解している。にもかかわらず、わたしたちを呼んだ。どうしても呼ばなければならない、ということがわかっていたからだ」

「大勢の前で人ひとりバラバラになったんだろ? だれだって妖物の仕業だと思うんじゃねえか」

 それ以上だと思う、と十和はきっぱりと云う。

「リュニヴェールは、いや、その云い方が正しくなければ、少なくとも皓宮工場の一部の者たちは、見つかっていない遺体の一部がどこにあるか知っている。知っていて隠している」

「どこに?」

「見つかってはならない場所。あの工場にあってはならない場所。ごく限られた者のみがその存在を知り、普通の従業員たちは決して出入りすることのできない場所」

「つまりそれが、リュニヴェールの工場の秘密だということですか?」

 そうだ、と十和は八雲に向かってうなずいた。

「リュニヴェールはその秘密が絶対に漏れることはない、と信じている。信じるに足る根拠がある。なのに今回、その大事な場所にけがらわしい遺体が放り込まれた」

「放り込まれた?」

 ごらんにでもなったんですか、と八雲が驚くのへ、たとえ話だよ、と十和が首を振る。

「厳重に守られ、普通の人間が絶対に入り込むことのできない場所に、普通ではない厄介ごとがもたらされた。秘密を守らねばならない者たちはおおいに焦るだろう。人の手には絶対に不可能だとわかっているならば、答えはひとつしかない。さわりだ。いちどきりならばなかったことにもできたかもしれないが、二度、三度、ついには六度」

「警察を呼ばなかったのは……」

「もちろん、秘密を知られたくなかったのもあるだろう。けれど、一番の理由はそんなことではない。そもそも警察に対応できる問題ではない、陰陽寮を呼ばなければならないと、はじめからわかっていたからだ」

「介入する権力はひとつでも少ないほうがいい、というわけか」

 来鹿にもようやく合点がいった。

 つかの間、三人のあいだに重苦しい沈黙が下りた。

 十和の言葉に深く考え込まされる護衛師ふたりを前に、自身の考えをしゃべってしまった彼女自身は少し気が抜けたような顔をしている。

 来鹿はぼんやりと思考をめぐらせながらも、なんとはなしに——それは常のくせでもあるが——、はじめて顔を合わせた八雲を観察する。体内端末が使えないのだから目玉を使うしかない。

 八雲は、その外見だけならば、凡庸、と表現するしかないような男だった。

 若草色の瞳には人のよさそうな輝きがある。ときおりふと感情の読めなくなる瞬間があるが、そのまなざしは鋭すぎることも柔らかすぎることもない。

 顔立ちは整っているが人目をひくほどではなく、細身の体格と相まって全体的に印象がやわらかい。月面都市本部では見かけないタイプの護衛師だな、と来鹿は思った。彼の同僚たちはみな、自身がそうであるように筋骨隆々とした体躯を誇る、見るからにたくましい者ばかりだ。男も女もみなそうだったから、八雲のような男はかえって新鮮に感じられた。

 警察から護衛局へ転じたということは、肉体的にも精神的にも相当程度以上に強靭であるということなのだろう。およそ暴力的な気配とは無縁であるように思える容姿や口調を、そのとおりに受け取ってはいけないのかもしれない。

 もっとも、武力行使を前提として私権に踏み込む職業にある者が、心底から穏やかであるということはない。中央も辺境もそこは同じだ。自分と同じか、あるいはそれ以上の修羅場を見てきていると思ったほうがいいだろう。

 しかも適合術すら受けていない身でありながら——。

 肉体も精神も技術によって作り出される自動人形オートモーティブ、もともとの人体にさまざまな強化を施したり、あるいはそもそも遺伝子操作によって改造された肉体に脳を移植したりすることで誕生する人工生命体アーティフィシャル、人類原種とはまったく異なる起源をもち、肉体や精神のありようが大きく異なる——あるいはいずれかの概念を持たない——知的生命体。

 命のかたちは無限にある。

 人間はもはや、この宇宙に存在する生命体が持ちうるあらゆるパターンのうちのひとつにすぎない。それも、ひどくもろく弱い型である。

 地球上でこそ適合術なしに百年以上を生きるが、宇宙に出れば五十年、いや、三十年ほどの寿命しかない。宇宙で生まれた者が地球人と同じ歳月を生きるためには、必ず適合術や肉体強化を受けなくてはならないのだ。

 そういう意味では、やはり八雲は異端なのかもしれない、と来鹿は思った。そして同時に、こうも思う。

 じつによくできためぐりあわせだ。護衛局月面本部の異端である俺と、陰陽寮の異端である十和にはおあつらえむきじゃないか——。

「その秘密とやらが、おまえがさっき云っていた理由なのかもしれないな」

 来鹿は八雲を観察しながら考えていたことを口にした。

「すぐ近くに自社所有の人工衛星を持っているリュニヴェールが、それにもかかわらずこのβ市に工場を構えている理由」

「ああ……たぶん」

 歯切れの悪い十和の答えに来鹿は紅い瞳を細く眇める。そして、あんたはなにか知らないのか、と八雲を見た。

「なにをですか?」

「リュニヴェールがβ市皓宮に工場を持っている理由だよ」

「いえ」

「疑問に思ったことはないのか?」

 八雲はちいさなため息とともに短く答えた。

「ありませんねえ」

「なんでだ?」

 なんでって、と異端の護衛師はかすかに苦笑する。

「そこにあるのがあたりまえすぎて、考えたこともないからですよ」

「あたりまえ、なのか」

「ええ、そうです。リュニヴェールは、僕が生まれるよりずっと前から皓宮に工場を構えている。もっと云えば、僕の父、祖父、そのずっと前からです。もちろん会社の評判は芳しくありません。がめついだのやり方が汚いだの、そんなところです。だけど、このβ市の財政は、じつのところリュニヴェールが納めている税金で保っているようなものですし、場所によっては大半の住民がリュニヴェールの関係者だという地域もあるんです」

 たとえば、皓宮とか玄宮くろのみやとかね、と八雲はそこではじめて不愉快そうな声を出した。

「そもそも市長ですら、もとはリュニヴェールの人間です。警察もあの会社には強く出られない。だれも口にはしないけど、それが事実です。C2、いや、カペラ星系のなかでも、ここはもっともリュニヴェールの力が及ぶ地域だと云えます。そんな場所で、だれが疑問なんか持つと思いますか?」

 十和と来鹿は思わず顔を見合わせる。

「だから気をつけたほうがいいですよ。β市でリュニヴェールを敵にまわすのがどういうことなのか、ここはほかの場所とはわけが違いますから」

 めったなことは云わないほうがいい、と続けた八雲の声はとても低く、ひどく聞き取りづらかった。

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