08
十和と来鹿の向かう先には、地下高速軌道を走る鉄道が発車を待っていた。
光をはじく流線型の銀色の車体は、高磁力を利用して高速で走行する。地下深くで複雑に行き交う
「C2の
十和は努めて事務的な口調で云って、足を速めた。来鹿は返事をせずに、ただ従った。
ふたりが飛び乗るのとほとんど同時に、列車の扉が閉まる。発車を告げる機械音声に続いて、車体は振動もなく走り出した。
軌道沿いに並ぶぼんやりとした灯が、流れるように視界に現れては消え去っていく。列車は、まばたきするほどの短い時間で超高速に達した。
十和と来鹿は、どこか懐かしさを感じさせるボックス席に向かい合って座った。鉄道の意匠といい、こうした座席の配置といい、C2を訪れる観光客の懐古趣向に配慮しているのだろう、と十和は思う。
「で、早速だが、仕事の内容を聞かせてもらってもいいか」
十和と来鹿が顔を合わせるのは、ひさしぶりのことだった。
にもかかわらず、世間話も前置きもなく仕事の話をはじめる来鹿に、十和はちらりと視線を投げる。先ほどの気まずさを引きずらないよう、感情の絡まない話題を優先することにしたのだろう。こういうところ、彼は本当に人が好い。むろん、しっかり甘えさせてもらうことにする。
「リュニヴェールも陰陽寮もなにも説明しなかったのか?」
「簡単な資料をよこしたけどな」
来鹿はにやりと笑う。
「んなもん、ケツ拭く役にも立ちやしねえ」
十和はにこりともせず、品のない軽口を聞かなかったことにした。
「
ああ、と来鹿はうなずいた。
「おまえお得意のお掃除だろ。厄介だの貧乏くじだのいろいろ云ってたが、なにがそんなに大変なんだ?」
十和は眉根を寄せた。人が好いと褒めたのを後悔したくなる。
「話だけならごく単純だ」
「本当に単純なら、おまえが呼ばれたりしないだろ」
もったいぶってないでさっさとしゃべっちまえよ、と来鹿は云っている。
「障そのものはいたってありきたりだ。当直の職員が
障にふれた者たちは一様に気味悪がった。なかにはひどくおびえる者もいた。
「だが、それだけだった。たしかに気味は悪いが、組織として対応しなければならないことがあるとは思えない、とリュニヴェール重工の月面都市本社は判断した」
「くだらない怪談話に割くようなリソースはないってわけか」
まあ、妥当だよな、と来鹿が云うのへ、十和もうなずいた。
「報告を受けた担当者は、あまりにも莫迦莫迦しいと一笑に付したそうだ。そのときはそれがあたりまえ、というか、そうするよりほかどうしようもなかったんだろう」
「莫迦莫迦しくなくなったんだな」
「そうこうしているうちに死人がでた。最初の奇禍に遭遇したのは、残業していた従業員だ。獣に食いちぎられたような状態の手足や臓腑のきれっぱしが、工場敷地内のあちこちから見つかったというから、あまり気持ちのいい話ではない」
「本当に獣なんじゃないのか?」
「辺鄙な場所にあるわりに、あの工場の
「ずいぶんと含みがあるな」
わたしは拝み屋だからな、と十和は念を押すように云う。
「そんなこた云われなくたってわかってるよ」
「隠しごとには敏い、と云ってるんだよ。リュニヴェールはなにか不都合な事実を抱えている。それは障みたいにあやふやなものじゃない。もっと現実的で切迫した、なにかだ。あの警備機構はその証拠みたいなものだと思う」
ふうん、と来鹿はうなずいたが、そこを突き詰めることなく次を問う。
「事件の第一発見者は? 死体の、と云うべきか」
「警備用ロボットが当夜のうちに異常を感知して、駆けつけた警備員が確認した。発見直後は損傷があまりにひどくて、本人を特定することはできなかったそうだ。DNA検査で身元を照合したのち、家族に知らされた」
気の毒なことだな、と来鹿はつぶやいた。
「遅くまで残っていなけりゃ、死ななかったかもしれないのに」
「問題はそのあとだ。三週間前に最初の死体、それから三日おきにひとりずつ死んだ。合わせて五人。どれもみな獣に食い散らかされたような状態で、工場の敷地内のあちこちから発見された」
「全員、死んだのは夜か?」
そうだ、と十和はうなずく。
「工場では従業員たちがひどくおびえていて、陰陽寮に依頼を入れる少し前に残業を禁止した。警備ロボットを倍以上に増やし、監視カメラの死角をなくした」
「当然だろうな」
ところがだ、と十和はそこで言葉を切ると、来鹿を正面から見据えた。
「いまから五日前、月面本社の重い腰を上げさせる事態が起きた」
「まただれか死んだのか」
「死んだ。時間帯は真っ昼間、しかも大勢の従業員が見守る前でのことだ。その日、工場では、敷地内での連続怪死事件の釈明のための緊急集会があった。従業員たちの勝手なうわさ話や憶測に収拾をつけるため、工場長が計画し、当日は月面本社から製薬部門を担当する上級役員まで呼んで、事件については捜査を進めている、真実が明らかになれば必ず知らせると約束するから、それまでのあいだはいっさいの推論も口外も無用との圧力がかかった」
「口封じのための脅しか」
褒められたこととは云えないが、それもまたやむをえなかったのかもしれない、と十和は云った。
「従業員の半数以上が欠勤し、集団離職もはじまっているような状況ではな」
「で、だれが死んだんだ?」
「本社から呼ばれた上級役員だ。壇上で意気揚々と説教をはじめようとした矢先、頭部がかき消えて、手足が千切れ、臓物が飛び散った。死体や臓器を見慣れた研究者たちにさえ直視をためらわせる地獄絵図だった、と工場長が云っていた」
そりゃすごい、と来鹿は顔をしかめる。
「吹っ飛んだパーツはどうなった?」
「一部を除いて敷地のあちこちから見つかった」
「一部ってのは?」
「肝臓と脾臓、膵臓」
「はあ?」
聞くところによるとずいぶん美味いらしい、と十和は表情を変えずに答える。来鹿は、げえ、と職業にふさわしくないうめきを漏らした。
「人間を捕食する妖は、実際そんなに多くない」
人ってのは骨と筋ばかりで、最近はさらにあれこれ加工もされているからな、案外美味いとは云えないらしいよ、と十和は表情を緩めた。
「加工って……」
「加工だろう」
いまのこの時代、人が生まれたときのままの肉体を保持し続けることは自殺行為でしかない。人類に合わせて調整されているとはいえ、地球以外の星の環境は過酷である。大気や水分の成分は、故郷のそれにどれだけ似せてもまったく同じにすることは不可能で、精神的な負担はともかく、肉体的なそれは非常に重たい。
そうした負担を軽減する技術こそが、
「さらに、外見では区別のつかない
「リスク?」
「妖は自然の存在だ。人が作り出したものじゃない。技術の粋を尽くした自動人形や人工生命体は、彼らにとっては不自然で否定するべきものだ。まちがって口にしようものなら、自らの存在が消滅することになる」
「猛毒みたいなものか」
わかりやすく云えば、と十和はうなずいた。
「それでも
「強い妖力があれば、人とそうでない者の見分けもつく。それに、人のなかにも、危険を冒して食するものほど美味い、と考えるやつもいるだろう。同じだ」
妖はそもそも精神的な存在で、肉体的栄養を必要としない。ときどき人を啖うものがあるのは、そうすることで彼らが必要とする精神的栄養を効率よく摂取することができることもあるからだ、と云われている。
「あとは、まあ、娯楽だな。弱いいきものをいたぶって遊ぶのは楽しいだろ」
来鹿はなんとも云えない顔をしたあと、気持ちを切り替えるように首を振りながら先を続けた。
「で、連中は慌てふためいて陰陽寮に
「そういうことだ」
「工場は見に行ったんだろう?」
「昨日到着してその足で。と、さっき云わなかったか? だが、とくに気にかかることはなにもなかった。敷地内で妖力を使った形跡はもちろん、呪の痕跡すらない。術となるとなおさらだ」
「殺された従業員たちに特別な関係はないのか。そいつらがだれかの恨みを買っているという可能性は?」
ようするに
「社内で調べた限りではないらしい。殺された従業員六人の履歴はこちらにも届いているが、出身や学歴に共通点はない。リュニヴェールに就業してからも交流らしい交流はなかったようだし、最後の本社上級役員にいたっては先の五人とは顔を合わせたこともない。どれだけいるかもよくわからない従業員の顔を、いちいち覚えている重役がいるとは思いがたい。その必要もないだろう」
「仮に覚えていたとしても、それが下々と一緒くたに殺される原因とも思えないしな」
リュニヴェールにとっちゃ、そのほうがよっぽどよかったろうに、と来鹿は嘆息した。
「まあな」
「さっき百鬼夜行とか云ってたな。あれはなんなんだ?」
「
うろうろすることにしたんじゃなくて、うろうろせざるをえなかったんだろ、と来鹿はにやにやと十和を見遣る。無欠の美貌を誇る陰陽師の数多い欠点のひとつが、迷走気味の方向感覚であることを彼はよく知っているのだ。
「卦?」
なんというかまあ、呪の残り香みたいなもんだよ、と十和は来鹿の笑いを完全に無視して話を続けた。まったくいらないことにばかりすぐに気づく男だ。
「なにかあるかもしれないと踏んで宿場から見張ってたら、案の定、五芒星の一画が顕れた」
「なんだって?」
「呪陣の一種で、異界から鬼魅や妖鬼を召還するときに使うことが多い。
来鹿はわかったようなわからないような顔をしている。
十和はため息をついた。鬼を見るわけでもない護衛師に、この手の話を理解してもらうのはなかなか困難だ。
「入口にしろ出口にしろ、ろくな代物じゃない。物騒な
「百鬼夜行ってのは、そんなにまずいのか」
おまえ、前に云ってたじゃないか、と来鹿は肩をすくめる。
「妖ってのは本来人に害はなさないものだ。そこにいるっていうだけで、別にかみついてもこないし、悪さもしないって」
「そうだ」
妖とは本来とても弱い存在で、ほとんどのそれらは人に害をなすような力は持っていない。例外的に強い妖力を持つ者の怒りを買ったときか、あるいは、人に使役されているとき以外、鬼とはとくにおそれるような相手ではない、と十和は考えている。いつの世も、本当におそろしいのは人なのだ。
「なら別に百鬼ったって」
「なにごとにも例外はあるだろう? 妖のなかには、だれかに害をなし、そこに喜びを覚えるような輩もいるんだよ。たくさんいれば、それだけそういう連中も増える。人も妖も変わらない。それに……」
「それに?」
来鹿はやや大げさに首をかしげる。
いい歳をした男がそのいかつい外見でそういうしぐさをするな、と十和はどうでもいいことを考えた。
「今回の夜行は陰陽暦にあわぬ不自然なものだ、と教えてくれた者がいる。それが真実であるならば、百鬼夜行をくわだてる何者かがいるということになる」
「悪意を持って?」
「そう考えるのが妥当だろう? 呪陣を敷くには、それなりの妖力と入念な準備が必要だ。どちらかといえば執念と呼ぶべき強い思い入れがなくては、とてもやりおおせるものじゃない」
払う犠牲も少なくない、と十和は冷たい声で云う。
「その百鬼夜行とリュニヴェールの件はなにか関係があるのか?」
「わからない」
十和は短く云い捨てて窓の外を眺めた。そうしたところで地下を走る地下高速軌道を走る鉄道の車窓には、規則正しく並んだ灯りしか存在しない。窓には車内の景色が映る。硝子鏡のなかで来鹿と視線を合わせる。
来鹿が紅い瞳を眇めて笑った。
「こいつはちょっとした提案なんだがな、十和?」
「なんだ」
十和は正面に座る来鹿を見ようとしなかった。なにを云いだすにしろ、厄介なことに違いない、との思いは内心にとどめておく。
「リュニヴェールは、なんで、陰陽寮に妖物退治を依頼してきたんだろうな」
どんな
「そのなかにはC2の皓宮工場に関するものもあって、そいつは、世の中に出れば、ただの
十和は表情を変えない。
「陰陽師を呼べば、
「なりふりかまっていられなくなったってことじゃないのか」
「それもあるかもしれん」
来鹿は笑みを消し、思案するような表情を浮かべた。
「なら、やつらはなぜ、最初に警察に通報しなかった? バラバラになったとはいえ、死体がそこにあるんだ。事件だろう。通報するのが常識だし、市民の義務でもある」
話の先が見えなくなり、十和はわずかに首をかしげる。
「連中は警察の捜査を嫌った。そうとしか思えない。探られたくない腹があるんだ」
「それは……、でも、護衛師であるおまえが出てくれば同じじゃないのか」
わたしたちを呼べばお前たちがついてくることくらい承知のはずだろう、と十和は云った。
いいや違う、と来鹿は苦虫を噛み潰したような顔になる。
「陰陽師に付随して派遣される護衛師の任務は、あくまでも陰陽師の警護だ。それ以上の権限は持たされていない」
護衛師とは、政府直轄の護衛局に所属する公務員である。各星系に存在し、その星域における捜査権しか持たない警察とは異なり、星系を越える広域捜査権を持っている。捜査のみならず、要人警護や警備もその任務に含まれており、同じ政府直轄組織である陰陽寮から術師が派遣されるときには、その警護につく規定になっている。
「陰陽寮の管轄はあくまでも超自然現象、ばけものどもによる障だけだ。おまえたちと行動をともにする任務では、俺たちは捜査をすることができない」
リュニヴェールはたかをくくってる、と来鹿は吐き捨てるように云う。
「凄惨な殺人事件を全部ばけもののしわざってことにしてしまえば、よけいな捜査は免れられるってな」
「わたしになにをさせたい?」
十和は笑みを含んだ声で問いかけた。旧知の仲だ。彼の云いたいことがわからないわけではない。それでもこうした話を阿吽の呼吸ですませるわけにはいかない。
「わかるだろ?」
「わたしの仕事は、おまえの云うところの妖物退治だ。上からの指示もそれだけだ。おまえに捜査権がない、というなら、それはわたしだって同じだよ」
「同じじゃない」
全然違う、と来鹿は真剣な表情で十和を見据えたまま首を横に振った。
「障の原因を特定するためなら、おまえは工場のどこにでも入り込める。少なくとも、そう要求することができる」
「わたしに捜査をしろと?」
「おまえが行くところ、どこにでもついて行くのが今回の俺の役目だからな」
「……それは、わたしの仕事じゃない」
十和のごくあたりまえの返事に、しかし、来鹿はへこたれなかった。
「おまえ、さっき、貧乏くじだって云ったろ。今回の件は厄介だって」
問いの意味がわからず、十和はあいまいにうなずく。
「たしかに貧乏くじだ。あのリュニヴェールが絡んでる以上、ただの障ですむわけがない」
世事に敏いとは云えない陰陽寮とて、リュニヴェールにまつわる評判を知らないわけではないだろう。むしろ人の闇を覗きこむ務めだけに、あるいはうわさにとどまらない真実をつかんでいる可能性だってある。一介の陰陽師である十和には知るよしもないことではあるが。
でも、わたしが云った貧乏くじはそういう意味ではない、と十和は思う。来鹿にだってわかっているだろうに、そ知らぬふりでわたしを利用しようとするわけか。
「これは
反駁しようとした十和の鼻面をひっぱたくように来鹿が云う。その真意を測りかねた十和は、いよいよいぶかしげな眼差しを正面に座る男にぶつけた。
「好機?」
「そうだ」
「護衛局やおまえにとっての、か?」
来鹿はなおも意味深に微笑むばかりだ。しばらくその不愉快な表情を見つめていた十和は、ふとしたはずみでようやく彼の意を悟った。
いや、違う。そうではない。彼は、借りを返せ、と云っているのだ。さして遠くもないあのときの借りを返す好機だ、と——。
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