07

 翌朝、まだ早い時刻のことである。

 十和は、C2唯一にして最大の宇宙港を擁するδ《デルタ》市にいた。昨夜のβ《ベータ》市幽宮かすかのみやからここまでは、地下高速軌道線を使って一時間強かかる。

 β市と異なり、完全地下化された近代都市であるδ市はC2の玄関口であり、日夜多くの旅客と貨物を受け入れ、また送り出している。

 昨日早朝に地球からC2へ到着したばかりの十和が、今朝になってまたここへ足を運んだのは、仕事上の相棒パートナーと落ち合うためだった。

 十和はたいそう不機嫌な表情をしている。気心の知れた相手と待ち合わせているとは、とても思えない仏頂面である。カペラ港到着旅客室ターミナル第八艙門ゲートの待合室をめざす足取りも、どこか荒っぽい。

 相棒が搭乗しているはずの星間連絡船は、予定よりも大幅に遅れている。待たされることが好きではない十和が不機嫌な理由は、けれどもそれだけではなかった。

 セツのことだった。

 十和があのこどもに声をかけたのは、まったくの偶然だ。

 彼が鬼を見る鋭い目を持っていたことも、おそろしく過保護な守護人もりびとを抱えていたことも、思いもよらないことだった。ましてや、その身を守ってやってほしいと頼みこまれることなど。

 美しくも心配性の過ぎた守護人の意を受け入れ、こどもの身を預かると決めたあと自らも眠りに落ちた。意識を手放す寸前、ああこの際だ、セツには幻月げんげつの存在を認めてもらうことにしよう、と思ったことは覚えている。そして、そのまま朝を迎えてしまった。

 セツは姿を消していた。

 枕元には、手渡したはずの紙幣がそっくり残されていた。

 わけもなく無性に腹が立った。

 その勢いのまま部屋を出て、万華鏡カレイドスコープの主人にセツの行方や立ち寄りそうな場所などを尋ねたが、若禿の商売人はのらくらと言を左右して、たしかなことはなにひとつ云おうとしなかった。

 苛立ちに任せ、握ったままだった紙幣をセツに渡すよう託けてきてしまったが、あの金がセツに渡ることはないに違いない。われながら莫迦な真似をしたものだ。

 十和は苛立ちの混じった息を吐いた。

 いいじゃないか。厄介ごとが自分からいなくなってくれたと思えば。あれは猫の子じゃない。ちょっとお願いしますよ、はいはい預かります、などというわけにはいかないんだ、と自分で自分に云い聞かせる。

 だが、己を腐す言葉にさえ、すでにもうあまり効果がない。

 観念するしかなさそうだった。

 ——仕方が、ないのか。これはわたしの悪いくせなのだ。

 ああそうとも。ちゃんと守ってやることなどできもしないというのに、懐に飛び込んできたものを追い出すことができない、本当に悪いくせ。

 セツのさらけ出した弱さに感応し、浅からぬ因縁を覚悟した。さらに、彼が己の同類と云ってもいい見鬼けんきであったことと、守護人である妖狐と顔を合わせたこととが追い打ちをかけた。

 ようするに、すっかり情が移ってしまった、というわけだった。

 十和にはちゃんとわかっている。いまの、この不機嫌の向かう先はセツではない。ほかでもない自分自身である。

 なりゆきとはいえ身を預かることにしたのなら、目印くらいつけておくべきだった。そもそも、人恋しいくせに人に慣れない野良だとわかっているのだから、一瞬でも目を離すべきではなかったのだ。

 するだけ無意味な後悔をかみしめながらたどり着いた待合室は、閑散としていた。

 旧時代の地表ドームを売りにする観光地とはいえ、C2はそうそう賑わう土地でもない。カペラ港の利用客数はもうずっと長いこと低い水準で推移し、今後も変わることはないと予想されている。

 十和は、離発着を知らせる表示板ガイドモニタの見える位置に腰を下ろした。

 C2のように早くから開発された星のいいところは、体内インナー端末を持たない者たちにも知覚可能な案内が充実していることである。これが、近年になって開発の進んだ地域だとそうはいかない。

 黒い長外套の襟元をかきあわせるようにして、十和は身震いをした。いくら真冬の設定とはいえ、β市といいδ市といい、寒すぎやしないだろうか、と彼女は不機嫌の矛先を外へと向けた。

 これまた黒い手袋を外し、買ってきたばかりの珈琲のカップに口をつける。温かいものでも飲まなきゃやってられない。

 ここに用があるのは、体温を自在に調節できる自動人形オートモーティブ人工生命体アーティフィシャルばかりじゃないんだぞ、と彼女は内心で毒づく。適合術フォーミングを受けていない人間とて、宇宙のひとつも飛ばなければ、まともな仕事のできない時代だ。もう少し多様性に配慮してこその公的交通機関ではないのか。

 冷え冷えとした静かな空気を破って、ときおり宇宙船の発着を知らせる轟音が響く。

 腹の底に響く低い音を繰り返し聞いているうちに、十和の苛立ちは少しずつ治まっていった。

 いつまでもいらいらしている場合ではない。仕事のことも考えなくては。

 十和は陰陽師である。

 鬼魅おにのいたずらやら、厄介な呪いやらに困っている者たちから依頼を受け、それらさわりを祓って報酬を受け取る。人の暮らしにあやかしの力が及ばぬようにすることが務めで、セツのように拝み屋と呼ぶ者もいる。

 昨日、C2に到着した十和は、まずβ市皓宮ひかりのみやへと向かった。依頼人との約束に従い、その地にある製薬工場で調査を行うためである。

 だが、そのときには、依頼人が訴えるような障を見つけることができなかった。十和の仕事にはままあることだが、彼らはそんなこととは知らない。

 工場の案内役たちが向けてよこす、大丈夫なのかこいつ、という視線をかわしつつ、彼女は次の目的地である幽宮へと足を向けた。むろん、依頼人には適当な云い訳を並べ、同行を断っている。

 幽宮で会おうとしていたのは、C2に暮らして長い古い知人——十和は彼のことを、ただ翁とだけ呼ぶ——である。以前はともかくとして、現在の翁はなかば非合法イリーガルな存在で、法令順守を旨とする依頼人とかかわらせたいとは思わなかった。

 だが、結果的に、十和は彼と面会することはできなかった。夕刻まで待っても彼は戻らず、おかげで午後をすっかり無駄にしてしまった。約束をしていなかったとはいえ、ついていない。

 もっとも、そのあとセツを拾ったのだから、まったくの無駄足というわけでもなかったのかもしれないが、ああ、でも、結局あの子には逃げられてしまったのだから、いやいや、少しは手がかりになりそうな白鵺はくやだの陰火おにびだのとの遭遇もあったことを忘れちゃいけない——。

 ああ、もう、まるで思考がまとまらない。

 十和は苦いものを飲み込んだような顔をして、首を横に振る。

 その表情のまま、電脳端末タブレットの電源を入れた。画面ディスプレイの明るさが、周囲にいたわずかな客の注目を集める。無理もない、と思いつつも、十和はごく薄めた殺気を放ってあたりを牽制した。

 幽宮に限らず、C2の治安は不安定である。観光地として政府に保護されてはいるが、宇宙有数の貧困地区であり、犯罪多発地域でもある。宇宙港のあるδ市といえども例外ではなく、カペラ港にも金目のものを狙う不穏な輩が大勢うろうろしていた。

 十和の外見は人目をひく。さらに、限られた地域でしか手に入れることのできない外部端末を所持し、外装ウェアラブル通信機まで身に着けているとあっては、カモにしてくれと喧伝しているようなものだ。

 だが、十和はとくに周囲をおそれたり警戒したりしてはいない。彼女は陰陽師として桁外れの力を持っており、そのうえ、そうした精神感応力の通用しない相手に肉弾戦で応じたとしても、そこそこの戦闘力を発揮できる自信があるからだ。

 画面に触れ、電脳空間ネットワークにアクセスする。

 いまのうちに陰陽寮から情報を集めておいたほうがいい、と十和は考えた。昨夜の陰火と呪陣、陰陽暦こよみ、百鬼夜行、知らなければならないことが多すぎるというのに、ここには支部すらないのだから不便なことだ。

 陰陽寮とは、十和のような陰陽師たちが所属する協会のことである。地球に機能の中枢を置き、月と各星域の首都に本部を、地理的に重要な惑星や準惑星に支部を配置している。擁している術師は数万人を超える規模だが、年々拡大する人類の活動領域をすべてカバーするには絶対的に人数が不足している。

 そのため、本部や支部の置かれていない場所でなんらかの障が顕れたり、依頼が寄せられたりすると、陰陽寮はそのつど陰陽師を派遣する。障の規模や悪質性、緊急性などを総合的に判断して、そのとき最も適していると思われる者が選ばれることになる。

 電脳空間に秘書セクレタリーを呼び出すと、管狐くだぎつね似姿アバターが無駄に愛想を振りまきながら現れた。

 この趣味の悪い仕様をいますぐやめろ、と上司にはかつて何度も抗議したが、まったく聞き入れられていない。目にするたびにうんざりするが、いまもまたうんざりしながら必要なことを命令すると、わかりましたあ、と間延びしたメッセージが表示される。

 十和はすぐに端末を閉じた。早ければ数分で必要な情報が転送されてくるはずだ。緊急性の高いものは通信機にも送られてくるから、端末を見なくともすぐに確認することができる。

 とはいえ、十和は陰陽寮からの情報にはさほど期待していない。依頼人が依頼人であることだし、正攻法でいくのが筋ではあるが、やはり一刻も早く翁に会いに行かなくては、と彼女は思った。

 すっかり冷めた珈琲を飲みほしたところで、遅れていた船の到着を知らせる案内が表示された。

 十和は勢いよく立ち上がる。さんざん遅れたくせに急かすように響く案内を身勝手なものだと思いながら、相棒を迎えるために待合室をあとにした。


 宇宙空間を飛来した宇宙船は、C2地表へ着陸すると、δ市から少し離れたところにある離発着場からすぐに地下へと下ろされる。そのまま専用の通路を経て旅客室まで運ばれ、艙門に接舷する。

 艙門は幾重もの保護装甲からなっている。強力な宇宙線や電磁線を、人類の生息域である地下空間に侵入させないよう設計されているのだ。

 カペラ港の艙門は比較的新しく、保護装甲はどれも六枚である。かつては数十層ものそれが必要だったというのだから、人類の技術の進歩には目を見張るべきなのだろう。

 保護装甲は、船の通る通路側と旅客室側とにそれぞれ備わっている。船が到着したときには、まず通路側の装甲が一枚ずつ船を包み込み、外気を完全に遮断したところで、今度は旅客室側の装甲が開いていく。そのため、船が接舷してからも艙門の開閉にはある程度時間が必要で、乗客が姿を見せるにはしばらくかかる。

 十和は、艙門から少し離れたあたりで、相棒を待つことにした。

 待合室こそ閑散としていたが、さすがに艙門付近は長旅を終えて到着する知人を迎える者たちで混み合っている。

 じつは、十和はあまり視力がよくない。

 身体能力を強化し、宇宙の過酷な環境に適応させる適合術フォーミングが常識になった現在、そうした不具合を抱える者は非常に稀で、矯正用補助具もさほど発達していなかった。地球では、手術で視力を回復する古い技術もまだ健在だが、彼女はそうした手術を受けることもできないため、近視という不便に甘んじるしかない。

 ようやく艙門が開いた。続々と乗客が吐き出されてくる。

「十和」

 雑踏のなかからたったひとりの知人を見つけるという、砂場で黒胡椒を集めるのにも等しい労力を伴う行為を早々に放棄した十和に、ひとりの男が声をかけた。

 燃えるような赤い髪に紅輝石ルビーの瞳が特徴的な、精悍という言葉が似合う容貌である。背が高く、体躯も逞しく鍛えられている。白い外套に黒いパンツを合わせ、懐かしさを感じさせるデザインの黒い鞄を手にしていた。

「おまえは、人を探す努力というものをまったくしないんだな」

 苦笑まじりの声は低い。十和は愛想のかけらもない声音で彼の名を呼んだ。

「遅かったな、来鹿ライカ

「船の遅れはいつものことだろう」

 十和は薄く笑った。

「そうだったな」

 吐息とともにそう答えて、β市に向かう地下高速軌道の発着場をめざして歩きはじめる。あいさつもそこそこに先を急ぐ十和に、来鹿がまた苦笑いをぶつけてくる。

「昨日はどうだったんだ? 着いたの、昨日なんだろ?」

「どうもこうもなかったよ」

 十和は短く答えて視線を来鹿に向けた。

「皓宮で工場を見学したあと、幽宮で夜の街を見物しただけだ」

「夜の街? おまえが? 珍しいこともあるもんだな」

 宇宙港の最下階へと向かう長い自動階段エスカレーターは、音もなくふたりを下へ下へと運んでいく。じつに紳士らしいしぐさで自分よりも下段に立つことを選んだ来鹿を見下ろしながら、十和はため息をついた。

「……調査の続きだ。いろいろあって、くたくたになるまで動き回ったが、手がかりになるような情報はほとんど手に入らなかった」

「翁と連絡は取れたのか?」

「まだ」

 自動階段は昇りも降りも四本ずつ、合計で八本が横一列に配置されている。その両側の壁面にはC2地表の砂で幾何学模様が描かれている。長く長く続く傾斜路は、そこを利用する者もろくにいないいま、まるで古い鏡迷宮のようにも見える。いかにも懐古趣味のC2らしい、と十和は思う。

「鬼だ妖だと、察するに、さすがのリュニヴェール重工もお手上げだったんだろうな」

 利益至上主義のがめつい複合企業体コングロマリットが陰陽寮を頼るなんてな、と来鹿は笑う。

護衛師ガーディアンの俺にだって、さっぱりわからねえことばっかりだ」

「およそおまえの領分じゃないからな」

「まあ、でも、あちらさんにとっては幸いだな」

「なにがだ」

 十和は剣呑な表情で来鹿を睨んだ。来鹿は肩を竦め当然のことのように云った。

「陰陽寮随一の実力者が乗り込んで来たんだから」

「……たったひとりでな」

「人数は問題じゃねえだろ」

 とくにおまえなら、と来鹿は表情だけで云った。十和は唇の片端だけを器用に持ち上げて笑顔のような表情を作る。

「なんだその顔」

 来鹿はほとんど真正面からまっすぐに見つめてくる。

 幾何学模様に彩られた壁面に沿って視線を上げると、たどり着く先の天井は全面が画面になっていて、闇を含む宇宙の蒼が一面に映し出されている。星から星へと人や貨物を運ぶたくさんの宇宙船が行きかうさまを眺めていると、いまいる場所が地下深くであるということを忘れてしまいそうな錯覚を起こす。

「あらかじめ云っておくが」

 十和はまるで悪い未来を告げるかのような口ぶりで云った。

「おまえもリュニヴェールも運が悪い。この件はだいぶ厄介だぞ」

「んなこた、わかってるよ」

 来鹿はなんでもないことのように受け流す。

「だからおまえが来たんだろ。心配すんな。俺もついてる」

 十和の真意は来鹿には伝わらなかった。旧知の仲であるこの護衛師は、見たとおりにおおらかで人が良い。いささか、過ぎるほどに——。

「だから、わたしが、ひとりで、ここへ来させられた意味を……」

「おまえひとりでじゅうぶんだと、上が判断した。あるいは俺がいれば大丈夫だと。それ以上の意味はない。そうだろう、十和」

「……貧乏くじだぞ、おまえ」

「俺はそうは思わない」

 十和は思わずはっきりと顔をしかめてしまった。目の前の紅輝石の瞳が真剣な色を帯びていることに気づき、続けようとした言葉を飲み込んだ。

 ——もういいから、わたしのことは放っておいて帰れ。

「裏の裏はただの表だ、十和。あれこれ考えすぎるな」

 十和は目を見開いた。

「わだかまりがあるのはわかる。けど、陰陽寮は莫迦じゃない。おまえを失ってもいいなんて考えるほど、傲慢でもない。おまえが連中を許せないのはわかるが、だからって、連中がおまえをどうこうしようと考えるなんてことは……」

「黙れッ」

「組織に問題がないとは云わない。でもそれは……」

「黙れと云ってるんだ」

「十和、話を聞けよ」

 なだめるように伸ばされた来鹿の手を振り払い、十和はまるで彼がいないもののようにまっすぐに前を向いた。非難はむろんのこと、理解も同情も拒むようなそのしぐさが、来鹿にひどくせつない顔をさせるが、彼女はそのことに気づかない。

 来鹿はそこで口を噤んだ。古い友の傷をさらにえぐることはあるまい、とそう考えたのかもしれない。

 十和は唇をきつくかみしめる。

 そうだ、それでいい、そうやって黙っていてくれ。帰らないのなら、一緒に仕事をするつもりだというのなら、黙って、ただ黙っていてほしい。

 ふたりは気まずい沈黙とともに、最下階へと到着した。

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