第9話 私の心を君に

『感情』

 ヒトなどの動物がものごとやヒトなどに対して抱く気持ちのこと。細かいことを言いだすと何百何千と定義できてしまうので、1980年にRobert Plutchikが提示した「感情の輪」に従い、8つの基本感情と二点の組み合わせからなる8つの応用感情から成り立つものとしよう。


 あぁ、説明が足りなかったか、実はここにとてつもなく面倒な奇病を持った人物、私がいる。

 私は1年に1つづつ感情を失う奇病に掛かっている。……これも語弊があるか、失うといってもデータ消去の様に特定の日に特定の感情が消失するわけではなく、一つの基本感情が薄れていき完全になくなるまでが1年ということだ。現在までに『怒り』『心配』『信頼』『喜び』の基本感情が失われ、それが関係する応用感情である『楽観』『愛』『服従』『自責』『軽蔑』『攻撃性』もまた失われた。

 まあ、救いだったのは感情が失われてもそれを持っていた時の記憶が残っていることだ。これがあれば対外的に問題はない。何も思わなくても思っているようにふるまうことはできるからだ。

あぁ、こんなことならもっといろんな映像作品を見ておくべきだったな。ああいった作品は登場人物の感情が視覚的に分かるよう誇張されている場合が多い。いい参考資料になっただろうに。


「次は何が消えそうなんですか?」

 気だるそうな声と共にマグカップが置かれる。

「ん~。何がいいかな?」

「選べるならもっと別の物からにしたでしょうに」

 確かに。だが、それこそ今更だ。

「個人的にはこれ以上あんたが演技派になるのは見たくないんですがね」

「その皮肉めいた言い方は参考になるよ」

 やれやれ、と肩をすくめる相手に私は尋ねた。

「今度は何が消えるんだい?」

「……何でそんなこと聞くんですか?」

 元々、切れ長の瞳が余計に鋭くなった。

「聞き方を変えよう。次は何の移動が終わるんだい?」

 出来るだけ楽しそうに口角を上げてみるが、その実心は全く波立たない。凪の海の様だ。一方相手に見えるのは『攻撃性』と『畏怖』。

「ふむ。その反応から察するに次は『驚き』かな」

 確認するように声に出してみたがそのほとんどが失われているのだろう、まったくと言っていいほど私は驚かなかった。

「……いつから気づいてたんですか?」

「そんな怖い顔しなくてもいいよ。別に嫌がっているわけじゃない。むしろ……少し前の私なら喜んでいたと思うよ」

 目の前の相手は人間とは異なる組成で人間そっくりに作られたもの。広義ではロボットである。人の世界にあって違和感のないように、さも感情があるかのようにプログラミングされた彼らを家族として大切にする人も多い。

「私の願いを叶えようとしたんだろう?」


 言葉の足りない私は集団の中でいつも浮いていた。

 勿論、自分の意図や意思を伝えられるようにと努力もしたが、今度は言葉が多すぎると馬鹿にされ、余計にみじめな思いをした。

 友もなく、恋人もなく、家族の視線も冷たく、私は幼い頃からずっと1人だった。

 ある時、セール品で買ったこのロボットは私の言葉を分からないと言い、分かるまで何度も聞き返した。何が分からないのか、どこが分からないのか、どうしてわからないのか、そこまで指摘され説明を求めた。

 それは誰もしなかった、私がずっとしてほしかったことだった。

「同じ人間なら最高のパートナーになれたのに」

 ロボットと人間の差は肉体構造と感情の有無。それほどまでにロボットと人間は酷似していた。とはいえ、肉体構造は変えられない。それならばとこのロボットは感情を手に入れようとしたのだろう。私が、所有者が人間であってほしいと望んだから。


「……申し訳ありません」

 その顔には『自責』の念が強く浮かんでいた。

「それも今更だ。だから経緯などについても問わない。それよりもお願いがある」



 数十年後、私と私のパートナーが解明した感情のメカニズムの論文が世界中で話題になるのだが、それはまた別の機会に話すとしよう。


—————————————————

那月さんは

「主人公が感情を1つずつ失っていく奇病にかかってしまった」状況を全力でハッピーエンドにしてください。

クリアできた貴方の人間レベルは【7】です。


バッドエンドを覆せ より

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