第1話「バルバニューバ」⑤

 不思議と、体は軽かった。

 半ば理性に身を任せているということもあり、大半の神経が麻痺してしまっているのだろう。


 その鋭い視線は、うめき声を上げながら体をばたつかせる怪物に向けられている。

 今すぐにでも飛びついて、その脆弱な肉体を裂き、息を絶やしたい――そんな衝動にかられながら、自身に課せられた任務を思い出す。

 かぶりを振ってわずかに正気を取り戻し、機内に踵を返してまずは青年の体を担ぎ上げる。この体ならば片手で事足りる。

 次いで扉を蹴破り、意識を失っている操縦士2人の存在を確認する。


 さすがに3人同時に担ぐことは困難だ。だが、この緊急時に二度手間は避けたい。

 迷っている暇もない為、操縦席を蹴りで破壊し脱出用の大穴を開ける。

 そこから操縦士の男たちも含め3人同時に頭の上に乗せるように担ぎ、大穴から脱出し野次馬のもとへと駆けだす。

 怯えの表情すら見せる彼らは、足がすくんだのかそこから動きはしない。

 そんなことも気にもせず、バンは意識のない3人を傍に置いた。


「――救急車を呼べ。もう呼んでいるのなら、到着後すぐに案内しろ。どうせそこに突っ立っているだけだろう!」

「ひ……っ」


 無作為に選んだ女性に命令すると、小さく悲鳴を上げながら首肯する。

 バンはそれ以上何も言わず、今ようやく立ち上がろうかという怪物に視線を戻す。


 さあ、相手をしてやろう。

 自棄や八つ当たりにも似た意識が湧き上がり、ゆっくり歩くのももどかしい。

 走りたくもない。

 一瞬で、距離を詰める。


 地を蹴り大気を裂く音は瞬く間に消え、彼の視界には怪物の腹部らしき部位しか映らなくなる。

 迷うな。貫いてしまえ。

 決意と同時に、槍のように鋭い殴打を繰り出す。

 鋼鉄を纏う拳は、抵抗など一切ないかのように怪物の肉体を抉る――はずだった。


「ッ!」


 予想以上の反応速度に、思わず眉を顰める。

 怪物は咄嗟に腕を振り上げ、硬い外殻で己が身を守ったのだ。


《やはり、ラーニングメタルを貫くには……》


 通信装置を介する独言めいた呟きは無視して、バンは再び腕を振られて弾かれる前にバックステップで距離を取る。

 何か装備はないのか――苛立ちが募るが、見慣れた視界左下の武装欄は見当たらない。

 否、あるにはある。だが《EMPTY》の赤文字が重ねられたまま、一切の変化がないのだ。


《聞こえているかい》

「……はい」

《あのゲームのプレイヤーなら分かるだろう、下手な攻撃は状況を悪化させるだけだ》

「なら、武装の一つでも用意していれば良かったのでは?」


 女声を責めるように言うと、彼女はさも申し訳なさげに《すまない》と返答する。

 実際に見えてはいないが、頭を下げている様は容易に想像できた。


《応援を送りたいところだけど、現場の混乱を加速させるだけだ》

「そんなことを言っている場合でもないと思いますが」

《一つだけ、速やかに状況を打破する手段がある》

「……使用不可になっている、この機能ですね?」


 それ以外に考えられないとばかりに、依然赤いままのソレを見つめる。

 一方で怪物はよろめきながらも立ち上がり、此方を探して首を動かしていた。


《詳しい事情は省くけれど、諸刃の剣ゆえに安易に使用することができない。だが君の言う通り、そんなことを言っている場合でないのは百も承知だ》


 今からロックを解除する――そう言われたのと同時に、こちらを補足した怪物が翼を広げて襲い掛かる。

 野次馬から上がる悲鳴や、遠くから響くサイレンが鬱陶しい。

 歯噛みし眉根を寄せながらも、強引に精神を集中させていく。


「――っ」


 バンは怪物の攻撃を左腕で受け流してやろうと身を構える。

 だが、そう上手くはいかない。

 攻撃の重さも、想像を越えていた――と言うより、自身があまりにも脆弱なのだ。

 硬い殻に覆われているだけで、ちょっとした拍子に中身が全壊してしまってもおかしくはない。


 諸刃の刃、と女性は言った。

 それはつまり、自壊を意味するのではないか?


 だが、それがなんだというのか。

 死ぬわけではない。死ぬのはこの機体のみ。

 刺し違えてこそ、この機体の価値が光るというものだ。

 常識を越えた重さに耐えながら、しかしバンは諦めたわけではない。


 が、負けてはならないのだから。


 だが、この状況を身一つで脱するのは困難。

 そう思った時、左下の赤が消え、代わって万全や許可を示す青に染まる。


《ロックを解除した、正確に心臓を突き破ってくれ!》


 System BBB《スリービー》。

 そう名付けられた項目をじっと見つめていると、わずか右にスライドして起動する。


「っ!?」


 途端、彼の体に未体験の感覚が襲う。

 全身の筋肉が膨れ上がるような。

 各関節から、体内の空気がすべて吐き出されていくような。

 身を覆う皮膚が、さらに硬度を増していくような。

 

 そして、胸の中に炎が灯ったかのような感覚が。


 常に全力で駆けているかのように、息苦しく、だが高揚感も半端ではない。

 目の前に有る障害など、容易く乗り越える――それ以上に、破壊することができると思わせてくれる。


「グッ!?」


 少しずつバンが押し返していくと、怪物は驚いたような声を上げる。

 それで更に力を込めたのだとしても、今の彼は止まることを知らない。

 全身で受け止めるのがやっとだった怪物の質量は、もはや片腕で事足りる。

 空いた右腕には力を込めて、拳を今度こそ槍として構える。

 怪物は驚愕するように目を見開き、明らかな怯えの色を滲ませた。


 だから、なんだというのか。

 軽々しく怪物の腕を払いのけて、外殻が覆う強固な――否、最早そうは言えぬ肉体を露にする。

 それが見えたのなら、勝利は目前だ。

 命を奪うなどという考えは微塵もなく、その拍動を停止すべく拳の槍を突き立てる。


「ギャァァアアアッ!!」


 あたかも水中に手を突っ込んだかのような、抵抗をほとんど感じさせない貫通力。

 自分でも驚きながら、バンは怪物の体内を抉りながら、不自然に硬い物を探り当てる。

 急所だと明らかにわかる不自然さ。

 視界の左下では、制限時間を示しているであろうゲージが着々と減り続けている。

 ――一気に決める。

 意を決したバンはその鋼鉄の掌を拳に変え、核といえる物体を砕いた。


 ガラスの割れるような甲高い音が体内から響き、一瞬だけその音がこの場を支配した。

 皆が声を忘れ、サイレンのけたたましい音も掻き消され。

 それが収まった時には、静寂だけが取り残された。


「……ァ……」


 苦悶の呻きを残し、怪物はその瞳から光を失う。

 そして未だ煙を上げ続ける輸送機の隣で、常識から遠く離れた振動で地面を波打たせながら、怪物は力なく倒れた。

 同時に、野次馬から小さな歓声が漏れる。

 それは段々と周囲に伝播し、やがて狂ったように肥大したものに変った。


 勝利した、と思う余裕は、バンにはもう残っていなかった。

 全身から抜けていく熱気は、彼の底をついた気力を表しているようにも見える。

 膝をついて倒れた彼の目からも同様に、光が失われた。

 途端彼は、仰向けになっているところへ上から鉄塊を乗せられたかのような圧力に襲われる。

 体の強張りを感じながら目を開ければ、視界は闇。


《――かい。大丈夫かい、返事をしてくれ!》


 荒々しい自分の息に紛れて、女声が耳朶を打っていることにようやく気付く。

 返事をしようとして一度息を止め、


「っ……大丈夫、です」


 と、呼気を含ませながら応える。

 すると安堵の溜息が聞こえ、何か端末を操作する音の後、カプセルの蓋が開く。

 遠隔操作で開けてくれたのだろう。

 些細な手間を省いてくれたことに感謝すると同時に、立ち上がるのは自分なのだなと、誰にともなく苦笑する。


 まだ煙の残っているため多少咳き込みもしたが、どうにか立ち上がりカプセルから身を起こすことができた。

 だが、脱出は難しい。

 煙が充満しているわけではないから、命に別状はないだろう。

 それに、この状況で外に出たら、どうなるかは想像に難くない。


 脳裏によみがえる、忌まわしい記憶。

 きっと外で阿呆のように騒ぐ莫迦どもは、怪物を倒した勇者を祭り上げたくして仕方がないのだろう。

 それを愛想笑いで甘受するのが、真の英雄なのだろうか。


 ……だとしたら、俺は英雄でなくていい。


 諦念を込めた眼差しを宙に向け、壁にもたれて腰を落とす。

 足に力が入らないのだ。

 駄目だと分かっていても、今までにない疲労感が脳の指令に邪魔をする。


 どうしてこんなことをしてしまったのだろう。

 もうしないと心に決めていたのに。

 癒えない傷を抉るだけだと分かっていたのに。

 この呼吸の荒さは、今更になって痛み苦しみが襲ってきている証拠に他ならない。


 ――偽善者が!


 胸を締め付ける鋭い痛みに抵抗することもなく、意識をふっと投げ捨てる。

 その直前に見えた影は、女性の輪郭をとっていた気がする。

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