第2話「バン」①
馬場盤次、またの名をバン。
彼の日常は平坦そのものである。
朝は自分の起床より早く家を出た両親の作った朝食を取り、携帯でゲームのプレイ動画を見ながらバスで登校。
学校では教師に指されても問題なく答え、休憩時間は独りで窓の外を見て呆ける。
昼食時間は屋上で一人。日陰に胡坐をかいてコッペパンを片手に、湿った涼風に髪を揺らす。
そうして放課後はミカのいる玩具店に寄って、VRゲーム「バンクラプトバスターズ」で怪物を蹴散らしていく。
そして憂さとでもいうものをそれとなく晴らしたところで、薄暗い夜道を歩き、未だ両親の帰宅していない自宅に戻る。
彼は日がな一日、孤独である。休日に親の顔を見るのも珍しいほどだ。
本当は親などいないのではないだろうか?
非現実的な疑問が生まれても、誰も理解をしてはくれない。
それは幼馴染でさえも、真の意味でも理解できてはいないだろう。
――まあ、慣れたからいいんだが。
諦めているのか我慢しているのか、自分でも分からない言葉で思考を途切ると、彼はわけもなく空に手を伸ばした。
屋上で仰向けになったその視線の先には、モクモクと群れをなす白い雲と、青空のキャンバスに白の一筋を描く飛行機雲。
加えて蒸し暑い空気が、全身に夏を感じさせてくる。
季節感がどうであれ、彼の日常は変わらない。これからも、ずっと――そう思えるほどに平坦だという自覚があった。
いつからそう思い始めたのかは分からない。
だが、だからこそいま。先日の出来事がどこか遠い世界、それも夢の中で起きた出来事であるとしか思えないでいた。
バンクラプト――彼を魅了したゲームに登場する、架空の怪物。
あの日までは、そうだった。
しかしその怪物は、実際に存在していた。
そしてこの手で、確かに撃破した。
その感覚は、今なお手に残っている。
状況が終わり意識を失ったその後、気がつけば自宅のベッドで眠っていた。
誰からも説明はなく、ニュースでも輸送機の墜落のみが報じられていた。
真実がそうなのだとしても、彼だけにとってそれは虚偽でしかない。
作為的な何かの存在を疑わずにはいられなかった。
だがそれを証明する手段はない。あったとして誰が信じようものか。
それ以前に、バンには信じてほしいという思いは一切なかった。
信じられずとも、今こうして世界は動き続けている。
人一人が、自分だけが真実だと思い込んでいることを叫んでも仕方がない。
ゆえに、彼は寡黙でいた。
そうしていれば、世界はそのままだ。
などと思う反面、心には確かにしこりを残していたのだが。
「……臨時休業?」
葉月玩具店の前に示された張り紙を訝しげに見ながら、バンは溜息を吐いた。
毎日欠かさず行っている日課ができないのだ。当然と言える。
わざわざ開けてくれと言うのも気が引け、彼は仕方なく帰路へとつく。
夕暮れの空は紫がかり、19時の到来が間もないことを伝えてくれる。
あの雲の向こうから、あの怪物が襲い来るなどとは、誰も想像に及ぶまい。
ごうと不意に強く吹いた涼風に目を細めていると、彼の耳朶を野太い歓声が打った。
響きの源を辿れば、ゲームセンターからだとわかる。
ガラスの自動ドアの向こうでは、いつものようにバンクラプトバスターズの筐体とリプレイ・実況モニターの周囲に人だかりができていた。
だが、いつもと違うのは野次馬の視線の雰囲気。遠目にでも、「釘付け」「目を奪われている」という表現がひどく似合う。
どうせ、少しばかり巧いプレイヤーか、有名なプレイヤーが現れたというくらいだろう。大して気にすることでもない。
そう、思っていたはずなのに。
歩む足は無意識にそちらへ向けられ、気付けば人込みの一部と化していた。
高くはない背丈を伸ばして、皆の視線の先にあるものを見る。
どうやら今しがたプレイが終わり、カプセル筐体から出ようというところのようだ。
薄青の蓋が開き、歓声に包まれる彼の状態を起こす姿が見える。
黒のシャツに紺色のジーパン。一見地味なようだが、そこにハネのない金色の短髪や端正な顔立ちが加えられては、落ち着いた雰囲気を纏う青年としか形容できなくなる。
――どこかで見たような?
眉をひそめ記憶を探っていると、青年と目が合っている事に気付くまでに数泊を要した。
まさか自分が、などと思っていると、青年は無言で人込みに寄りバンの前に立つ。
――……なんで?
不自然に出現した、二人と野次馬の空白。
彼らから集中する視線も相まって、バンは露骨に嫌そうな顔をしていた。
「……国内ランカーだな?」
「っ!?」
刃のように鋭い瞳に釘づけられ、バンは思考が止まる。
なぜ知っている?
いや、この界隈でバンは決して無名ではない。顔を知っている者がいても何ら不思議ではない。
だがこれまでに、名も知らぬ誰かに、そのように声をかけられたことなどはない。
ゆえにバンは、青年を警戒した。ゲーム内でもないのに、戦闘の構えを取ろうしていた。
「そう殺気立つな。一戦交えたいだけだ」
青年の発言が耳に入っているか怪しい野次馬が歓声を上げる。もはや相手が誰であれ、青年の戦いぶりが見られれば良いという風だ。
だが、受けてやる義理がどこにあるというのか――一方で、断る理由があるわけではなかった。
それどころか今日はプレイできていないのだ。心の底では戦意を燻らせ、彼の言うように殺気立っていた。
自分を諫めるように息を吐いたバンはゆっくりと首肯し、ポケットから円貨とICカードを取り出す。
青年は表情を変えることなく、ついてこいとでも言うように筐体へ踵を返した。
バンもそれについていき、まだ前のプレイヤーが残した生暖かさを感じながら、青年の隣の筐体に寝そべる。
手元の装置に円貨とカードを挿入すれば、自分がバンであることを機械が認証する。
カプセルを閉じると周囲を闇が包み、細い光線が身体をスキャンしていく。
数秒の後、健常と認められ、拘束具のようなものが体の各所を固定する。
外から響く歓声が鬱陶しい。
落ち着かせるために深呼吸をしている間に、網膜へ投射されたメニュー画面で、マッチングの要請が来ている事を認める。
むろん、承諾。視線でカーソルを合わせる。
「お、おい! バンって」
誰かが声を上げると、一瞬だけの静寂が訪れた。
「永遠の13番じゃねえか!」
「見ものだぜ、こいつは!」
「13バン! 13バン!」
――称賛しているのか馬鹿にしているのか、どっちかにしろ。
心の中で毒づいていると、戦闘準備画面に迎えられる。
画面中心には、着慣れた自分の分身が立っている。
腰に据えたアサルトライフルに、戦闘スタイルを象徴するシールド付きのパイルバンカー。
機動力を求め、初期装備の半分ほどにまで削った装甲が模るシルエットは、見る人によっては心許なく見えるかもしれない。
だが、これで13番にまで上り詰めたのだ。
この体で。
それが、それ以上を目指せないことの証明であったとしても。
【 Ban – Rank.13 vs. No name – Guest 】
筐体の同期が完了し、自分の名前と相手の名前が表示される。
名無し――つまり、ユーザー登録をしていない野良プレイヤーということだ。
それでも、油断はできない。この界隈において、あえて名やランクを持たず強豪を打ち負かす通り魔の存在はさして珍しくはない。
とは言えど、バンも実際に遭遇するのは初めてだが。
――しかし、ユーザー登録していないのなら、装備にそう種類はないはずだが。
警戒を厳にしながら、熱もない暗闇の中を通り抜ける不快に眉をひそめる。
一度無意識に瞬きをしたのち、体に慣れた重みがのしかかる。
薄暗さに包まれた、廃墟の並ぶ荒んだ街並み。
大規模な戦闘があったことを想起させる有様。
その内のひび割れた道路の上に、バンは影を落としていた。
10のカウントダウンが0へと向かい形を変えていく間に、彼は手を握っては開きを何度か繰り返す。
現実の自分が手汗をかいているせいで若干の違和を感じたが、その時には既にカウントは4にまで減っていた。
どうせズボンで拭こうにも、拘束具のせいで届きはしない。
軽く振って乾かしたことにして、アサルトライフルに右手を添える。
そして――カウントが、ゼロを迎えた。
【 Free Battle – 1 on 1 / BREAK OUT!】
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