第1話「バルバニューバ」④
何かの事故が起こった現場には、既に人だかりができていた。
未だ何も対処されていないのか、妙に静かな野次馬と黒煙以外には何も見当たらない。
だがそれだけでなく、渦中に目を引く何かがあるのは、彼らを見れば明らかだ。
だが、ヒトの荒波がそれを容易く見せてはくれない。
バンは歯噛みしながら苛立ちを抑え、力任せに野次馬の波をかき分けていく。
――邪魔だ、木偶ノ坊ども。
いくら罵言を浴びせられようが、うっかり誰かの足を踏んでしまおうが、まったく足を止めることはなかった。
時折手を掴まれながらも荒波を抜け、歪な楕円を描くヒトの渦中にあったものは。
墜落し黒煙を上げる輸送機。
しばらく地面を這っていたのだろう、痛々しい足跡が人込みの外にまで続いていた。
それでも辛うじて、否、機体の輪郭を保つには余裕があるようだった。
わずかな疑問を持ちつつも、バンはこの場の妙な静寂が気になる。まるで大きな動きを見せない何かが心配で、目を奪われているかのようだ。
だが視点が悪いらしく、それが何なのかまでは窺い知れない。
ただ、陰から時折見えるのは――トカゲやその類を想起させる、無骨な外皮に覆われた尻尾。
同時に体に動いているのだろう、彼方の野次馬たちは歓声にも似た悲鳴が上がっていた。
そこに、何がある?
ごくりと唾を飲んで、バンもこの時だけは周囲と何ら変わらない野次馬と化していた。
だが、彼に応えるようにして機体の上部に身を乗り出したソレは、明らかに。
「……バンクラプト……!?」
仮想世界で幾度となくせん滅してきた怪物に、酷似した意匠を有していたのだから。
一見すれば、ファンタジー世界に頻出する翼竜のようだが、直感じみた予想が外れていないのだとすれば、そんなものよりもはるかに危険な存在である。
映画の撮影か何かか?
苦しい現実逃避をする自分を振りはらうと、霧中にぽつんと置かれた別の自分が姿を見せる。
――輸送機に乗っている人員はどうなっている?
今にも泣きそうな顔で、自分はそう言っていた気がした。
機体から上る黒煙はおそらく、まだ大事に至ってはいないと訴えている。
だが、それもいつまでか。とりついた怪物が動力部を鋭い爪で一突きしたとしたら。
今よりも大きな爆発が機体と周囲を包むことだろう。
――俺に、何ができる。
それは問いではなく、ただ無力を感じるばかりの悲痛な言葉。
下手に飛び込んで、どうにかできるようなものではない。
むしろ、この非現実的な状況を前に理性が残っている自分は異常だ。
いっそこの野次馬の中に溶けて、ともに無実を叫んでも構わない――そんなことまで考え始めていた時だ。
《誰かッ、そこにバンクラプトバスターズのプレイヤーはいないか!》
肌に突き刺さるような大音量の女声が、ふいに辺りを包む。
怪物も怯んでいるのか、あちこちを見渡して戸惑っているのか目に見える。
皆、遅れて叫声を認識し、各所で小さくぽつぽつと起こる不安げな会話が周囲に一瞬で伝播する。
「誰かいないのか」「お前やってただろ」「俺より上手い奴いるって」「都内だぜ、ランカーの一人二人いるだろ」
喧騒の海を流れて、バンの耳にそんなやり取りが響く。
――嗚呼、結局同じか。
他人任せ。自分は無罪。前に出てくれる誰かを待ち。
自分は、何もしようとはしない!
苛立ちに震えるバンはしかし、膝は恐怖に震えていた。
今すぐにでも飛び出したい気分は山々だ。
だが、ちらつくのだ。過去の忌まわしい記憶が。
自分に向けられた無数のレンズが。
英雄を見るかのようなその眼差しが。
勇気ある行為に称賛を送るような拍手喝采が。
そしてそれを乱暴に振り払った途端に、英雄が一転して偽善者と名を変えたことが。
――そうか。だからゲームにのめりこんだんだ。
不意に、今は関係のない幼馴染の顔が思い浮かぶ。
自分が身を置く現実が、あまりにも腐っているようにしか見えなくなったから。
当然の行為を無駄に飾られたり、否定されるのが嫌になったから。
この世界で生きていたくないから。
だから、仮想の世界に身を沈めたのだ。
「お、おい、君……」
制止する男の声も聴かず、無意識に足が前に出る。
現実ではないかのように軽い。
――嗚呼、なぜ動いた。
その自問の答えは、酷くぼやけていた。
どうでも良いのだ。その答えを探すよりも、すべきことがある。
《……君は?》
まるで怪物が喋っているかのように、女声と共にバンの方を向く。
しかし彼はまるで物怖じしない。
これはゲームだ――彼はバニッシャーの見えない鎧を纏っているような錯覚と共に、一歩を重ねながらゆっくりと口を開く。
「バン。ランカーです」
《……!》
息遣いだけで、女声が驚いているのがわかる。
《格納庫が開いてしまっているはずだ、後ろから入れるかい》
しかし彼のことで何かを言うのも時間の無駄と分かっているらしく、女声はバンにのみ聞こえるくらいのボリュームに抑えて指示を出す。
静かに頷いて機体後方へ。その間も、怪物から目を離しはしない。
「……開いてはいます。非常用のシャッターが閉じているようですが」
《そうか》彼が機内に入ったのを確認したのか、女声は音声を切り替えて内部にのみ響く。
「コンソールがあります。パスワードを教えていただけますか」
《1313。……頼んでおいてなんだけど、非常に冷静だね。何をするのか分かっているみたいだ》
ハスキーな女声に従いシャッターを開けると、バンは機体の中央部にまで足を踏み入れる。
うっすらと煙が立ち込めており、中では白黒コンテナ1つずつと、その傍に倒れる青年の姿があった。
すぐに駆け寄り、脈拍を確認する。
《中の状況は?》
「輸送している荷物に傷はなさそうです。傍に倒れている人間も、気を失っているだけかと」
《……では、君も見ただろう。あの怪物が来ないうちに、黒い方のコンテナに入っているものに――》
「――バニッシャーがここに入っている。搭乗員を救出したのち、
《……人命の救助を最優先でお願いするよ》
「あなたも妙に冷静ですね」
些か淡々とした口調になりながら、バンはコンテナにロックをかけるコンソールに再び1313と入力する。
なぜか、以前から知っていたかのようにすらすらと事が運ぶ。
《きみほどではないさ》
どこかに呆れの色をにじませた声が届くと同時に、コンテナが開かれて中身を露にする。
そこにあったのは、見慣れたゲーム筐体――などではなく、その隣のコンテナに収められた機体を操作する装置だろう。
《入ってくれればこちらで補助をする。もう片方のコンテナは同時に開くから、入ってくれるかい》
「機密とかじゃないんですか、こういうの」
《君を縛り上げるような真似はしない、約束するよ》
正直、どうでもいい。
バンは特に反応を見せず、慣れた動きでカプセル型の装置に身を収める。
電源がどこか探っていると、自動でモニターに光が灯り、素早くシステムが起動する。
《任せたよ》
焦りをはらませた声に、小さく頷く。
拘束具に似た装置が体の各所を固定し、光の横線が全身をスキャニングしていく。
いつもと、同じだ。
《フィジカルスキャン完了、システムBBBに異常なし。AIにも問題はない。君は気にせずやってくれ》
黒に染められた視界。光が入るのはいつかと思っていると、天井から殴打の衝撃が響いてくる。
怪物が暴れ始めたのだろう、ついでに野次馬の悲鳴も聞こえてくる。
空気を排出する音と共に、コンテナが展開され視界に光が差し込む。
自分が自分ではなくなった、仮面をかぶったような気分だ。
体だけでなく心も軽い。
立ち上がって鋼鉄を纏う両手を閉じて開けば、違和感がないことを認める。
天井から響く殴打の轟音は少しずつ大きくなっている。
あともって数発。
冷静に状況を判断しながら、青年を離れたところに追いやる。
あと4発。3発、2発――1発。
「――――ァァァグァ!!」
不協和音のような声を上げながら、機体を突き破って怪物と会敵する。
直後、格納庫からまた新たな煙が巻き上がる。
肥大化する悲鳴。
しばしの間、あたりを静寂が包んだ。
死んだ――と、誰もが思っていたのではないだろうか。
中にいる搭乗者も。飛び込んでいった少年も。
だが間も無く、静寂とその予想は破られる。
煙を裂きながら、機内から黒い影が飛び出す。
それは人間にしては大きすぎ、シルエットが歪だ。
怪物だ。怪物が投げ飛ばされたのだ。
「……バルバ、ニュー、バ」
乱れかけた息を整えながら、彼は網膜に投射された文字に目を通す。
それは、希望の名前。
それは、全てを貫く矛の名前。
それは、全てを守る盾の名前。
煙の中から、新たな影が姿を現す。
継ぎ接ぎだらけの装甲を身に纏うソレは、人間と言うにはあまりにも無骨で、現実を離れすぎていた。
まるでアニメやゲームの中に登場する、ヒロイックなスーパーロボット。
だが、その名を冠するには、等身大のソレはあまりにも小さかった。
それでも、いつかこの日を回顧する人々は言うだろう。
これが、世界最小のスーパーロボットが大地に立った日だと。
《続》
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