第2話「バン」③
「殺気立つなとさっきも言っただろう。血気盛んな犠牲者を見るのはもう御免だ」
また反射的に身構えていたバンに、青年は呆れた声音で言う。
――それが命の恩人に対する態度か?
声に出さずとも、表情に出して嫌悪感を露にする。
恩着せがましいのは嫌うバンだったが、恩を受けたなどとは微塵も感じていない様子の青年には、さすがに憤りを感じずにはいられなかった。
「戦闘ならば先ほど終えたばかりだろう。……博士、早く出てきていただけませんか?」
まるで言葉の通じない子供を相手にしたくはない、とでも言いたげに頭を抑え、聞き慣れない言葉を発する青年。
バンは『博士』などといった風貌の人物を探すが、それらしき者は見当たらない。
などと思っていると、彼の肩を叩くように何者かの両手が置かれた。
敵だ――そんな存在が身近にいるはずもないのに、反射的にバンは振り向いて手を払い、手刀を突き出そうとして……青年に掴まれ、阻止される。
「なにを――」
「何度も言わせるな。敵と味方の区別もつかないのか」
青年を睨みつけると、彼はそれ以上の鋭さで以てバンを非難する。
「いやいや、驚かせてしまった私に非があるよ。すまない、バン君。……ほら、離してあげて」
もう一度戦いが勃発しそうな空気を破ったのは、聞き覚えのある女声。
青年から手を解放され前に向き直れば、そこには日常から遠く離れた雰囲気を醸す白衣に身を包む女性がいた。
後ろで纏めてはいるがところどころ跳ねて外見に無頓着なのが窺える茶髪。
何より赤い縁の眼鏡が、彼女に対する知的なイメージを確立していく。
であれば、『博士』とはこの女性のことか?
バンの無言の問いに答えるように、彼女はふふんと自慢げに微笑んだ。
「自己紹介がまだだったね。私の名前はフィルナ・ナイトレイ。あんまり大っぴらに名乗れないのだけれど、君が先日乗った『バルバニューバ』の設計を担当した者だ。その節は君に多大な迷惑をかけてしまい、本当にすまなかった」
「あ、頭を上げてください」
いきなり架空世界の話題を振られたみたいに、脳の処理が追い付いていない。ただ、その振る舞いから察するに、フィルナと名乗る女性がそれなりに偉い人物であることは分かる。
そのためバンは頭を下げる彼女に罪悪感を覚えてしまっていた。
「いや、それだけじゃない。バルバニューバを失うことなく、バンクラプトとの戦闘データも得ることができた。嬉しい誤算だった。君には感謝してもしきれない」
「ちょ、ちょっと待ってください。何が何だか――」
当時は何のためらいもなく受け入れていたはずなのに、いざ現実と言われてしまうとすぐに受け入れることができず、更に混乱が深まる。
そんな彼を見かねて、青年が「博士」と口を挟む。
「この少年は真実を目の当たりにしたとは言え、まだ一般人です。一人で勝手に語ってしまうのはあなたの悪い癖ですよ」
「おや、そういえばそうだったね。では早速行こうか」
「え?」
バン以外の二人だけが理解できる会話で、いよいよ危機感を覚え始める。
まさか新手の誘拐犯?
もしくはバルバニューバという機体やバンクラプトが思っている以上の重要機密で――
「――消されるッ!?」
「馬鹿なことを言っていないで乗れ」
バンはサッと顔を青くしながら、抵抗する気力も起きないままに、近くに止まっていた黒い車両に押し込まれる。
一見普通そうな外装の割に中は高級感に溢れており、身を預けたシートは日頃のストレスなど忘れてしまいそうなほどの抱擁感がある。
逃げるべきか、従うべきか。
しかし従うとして、いったい何に――呆然と車内の天井を見つめていると、運転席に青年が、助手席にフィルナが乗り込み、車のエンジンが始動し動き出す。
「シートベルトはしたね?」
「あ、はい。今……」
バンは腑抜けた返事をして、言われた通りにシートベルトを締める。
――ええい、ままよ。
「バン君、やけに静かだけど大丈夫かい。酔い止めなら常備してあるけれど」
「いえそういうわけでは。往生際の良い方がいいでしょう?」
「……やけに冷静だけど、なんか勘違いしてない、彼?」
「博士のやり方が悪いかと」
「まあ目的は達成しているから、ひとまずオーケーさ」
前方二人の会話は鼓膜を素通りしていく。
仮に彼らがバンを騙していたとしても、それで仮に命を奪われてしまうのだとしても。
不思議と、仕方のないことだと思えた。
偽善者に生きる場所はない。
下手に名が知られても、何の名誉でもない。所詮は悪意のはけ口にされるだけだ。
それは何より体験してきた自分が知っている。
ならばどうなったとしてもよい。
世間に変化など、求めてもしょうがないのだから。
変わらない自分は、隅に追いやられ、いずれ消えたとしても気付かれない。
その時が来たのかもしれない。
この先に自分の命があるにせよ、ないにせよ。
――などと、バンは現状を勘違いしているとも知らずに、車両は静かに揺れ続けた。
流れゆくビル群。もう夕暮れも近いのにせわしない人々。
友人と談笑する学生。ランドマークで誰かを待つ様な者も見えた。
街を歩く人ひとりをとっても、まったく同じことをしている人は見当たらない。
それならひとりくらい、自分を認めてくれる人間がいてもいいのではないか?
助手席でノートパソコンのキーを打つフィルナなら、と淡い期待を寄せてみるが、それはただ甘えたいだけのような気がして、すぐに振り払った。
それから十数分ほどは、ただぼんやりと窓の外を眺め、いつの間にか穏やかな寝息を立てていた。
夢を見ない、暗闇に沈むだけの熟睡。
しかしふいに緩やかな振動以外の刺激を脳が感じ、彼はゆっくりと目を開く。
おぼろげな視界に焦点が合い、悪戯な笑みを浮かべるフィルナが窓を小突いたのだと認めた。
「おはよう。申し訳ないけど目的地に着いたんだ、ここで降りてもらえるかな?」
彼女に言われるまま車を降りると、バンは見慣れない――それも、ただ来たことがないという意味ではない――場所に立っていた。
空気に大した匂いもなく、不純物がないといった様子。
一息つくだけで不思議と目が冴えた。
壁や天井には、あまり身近な建造物では見かけない金属がふんだんに使われているらしい。
地面はコンクリートの類のようだが、何かの加工がしてあることは一目でわかる。
見た目こそ大型ショッピングモールの立体駐車場の一角だが、漂う雰囲気はSF映画に出てくるような研究施設の一部。
周りにはバンが乗っていたような車両やトラックのような輸送車、その他装甲車のようなものも各々いくつか見え、駐車場であることは間違いない。
既に彼は、ここが日常とはかけ離れた異質な場所であることに感づいていた。
「さて、こっちが入り口だ」
青年が車を納めている間、バンはフィルナの後について自動ドアを抜け、施設の中へと足を踏み入れる。
通路に入ったことで狭く感じはしたが、それでも内装の雰囲気は駐車場とあまり変わっていない。
「……何かの研究施設ですか?」
フィルナが博士と呼ばれている事も、その疑問の発生を促進していた。
それだけでなく、バルバニューバやバンクラプトのことを話していた点から、そのことに深くかかわりがあるとみて間違いはないだろう。
彼女は慣れた足取りで通路を進みながら、僅かに振り向いて得意げに笑ってみせた。
「ああ、そうだよ。紛うことなくここは研究施設だ。君の考えている通り、バンクラプトのね」
「あれは、ゲームの中だけの存在では?」
目の当たりにしたため知らないわけではないが、バンは彼女が話しやすいように質問を投げかける。
「いいや、実在する。今も地球のどこかに潜伏していて、出ては潰しを繰り返して膠着状態にある」
「……VRゲーム『バンクラプトバスターズ』との関係性は?」
大きく心臓が跳ねる。自然と口から出たが、この答えを聞くといよいよ戻れなくなるのではないか。そんな不安がよぎる。
そんな彼の心情を知ってか知らずか、フィルナは「大いにある」と確かに言った。
彼女の言葉を耳にしたバンは、しかしショックで目が眩むわけでもなく。
ただ、続く言葉を待った。
「各国の軍隊や我々の組織が抱える試験部隊だけでは、バンクラプトの処理がおいつかない。そこでバニッシャーの遠隔操縦機能を活かし、VRゲームを利用して一般人の手を借りる道を選んだ」
「VRゲームも流行の真っただ中。支援してくれる企業もあった、と」
フィルナは背中越しに頷く。
「無事大ヒットしてくれたおかげで、戦闘データも想定の数倍集まるし、いい人材がタダで運用できるし、願ったりかなったりだ。元々あのゲームはそのために生まれたし、バニッシャーもそれを前提に設計されたと言っても過言じゃあない」
返す言葉はなかった。見つけられなかったというのが本音だ。
実際、自分はゲームにのめりこむほど楽しんでいたし、一方で彼女を擁する組織は人件費も削減できた上で戦力を補強できた。
条件はあるものの、プレイヤーとこの組織はwin-winの関係にある。
文句を言う気になどなれなかった。
「まあ怒られても仕方ないとは思うけれど、如何せん地球の未来が懸かっているとなると、偉い人も手段も選んでいられなかったんだろうね。私もこれが一番穏便な手段だったと思うよ」
「……下手にバンクラプトの情報を漏らせば、世界は混乱します。その上で戦う人を募っても、あまり数は期待できないかもしれない。それならば、娯楽という形で参加させた方がまだ確実で、安全。その考えは、理解できます」
そして、実際に成功した。
「でも、それでもまだ人類は優勢というわけじゃないんだ。それはバンクラプトの繁殖力だけが原因ではなく――と」
止まることなく話しているうちに、思い出したようにフィルナが足を止めた。バンも慌てて立ち止まる。
『第13保管所』部屋の扉には、そう書かれたプレートが埋め込まれていた。
「そう。今日君を招いたのは、ここにある物を見せる為だ」
彼女がタッチパネルらしき機器に触れて扉が開くと、視界の先に僅かなLED電灯が照らす薄暗い部屋が広がった。
何人かの研究員らしき人物がフィルナに向けて挨拶をする。
「さあ、入ってくれ」
言われるままに一歩踏み出す。すると途端に空気が変わったかのように、涼しげな空気が彼の肌を撫でた。
冷房が効いているのだろうか。
あえて通路と環境を変えてまで保管するべきものがここにあるということだろうか?
疑問の視線を部屋のあちこちに向けていると、ふいに円柱状の槽らしきものが目に映る。
槽と言っても液体で満たされているわけではなく、ただ分厚いガラスで厳重に保管されているだけのようだ。
「あれが、
そして、と彼女は言葉を繋ぐ。
「バルバニューバを構成するものでもある」
巨大な槽の隣にある、比較的小さいそれを指しながら、フィルナはそう言った。
今、バンは、彼女の声が夢中のささやきにも思えた。
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