第1話「バルバニューバ」②

 東京の住宅街の隅に、言うほどではないが異彩を放つ玩具店がある。

 葉月玩具店――些か古臭いながらに中身はきちんとしている。バンはそこの奥にある休憩所のベンチに腰かけていた。

 冷房はしっかりとかかっているのに、服の中に籠る蒸し暑い空気がバンの体を苛む。

 いくら扇ごうとも、まったく涼しくならないのである。

 自販機で買ったスポーツドリンクも既に温度が上がり始め、清涼感を失いかけている。

 熱中症一歩手前と言ったところだ。それを飲まなければ既に倒れていたことだろう。

 感謝したいところではあるが、ぬるくなったものを飲んでも、あまりありがたみがない。


「ほら、扇風機持ってきたよ」


 視界の外からかかる声に振り向けば、紺色のエプロンを身に纏う、セミロングヘアの少女がタワーファンを持っていることを認める。

 こんな状況では見過ごせないと、呆れつつも持ってきてくれたのだ。

 電源を入れれば、全身に冷ややかな風が送られてくる。汗で湿っているせいか寒気すら感じるほどだ。


「……風邪ひかないでよ」

「それは幼馴染を心配してるのか、それとも金ヅルを失うことへの憂慮か?」

「どっちも」


 幼馴染の彼女、葉月 美香ミカは気遣いもなく言ってみせる。

 そこは前者を選んで欲しいバンだったが、両方を選んでいる時点で前者も含まれていると前向きに受け取るほかはない。


「親父さんは?」追求しても仕方ない為、話題を無理矢理切り替える。

「いないよ。ちなみにお客あんた以外にはいない」


 一言自虐を加えて答えるミカ。それが普通だと思っているのだろう。

 この葉月玩具店店主の娘である彼女は、看板娘兼店員である。

 看板娘に相応しい可憐さがあるのかという話はさておき、それはあまり集客には関係していないだろう。

 なにより立地が悪い。近くに大きな小売店があるのに、なぜ辺鄙なこの店が未だに傾かないのか、魔訶不思議な現象以外の何物でもない。


「誰かさんのおかげで、今日も我が家は温かいご飯が食べられるのよ」

「嘘つけ」バンは彼女の芝居がかった言葉を即座に切り捨てる。「本当にそうなら、よほど安い飯を食ってるに違いない」

「……まあ、お父さんは他にも色々してるみたいだけど。でも、一応あんたのアレも儲けにはなってるのよ」


 言いながら、彼女は休憩所の隣にある部屋の扉を指す。先程までバンがいたところだ。

 今は換気中で、中にあるカプセル状の装置がちらりと見える。

 先ほどまでバンが収容されていたところだ。


「バンクラプトバスターズ……だっけ? 最新のアーケードゲームを設置するなんてお父さんも思い切ったけど、なんでこんなに客が来ないのかしら」

「設置店検索でも引っかからない。個人的に楽しみたかったんじゃないか?」

「その割には、やってるところをほとんど見ないけど。結局やってるのはあんたくらいよ」

「……実際、不思議だよな」


 疑いの念を込めながらカプセル型のゲーム筐体――《バンクラプトバスターズ》を二人で見つめるも、むろん見ただけで何が怪しいと分かるわけもなく。

 結局、謎である。


 VRゲーム《バンクラプトバスターズ》は、プレイヤーの纏うパワードスーツ《バニッシャー》に多彩なカスタマイズを行い、非情なまでの防御力を誇る多様な怪物バンクラプトをせん滅していくアクションゲームである。

 仮想世界に潜り込めるとあっては、ずっとでも入り浸ろうとする人間が現れる。むろん1人2人などではない。世界的な人気を誇るほどのファンがいるのだから、設置されたゲームセンターには毎日のように順番待ちの人だかりができている。

 にもかかわらずバンは毎日、ずっとでも入り浸れている。誰にも邪魔されることなく、だ。

 この店は、実は存在していないのではないか?

 そんな謎もあり得そうな気がして背中が冷え、バンは慌ててファンの電源を切った。


「あれ、もういいの? ……また、ゲームやるの?」


 疲労の吐息とともに立ち上がると、入れ替わりで隣に座ったミカは特に彼を責めるというわけでもなくそんなことを言う。

 ただ、いつもと声音が違う気がして、ふと立ち止まって彼女の方を見る。

 その表情には、どこか憂いを帯びているように見えた。


「楽しいなら、いいんだけどさ」


 彼女は思っている事全てを口にはしなかった――それがすぐにわかるほどに、明らかに歯切れが悪かった。


「少し、散歩してくる」


 だが、何を言おうとしたのかははっきりとは分からない。

 ただ自分がバンクラプトバスターズにのめりこむことで、彼女に何かしら不安を与えているのだとしたら。

 今だけでもゲームを避けておくのが有効だろうと勝手に思い、バンは休憩所を出て店内に戻ろうとする。


「待って」その背に、幼馴染の声。


「なんだ?」

「飲み物、忘れてる」


 押し付けるように飲みかけのスポーツドリンクを手渡され、バンは戸惑いながらも受け取る。

 ――言いたいことがあるなら言えよ。

 それでも抑えねばならない原因が自分にあるのかと思うと、あまり強くは言えない。

 ――なんだって、こんな急にシリアスな空気になるんだ。

 むしゃくしゃした感情をなんとか丸め込みながら、バンは店内を歩き外へと向かう。

 棚に並んでいるのは、確かに新品のゲームソフトばかり。子供の一人や二人いてもいいものだが。


「どうしたもんだか」


 何に向けられたわけでもない愚痴をこぼして、蒸し暑さが支配する夏の世界へと足を踏み入れた。


 白い飛行機雲が、青空に一筋を描く。

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