第1話「バルバニューバ」①

 静寂。

 温度も湿度も、音も何も感じない。

 真っ暗な宇宙の果てに投げ出されたかのような虚無感。


 このまま死んでしまうのではないか。そう思った直後、真白の光に包まれ、慣れた重みが体にまとわりつく。

 自分の影を、仮想の大地に落としたのだ。

 足と砂利がこすれる感覚は、本物――普段は意識していないため、勝手にそう思っているだけだが――としか言いようがない。

 自分の右手を見、矛であり盾でもある鋼鉄の鎧を纏っていることを認める。

 最初こそ自身が機械化したような感覚に違和と興奮が入り混じっていたが、今では生身の肌の方が非現実であるかのように思えてしまう。

 幼馴染は病気だとはっきり言う。その自覚はある。

だが、止められない。


 ぐるりと周囲を見渡し、更地と少し離れたところに森林しかないことを確認する。

 好きに暴れろと自然が言っているようなものだ。

 むろん、言われるまでもなく暴れるつもりである。


 数拍を置いて、ごうと風が吹き荒れ砂を巻き上げる。

 視界が砂煙に遮られたが、瞼を閉じる必要はない。目に入ることなどないのだから。

 まもなくして煙りは晴れ、視線の先に新たな影があることを認める。


 敵、あるいは味方。身に纏う鋼鉄はヒロイックに見える一方で、目つきは悪役と言われても文句のない鋭さ。

 さながらテレビ画面の中で活躍する変身ヒーローのようだ。

 自分も同じような姿をしているのだから、そのような形容の仕方は違和感を覚えてしまうのだが。


 彼の装備は透けて見えない。

 それは彼も同じだろう。

 今から殺し合う相手の手の内は知っておいて損はないが、戦いの中で知っていくことも一興だ。というより、殺し合うことがから、別に必ず知っておくべきというわけでもない。

 互いに視線を合わせながら、体が勝手に歩み進んでいき、距離を縮める。

 そして二つの身体が衝突しかけた時――ズズ、とノイズを走らせながら存在がブレた。

 それも一瞬。幽霊になったかのように相手を透過すると、ノイズは消えて背中合わせになる。


 非現実的な現象に、今更どちらも驚くこともなく。

 不意に視覚を刺激する文字列に、神経を集中させていた。

 10から9へ、9から8へ。数字は秒を刻みながら0を目指していく。


 鼓動が高鳴っている。緊張と興奮が入り混じっているのは自分でも分かる。

 それらを誤魔化すように、ふっと息を強く吐き出す。


 ――同時だった。


 3が2になったのと。

 大地を割り、地中から無数の怪物が顔を出してきたのと。

 左腕に装着したパイルバンカーに手を添えたのとが。


【 Rank Match – score attack / BREAK OUT!】


文字列が火花を吹き散らしながら、開戦を告げた。

 背を向けた相手には目もくれず、反射的に地を蹴って飛び出す。

 ダンゴムシのような外観の怪物は、実物同様に多くの節足を蠢かせながら此方へ向かってくる。

 その外殻は、実物同様に外敵からの衝撃を防ぐものだ。

 ただ、硬度が同様なはずもない。


 牽制代わりに、腰に据えたアサルトライフルを抜いて数発。視界右下に映るアサルトライフルのアイコンから、無駄に残弾数が減っていく。

 放たれた弾丸は怪物に傷一つ与えることなく弾かれ虚空へと消える。埒が明かないどころか焼け石に水なのは分かっているが、挨拶のようなものだ。大人しく腰にライフルを戻す。

 ヘルメットらしきもので頭も覆われており、正面からの攻撃には大して意味がない。いちおう目は露になっているため、正確に射ることができれば有効打となるが、絶命には至らない。

 かと言って、後方に弱点があるというわけではないのだが。

 ゆえに、取るべき常套手段はひとつ。


 体を反らせて襲い掛かる瞬間、無防備に晒された脆弱な肉体を狙う。

 その一瞬を、逃さない。

 素早く左手でパイルバンカー内側のグリップを握り、また別のグリップを展開させる。

 右手でそれを逆手に握れば、手前に引いて火薬を炸裂させる。

 直後、空気をつんざく爆発の振動と共に、太く長い杭が勢いよく射出される。

 鋭く尖ったそれは赤黒い血肉を貫き、外殻に衝突するとともに打ち止めである衝撃が伝わってくる。さすがに、内側からだからと外殻が貫けるという道理はない。

 だが、確実にその命を絶やした。目からは光が失われ、その場に力なく倒れようとしている。

 そのまま下敷きにされては、鋼鉄の体とはいえひとたまりもない。

すぐさま杭を引き抜いて後ろへ飛べば、右手に持つグリップを手放して所定の位置へと戻す。同時に空の薬莢が虚空へ排出された。

 次の火薬を装填しながら、別の怪物の外殻の上に着地。その時左腕だけでなく、ふくらはぎからも排熱され、自身の体を白煙が包む。


 視界上中央に浮かぶレーダーをちらと見る。敵たる怪物を示す赤い点は密集しすぎるがあまり血だまりのようになっており、見る者に絶望感しか与えない。

 その中に二つ、色の違う点が二つ。青が自分で、もうひとつの緑は――ある意味、敵である。

 競争相手というのが正しいだろうが、いつしか命を狙い合う敵となるのだ。


 周囲の状況を確認したのち、すぐさま右上の戦況データをちらと見る。

 怪物の撃破数のカウントだ。先程倒した分で自分の方は1となっている一方、相手は0。

 一応は優勢だが、まだ油断はできない。


 仲間に覆いかぶさる形になろうとしても襲い掛かってくる怪物の巨躯をかわしながら、太腿の小型ウェポンラックに入れた爆弾を取り出す。

 その間に、着地した瞬間を狙おうとする2体の怪物が視界に入る。

 今更、着地狩りの餌食になりはしない。

 素早く着地して、1秒で爆発する爆弾を右側の怪物の腹に取り付ける。

 その後隙なく左側の怪物の腹に向けてバンカーを作動。


 二つの爆発が、耳のスピーカーを破壊するほどの音響を轟かせた。

 全身に血を浴びながら、すぐにその場を離れる。

 自分の起こす爆発ばかりでほとんど耳に入ってこないが、競争相手も似たようなことを繰り返しているのだろう。かれこれ2分が経過してが、撃破数は大差がない。

 上手く数を重ねることができて自分は満足しているが、そろそろバンカーの火薬も尽きかけている。

 終了が近づいている証拠だ。

 競争相手の装備は知らないが、よほど予想を裏切っていなければ、同様に残弾不足に陥っている頃だろう。

 ちらと視界左上に映るタイマーに目をやる。残り時間も1分を切り、丁度いい頃だ。


 ここからが、本番だ。

 殺し合え。殺し合え。心の奥に眠る獣が雄叫びを上げ、違う毛色の戦意が湧き上がる。

 今まで背を向けていた競争相手――否、敵の方に振り向けば、彼も同様に鋭い眼光を燃やしていた。

 もはや周囲を埋め尽くす怪物など目に入らない。

 狙うはただ一つ、彼奴の首。


 軽やかに駆けだして、パイルバンカーに火薬を装填。左手のグリップを握って右手用のグリップを再度展開、いつでも作動できるようにしておく。

 その間に腰からアサルトアイフルを抜き、照準を適当に合わせて乱射、牽制する。

 相手のシルエットはあまりごつくはない。無駄な装備を省いている分、基本的な能力の拡張をブーストさせることに集中しているのだろう。

 各関節や拳、足を守るように覆う追加装甲がその証だ。要するに、接近戦が主体。

 それも単純な体術が主ならば、僅かなリーチの差でバンカーの杭が先に届く。


 根拠もない確信を胸に、身を屈めて距離を詰めようとする敵から視線をそらしはしない。

 ――来い。

 合わせた目線で軽く挑発し、アサルトライフルを軽く宙に放り空いた右手をすかさずグリップへ。

 足に力を籠め、敵は地を蹴る。予想通りに真正面。

 その左腕が繰り出す拳よりも早く、迫る顔面に向けてグリップを引き、炸薬――


「ッ!?」


 その明らかな驚愕が命取り。だが、誰が驚かずにいられようか。

 眼前で作動したパイルバンカーを、僅かに首をかしげるだけで回避するなど。

 否、怯んでいる場合ではない。そう自分に言い聞かせている間は、十分に隙だった。


 迫る拳のダメージを少しでも減らそうと身を反らせる。が、判断が遅かったためにほとんどもろに喰らってしまう。

 顔面が歪むような感覚と共に、強い電流が仮想の痛みを伝えてくる。

 そのまま地面に叩きつけられそうになりながらも、足を踏ん張って乱暴に右腕を横に振る。

 あまりに動きが雑なために軽々と避けられてしまうが、まだ負けてはいない。

 突き出したままの杭の重さを厭わしく思いながら、宙を舞っていたアサルトライフルを手に取り、残弾数も気にせずにトリガーを引く。

 硬い外殻を持つ怪物には効果が全くないものの、鋼鉄の体に穴を開ける――それが叶わずとも、その装甲を歪ませることくらいは可能だ。

 連続的な衝撃に照準など合わない。駆けだしては尚更だ。

 凝りずに距離を詰めながら、今度は油断せず動きをしっかりと見る。

 右腕が予備動作に入った。右に避けるべきだと脳が提案するが、同時に右足も攻撃の態勢に入っていることが窺える。

 実際に予想通りの攻撃が来る保証は無いが、そのどちらもがほぼ同時に繰り出されるのでとすれば。

 ――考えている時間も惜しい。

 結局は直感に任せて、敵の足元を目掛けてスライディング。そのまま足払い――足を乱暴に振るが、無駄のない跳躍で易く避けられる。

 その僅かな滞空を狙い再び銃撃。追加装甲に覆われた両腕に阻まれるが、決してゼロとは言えないダメージを着実に積み重ねていく。


 不意に弾薬が尽き、ただの荷物に早変わる。リロードできる余裕もない為さっさと捨ててしまえば、手早くバンカーの準備をする。

 その間に再び距離を詰めようとする敵。意識の外にあった怪物の群れも、徐々に二人を食いちぎろうと迫っている。

 時間も残りわずか。次で勝敗が決まる。


 敵が地を蹴った。同時に左手を振りかぶり、その拳を敵の体ごと受け流す。

 その隙にグリップを展開。体勢を崩した敵に向けて素早くバンカーを作動――


 ――できていれば、勝てただろうに。

 頭蓋はスパークを散らしながらひしゃげて、間もなくしてただの鉄くずになる。

 原型を留めないほどになった時にはもう、首は宙を舞っていた。


 最後に持ち前の動体視力で見えたのは。

 自分の捨てたアサルトライフルの銃床に、他ならなかった。

 視界は一瞬で黒に染められ、死亡したのだと思うと途端に体から力が抜けた。


【 BREAK DOWN!】


 悲壮感を漂わせる青い文字列に、敗北を告げられる。

 戦闘の結果がデータとして表示されるが、見る余裕など微塵も残っていない。

 どうせ、要約すれば『13位のまま』にしかならないのだから。


【 バン さん。次は勝てるといいですね。今回の敗北をあまり気にしないでください】


 眼鏡を掛けたクールな女性オペレーターが、気休めを言いながら微笑する。

 何度言えば気が済むのだと言いたくもなるが、自分が負け続ける限りは言うのだろう。


【 Thanks for Playing!】


 諸々の過程を経た後、視界は暗転したまま別れを告げられる。

 卑しい笑みでも浮かべる男が裏側にでもいそうだ。

 体の各所にあった拘束感が、同時に解けた。ようやく半分だけ魂が戻ってきたような感覚になる。


 そうして完全に周囲から光が消え、外に出るよう促されると、少年――バンは溜息をついた。

 先ほどの殴打によって頭全体に走った電流が今でも残っているかのようだ。

 さすがにひしゃげてはいないらしく、違和感を覚えながらも安堵する。






 たかだがゲームに本気だと、また笑われるのだろうか。

 外にいるであろう幼馴染の呆れた顔を想像しながら、バンは拘束のなくなった体を起こし、体を覆うカプセルの蓋を開ける。


 隙間から差し込む光は、汗で冷えた体を溶かしてしまいそうなほど、熱かった。

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